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第2話 平面アンテナが金星と地球を結ぶ
「はやぶさ」と「あかつき」を比べてみよう。直ぐに分かる大きな違いがある。「はやぶさ」には、大きなパラボラアンテナ※1 が付いているが、「あかつき」にはパラボラアンテナはない。アンテナが付いているべき場所には、大小2つの白い円盤が付いているだけだ。
この白い円盤こそ、新型の平面アンテナだ。「はやぶさ」のパラボラアンテナよりも高性能で、軽く、作りやすい。地球よりも太陽に近い金星に向かう「あかつき」は、強い太陽光にさらされる。金星の環境条件で、確実な通信を行うため、この平面アンテナが、新に開発された。担当したのは、衛星用のアンテナ開発に30年近く携わってきた尼野 理である。(取材日 2010年10月13日)
尼野 理
(写真左)プロジェクト・マネージャー
※社名・担当は取材当時
- ※1 パラボラアンテナ:お椀のような放物面の反射器を持つアンテナのことです。放 物面の焦点には、電波の送受信器が配置してあります。放物面に当たった電波 は、その焦点部分に集まりますし、逆に焦点から発射した電波は放物面で反射し て一方向に集中して放射されます。
- 松浦:
-
尼野さんは入社以来ずっと、アンテナの研究開発をやってこられたのですか。
- 尼野:
-
そうです。大学でもアンテナの研究をしていたのですが、やりたいことをやらせてくれる会社だと思って、1981年にNECへ入社しました。以来アンテナ一筋です。一番最初に担当したのが磁気圏観測衛星の「おおぞら」(1984年打ち上げ)です。その後かなりの数の宇宙科学研究所の衛星で、アンテナを担当しました。
転機となったのは、火星探査機「のぞみ」(1998年) のハイゲイン・アンテナ※2です。のぞみのアンテナは、地球と火星との間の超長距離通信を行う必要があり、なおかつ徹底した軽量化が要求されました。そこで炭素繊維の織物をパラボラの反射面に使うことにしましたが、通常の繊維が直角に交わる織り方では、方向によって特性が変化してしまうため何枚も重ねなくてはならなかったのです。そこで、120度で3方向から繊維が交わる「三軸織り」という方法で折った炭素繊維を使ったことで1層で済むようになり従来の方式では16kgもあったアンテナを7kgまで軽量化することに成功しました。この技術は、その後小惑星探査機「はやぶさ」と、月探査機「かぐや」に使われました。- ※2ハイゲイン・アンテナ:日本語で高利得アンテナと呼び、構造を工夫して感度を上げたアンテナのことです。パラボラアンテナは高利得アンテナの一種です。通信速度が速いので大量のデータのやり取りができます。ただし、アンテナを向ける方向が少しでもずれると通信ができなるという欠点もあり、アンテナを高精度で正しい方向に向ける必要があります。このほか、中利得アンテナ、低利得アンテナというものもあります。感度は低いのですが、色々な方向と通信ができるという、高利得アンテナとは逆の特徴を持っており、用途に応じて使い分けています。
- ※2
- 松浦:
-
「あかつき」では、パラボラアンテナではない、平面アンテナを開発して使用していますが、平面になった理由は何だったのですか。
- 尼野:
-
「あかつき」では、まず、パラボラ面が太陽光を集光してしまうということが問題になりました。パラボラアンテナでは、焦点に電波を送り出す給電部を置きますが、金星付近では太陽光が地球近傍の約2倍も強いですから、給電部に太陽光が集まって温度を上げてしまうのです。他にも「もっと軽量化したい」とか、「周囲に配置するエンジンの配置を自在にしたい」といった要求があって、平面アンテナを採用することにしました。
- 松浦:
-
平面アンテナの提案はNECから宇宙研に向けて行ったのですか。
- 尼野:
-
そうですね。ただし、提案をした時点では実現出来るメドはまだ立っていませんでした。そこで、この種類のアンテナの研究を10年以上前から行っていた東京工業大学の安藤真先生の研究室に協力をお願いし、共同で開発することにしました。
- 松浦:
-
開発期間はどれぐらいだったのでしょうか。
- 尼野:
-
2005年3月に、パラボラアンテナとのトレードオフを検討した報告書を提出しています。2006年12月には試作したアンテナで性能が出ていることを確認していますから、実質1年半ぐらいでしょうか。新開発品としてはかなり早く完成しました。
- 松浦:
-
その平面アンテナですが、具体的にどんなもので、どういう原理で動作するのでしょうか。写真を見ると金属面に、への字型の切り込みが無数に配置されているように見えますが。
- 尼野:
-
「ラジアルライン給電スロットアレイアンテナ」(RLSA)といいます。電波の放射面を見ると、への字型の切り込み(スロットと呼ばれる)が螺旋状に切ってあります。これらの切り込みすべてから同じ振幅、同じ位相で電波を放射します。そうなるようにコンピュータで大きさや配置を決めていく、この解析の技術とソフトウエアが設計上のノウハウということになります。
動作原理は図をみてもらったほうが理解しやすいですね(と、ホワイトボードに図を描き始める)。 上下の薄い誘電体のシートで、やはり誘電体で作ったハニカムコア※3を挟んでいます。損失があってはいけないので、低損失の素材で造りました。真ん中に電波を放射する給電部 があり、円盤の外側に向かって電波を放射します。- ※3ハニカムコア:ハニカムとは、英語で「蜂の巣」という意味で、正六角形または正六角柱を隙間なく並べた構造の素材のことをハニカムコアといいます。軽量かつ丈夫なので、航空機はロケット、衛星などに広く使われています。
アンテナの効率は58%、つまり給電部から放射するエネルギーのうち、58%がアンテナから電波として発信されます。 - ※3
「あかつき」搭載高利得アンテナ
A:エンジニアリングモデル
B:一部拡大した写真(切り込み=スロット=が見える) - 約2200個のスロット(アンテナ素子)が切られている。T字状の2素子がワンペアとなり円偏波をつくる。
C:ハニカムコア構造
- 松浦:
-
それは、パラボラ型アンテナと比べるとどれくらい効率がいいのですか。
- 尼野:
-
パラボラ型アンテナの効率は50~60%ぐらいです。でも、パラボラ型の場合、アンテナの上の給電部まで配線を引く必要があります。配線でのエネルギー損失まで考えると平面型のこのアンテナのほうが高効率ということになります。「はやぶさ」のハイゲイン・アンテナは直径1.6mありますが、「あかつき」の平面アンテナは直径90cmで同等の性能を確保しています。また、パラボラ型だと給電部をパラボラ面の上、正確な位置に組み付ける必要がありますから組み立ても手間がかかります。一方、このアンテナは平面の部品を貼り合わせるだけですから組み立ても簡単になります。
- 松浦:
-
重量も軽くなったのではないですか。
- 尼野:
-
アンテナ本体の重量は1kgまで軽くなりました。ただしこのアンテナはパラボラと違って、異なる周波数の電波で共用できません。だから送信用と受信用でアンテナが2つ必要で、合計2kg。アンテナ部分に太陽光が当たって機体に熱が入り込まないようにするためのおおいを付けました。おおいはレドーム※4といいますが、これが2kg。合計4kgですね。「はやぶさ」では、7kgだったのが、「あかつき」では4kgになったわけです。
- ※4レドーム:レーダーアンテナを保護するための覆いです。レーダーとドームを組み合わせて作られた言葉です。
- ※4
- 松浦:
-
ああ、衛星でもレドームというのですか。航空機でよく使う言葉ですよね。レーダーを覆うドームで、縮めてレドーム…でもドームには見えませんね(笑い)
- 尼野:
-
そうそう、平面アンテナですからドーム型ではなくて平面ですけどね。これも難物で、最初は重くなるレドームを使わずに、アンテナに太陽光を反射する白色塗料を塗ろうとしたんです。ところが、塗料に使う有機系塗料は、太陽光が強い金星軌道あたりでは変質して黒ずんできちゃう。
- 松浦:
-
黒くなったら熱が入って来ちゃいますね。
- 尼野:
-
そうです。ですから、変質しにくい塗料を使ったんだけど、2200本もあるスロットを塗ったのに、試験をしてみると性能が出なくて、結局レドームをつけることになりました。そういった試行錯誤は開発には多いんですよ。
- 松浦:
-
良いことが多い平面アンテナですけれど、衛星以外でも用途は広いのではないでしょうか。
- 尼野:
-
ええ、地上用でも色々展開も考えていますよ。アンテナの開発という面では、今後使える周波数の広帯域化と、いくつもの給電部を持つマルチビーム対応をやりたいと思っています。
アンテナ一筋30年の技術者人生。その最新の成果が、「あかつき」の平面アンテナだった。尼野の技術が、金星と地球を結び、もうすぐ金星の画像をどんどん地球に送信することになる。
今、何が欲しいですか、という質問に尼野は「後継者です」と答えた。「自分の技術を継承して新しいアンテナをどんどん開発することができる若い人を育てたいと思っています」。
取材・執筆文 松浦晋也 2010年10月13日
アンテナ担当 NEC東芝スペースシステム
尼野 理
1981年入社。大学時代より、アンテナ解析プログラム開発に従事。
入社以来EXOS、ASTRO、SOLARシリ-ズ、SFU、SERVIS、のぞみ、かぐや(給電部のみ)、はやぶさ、あかつき、みちびき等の低利得から高利得までの幅広いアンテナハードウエアの開発の取りまとめを担当。
現在、ASNARO高速デ-タ伝送用アンテナ、MMO(水星探査衛星)用アンテナの取りまとめを担当中。