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第3話 見えない背中を追いかけ、金星へ

届け、あかつきの星へ 第3話 見えない背中を追いかけ、金星へ

積まれた5台のカメラが、謎に満ちた金星の大気をくまなく撮影する、様々な高度から、様々なモードで。それをコントロールするために「あかつき」では新たに運用計画支援ソフトが導入された。

開発が始まった時、担当者は木村雅文(後述の囲み記事参照)と、大谷宏三の2人だった。だが経験豊富なベテランであった木村雅文は、開発途中で急逝する。「木村さんならどうしただろうか」――大谷は周囲の助けを借り、先輩木村の背中を追いながら、このシステムを完成させたのだった。(取材日 2010年11月17日)


大谷 宏三
運用計画支援ソフト開発及び運用担当 NEC航空宇宙システム
※社名・担当は取材当時

運用計画支援ソフト開発及び運用担当 大谷 宏三
松浦:
大谷さんは、運用支援ソフトを開発し、現在「あかつき」の運用チームの一員としてソフトを使う立場でもありますが、このソフトはどんなものなのでしょうか。
大谷:
探査機の運用計画作成を支援するもので「PCNAV(ピーシーナブ)」といいます。「あかつき」では、金星の画像を撮影して地球に送るのが主要なミッションとなります。

観測を行う時にはカメラを搭載した面を金星に向ける必要があるし、撮影したデータを地球に送信する時は、当然アンテナを地球に向ける必要があります。カメラの視野に太陽の光が入ってはいけません。「カメラを金星に向けたいけれど、視野に太陽が入ってしまうから向けられない」というようなことが実際に起きます。こうした様々な制約条件下で、金星の観測を行うことになるわけです。

「あかつき」は一周30時間で金星を回る楕円軌道に入ります。軌道のどのあたりにいるかで、積んでいる5台のカメラのうちどれを使うかが変わります。また、金星が太陽を回るうちに、太陽の方向も変化していきます。つまりカメラを向けてはいけない方向や熱対策上とってはいけない姿勢は一定でなく、時々刻々変化していくわけです。

金星の観測を行う研究者は、様々な要求を持っていますが、観測が実際に近づいてくると「あれをしたい、これをしたい」と要求がどんどん具現化されてきます。メーカーとしてはあらかじめ、がちがちの運用計画を作っておくのではなく、なるべく柔軟にニーズに対応できる運用計画を作成できるようにしたいですよね。こうなると、定型のコマンド列のひな形を用意するよりも、様々な条件を自動的に判定して、探査機に送信するコマンド列を出力してくれるソフトがあると便利ということになります。
イメージ図:高速の大気循環と同期して飛行しつつ、雲や大気深部や地表面を動画として連続撮影。クローズアップ撮影/雷観測/大気光撮影。大気圏を水平に貫く電波を地上で受信して温度の分布を計測。雲や大気の層構造を横から見て撮影。軌道周期30時間。
「あかつき」の金星周回軌道での観測計画
「PCNAV(ピーシーナブ)」という名前ですが、PCというのはパソコンではなくて、PLANET-C、つまり「あかつき」のプロジェクト名から取っています。ソフトに、「こういう運用をしたい」という要求を入力すると、様々な制約条件を自動的に判定して、最終的に探査機に送信するコマンドを出力するというソフトです。
松浦:
よろしければ、もう少し具体的に説明してもらえますか。
大谷:
これが、PCNAVの画面です。運用に関係してくる情報を直感的に理解しやすいように配置してあります。中央は金星の満ち欠けや見かけの大きさを示しています。軌道のどのあたりに探査機がいるかもあわせて表示してあります。

PCNAVの操作画面

PCNAVの操作画面 - 基本画面
基本画面(提供:JAXA)
PCNAVの操作画面 - シミュレーション画面
シミュレーション画面(提供:JAXA)
使用者は、「このタイミングでこういう観測がしたい」という要求を入力します。太陽や地球の方向、金星の影の方向、金星周回軌道の向きや――長野県・臼田の地球局と「あかつき」の通信可能な時間帯。こういった判断条件がこのソフトには組み込んであります。

それらの条件から入力された要求が安全に行える動作とそうでない動作を判定し、「できます」あるいは「問題が発生します」と結果を返します。安全に実施できる一連の運用計画が完成すると、最後に直接探査機に送信できるコマンドが出力されます。
松浦:
このソフトが使えるのは金星周回軌道に入った後なのですか。
大谷:
いえ、金星に向かう途中でも、いくつかの観測予定が入っているので、金星への道中での運用計画も出力できるように作ってあります。10月下旬には、黄道面をぐるりと撮影し、黄道光の観測を行っています。
松浦:
これだけのものを一人でまとめるということは大変なことかと思いますが、大谷さんはもともとこういった分野をやられていたのですか。
大谷:
そうではないんです。私は大学院時代を、旧航空宇宙技術研究所、今の宇宙航空研究開発機構(JAXA)・調布航空宇宙センターで、探査機の軌道決定を研究して過ごしました。地上での受信データから、探査機が太陽系のどこをどう飛んでいるかを計算する方法の研究です。こういった仕事をしたくてNEC航空宇宙システムに就職しましたが、入社から4年半は、別な部門で働いていました。幸い、軌道決定の研究をしたことがあるということで声がかかり、2004年から、今の部署に異動になりました。

その後、月周回観測衛星「かぐや」の運用に携わり、2008年からこのプロジェクトに参加しました。
松浦:
PCNAVの開発はその木村さんの発案だったのでしょうか。
大谷:
そうです、もともと小惑星探査機「はやぶさ」の運用のために作った「EPNAV(イーピーナブ)」というソフトがあったんです。木村さんはEPNAVの開発を主導していましたので、EPNAVのような運用支援ソフトは、金星周回軌道を飛ぶ「あかつき」にも絶対に必要だと考えたんです。
松浦:
EPNAVとPCNAVとの間には、どのような変化があったのでしょうか。
大谷:
アンテナ担当 NEC東芝スペースシステム 大谷 理

EPNAVは、「はやぶさ」の日々のイオンエンジンによる航行をサポートする運用のためのソフトでした。EPはElectric Propulsion、つまり電気推進という意味です。「はやぶさ」運用支援に参加したNECの技術者が自分たちが使うために作ったのがEPNAVです。

PCNAVでは、地球から金星への航行もさることながら、金星周回軌道に入ってからの観測計画立案のためのソフトです。さまざまな条件を考慮しつつ、効果的かつ効率的に金星を観測していくための道具ですね。探査機本体の運用だけではなく、どのカメラをどのタイミングで使うかという観測計画の立案が大きな役割となります。

このソフトは、「あかつき」運用チームのメンバー、例えば衛星運用に不慣れな研究者もユーザーとなります。使いやすいグラフィカル・ユーザー・インタフェース(GUI )を備えていなければなりません。PCNAVの開発では、いかに分かりやすく誤解が生じないようなGUI を作り込むかにかなりの労力を費やしています。誰にでも簡単に使えるソフトである必要があるのです。GUI の画面設計は木村さんが中心になって進めました。

松浦:
二人三脚の開発だったわけですね。
大谷:
木村さんは、本当に優れた技術者だったと思います。あたかもハサミと糊を使いこなすように、数式や計算を自由自在に使っていました。それだけではなく、経験も豊富でした。日本が初めて太陽系空間に打ち上げた「さきがけ」「すいせい」の運用の頃から探査機の運用に携わり、火星軌道投入は叶いませんでしたが火星探査機「のぞみ」が、粘りに粘って火星を目指した時も軌道運用の中心となって、その運用を引っ張ってきました。(拙書「恐るべき旅路」に詳しくその様子が描かれている)そういったぎりぎりの体験から得た“修羅場のノウハウ”とでもいうべきものを一杯持っていました。

「ここはこうしたほうが、勘違いが起きにくいよ」というように、木村さんが仕事の中から得たノウハウはPCNAVに反映されています。私は「かぐや」運用しか経験したことがないので、大変な勉強になりました。

ところが2009年8月、木村さんは急病で亡くなられてしまったんです。「いなくなってしまったんだ」という実感が持てないほど、本当に急でした。

その時点で、完全な仕様が、ドキュメントとしてまとまっていたわけではありませんでした。多分、木村さんの頭の中にはPCNAVというソフトを「ここはこうしよう、あそこはこうしよう」という構想が一杯あったんだと思います。でも、それを全部仕様としてまとめる前に、亡くなられてしまったのです。

私は一人でPCNAVを完成させねばならなくなりました。毎日が手探り、試行錯誤の連続です。「木村さんがいてくれればなあ」と思う日々が続きました。なんとか完成できたのは、プロマネの大島さんはじめ、多くの仲間のサポートがあったからです。
松浦:
木村さんを亡くして、どうやってソフト開発を進めたのでしょうか。
大谷:
ひたすら関係者の方々の話を聞いてユーザーニーズを汲み上げることに努めました。例えば5台搭載しているカメラは、それぞれ観測対象が異なり、担当者も違いますし、運用の要求も異なります。宇宙研の今村剛先生(「あかつき」プロジェクトサイエンティスト)に窓口になって頂いて、カメラ側のニーズを聴き取り、最終的に「金星周回軌道上でカメラを使用するパターン」をいくつか抽出しました。簡単に言えば、「このカメラとこのカメラを同時に使って撮影する」というような組み合わせのパターンを何組か見つけ出し、運用計画作成にあたってはソフトを操作する者が「このパターンを使う」と選択することで運用計画を作成できるようにしました。

打ち上げが近づくにつれて、色々具体的なことが見えてくるので、「これはできるか」「あれもしてみたい」とやりたいことが増えていきます。そのニーズを汲み上げつつ、なおかつ出来ることと出来ないことを切り分けて、仕様そのものを進化させていくという作業が続きました。

この作業は今も続いています。どうしてもソフトウエアには、走りながら現状に合わせて直していくという側面がありますね。おそらく、12月に金星について実際の観測が始まれば、また新しい要求が出てくるでしょう。そうなればまた、PCNAVもさらにバージョンアップしていくことになると思います。運用担当者にとって「やりたいことができる頼れるソフト」に仕上げたいですね。
松浦:
今後はどんな展開を考えていますか。
大谷:
今回は金星という内惑星に向かう「あかつき」で、ソフトを開発しましたが、次には外惑星でも使えるソフトにしたいです。「はやぶさ後継機」にもPCNAVのような運用支援ソフトが必要になるでしょうし。もっと遠くへ太陽系を旅するようになれば、また違った工夫が必要になるのではないかと思っています。それが楽しみですね。

NEC府中事業場の一角に立つビルの4階、そこに今あるじを失った机がある。「PLANET-C -PCNAV」と書かれたファイルが残されている。その机の前に立って大谷は、木村がなそうとしていた惑星探査の夢を自分が引き継いだ今の心境を静かに語った。

「木村さんが考えていたであろう構想のほとんどは実現できたのではないかと思っています」
突然いなくなってしまった木村の思考をたどるようにして、大谷は「あかつき」に関わってきた。彼には今も、先を行くベテラン木村の背中が見えているのかもしれない。

取材・執筆文 new window松浦晋也 2010年10月27日

想いは永遠に

はやぶさ」運用中の木村雅文
「はやぶさ」運用中の
木村雅文

木村雅文

広島県、福山市に生まれる。
1983年、NEC航空宇宙システム入社。
入社直後から、ハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」の軌道運用の担当となる。
1990年、初めて月スイングバイ軌道制御を成功させた「ひてん」で軌道運用の中核となり、その経験を、1998年打ち上げの火星探査機「のぞみ」に注力した。電子回路の異常で火星軌道投入は断念せざるを得なくなったが、その活躍は「のぞみミッションを締めくくる最後の勇者たち」(恐るべき旅路 p.429 )と評価されるものであった。こうした様々なミッションを通じて育て上げた後継者たちは、木村と一緒に、2003年打ち上げの「はやぶさ」、そして2007年打ち上げの「かぐや」に結集、今に至る目覚しい成果をあげる強力なチームを築き上げた。2009年6月急病で入院、自ら手がけた「あかつき」の打ち上げも、「はやぶさ」の地球帰還も見ることなく、2009年8月11日永眠。享年49歳だった。

仲間たちは、その遺志を引き継ぎ「はやぶさ」帰還を成功させ、「あかつき」を金星に導いた。「あかつき」に載せられた一辺12cmほどのプレートにみんなの想いを寄せ書きにして送り出した。今その想いは、金星まで、あと330万kmに近づいた。(11月26日0時現在)

12月7日、寄せ書きと一緒に彼の想いは永遠に金星軌道を回る。
「届け、あかつきの星へ」この技術者インタビューのタイトルはまた、彼に贈られたみんなの想いを受け継いだものである。

「あかつき」メッセージ、<団体応募37>プレート
ご遺族と、190名もの仲間の寄せ書き

2010年11月17日
NEC航空宇宙システム 宇宙・情報システム事業部
シニアエキスパート 小笠原雅弘記

NEC航空宇宙システム
大谷 宏三

2000年入社。
2004年10月より宇宙部門の運用ソフトウェア開発に携わり、主にSELENE(かぐや)、OICETS(きらり)の運用を担当。
2008年10月よりPLANET-C(あかつき)の運用計画系ソフトウェアを担当。

NEC航空宇宙システム 大谷 宏三

(2011年1月25日 更新)

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