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第4話 LIRが夜の雲も映し出す

届け、あかつきの星へ 第4話 LIRが夜の雲も映し出す

「あかつき」は、5つの“眼”を持っている。金星を撮影するカメラを5台搭載しているのだ。各カメラは撮影に使う光の波長が異なる。IR1(波長1μm帯で撮影)、IR2(同2μm)、そして10μm帯を使う中間赤外カメラ(LIR)。これら赤外領域を撮影する3台に加えて、紫外線で撮影する紫外線イメージャ(UVI)と、可視光領域で撮影する雷・大気光カメラ(LAC)。NECはこのうち、LIRとUVI、及びカメラ全体の制御と画像処理を行うコンピュータ(DE)の開発を担当した。今回はLIRを開発した、宇宙用カメラのエキスパート樫川了一に開発秘話をさぐる。(取材日 2010年10月27日)


樫川了一
中間赤外カメラ(LIR)担当 NEC東芝スペースシステム
※社名・担当は取材当時

中間赤外カメラ(LIR)担当 樫川了一
写真
上から、雷:雷・大気光カメラ(LAC)、雲の温度分布:中間赤外カメラ(LIR)、
雲頂の化学物質:紫外イメージャ(UVI)、地表面:1μmカメラ(IR1)、
下層大気:2μmカメラ(IR2)
松浦:
樫川さんが担当したLIRというカメラはどんなものなのでしょうか。
樫川:
LIRは物体が温度に応じて放射する8~12μm帯の熱赤外線を撮影するカメラです。被写体となるのは一番上層の雲で、観測温度は220K~250K(マイナス53℃~23℃)です。金星というと、何百℃もの熱い場所を思い浮かべる方が多いかも知れませんが、それは金星地表の話です。地球でも高いところに上がると温度が下がりますよね。金星も同じで、雲のてっぺんをターゲットとしてサイエンスの先生からいただいたLIRの観測温度範囲としてはこのような低温になっています。
写真
中間赤外カメラLIR
松浦:
LIRが世界で初めて宇宙用カメラに応用したと言われるボロメーターというのはどんなセンサーですか
樫川:
通常、画像センサーといえば、例えばデジカメやビデオカメラに使っているCCDですね。受けた光が半導体上で励起した電子を電圧に変換して信号を取り出しています。ところがこれと同じ方式(量子型といいます)で赤外線用のセンサーを作ると、冷凍機で冷やしてやらないと信号よりもセンサー自身の温度による励起の方が大きくなってしまいます。

一方、今回使用したボロメーターというのは抵抗体でして、受光した赤外線をまず熱に変えて温度変化にします。温度が変わると電気抵抗が変わるので、これに電流を流して電圧変化を読み取ってやります。この方式(熱型といいます)ですと、冷凍機が不要になるという大きな利点があり、その分カメラを軽く小さく作ることができますし、省電力で故障の心配も小さくなります。

なお、非冷却ボロメーターセンサーを宇宙用カメラに応用したのは、LIRが最初という話ですが、実際には海外を含むメーカーを全て調べつくせたものではないと思います。しかし、とりあえず金星探査としては、LIRの波長帯での観測は海外を含めあまり例はないようです。
松浦:
赤外線カメラといえば、昨年の新型インフルエンザ発生の時に、空港の入国管理ゲートに、人の体温を測定するカメラが取り付けられて、発熱した人の顔が赤く写っていたあのカメラが、そのボロメーターを使ったカメラですか。
樫川:
そうです。もともと地上用の赤外線カメラとして開発したのは、NEC社内の誘導光電事業部という赤外線関係を扱っている部門でして、それを2004年から民生用に販売を始めたのをサイエンスの先生がご覧になって、「金星観測用にこの技術を使えないか」ということになって開発が始まりました。

NECの赤外線技術

NECでは国内自社で非冷却型赤外線センサーの研究から量産までの全てを行っています。

半導体技術により、世界最小クラスの画素ピッチと優れた温度分解能、高感度を実現。赤外線モジュールに採用しているセンサーの駆動、読み取り、映像信号処理などの回路にもNEC独自の赤外線技術が活かされており画像の均一性や高い安定性を実現しています。

昨年、新型インフルエンザ流行時に空港の入国管理ゲートやNEC本社などに人の体温を測定するカメラが設置されたのは記憶に新しいところですが、この他にも防災や飛行など様々な用途でご利用いただけます。

松浦:
それで樫川さんが担当となったわけですね。
樫川:
そうです。はじめに紹介いただいたような「宇宙カメラのエキスパート」といえるほどのものではありませんが、色々なプロジェクトに参加させてもらった中で、カメラ関係では、電波天文観測衛星「はるか」(1997年打ち上げ)と「だいち」(2006年1月打ち上げ)では恒星センサーを、光衛星間通信実験衛星「きらり」(2005年打ち上げ)では衛星捕捉用のカメラを担当しました。その流れで、今回のLIRの開発担当となりました。
松浦:
もともと民生用のカメラを宇宙用に作り替えたわけですが、色々苦労したのではないですか。
樫川:
先に担当したカメラはいずれもCCDタイプでして、ボロメーターは、もちろん私自身も初めてでしたので、まず民生用カメラを開発した社内のカメラ部門に1ヶ月ほど机を置かせてもらって、技術資料の読み込みを含め、基本的な使い方を教えてもらいました。

民生用のカメラでは最新の高機能ICが使えて、これが1チップで非常に便利な機能を集積しているのですが、残念ながら宇宙空間で使える部品は限られていて、たとえば湿式や樹脂製の部品はそのままでは使えませんし、民生ICの高密度プロセスには放射線に弱いものが多いのです。このため、宇宙で使えると保証された部品で、汎用アンプやダイオード、トランジスタなどを組み合わせて、これと同等の機能を持つ回路を組むわけですが、その結果、民生カメラでIC数個で済んでいた回路がプリント基板一枚分になってしまいます。
松浦:
これはちょっと面白いですね。宇宙用というと小さく、軽くしていくのが普通なのかと思いましたが。
樫川:
さらに実は ICの中の回路機能をそのままプリント基板上に展開すれば動くわけではありません。扱う信号の周波数帯域は変わっていないのに対し回路配線が長くなると、例えば本来あってはならないところに電位差が出来るなどして性能を悪くしてしまいます。ですから回路構成を極力シンプルにした上で、プリント基板の配線パターンも「どこを短く、どこを太く」するかの最適化が性能の決め手となります。このような制約条件の中で軽量かつ高性能を目指してぎりぎりでやっているのが宇宙機器設計の実情です。
でも、「民生部門はいいなあ、こんな良い部品が使えて。」と独り言を言いつつも、トランジスタやダイオードを組み合わせて回路を作っている時が、実は一番楽しいんですよ。

あと、民生カメラの場合と大きく条件が異なるのは、撮影対象の暗さでした。物体から放射される光の強さは温度の4乗に比例するのですが、民生用カメラは被写体の温度条件を絶対温度で300K(27℃)あたりと想定しているのに対し、金星の雲の上層部は200K(マイナス53℃)近辺です。この比が4乗で効いてくるわけで、カメラに届く光の強さは1/5以下になってしまいます。
松浦:
シュテファン・ボルツマンの法則※1ですね。
  • ※1
    シュテファン・ボルツマンの法則:黒体(完全拡散放射源)の放射輝度および放射発散度が、絶対温度の4乗に比例するという法則。
樫川:
そうです。更に分光波長のピークが8~12μmの感度範囲から外れるため、信号成分はさらに小さくなります。このためセンサーの感度をぎりぎりまで上げて使うことになるのですが、この時点でボロメーター素子抵抗の画素間のばらつきが、回路のレンジを越えてしまいます。
松浦:
となると、さきほどの量子型センサーの場合と同じような状況になってしまいますね。
樫川:
そう。しかし、実はばらつきの素性が違いまして、量子型でセンサー自身の温度などで励起された電子数は、常時、ルート (電子数) 程度のばらつきを持っているのに対し、ボロメーター素子抵抗のばらつきの方は時間的に変動しないために補正ができるのです。

実際にこれを行うために、本ボロメーターセンサーには各素子に流すバイアス電流を画素毎に変えられる機能が組み込まれていまして、回路レンジの+側か-側のどちらに貼りついているのかを画素毎に読み取り、それをバイアス電流補正のためのパラメータとして、後段の回路からボロメーターセンサーに返してやります。
松浦:
その補正が正しくできれば、きれいな金星の雲の画像が得られることになりますか。
樫川:
アンテナ担当 NEC東芝スペースシステム 大谷 理

それが実はまだでして、ボロメーターセンサー内でのバイアス電流補正のみでは、ばらつきを後ろの回路のレンジ内に収めるまででやっとなんです。LIRは各画素の出力を12ビットでデジタル化し、つまりデータは4096段階の数字で表されることになるのですが、この4096段階のうち、観測対象のデータは、1℃あたり数段階分にしかならないのに対し、ボロメーターの各画素のばらつきは、この時点でも1000段階以上残っています。このため、そのままでは画像にはなりません。

どうするのかというと、モーターで動くシャッターをカメラのレンズ前に組み込み、まずのっぺりとしたシャッター裏を撮影します。ここで得られる画像データは、そのままボロメーターの各画素のばらつきを表します。次にシャッターを開けて金星表面を撮影します。2つの画像の差をとることで、画素のばらつきをキャンセルします。

松浦:
そこまでしないと、良い観測データが得られないのですね。
樫川:
そうです。この2つ画像の差をとる処理はDE(画像処理装置Digital Electronicsの略称。詳しくは下記参照)という機器で行います。LIRとしては、先にお話しした画素毎のバイアス電流補正をリアルタイムでしつつ、その上で未だ画素毎に1000段階分以上のレベルばらつきが残った画像データを、これに対して数段階分しかない実画像信号を歪ませず、ノイズに埋もらせない状態で、DEに引き渡す必要があります。
これらの機能・性能を確実に実現するため、LIRでは通常より開発ステップを増やしました。通常はプロトタイプモデルという地上試験用の実物を製造し、次に実際に打ち上げるフライトモデルを作りますが、LIRではプロトタイプモデルの前に社内研究費を立てて、アナログ回路の性能評価と基本動作確認のための試作機を作りました。通常の回路であれば回路図からプリント基板のパターン図は自動生成する場合が多いのですが、今回は2倍寸にのばした紙の上で6層板なら6枚ずつ手書きで書き込んでいきました。先に申し上げた「どこを短く、どこを太く」です。6層分を重ねて層間の干渉を含めて考えていきます。パターン設計にのめり込んでくると、朝夕の電車のホームの人の流れが電子の流れに見えてきます。
そしてなんとか目標としていた性能を得ることができました。

完成したLIRのフライトモデルは、本体の重さが2.1kgで、電源部は別箱にしました。別箱だと重くなりますから贅沢な話ではあるのですが、電源が発する熱が観測に与える影響を最小限にするために分離し、本体のみをある程度温度安定した取付パネルに配置させてもらうようにシステム側にお願いしました。その上で、ボロメーター素子自身を、最初にお話した、数個のICがプリント基板一枚になった回路で、0.1℃以下の安定度で温度制御しています。
松浦:
初めての衛星搭載用のボロメーターカメラを自分で開発した感想はどんなものでしょうか。
樫川:
自分だけではできなかったな、ということに尽きます。サイエンスの先生方をはじめ、社内の各部門や民生ボロメーターカメラの開発部門である誘導光電事業部の方々には大変お世話になりました。さらに、LIRには様々なメーカーが関わっています。グループ会社である昭和オプトロニクスには高解像度・低歪のレンズを、多摩川精機さんには超小型のシャッターモーターを供給していただきました。また、最初の試作機段階から高い技術力で開発を支えて下さったアクシス株式会社さん。「皆さん本当にありがとうございました」というのが偽らざる気持ちです。

LIRの開発では、大きく3回の喜びの瞬間があると思っています。最初は、試作機がきれいな画像を出力した時でした。次は、打ち上げ直後の「あかつき」が、カメラの機能試験として地球を撮影した時です。地球の夜側から撮影しましたが、LIRは地球が発する熱赤外線を受光しますから、夜でもきれいなまん丸の地球が写ります。丸い地球の画像が受信できた時は、サイエンスの先生方も喜んで下さっていて本当にうれしかったです。

次は、無事金星周回軌道に入って、きれいな金星の画像が撮影できた時になるんじゃないかと期待しています。

金星探査機「あかつき」初期機能確認による地球撮影画像

写真
中間赤外カメラ(LIR)

金星へ向かったLIR、樫川の目には太陽系の彼方まで飛んでいくLIRの未来がもう映っている。12月7日、「あかつき」は金星軌道に投入予定、もうすぐ人類が初めて見る中間赤外線による金星の大気構造が明らかになる。

取材・執筆文 new window松浦晋也 2010年10月27日

画像処理装置DE (Digital Electronics)

「あかつき」が観測した金星の画像データは、地球に電波で送信される。情報の送信容量には限りがあるため、「あかつき」は画像を圧縮して地球に送る。

圧縮には様々な手法があり、一般的なのはJPEG2000などの国際標準規格で、デジカメやパソコンで広く利用されている。ところがJPEG2000は画質はいいが、処理連携が遅く、2時間の観測周期の中で、撮像した多数の画像を圧縮して地上に送ることが、難しかった。

写真
画像処理装置DE

当初はJPEG2000を高速処理する専用のLSIを開発して、DEに組むことも検討したが、消費電力が下げにくいことで断念、代わってNECが開発した新しい画像圧縮手法StarPixelを使用することにした。

StarPixelは、JPEG2000よりも計算量が小さいので素早く圧縮処理を行うことができる。圧縮率はJPEG2000とほぼ同等だ。処理速度が速いので、JPEG2000のように専用LSIをわざわざ開発しなくとも、ソフトウェアで十分処理できる。

現在、「あかつき」が送信する観測データはほぼその全てがStarPixelで圧縮して地球に送られてきている。バックアップとしてJPEG2000のソフトウェアも載せてあるが、これまでのところほとんど使用していない。

なお、StarPixelは情報管理ソフト「InfoFrame」の静止画のイメージデータ処理部品群である「InfoFrame ImagingCore」にも採用されている。

NEC東芝スペースシステム 技術本部 主任
樫川了一

1987年NECに入社。入社後、宇宙部門の電子機器開発に携わり、M-3SII、H-2ロケットのテレメトリ機器、および、各種無重量実験機、MUSES-B(はるか)、ALOS(だいち)、OICETS(きらり)などでカメラその他の機器を担当し、2004年以降からPLANET-C(あかつき)のLIRを担当。

NEC東芝スペースシステム 技術本部 主任 樫川了一
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