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ミュオグラフィを活用した内部構造の観測
社会システムを支えるセンシング技術 ~ 見えないところで活躍するセンシング技術ミューオンという極めて透過性が高い素粒子を使って、レントゲン写真のように物体内部を投影撮像する可視化技術をミュオグラフィと呼びます。本稿では、ミューオン検出器の仕組み、機械学習を活用した内部構造の把握、ミュオグラフィの適用領域などについて、NECの取り組みを紹介します。
1. はじめに
宇宙線構成成分の1つに、ミューオンという素粒子があります(図1)。このミューオンが持つ物質に対する高い透過力の特性を活用し、医療分野のX線レントゲン写真のように物体内部状態を非破壊で可視化する技術が、ミュオグラフィです。既存のセンサーとの違いの第1は、観測可能な物体サイズが数m~数kmの広いレンジに及ぶ点です。第2には、地表に常時飛来している宇宙線をプローブとして用いることにより、地球上の時間と場所を問わずセンシングが可能となります。つまりプローブのためのエネルギー源が必要なく、ランニングコストに優れたセンサーであるといえます。
本稿では、ミュオグラフィの観測原理を説明したのち1)、NECで開発している検出器、機械学習を用いたデータ分析の取り組みとその適用分野について紹介します。
2. センシング原理
ミューオンは第3章で説明するミューオン検出器を用いて捕捉し、飛来方向別にその数を集計します。図2に、単位面積当たりの検出器の天頂方向を基準軸とした場合の天頂角θと地平面における方位角Φの関係を示します。天空から地表に飛来するミューオンの数は図2のθのみに依存し、Φとは無相関であることが知られています。
物体を通過するミューオンは、その飛行経路に存在する物質の種類と密度に応じてエネルギーを失います。エネルギー損失が大きくなると経路上の物質の原子核や電子との散乱が大きくなり、検出器から外れた飛行経路を辿ることになります。これは検出器において、ミューオン数の減少として観測されます。したがって、図2のθ、Φごとに単位時間、単位立体角、単位面積当たりのミューオン数(フラックス)をセンサーで計測し、地表で知られているミューオンフラックスと比較することにより、地表とセンサーの間にある物体内部状態を、その密度分布という形で可視化することができます。
3. ミューオン検出器
ミュオグラフィに用いられる検出器として、多線比例計数管(MWPC:Multi-Wire-Proportional-Chamber)(以下、MWPC)を用いたガスタイプの検出器があります2)。MWPCでは、Ground電位の2枚の基板とその間に一定間隔で張られた2種類のワイヤー(SenseワイヤーとFieldワイヤー)とそれに直交するワイヤー(Pickupワイヤー)が基本構成となります(図3)。検出器動作時には両基板間をArとCO2の混合ガスで充填し、Senseワイヤーに高電圧を印加することで、基板間に強電場を発生させます。
検出器をミューオンが通過するとその飛行経路上のAr分子を電離し(図4(1))、ArイオンがFieldワイヤーとPickupワイヤー、電子がSenseワイヤーに向かって電場で加速されながら移動していきます(図4(2))。移動中の電子は途中でAr分子と衝突し、その分子をイオン化します(図4(3))。このような衝突と電離を雪崩を起こすように繰り返すことで、Senseワイヤー周辺には大量の電子が集約され(図4(4))、大きな信号として電気回路に送られます。これらの電子はFieldワイヤーとPickupワイヤーに集約したArイオンに取り込まれ、もとのAr分子の形に戻ります。
ミューオンにより生成された電子は、通過した場所から最も近いワイヤーに集められるため、信号を読み出したワイヤーの位置から、ミューオンがどこを通ったかが分かります。そのためMWPCを多層に重ねることにより、ミューオンの軌跡を求めることができます。
MWPC内の電場生成に用いるSenseワイヤーは直径数十μm、ミューオンの通過位置情報を取得するために使用するFieldワイヤーは直径約100μmという、細い線径のワイヤーを使用し、これらのワイヤーを多数配置する必要があります。通常、Senseワイヤーにタングステン線、Fieldワイヤーには銅線を使用していますが、タングステン線ははんだ付け性が悪く、はんだ付け部が外れたワイヤーが、MWPC内部と接触することで故障する事象が多く、MWPCの弱点となっています。NECでははんだ付け品質向上のため、線材の表面処理やはんだ付け手法について複数の手法を比較検討し、はんだ付け性を向上した他、センサー量産時の不良検出方法についても検討を進めています。
また、ミュオグラフィによる物体内部構造のセンシングでは、観測対象に応じてセンサーの構成・配置を変えることで、必要な画角・観測分解能を得ることが必要です。NECのMWPCは、センサー部・信号処理部がそれぞれ19インチラック(EIA規格)対応の寸法となっており、適用先に応じて任意に構成を変更し最適な画角で観測することができます。同じくEIA規格に対応した防水・防塵性能を有する耐環境ポータブルラックにMWPCを格納することで、屋外・地下坑道内などの過酷な環境でもミュオグラフィによる観測を実施することができます。このラックはシールド性に優れた金属製の筐体であるため、各チェンバーに施したノイズ対策シールドとの組み合わせで、ミューオン検出に影響する外部からの電気的ノイズを遮蔽しています。
4. 機械学習による情報抽出
ミューオン検出器から得られたミューオンフラックスは、アプリケーションに応じた情報に変換される必要があります。例えば、火山監視の場合は山体岩盤と火道を上下動する溶岩の密度差、工場設備のモニタリングの場合は構成部品の摩耗度といった情報が相当します。第4章では、天然資源や遺跡探査の際に必要とされる地下における未知空洞の検出で用いる技術について説明します。
ミューオンの飛来方向が図2のとおり天頂から水平までの半球に限定されているため、センサーは観測対象物の真横~真下に設置することになります。よって医療のCTスキャンとは異なり、観測に用いるミューオンというプローブが観測対象物の全周囲を覆うことができません。観測対象物の立体構造を復元する問題において、このような制約が伴うものを不良設定問題といます。ミュオグラフィによる地下空洞検出では、次の4つの事前情報を用いることにより、フラックスから空洞の位置と大きさの復元、すなわち空洞の存在を織り込んだ岩盤密度分布の推定が可能となります。
- (1)地表でのミューオンフラックス
- (2)物質中でのミューオンのエネルギー損失モデル
- (3)岩盤の密度分布(空洞の存在は織り込んでいないもの)
- (4)観測対象(=空洞)の形や大きさに関する情報
(1)については世界各地の研究機関でさまざまな天頂角からのミューオンについて観測されたデータと、それに基づいたフラックスのモデル式が存在しています。(2)と(3)を用いることにより地表からセンサー位置まで飛来する間にミューオンが失うエネルギーが分かるので、(1)と合わせることによりセンサー位置で期待されるミューオンフラックスが計算できます。このフラックスの期待値とセンサーから得られる観測値との間にずれが生じるのであれば、地中に岩盤ではない構造、すなわち空洞の存在が示唆されるわけですが、(4)と合わせることでその立体復元がより高精度に実現できます。ミューオンの地表でのフラックスμ、岩盤密度分布ρを用いて計算されるセンサー位置でのミューオンフラックスの期待値をFexp(μ,ρ)、センサーによる観測値をFobs、ρを用いて計算される空洞形状をSexp、事前情報として与えられる空洞形状をSpriとすると、前述した議論は、
で定義される誤差関数Errの岩盤密度分布ρをパラメータと見なした最小化という形で、定式化することができます。ここでw1、w2は重み係数を表します。関数のパラメータを誤差最小二乗のスキームで推定する方法として、近年画像認識などで注目を集めている深層学習を用いることができます。深層学習でベースとなっているものは、多層のニューラルネットワークにおいて各層で畳み込み演算結果の非線形な出力値を後段層の入力とするもの(CNN:Convolutional Neural Network)(以下、CNN)で、任意の非線形関数を任意の精度で構成できることが知られています。岩盤密度分布推定ではニューラルネットワークのユニットに相当する要素として、図5(a)に示したような地下岩盤を立方体(ボクセル)の集合のように表現したものを用い、これを図5(b)のように多層に拡張することで、任意の密度分布の再構成が可能となります。
不良設定問題は、活用できる事前情報が多いほどその解の精度を上げることができます。誤差関数を式(A)のように定義することで検出対象物の形状やサイズ以外の事前情報を必要に応じて追加することができるので、さまざまなミュオグラフィのアプリケーションにおいて式(A)で示した定式化は汎用的に使うことが可能となります。
5. ミュオグラフィ適用領域
ミュオグラフィの有効性は、火山観測や海面潮位観測などの地球科学の分野で既に実証が進められています。NECでは、東京大学国際ミュオグラフィ連携研究機構などと共同で海底ミュオグラフィセンサーアレイを世界で初めて設置し、東京湾における天文潮位のリアルタイム測定にはじめて成功しました。また土砂災害危険度評価のためのミュオグラフィを使った土中水分量観測にも取り組んでいます。これらの観測を通し、将来的には津波や土砂災害などの防災に関する情報提供を実現したいと考えています。また、溶鉱炉や電炉、発電用プラントなどの産業プラントの分野、ピラミッドなどの文化遺産など地球科学以外の分野での実用化に向けても検討を進めています。
6. むすび
本稿では、NECのミュオグラフィの取り組みについて紹介しました。NECでは安全・安心な生活や社会インフラを維持するため、ミュオグラフィを活用した観測・調査などに取り組みます。
参考文献
- 1)田中宏幸、 大城道則:ミュオグラフィ ピラミッドの謎を解く21世紀の鍵,丸善出版,2017
- 2)Dezső Varga et al.:Cosmic muon detector using proportional chambers,European Journal of Physics,Vol.36 No.6,2015
執筆者プロフィール
セーファーシティソリューション事業部
シニアエキスパート
NECプラットフォームズ株式会社
パブリックプロダクツ事業部
第一官公ソリューション事業部
主任
AI・アナリティクス事業部
主任
AI・アナリティクス事業部