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スピン流熱電変換 ~インフォマティクスを活用した材料開発と適用領域~
スピン流と呼ばれる新しい物性を活用したエネルギー変換技術が2008年に報告されてからその間、新しい材料の発見などによって変換効率は大きく改善してきました。改善の背景には、純粋に新しい材料やメカニズムの発見を積み重ねて行くだけでない、まったく異なるアプローチで材料開発のプロセスを効率化する取り組みが大きく関わっています。本稿では、材料開発分野の大規模データ取得の試みと、得られたデータを機械学習などによって解析する情報科学的アプローチを組み合わせた新しい材料開発プロセスの構築と、その活用について紹介します。また、スピン流熱電変換技術の実用化に向け、その適用分野について議論します。
1. はじめに
新しい機能を持った材料・デバイスの発見が、個々の企業のビジネスを変えるだけでなく、社会全体の変革にもつながる非常に大きなインパクトを与えた例が多くあります。例えば、ネオジム磁石や高温超伝導体、青色発光ダイオードなど、長年の地道な研究に加えて、偶然の出来事なども関わって成功にたどり着いています。
しかし、材料・デバイス開発を取り巻く環境は変化を続けており、競争の激しい分野では、成果に対する要求は非常に高いレベルになっています。そのため、先進技術を最大限に活用して、材料・デバイス開発をより効率的に行うアプローチに注目が集まっています。特に、マテリアルズ・インフォマティクス(Materials informatics:MI)は、インフォマティクス(情報科学)によって獲得した知見を活用して開発を加速する新しい手法として注目されています。
本稿では、第2章においてMI技術開発の動向について、第3章では、MIを活用してスピン流熱電変換と呼ばれる新技術に用いる材料を開発した事例について、第4章では、スピン流熱電変換技術の適用先についても紹介します。
2. MI技術開発の動向
材料科学分野の研究開発は、例えば鉄鋼材料の強度や半導体のキャリア移動度など、目的とする物性値を端的に表現できる場合が多く、何百万というような種類・量のデータを扱う課題は限られていました。そのため、以前から活用している数理統計的なデータ処理を超えて、より高度なインフォマティクス活用の必然性が生じることは少なかったといえます。しかし、実験やシミュレーション技術の進歩によってデータの種類・量が増えてきたこと、そしてインフォマティクス活用で先行していたバイオ・創薬分野での成功事例などを受けて、2011年に米国でMaterials Genome Initiative(MGI)が立ち上げられました。これが発端となって多くの注目を集めるようになっています。MGIでは、人工知能(AI)などを活用したデータ解析が主導する形で、材料開発を効率的に行うことを目的にしており、材料データベースの整備、さまざまな解析ツールを備えたオープンプラットフォームの構築などを進めています。国内でも2015年に発足した情報統合型物質・材料開発イニシアティブ(Mi2i)などのコンソーシアムやプロジェクトを中心に、MGIと同様のプラットフォーム構築や基盤技術の開発を進めている状況です。
3. MIを活用したスピン流熱電変換材料の開発
NECは、比較的新しい学術分野であるスピン流と呼ばれる現象1)を使って、電流と熱流を相互に変換できる熱電変換技術の研究開発を行っています2)。MIを活用した一連の取り組みは、新材料の探索を効率化する目的で独自に開発を進めてきたもので、現在積極的に活用し成果を得ています3)4)5)。
3.1 データ主導の材料開発
材料科学の研究開発では、新しい物性や現象の背景にある因果関係を解明することが重要です。そのため、目的の物性に影響する要因、メカニズムを理解したうえで、開発の方向性を定める演繹的アプローチを正攻法としています。
一方、まったく新しい学術分野では、基本的な知見の蓄積が十分でない状況で、材料の組成などデータ取得の条件を変えていく必要があります。結果には、まったく予期していない要因が影響する蓋然性も高まりますので、膨大な検証実験を積み重ねなければ、演繹的アプローチは機能しません。そのような状況では、むしろデータ解析が主導する帰納的アプローチによって、意味のある情報の蓄積が効率よく進む場合があります。
データ解析を主導させる形で、課題に取り組むことができるかどうかは、集められるデータの種類、量に大きく依存します。そこで、NECは、新しい熱電変換材料の探索にコンビナトリアル型の実験技術を用い、データの効率的な取得を実現する独自の試料作製、評価システムを構築することを目指しました。コンビナトリアル手法は、予想される探索の領域や組み合わせを、網羅的、かつ一括してデータ取得する手法で、化学合成や薄膜合成、物性評価技術などの分野で発展してきた技術です。
図1(a)は、NECが利用している斜めスパッタ蒸着法を利用した組成傾斜サンプルの作製方法を示した概念図です。蒸着源を斜め配置にすることで、基板に近い部分と遠い部分とで成膜速度の差をつけることが可能で、この差に応じて、基板内部に組成の分布を形成します。蒸着源には、金属、半導体、酸化物などの多様な材料の成膜が可能なスパッタ源を3つ対向させて配置し、基板全体にわたって組成が連続的に変化する多元系の化合物薄膜を、一度のプロセスで作製することができます。
図1(b)は、材料特性の評価実験の一例です。1枚の基板には、数百個以上の薄膜試料片が形成されており、一つひとつの物性データを自動で取得することができます。プローブシステムを使った評価では、電気特性や熱電特性を測定します。その他にも、X線分析による組成評価、X線回折による結晶構造評価、必要に応じてエリプソメータを使った光学特性評価や磁化特性評価などを行います。
また、計測した組成や結晶構造のデータを参照して、実際に作製した試料がどのような物性を示すかを、網羅的に予測します。例えば、第一原理シミュレーションにより得られたバンド構造から、各種物性の予測や、物性に関わる可能性のある各原子軌道の情報など、仔細にわたってデータ化します。
3.2 インフォマティクスを活用した材料データ解析
実験及びシミュレーションによって取得したデータを処理するプロセスも積極的に自動化を進めています。ここでは先端のインフォマティクス技術が活躍しています。
図2に、NECが活用している材料開発サイクルの全体像を示します。材料の組成や作製条件などを変えて取得した一群のコンビナトリアル実験、コンビナトリアル物性理論計算のデータが得られたら、次にデータ処理用AIとして、X線回折などの多数のスペクトルデータから特徴量の抽出を自動で行う技術を活用します3)。AIツールを活用したデータ処理の自動化は、適用範囲が非常に広くなっており、従来は経験を要し時間がかかった作業でも、正確かつ高速で処理することができます。取得したデータは、第一原理シミュレーションにおいて、実際の材料の特徴を反映させる情報として活用し、シミュレーションの正確性を高めます。
続いて、データ群のなかから、変化の傾向を分析したいデータを従属変数yとし、その他の実験やシミュレーションによる物性パラメータを独立変数xiとして選択し、回帰分析、いわゆるフィッティングを行います。関数fは、メカニズムを表現する物性モデル、回帰に強く反映される変数は、分析対象のデータと相関の高いパラメータと見なすことができます。
回帰分析を行うモデル構築用AIには、解析エンジンとしてNECの異種混合学習技術を用いています。異種混合学習は、解析結果の可読性(ホワイトボックス性)が高いことが大きな特徴の1つです。得られた物性モデルにおいて、分析対象のデータと相関の高いパラメータが何であるかを、開発者が理解しやすい形で情報化してくれるため、開発者は、物性モデルの意図を容易に評価することができます。
物性の背景にあるメカニズムが理解できていない状況であっても、AIが導き出すデータの相関関係は、想定している仮説が妥当であるか、新たな仮説が必要か、また実験や計測にエラーがないか、などさまざまな検討を行うための非常に示唆に富んだ情報源になります。そして、物性モデル・メカニズムの構築や、目的の物性を最適化するための参照すべき物性パラメータ「記述子」を絞り込んでいく作業は、データの種類や量が蓄積していくに従って、より効率的に進んでいきます。
記述子を定義できれば、開発サイクルの次のステップとして、物性シミュレーションを活用したスクリーニングによる新材料候補の絞り込み5)や、場合によっては開発者の知見に基づいた新材料候補の選択を経て、材料開発の次のサイクル、実験による新材料候補の検証に進み、新たな知見が蓄積していきます。
3.3 スピン流熱電材料の探索
スピン熱電材料の開発にMIを活用するうえで最大の課題だったのは、熱電変換係数のデータ取得でした。従来は、材料の成膜、素子の作製、計測を経て、1日数条件のデータを蓄積していました。これが、試料の一括生成、計測プロセスを構築し、昨今1日あたり数百のオーダーで実験データが生成できるようになったことが材料開発の加速につながっています。
図3は、直近のスピン流熱電変換材料の性能向上の推移をプロットしたものです。市販の熱電変換モジュールをベンチマークとして立てた目標性能の1mW/cm2(温度差10K)まで、あと30倍程度まで近づいてきており、1~2年以内には目標到達を見込んでいます6)。
4. スピン流熱電変換技術の応用
以前から知られているBiTeなどの半導体材料を用いた市販の熱電変換モジュールは、1800年代に発見された電流と熱流を変換する物理現象、ゼーベック効果やペルチェ効果を活用しています。また、昨今使われている材料やモジュール化技術の基礎は、1960年代に人工衛星や宇宙探査機用の原子力電池として実用化するために開発されたものです。
しかし、昨今では、主に電子冷却と呼ばれる小さくて静かな冷却を行う技術として、ハイパワー電子デバイスや、小型冷蔵庫用の冷却装置などに用いられています。その他には、素子を突き抜ける熱流量を電圧として出力する機能を活用した、熱流センサーとして実用化されています。その一方で、発電する目的では、航空宇宙・防衛向け製品に組み込む技術として活用されていますが、民生用途向けには普及が進んでいません。冷却、センサー用途と比較すると、市場規模は最も小さい状況にとどまっています。
発電用途の市場拡大が進まない最も大きな要因は、技術の導入コストや耐久性を考えると、ほとんどの場合で発電電力の価値が期待されるレベルに達しないためです。この課題をクリアするためには、素子の総合性能の改善も当然必要ですが、高付加価値の適用先を探索することも重要です。
スピン流熱電変換の技術開発は、新しい原理に基づき、素子コストと耐久性に絶対的な優位性が期待できるものの、変換効率の最適化が行われていない技術に着目して、前者のブレークスルーを狙ったものです。
高付加価値適用例の候補としては、ボタン電池程度の規模の発電を行う小型のエナジーハーベスティング型電源が挙げられます。今後、実世界に遍在する無数の情報機器から得られる膨大な情報に対して高度なデータ解析を行い、社会全体を最適化するInternet of Things(IoT)が実現します。しかしIoTの実現に向けて、個々の機器への電源供給が、最も切実な課題の1つになると考えられています。熱電変換技術の革新は、実世界のデータ化の次元をもう一段階進化させるための基盤技術として、大きな価値創造につながると期待しています。
5. むすび
MIは、さまざまな要因が絡み合って複雑化したシステムである未開の新材料をターゲットとして、データ主導でシステムの理解と最適化を試みるアプローチであると言えます。そして、スピン流熱電変換材料開発においてMIを適用したこれまでの取り組みの成果は、材料開発分野においても、データ主導、インフォマティクス活用のアプローチが有効であることを明確に示しています。材料分野ごとに、一群のデータ獲得をどのように行うかなどの課題を解決する必要がありますが、今後も適用例が増えることが期待できます。
また、MIの活用によって、スピン流熱電変換技術の性能向上が進んでいます。熱電変換技術の課題だった、コストや耐久性も含めた総合的な性能向上を果たし、早期の実用化を目指します。特に、普及が進んでいなかった発電目的の適用例として、IoT社会の実現に貢献するための自立型電源などの新しい分野を開拓するため、検証実験を進めていきます。
6. 謝辞
本研究は、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)の「ERATO 齊藤スピン量子整流プロジェクト」及び、「さきがけ 理論・実験・計算科学とデータ科学が連携・融合した先進的マテリアルズインフォマティクスのための基盤技術の構築」の支援を受けて行われました。
参考文献
- 1) Ken-ichi Uchida et al. :Thermoelectric generation based on spin Seebeck effects,Proceedings of the IEEE,Volume 104,Issue 10,pp.1946-1973,2016.10
- 2) 石田真彦:スピン流を用いた熱電変換素子開発の動向,応用物理,Vol.87 No.1,2018
- 3) Yuma Iwasaki et al. :Comparison of dissimilarity measures for cluster analysis of X-ray diffraction data from combinatorial libraries,npj Computational Materials 3, Article number 4,2017
- 4)
- 5)
- 6)
執筆者プロフィール
システムプラットフォーム研究所
主幹研究員
システムプラットフォーム研究所
主任
システムプラットフォーム研究所
システムプラットフォーム研究所
主任研究員
システムプラットフォーム研究所
研究部長