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5年越しの再挑戦 「あかつき」復活のプロセス
2015年2月、JAXAは金星周回軌道への再投入を「2015年12月7日に設定した」と発表した。奇しくもこの日付は、5年前に「あかつき」が金星を通りすぎてしまった日である。惑星周回軌道の投入に失敗した探査機が再挑戦できた例は過去になく、もちろん成功した例もない。一度のがした女神(ヴィーナス)を追いかけてつかまえようとする、前代未聞の挑戦に臨む中村プロマネに心境を聞いた。(取材日 2015年10月15日)
中村 正人氏
JAXA金星探査機「あかつき」プロジェクトマネージャ
宇宙科学研究所 太陽系科学研究系 教授
太陽を9周して金星に追いつく
Q:くしくも再挑戦は、5年前と同じ12月7日となりました。
もっとも成功に近づく軌道を検討した結果そうなりました。狙ったわけではなく、計算上たまたまです。もちろんできることはすべてやり切ったし、絶対に成功させたいと思っています。
Q:あの日から数えて、ちょうど地球が太陽のまわりを5周する間に、「あかつき」は?
「あかつき」は太陽のまわりを9周し、8周目の金星に追いつくことになります。
太陽-金星を固定した場合の「あかつき」の軌道(2011-2015)
※中心の●が太陽、赤線が太陽と金星に対するあかつきの軌道
太陽に近づいたり離れたりしながら金星よりも1周多く太陽を回って追いついたことを示している。
Q:そのタイミングで減速し金星周回軌道に入るわけですが、不具合があるメインエンジンは使わずに、代わりに姿勢制御用エンジン(RCS)を使う計画ですね速度を落とすため、進行方向に向けてエンジンを噴射して……。
そもそもRCSは、機体の向きを変えるため短時間だけ使うエンジンです。機体の速度を変えるほどの力を出すには、かなり長い時間噴射する必要がある。相当にイレギュラーな運用です。
Q:でも、それしかないから、それでやるしかない。
2011年9月、メインエンジンの酸化剤(燃料の一部)を投棄して機体を軽くしました。そして11月にRCSを使った軌道制御を行っています。このときがRCSの長時間噴射の最初のトライでした。
Q:2011年11月1日、10日、21日の3日間にわたって計24分あまり、RCSの噴射を行っていますね。当初は「再会合(惑星と近づくこと)には6年かかる」とおっしゃっていましたが、このときの噴射がうまくいったので、スケジュールをグッとたぐり寄せることができた。
燃料もかなり使いましたが、きちんとした制御をして、2015年11月22日に「あかつき」を金星と再会合する軌道に入れることができました。
近すぎる太陽に冷や冷や
Q:そのあとはずっと、予定した通りの軌道を物理法則に従って粛々と飛んでいたわけですが、「熱」による劣化が最大の懸念だったと……。
予定より太陽に近い場所を通るため、設計で想定した以上の強い紫外線と太陽輻射(太陽熱)にさらされることになりました。金星の軌道半径は約0.7AU*ですが、この軌道で太陽に最も近くなる「近日点」が0.6AUとなります。
(※1AUは地球と太陽との距離、約1億5000万km)
Q:0.7AUが0.6AUへ、0.1AU近づくだけですが、大きな違いが?
1m²(平方メートル)当たりの熱入力でいうと、1AUの地球近辺では約1400W(ワット)/m²。設計上は0.7AUの金星周回軌道上で2649W/m²と想定し、2800W/m²を最大値と考えていました。しかし0.6AUの近日点で受ける熱入力は、3655W/m²・・・・・。
Q:えっ、1000Wもオーバー!?
近日点のたびに探査機各部の温度が上がり、近日点ごとにそのピーク値が高くなっていくのを、冷や冷やしながら見守っていました。もともと「あかつき」は、地球と金星の両方で生き延びられるような設計の探査機なんです。地球を飛び立った直後からスイッチを入れ、金星でその2倍の熱を受けてもちゃんと機能するようにつくられています。
Q:同じ服装で冬も夏も……。
そうです。でも、そうすると金星より高温になる側でのマージンが小さい。もとより3655W/m2なんて、設計では想定していない熱入力です。
Q:地上からできることは?
探査機の姿勢を保つぐらいしかありません。地上での試験では、熱をさえぎるためのMLIと呼ばれる金色のシートの劣化の度合いを見ることができた。おそらく「あかつき」のMLIは、劣化して飴色になっているだろうと思います。真っ白だったハイゲインアンテナも真っ黒になっているでしょう。でも、機能は何とか保ってくれました。
Q:何が良かったのでしょうか。
運ですね。運がよかった。0.6AUより近かったら、もう危なかったでしょう。近日点の通過は9回あり、探査機の温度のピーク値も上がってはいたのですが、徐々にその上がり具合がなだらかになっていった。6回目か7回目を過ぎたあたりから「何とか持つかもしれない」となり、最後の9回目の今年8月30日を無事乗り切った。
Q:息の詰まるような旅路だったんですね。
NECの熱設計担当者にがんばって計算してもらったシミュレーションでは、当初の設計想定より探査機各部の温度は5~10℃高い状態で金星周回軌道に入ります。赤外線カメラや通信機など運用に制約が出るものもあるが、ぎりぎり大丈夫であろうという状態です。
ターゲットを12月7日に設定
Q:今年(2015年)に入って、軌道投入のターゲット日を12月7日と設定したのは?
2013年から14年にかけ、軌道を選ぶ作業をずっと続けていました。なるべく燃料を使わないで金星周回軌道に入れる方法を探っているうち、最初に設定した2015年11月22日に軌道投入すると、しばらくして金星に落ちてしまうことが分かったんです。太陽による「摂動*」です。姿勢制御用エンジン(RCS)は出力が小さいので、そもそもの計画よりも細長い楕円軌道に入れることになる。すると太陽の重力の影響を受けやすくなり、近金点(金星にもっとも近づく地点)の高度が下がっていってしまう。
- *摂動:母天体以外の天体の重力でわずかに動きを乱されること。金星周回軌道に入った「あかつき」にとっての母天体は金星で、それ以外の天体は太陽となる。
結局決まったのが、12月7日をターゲットとする案です。衛星の寿命や、軌道投入後の探査機の姿勢、どのくらいの観測が可能かなどさまざまな条件を勘案して決めました。
Q:そして今年7月に軌道制御のためのRCS噴射を実施し、再会合のタイミングが11月22日から12月7日にずらせたわけですね。
そうです。これで少なくとも2年間は金星に落下することもないし、金星の陰に入って発電ができなくなってもバッテリーが持つ範囲で乗り切れる。そういう軌道に入れる準備ができました。より詳しい話は、石井先生(「あかつき」プロジェクトエンジニアの石井信明JAXA宇宙科学研究所教授)に聞いてもらえばと思います。
Q:これから12月7日までの仕事は?
コンティンジェンシープランの検討ですね。何か不具合が起きたとき、どう対処すべきかという検討を一生懸命やっています。自動でやること、手動でやることの綿密な確認、地上側の訓練などを繰り返して12月7日に臨むことになります。軌道に入った後はすぐに金星の写真を撮りたいし、ハイゲインアンテナを地球に向けて通信もしたい。急に複雑な運用になるので、1か月ぐらいはきっと修羅場になると思います。そして3か月で機器のチェックアウトを終え、2016年の3月に軌道修正を行います。定常的な観測運用に持ち込めるのは2016年度になるでしょう。
Q:時刻としては、12月7日の何時頃になりますか?
日本時間で朝の9時ごろですね。地球との距離はちょうど1AU、通信にかかる時間が片道8.3分。RCSを1145秒間、約20分間噴射する予定です。噴いている間に金星の陰に入って地球から見えなくなるので、軌道に入ったかどうかわかるのには時間がかかります。無事噴射し始めたことだけはすぐ分かります。
Q:5年前はなかなか状況が判明せずやきもきしましたが、今回はすぐに発表があればよい報せだと思っていいですか?
軌道の確認には時間がかかるので、やはりちゃんとした形で発表したい。2日ほどお待ちいただければ分かりますから。
やっと皆さんに美しい金星をお見せできる
Q:5年前、金星周回軌道投入失敗を伝える記者会見の席で私は「これから長い時間、チームのモチベーションをどうやって維持するのか」と質問しました。すると中村先生は「サイエンスの価値は変わらない」とよどみなくお答えになり、感動した覚えがあります。
それは今も変わりません。ただ、緊張しっぱなしでは持ちませんので、チームには「気楽に過ごそう」という話もしましたよ。欧州宇宙機関の「ヴィーナス・エクスプレス」のデータを解析したりしながら、楽しくやろう、と。
Q:本来「あかつき」は、ヨーロッパの探査機「ヴィーナス・エクスプレス」(2006年4月金星周回軌道投入、2014年11月観測運用終了)と同時期に観測を行う予定でしたね。
「ヴィーナス・エクスプレス」は金星をタテに回る極軌道、「あかつき」は赤道面に近い軌道をとります。彼らは大気の「成分」を調べる観測を行い、我々は大気の「動き」を調べるカメラを持ち込む。お互い補完関係にあり、より立体的に金星の観測ができるはずでした。
Q:彼らの観測データが届いたことで、「あかつき」でやりたかった科学観測の目的がさらに明確になったという部分はありますか?
あると思います。同時観測ができなかったのは残念ですが、すでに日本の研究者が彼らのデータを使ってたくさん論文を書いています。
Q:科学者の皆さんは予習済みの状態で「あかつき」のデータを手にすることになるわけですね。
そういう解析や他の衛星の仕事をしていたメンバーが再結集し、再起動の最後の詰めに入っている段階です。観測機器の電源のチェックや、長い時間のうちに、カメラの撮像素子が放射線でやられていないかどうかのチェックなども始めています。
Q:開発当初から、探査計画はNECと一緒につくってきたそうですね?
この金星探査計画の立上げ時から、私がサイエンスの側面から、NECの担当者はものづくりの立場から、そして中谷一郎先生(元・宇宙科学研究所教授、宇宙探査工学。2008年退官)が工学の立場から、3者で喧々囂々と議論し、こんな軌道で、こんな装置を積んで、こういう観測をやりましょうと、基本コンセプトを決めました。それを2001年のお正月に開かれた第1回の宇宙科学シンポジウムという場で提案し、支持を得て実現にこぎつけた。だから「あかつき」は生まれる前からNECの貢献度がすごく大きいんです。そしてプロマネの大島武さんと榎原匡俊さんのコンビは、「はやぶさ」も「あかつき」も、「はやぶさ2」も手がけてきた、タフで頼りになるコンビです。姿勢系の方たちも熱解析の方たちも、みな優秀で熱意をもって関わってくれた。だからこそこの5年間、何とか衛星は守られたのだと思います。
まずは軌道投入、そして観測機器の立ち上げと、緊張する運用は続きます。応援いただいた皆さんにお見せできる美しい金星の画像は、もう少しお待ち下さい。
Q:5年待ったのに比べれば、すぐですよね。
はい(笑)。
2015年10月15日 取材
(取材・執筆 喜多 充成)
取材後記
宇宙の彼方から送られてくる1枚の画像は、それに関わるすべてのシステム――軌道、姿勢制御、撮像、データ処理、無線通信など――が健全であることを雄弁に物語る、いわば合格証書です。12月7日の軌道投入は無事成功し、すぐさま起動された3種類のカメラはすべて順調に作動。12月9日に行われた軌道投入成功を伝える記者会見では3点の画像が公開されました。
初めて見た画像の印象を問われた中村プロマネは、とりわけLIRによる画像に「なんじゃこりゃ」と驚いたといい、「あんな画像が撮れたのは世界で初めて。これは期待が持てる。」と高揚感を隠さずにいました。
また、「『あかつき』に何と声をかけたいか?」と問われた際には、丁寧なものづくりの努力に謝辞を述べた後、「意外に頑丈だったね」とコメントをしています。日本初の、そして現在世界で唯一の金星探査機として、謎の解明と新たなる謎の発見が期待されます。(喜多充成)
金星探査機「あかつき」は、金星周回軌道投入に成功しました!