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新たな軌跡を刻め 「あかつき」の再挑戦

スペシャルインタビュー 新たな軌跡を刻め 「あかつき」の再挑戦

鉄道用語で「軌道」は、線路そのものを意味する。あらかじめ敷設された強固なルートという印象を抱いてしまうが、宇宙ではそうはいかない。さまざまな条件や制約があるなかで、行きたいところに行き、やりたいことがやれるよう、その探査機だけのための軌道を作ってやらなければならない。宇宙空間に探査機を飛ばす「軌道工学」の研究者として、プロジェクトの最初から「あかつき」に関わってきた石井信明教授に、金星を目指す旅のプランと、この5年間の道のりについて聞いた。(取材日:2015年10月23日)


石井 信明 氏
JAXA金星探査機「あかつき」プロジェクトエンジニア
宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 教授

スペシャルインタビュー 5年越しの再挑戦 「あかつき」復活のプロセス

金星で「あかつき」を凍えさせないために

Q:石井先生が「あかつき」の軌道を作る上で、一番気にしていたことは何なのでしょうか?


そうですね、長い日陰でしょうかね。


Q:金星の影のことですか。

そうです。太陽から見て金星の後ろ側に探査機が入ると、太陽光の当たらない時間が生じます。これが長時間続くと探査機は「凍死」してしまうんです。


Q:太陽光による灼熱の方が大変だとばかり思っていました。

金星よりもっと太陽に近い水星の探査でも、探査機が死ぬとしたら凍死なんですよ。


Q:燃料が配管の中で凍ったり、動くべき部分が動かなくなったり……。

それを避けるため、バッテリーでヒーターを動かし、各部の温度を維持します。「あかつき」では「はやぶさ」で開発されたバッテリーの2倍の容量のものを2つ積んでいますが、それでも日が当たらないと90分間ぐらいしか持たない。

「あかつき」搭載のリチウムイオン電池。
「あかつき」搭載のリチウムイオン電池。打ち上げから太陽捕捉までの間や、太陽電池が発電できない日陰中に、探査機に電力を供給する。容量23.5Ahの電池セル(古河電池製)を、11直列×2系統構成で搭載している。(NEC製)


Q:影に入っている時間がバッテリーの持続時間を超えないよう、軌道を調整しなければならないわけですか。

もともとの計画では遠金点高度約8万km、周期約30時間の楕円軌道に入れる計画 でした。探査機は金星に近いところでは速いが、遠くではゆっくり回ることになるので、軌道を少し持ち上げ、ちょうどいちばん離れたところで日陰に入るのを避けるような軌道を設定する必要がありました。

「あかつき」は、当初の予定より周期の長い金星周回軌道に投入される。
距離が遠くなるため高い解像度の撮影は軌道上の一部分でしか達成できないが、1週間連続で撮影が可能となり、大規模な現象を把握しやすくなる。


Q:「あかつき」の打ち上げは2010年の5月21日でしたが。

打ち上げのウインドウ(可能日)は2010年5月18日から17日間設定しましたが、実はその17日間は連続ではなく、前半と後半にスプリットしていたんです。前後半の間の「打ち上げたくない時期」というのは、その時期に地球を出ると、日陰の長い周回軌道に入るためです。


Q:金星に着くか着かないかではなく、着いた後にどういう軌道に入るかまで、打ち上げの数日の差で大きな違いが出るんですね。

金星の公転面は地球の公転面に対し3度傾斜しています。「打ち上げたくない時期」は、金星に近づくだけならむしろ条件は良く、浅い角度で接近できる。ただその分、周回軌道に入ると、長い日陰にかぶってしまう。

  • 金星の公転軌道面は3°傾斜している
  • 地球から打ち上げられた「あかつき」は、地球の公転軌道面に沿って金星に向かう。
  • 金星接近時に金星が地球の公転軌道面と同じ位置にあるため、少ないエネルギーで探査機は金星に到着できる。

金星到着までの道のり 金星到着までの道のり


Q:なるほど、同じ平面で入っていくことになりますから。

それを避けたかったんです。「あかつき」を打ち上げたのは2010年5月21日の午前6時58分22秒。いったん地球軌道の外側に膨らみ、そこから内側に切れ込んで金星に追いつくような軌道をとり、200日で金星に到達できる軌道を採用しました。軌道の専門家としての立場から言えば、たとえば月でのスイングバイを経ることで、もっと少ないエネルギーで金星に向かう軌道も作ることはできます。ただ、長時間の航行中にトラブルが出てしまった火星探査機「のぞみ」の経験もあり、「あかつき」ではなるべく早く目的地に着く方法をとりました。

「軌道計画は、宝探し」の真意とは


Q:金星は自転の向きが太陽系の他の天体と逆なのだそうですね。

太陽系を上から、つまり北極星の側から見ると、惑星はみな反時計回りに公転しています。惑星の自転も同じ向きです。ちなみに自転がこの向きだと、北半球で日時計の影は時計回りに動く。これがそもそも「時計回り」の由来で、みなそれが普通の動き方だと思ってしまっています。でも、金星だけは自転の向きが逆。たぶんあるとき、何か大きな事件が起こってひっくり返ったのではないかと言われていますが、理由はわかりません。そして金星の大気も自転と同じ時計回りなんです。


Q:自転の周期は243日とものすごくゆっくりなのにもかかわらず、雲は秒速100mと地球の台風以上の速度で金星を周回する「スーパーローテーション」という現象が起きている。しかも雲の主成分は硫酸で、地上の気圧は450気圧、温度も400度以上……。想像し難い環境の星ですね。

それを詳しく観測し、謎を解明したいというのが「あかつき」の目的です。そのための観測機器を選定し、研究に役立つ観測ができる軌道を考えてきました。2010年は軌道投入用のメインエンジンが壊れ、金星を通りすぎることになってしまいましたが、翌年11月に姿勢制御用エンジンの噴射で軌道を調整し、その段階で2015年11月22日に金星と「あかつき」が再会合する軌道に入れました。


Q:当初6年後と言われていたのを5年後に引き寄せた。

姿勢制御用エンジンは4基をいっぺんに使っても、メインエンジンの2割の力しか出せません。パワーが小さく、燃料も限られるので、入れたい軌道に入れられるわけではなくなってきます。


Q:制限が大きくなるわけですね。

もともと遠金点(金星から最も離れた地点)が8万kmで、大気の動きと同期するような周期で回す軌道を考えていましたが、燃料が限られるので遠金点高度が上がり、30万~40万km。遠く離れてゆっくり回る軌道にせざるを得なくなりました。ここはいかんともしがたい部分です。


Q:先ほどの日陰の話は大丈夫なんですか?

そこが大きな問題でした。先ほど「打ち上げたくなかった時期」のお話しをしましたが、実は今回の金星再会合は、まさにその避けたかった条件でアプローチすることになってしまったんです。


Q:そのままだと、長く伸びた金星の影の中に速度の遅い遠金点(金星から一番離れる所)がまともに入り、しかも最初の予定よりさらにゆっくり回ることなる……。

さらに、2015年11月22日の再会合のプランだと、太陽の重力の影響で近金点(もっとも近づく地点)が次第に下がり、2か月ぐらいで金星に落下してしまうことが分かりました。


Q:軌道を作り直さなければならない?

2011年11月のDelta-V(デルタブイ:姿勢制御用エンジンの噴射による軌道調整)以降、軌道の再検討を延々とやっていたわけです。


Q:やはり良い軌道を見つけるのは大変なんですか。

なかなか見つからなくても、「ない」と言い切ることはできません。宝探しもそうでしょう。1つでも見つかれば「あった」と断言できますが、見つからない場合、単に「まだ見つかってないだけ」かもしれないので、「存在しない」とは言い切れない。


Q:悪魔の証明に近い状態ですね。

たとえば僕らはよく鹿児島と東京を往復しますが、これを直行便ではなくソウル経由にすると、時期によってはもっと安いチケットが見つかるかもしれない、なんてこともあるわけです。


Q:なるほど、ありそうなことですね。より安い方法を探すときりがない。

同じように、ひとつ作れても、もっと良いものがあるんじゃないかと、延々仕事が続くわけです。1年ぐらいで見つかるかと思いましたが、2年、3年とかかったのはそこでした。

Q:最終的に12月7日の再投入案に決着したのはなぜですか?


11月22日だと金星に落ちてしまうが、ぐっと遅らせて12月7日にすると、金星に入っていく向きが変わり、太陽との位置関係が変わるので、少なくとも2年は金星を回っていられる軌道に入る。影の問題も、少ない燃料で何とか工夫し克服できる目途がついた。


Q:12月7日はどんな運用に?

前日に姿勢を変更し、トップ面(アンテナのある面)を金星に向けておきます。そして時間が来たら、4隅のエンジンをダーッと噴いて減速する。

使用するエンジンzoom拡大する
軌道投入用メインエンジンは壊れているので、今回は姿勢制御用スラスタ4基を使用して軌道投入する。高利得アンテナのある面のトップ側の姿勢制御用エンジンに、最初に噴射を指示する計画。


Q:定格出力は1基が23N級*ということですが。

実際は20N弱でしょうか。タンクの圧力で燃料を押し出しますが、その圧がだんだん下がってきますから、噴いている間に17Nから12~13Nまで落ちていく。それを約1200秒間。

  • *
    ニュートン:力の単位。23Nは地球上で2.2kgの物体を吊り下げるときの力に相当する。


Q:過去に長時間の噴射は?

2011年には最大でも600秒ぐらいでしたから、今回が最長です。噴いている途中に何か起きた場合に備え、噴き終わる頃に姿勢を逆に向け、逆側の姿勢制御用エンジンを噴く準備をしておきます。「あかつき」との通信にはこのとき片道8分20秒かかりますから、状況を把握するにも、地上から指示を出すにも時間を要します。急に次の行動が必要になったときに備えて、あらかじめ準備は仕込んであります。

高温にさらされながら、生き残れた理由

写真:JAXA 小惑星探査機「はやぶさ2」プロジェクトマネージャ 宇宙科学研究所(ISAS) 宇宙飛翔工学研究系 教授 工学博士 國中 均

Q:再挑戦に向け、いったんは「あかつき」を離れていたメンバーも再結集し、軌道投入の日を迎えることになりますね。


構想段階から一緒に関わってきたので、感慨もひとしおです。とくにNECも含めたチームとして、一緒にやってきて良かったと思うのは、立場や役職に関係なく、皆で意見を出し合って戦わせ、大事なことを会議の場で決めて来られたということです。時間をかけて積み上げてきたものを改めるときにも、より良いものになることが理解できれば、最後は誰一人として文句は言わない。当たり前のことのようですが、なかなかできないことではないでしょうか。


Q:後追いとかアリバイではなく、実のある合意形成の場が持てていたと。

部長が言ったからとかJAXAの先生が言ったからではなく、みんながそれに意見をし、いちばんいい方法を見つけていく。今回の軌道投入のプランもそうやって決まりましたし、NECは、大昔の科学衛星からずっとそれをやってくることができたパートナーだと思います。代替わりしても、受け継がれていると思いますね。それを示す象徴的なエピソードがあります。


Q:ぜひ教えて下さい。

基本的に「あかつき」は「はやぶさ」と同じ直方体のボディを使っていますが、「はやぶさ」の1辺が1.6mなのに対し、「あかつき」は1.4mと小さくしています。時間のないなかで作らなきゃいけなかったので、「はやぶさ」を踏襲した方が効率的でした。それを少しでも変更すると、熱解析をやり直すとか、振動試験をやり直すとか、内部の機器や配線が近づきすぎるとか、いろいろ面倒も出てきます。だけどやっぱり少しでもと、無理をいって小さくしてもらったんです。


Q:より軽くしたかったからですか?

それもありますが、それだけではない。小さくすると熱を受ける面積が小さくなり、熱を逃がすラジエターも小さくでき、ヒーターを動かすバッテリーの容量も小さくできる。ボディが大きいと、逆に発熱もラジエターもバッテリーも全部大きくなっていってしまう。結果、小さいほうが、熱の変化に強くなるんですね。1.4mとコンパクトにしたことで、マージンが稼げているはずなんです。


Q:1.4mと1.6mだと、入ってくる熱は面積の2乗ですから、3割増し。ひょっとしたら5年の間に、耐えうる限界を超えていたかもしれないですね。

普通に金星に行けるのだったら、1.6mでも1.4mでも良かったのですが、今回のように5年も遠回りして、設計値を超える太陽熱にさらされるようなことが起こると、小さくしていたことが実はよかったんじゃないか、と……。


Q:なるほど。

現場では苦労があったと思います。解析や試験のやり直しもそうですが、組み立てもモノが小さく狭くなるから大変です。
当時担当していたNECの「現代の名工」にも選ばれた組立てベテラン技能者は、僕が見に行くと「ここ、もうちょっと広けりゃ組み立てやすいんだけどなぁ」とかつぶやくんですよ。 「ここでコネクタがぶつかるんだよなぁ」とか。いないと言わないらしいです(笑)。


Q:「無茶をいう先生がいるから、しょうがねぇな」みたいな感じですか。落語に出てくる腕のいい棟梁みたいな話ですね。個人の高い技能と組織力が相まって高いパフォーマンスを発揮する。チームスポーツにも通じるところがありますね。

ほんとそうですよ。でも、探査機を小さくすることができていたから、9回の近日点の温度上昇を耐え抜くことができた、という気持ちはあります。だからこそ再び軌道投入に挑戦できるんです。


Q:伺ったお話を思い返しながら、再挑戦の成功を見届けたいと思います。

上部パネルへのIR2取り付け
下部構造への上部パネルの組み付け

「あかつき」は、構造体となるパネルの内側に機器を取り付け、それを箱型に組んで作られた。
配線のスペースが限られる中での製作となった。

2015年10月23日 取材
(取材・執筆 喜多 充成

金星探査機「あかつき」は、金星周回軌道投入に成功しました!