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第5話「この世にひとつの『はやぶさ』を造る」
取材・執筆文 松浦 晋也
小惑星に行き、観測を行い、サンプルを採取し、地球に帰還する――過去に例のない探査機となると、そのすべてをゼロから考えて設計・製造しなくてはならない。しかもひとたび宇宙に探査機を飛ばせば、修理ができない。世界初の小惑星往復飛行という目的を達成するために、高い信頼性をもった世界にただひとつのシステムを作り上げる必要があった――「はやぶさ」の使命は、複雑かつ多様だった。積まねばならない装置類は多く、しかもそのほとんど全ては、「はやぶさ」のために造らなくてはならない。一方で、打ち上げにはM-Vロケットを使うことが決まっていたので、探査機をむやみに巨大化させることもできない。限られた寸法と質量の中に、多様な機能を実現する装置類をぎりぎりまで詰め込み、なおかつトラブルに強い信頼性の高い探査機に仕立て上げなくてはならない。しかも作るのはたった一つなのだ。
装置類の一つでもうまく働らかなければ、すべてが失敗に終わる。「はやぶさ」の設計・製造を担ったNECの技術者たちには、従来の常識からすればほとんど無理に思えるほどの要求が課せられた。
その仕事の結果がどのようなものだったかは、「はやぶさ」の実績が示している。彼らが作り上げた「はやぶさ」は、予定よりも3年長い7年にもわたる宇宙航行を成し遂げ、再突入カプセルを見事に地球へと送り届けたのである。
今回は、システムマネージャーとして、「はやぶさ」全体をまとめた大島、大島の要求を受けて構造設計を担当した奥平と、機械システムを担当した東海林、熟練の技で「はやぶさ」を組み立てた西根の4人が苦難に満ちた年月を振り返った。
部分最適じゃダメだ -全体最適へ-
- Q:
-
今回は「はやぶさ」を作った方々の代表としてお集まり頂きましたが、それぞれどんな役割を受け持ったのでしょうか。
- 大島:
-
私はシステムマネージャーを務めました。宇宙航空研究開発機構(JAXA)と同じく、メーカー側にも、まずプロジェクトマネージャーがいます。「はやぶさ」では、第2話に登場した萩野が務めました。プロマネの大きな役割は、人とお金とスケジュールの管理と全体の指揮決定です。
技術的な問題点も理解した上で、開発がスムーズに進むように計画全体の面倒を見ていくわけです。
それに対してシステムマネージャーというのは、技術面でのマネージャーで、探査機本体全体の面倒を見ます。探査機の設計では、色々な問題が起きます。重量や電力は限られていますが、搭載機器はそれぞれ「これだけ必要だ」と譲らないようなことがあります。その場合は、全体を見ている私が、「ここはこうしたら全体として良い設計になる」とか「こっちをこうして、あっちはこうしたら、全体としてバランスするんじゃないか」といった判断をして指示を出します。 - Q:
-
個々の搭載機器ではなく、全体に目配りして、バランスよくリソースを配分していくわけですね。
- 大島:
-
そうです。探査機はいくつもの部分、私たちはコンポーネントと呼びますが、様々な搭載機器で構成されています。そういった機器同士をつないで全体として制約条件と調和するように持っていくのがシステムマネージャーというわけです。色々な制約条件があります。重量、電力、熱、姿勢、センサーの視野や、機器と重心との位置関係などなど。内部の配管や配線にかかる制約もあります。「これ以上長くしてはいけない」とか「この配線はある温度以上にしてはいけない」とか。それらすべてを満たすように、全体を最適化する立場です。
- Q:
-
個々の機器をぎりぎり詰めて設計していくだけでは足りないのですね。
- 大島:
-
個々のコンポーネントで最適化しても全体としては最適化されないんですよ。だから、私が間にはいって、全体を見つつ調整していくわけです。
- 奥平:
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で、大島さんが、「こうしてください」と言ってくる無理難題をなんとかするのが私や東海林さんの役割というわけです。
- 大島:
-
ええっ、私、そんなに無理難題を言いましたっけ? 言っていないと思うんだけどなあ。
- 東海林:
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言ったほうはすっかり忘れている(笑)。
- 奥平:
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私は構造設計を担当しました。一番分かりやすい言い方だと、「はやぶさの形を決める担当」ということになるでしょうか。専門用語だとコンフィグレーション と言います。「はやぶさ」には色々な機器が搭載されています。アンテナ、イオンエンジン、サンプラー、再回収カプセルなどなど。これらをどう配置して一つの探査機にまとめるかを決めていく仕事です。
- Q:
-
それは「はやぶさ」ならではの仕事なのでしょうか。
- 奥平:
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構造設計そのものは、どの衛星でも行う仕事ですけれど、「はやぶさ」は小惑星サンプルリターンというミッションのために、固有の機器が多数あったので大変でした。例えば「はやぶさ」の大きな特徴であるサンプラーです。まず、そもそもどうやって小惑星のサンプルを採取するかが決まっていなかったので、最初はサンプラーの研究から始まりました。「とりもち」みたいな粘着物で採取するとか、布でからめ取るとか、様々なアイデアがありましたが、議論の上最後に残ったのが弾丸を撃ってはねかえってくる粒子を採取するあの形式です。
採取したサンプルは、再回収カプセルに移さなくてはなりません。つまり、「はやぶさ」内部にはサンプラーから再回収カプセルへの輸送路が必要になります。ところでサンプラーを機体のどこに配置するべきかといえば、これは絶対に下面の中央、重心を通る位置にあるのが最適です。その位置だとイトカワに設置した時に姿勢を崩さないですむわけですから。 - 大島:
-
でもそれは部分的な最適化なんです。なぜなら、再回収カプセルは、地球に戻ってきたら「はやぶさ」から切り離します。となると、どうしても「はやぶさ」本体の外側に付けるしかない。でも、サンプラーを下面中央に、再回収カプセルを外側に付けると、本体内部に長い輸送路が必要になってしまうわけです。全体の最適化を行うシステム設計としては、中央にサンプラーを付けるという設計は良くないということになります。
- 奥平:
-
そこで色々考えた末に、サンプラーは、内部の輸送路が最短になるように、本体下面の端の、なるべく回収カプセルに近い位置に付けることにしました。こうなると、タッチダウン時に姿勢が崩れる事が心配になるわけです。そこで、サンプラーは自動車のサスペンションのような伸び縮みする構造にして着地のショックを吸収できるようにしました。
- 東海林:
-
奥平さんや私のような機械システム技術者とシステムが中心となって探査機の形や配置を決めていきましたが、次に具体的な機体の設計をするのも私たち機械システム技術者の仕事でした。探査機の機体の設計も私が担当し、図面を書きました。
- 奥平:
-
実際、「はやぶさ」はきびしい仕事だったね。最初はどんな機器がいくつ載るかも分からない段階で仕事がスタートしたし。全部の材料が揃うまで待っていたら間に合わないんですよ。できるところから走り出さなければいけなかったんです。
解決はチーム全員の協力 -軽量化の戦い-
- Q:
-
「はやぶさ」ならではの開発の厳しさとして、どんなことが印象に残っていますか。
- 奥平:
-
私の場合は熱環境です。「はやぶさ」は、太陽にあぶられた小惑星に降りていきますから、基本的に冷えやすい設計になっていて、温度が下がるとヒーターで暖めるという運用をします。ところが、打ち上げが遅れたことで、目標天体が途中で2回変わりました。
- Q:
-
最初が小惑星ネレウス、次に小惑星1989ML、最後にイトカワになりましたね。
- 奥平:
-
そうです。ところが相手の星が変わると、降下時の太陽距離が変わることがあって熱環境も変わってくるわけで、その都度設計を見直さなければならなかったんですよ。熱だけではなく、様々な局面で設計の基本となる条件が変わったり、分からなかったりで、苦労しました。
- 東海林:
-
目標天体が変わることによる設計変更はきつかったですね。目標がイトカワになった時には、軌道が大きく変わったので中利得アンテナ の首振りの方向を90度変えなくてはなりませんでした。ところがそれまでアンテナを付けていた側面では、首振りのスペースを確保できなくて、アンテナ位置を進行方向前後に変更しなくてはなりませんでした。もう内部の機器レイアウトは固まっていたので、アンテナへの配線を通す余裕がなくて、苦肉の策として、高利得アンテナの下、本体の外に配線をはわせて、上から金色をしたカプトンの断熱材で覆うということをしています。
- Q:
-
そんなことをして大丈夫なのですか。
- 東海林:
-
設計上は大丈夫ですが、西根さんが担当するハンドリング (組み立て)に影響してきます。
- 西根:
-
その話は後でまとめてしましょう。ぎりぎりの設計になるほど、機体の組み立てに影響が出てくるんですよ。
- 奥平:
-
条件が変わるだけではなく、そもそも設計に必要な条件が分からないという場合もありました。サンプラーホーンにしても、どんなところに着地するのかで設計は変わってきます。平坦な砂地に降りるなら短くてもいいけれど、ごつごつの岩場だったら、ある程度長くして太陽電池パドルや機体に岩がぶつからないようにしなくちゃいけない。けれど、そもそも本当のところは行ってみなくちゃ分からないわけです。だから理学の先生方と議論を重ね「こんな条件にしよう」と決めていったのですが、これが大変な作業でした。随分長い時間論議しましたね。
- 東海林:
-
「はやぶさ」開発の厳しさというと、私の場合は、軽量化に対する要求が尋常ではなかったことが印象に残っています。だって、設計会議でわずかでも重量増加の報告をすると、それはもうみっちりレビューされて、その増加した重量はどこで削るかという議論を延々と行うことになります。軽量化に関しては機械システムはぎりぎりの工夫の連続でした。
- 大島:
-
重量に関しては、最初から「はやぶさ」の場合は考えられる上限の重さを積み上げて集計したらそもそも設計が成立しないのは明らかでした。だから、「この重さで作ります」という標準の重さで集計し、それにマージンを加えて重さを管理する方針だったのですが、マージンどころか重量オーバーからなかなか抜け出ることができませんでした。
- Q:
-
どういう手順で、山積する問題を解決していったのでしょうか。
- 大島:
-
問題があると、まずは社内に持ち帰って議論をします。方向性が出てきたらJAXAさんとさらに議論します。部分最適に陥らないということはいくら強調してもし過ぎることはありません。私たちシステムがすべての機器の議論に同席して全体を見ていきました。ただ、はやぶさにおいては、全体最適化はシステムの努力だけではありませんでした。全体の重量制約など、多くの厳しい制約条件が立ちはだかっていることが誰の目にも明らかだったので、逆にどのサブコンポーネントの担当者も積極的に全体最適化に協力をしてくれて、きびしい全体設計を成立させる大きな力になりました。きっと、システムに対する課題が厳しく、それを目の当たりにすると、サブコンポーネントの担当者のベクトルがそろって全体の最適化が進むってことなんでしょうね。
- 東海林:
-
重量軽減においては機体の構造の軽量化は最も効果的だった部分の一つだと思います。探査機重量に占める機体の構造の重量の割合は決して小さくないので、重量削減ができた場合の効果が大きいんですよ。
軽量化といえば、私は、零戦の開発を追ったノンフィクションを買って読みました。零戦も徹底した軽量化を行った戦闘機です。設計に行き詰ったとき、当時の設計者の苦労にはまだ及ばないと自分を叱咤してました。
本当に小さな節約から大きな工夫まで合わせて、当初から比べると結果的に機体重量としては20%近い軽量化を行ったと思います。これは自慢できます(笑) - 西根:
-
先ほども言ったようにそういう設計を徹底していくと、今度は私たちが担当する組み立てにしわ寄せが来るわけです。
- 東海林:
-
いや、それは僕らが西根さんたちを信頼しているからこそなんですよ。
- 西根:
-
質量が厳しい中、小型の衛星に共通する宿命だね。私の担当はハンドリングといって、出来上がってきた部品を探査機に組み上げる仕事です。組み立てるだけではなくて、各種試験の度に組み付けたり外したりを繰り返します。「はやぶさ」は私を含めた数名でチームを作ってハンドリングを担当しました。
「はやぶさ」が残してくれたもの
- Q:
-
全員ともハンドリング専門の方なのですか。
- 西根:
-
そうです、みんなプロ中のプロです。ですから、「はやぶさ」もあまり苦労はなかったですよ。
- 東海林:
-
ああ、やっぱり信頼していただけの事はある。良かった!(笑)
- 奥平:
-
「はやぶさ」は内部が相当に複雑ですから、優秀な方がいないと絶対組み立てることができません。
- 東海林:
-
軽量化を徹底していくと、配線などはぎりぎりの長さになってしまうし、コネクターも省略することになります。すると探査機そのものが、箱根の寄せ木細工みたいになってしまうんです。「あっちをはずして、こっちをくぐらせて、ここを浮かせて、こうすると分解できる」というような。
- 大島:
-
もちろん全体を見る立場からすると、なるべく組み立てしやすい設計ということも考えていきます。メンバーとも相談しながら機器の配置や構成を考えていくわけです。
- 西根:
-
苦労はなかったと言いましたが、では「はやぶさ」が簡単かといえば、そんなことはなく難しかったです。特に機器を結ぶ配線のハーネス(機体内部配線)も、組み立て分解を便利にするためのコネクターが極端に省略されていたので、試験の時などの組み立てと分解には神経を使いました。それと「はやぶさ」はとにかく突起物の多い探査機でしたね。サンプラーホーンやアンテナ、観測用の各種センサーなどなど。だから引っかけないように注意しました。
- 東海林:
-
それだけじゃなくて、「はやぶさ」は部品点数も多かったんですよ。通常の衛星の1.5倍はあったと思います。だから内部もいっぱいいっぱいで、どうしてもハンドリングが難しくなってしまったんです。
- 奥平:
-
確かに部品は多かったなあ。ターゲットマーカーはロケットと結合するためのアダプターの内側に配置したでしょう。あんなところにまで機器を配置したのって、「はやぶさ」しか覚えがないですよ。
- 東海林:
-
普通はそんなところに機器を配置しませんからね。
- 西根:
-
機器配置の奥のほうにあって、特定の人でないと手を入れて差し込むことができないコネクターもありました。きちんと組み付けられているかを調べる検査の担当も色々と苦労していましたよ。鏡を差し入れて検査していたりしました。
- 東海林:
-
西根さんたちは、組み立て中の探査機周辺での立ち居振る舞いが明らかに違うんです。危なげがない。「この人たちが頭をぶつけることは絶対にないな」というのが見ていて分かるんです。だから僕らは、「大丈夫、あのメンバーなら組み立ててくれる」と思って設計していました。組み立ててくれる人たちの顔を思い浮かべながら。
- 西根:
-
でもね、そういうベテランも減っているんですよ。最近になって若い人を入れて訓練を始めていますけれど、この仕事は、場数を踏むことで人が育っていくんです。立ち居振る舞いは現場で覚えるんですよ。なんとかして若い人が衛星を作る機会をもっと増やしたいところです。
- 東海林:
-
とにかく「はやぶさ」を作るというのは大変な作業でした。何があっても決して打ち上げを変更できない。「はやぶさ」の場合は打ち上げ時期は地球と目標天体の軌道の関係で、きっちり決まっているので遅らせることができないのです。
- Q:
-
でも、「はやぶさ」の場合は目標天体を変更することで打ち上げ時期をずらしましたけれど。
- 東海林:
-
そうですね。なんとか別の天体に行けることになっても、少なくとも目標天体は変わってしまいますし、そもそもそのような解決策がいつもあるとは期待できないわけです。
- 西根:
-
試験が進むにつれてハンドリングの現場も、だんだん余裕がなくなっていきました。ノートラブルで進むなら、それでもいいのですけれど。大抵は何かが起きて遅れます。余裕があるうちはスケジュールに予備日を組み入れて吸収していましたけれども、それができなくなってその日に予定していた作業が終わらないと帰れないというようになっていきました。
- 奥平:
-
つらい時期は、システムの萩野さんと大島さんがムードメーカーとして、要所要所で熱い思いを語ってくれたのが良かったね。「これならできるかも」という気分になったから。メーカーとしては「遅れました」と言うことができないから、やるしかなかったんですよ。
- 大島:
-
私は大変働きやすかったです。割とスムーズに物事が進んでいく印象を持っていました。でも、それは私の知らないところでプロマネの萩野さんが色々と物事がうまくいくように動いていてくれたからなんですね。「はやぶさ」の開発では、「私は私、あなたはあなた」ということがなくて、みんなお互いの領分に一歩踏み込み合って仕事をしていました。それが結果として良かったんじゃないかと思います。
- Q:
-
皆さん、帰還の6月13日はどうしていましたか。
- 東海林:
-
自宅からネットで観ていました。うれしいというよりも驚きのほうが大きかったです。だって世界初、小惑星への往復飛行は人類初ですよ。運用サイドの苦労は想像を絶するものだったんだろうなと思いながら・・・。
- 奥平:
-
普通なら運用終わりで「最後まで見取ったな」という感覚になるものですが、私も関係した再回収カプセルがあるので、まだまだ続いているような気がします。
- 西根:
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やきもきしながら中継を観ていました。というのも再回収カプセルと本体を結ぶ配線を最後に切断する機構を組み立てたのは自分だったからです。打ち上げから7年間放置された可動部分がきちんと動作するか心配だったのですが、うまく動いてくれました。
- 大島:
-
私は相模原の管制室で、最終運用に立ち会いました。最後、内之浦の34mアンテナと「はやぶさ」との通信が途切れて、運用ディスプレイには「消感」という表示が出ました。次の日に運用室に行ったら、その表示がそのまま残っていました。管制設備の電源を切らなければ、最後の画面がそのまま表示されたままになるんです…誰が担当だったんだろう。きっと心が残って、どうしても電源オフにできなかったんですね。
- 東海林:
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終わってみると、面白い仕事だったと思いますが、やっている最中は大変でした。JAXAの方がたに本当に鍛えられました。「はやぶさ」は自分を鍛えてくれた仕事でした。
- 奥平:
-
「はやぶさ」で、ぎっしり詰まった探査機の経験ができたので、その経験は全部金星探査機「あかつき」に生かすことができました。これは良かったですね。
- 西根:
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ハンドリングのメンバーを育て鍛えるためにも、早く次があればいいなと思っています。
- 大島:
-
もし「はやぶさ2」があるならば、また参加して成功させたいです。「はやぶさ」で出来たこと出来なかったことがありますから、「もし機会があれば今度はもっとうまくやってやる」と思っています。
他に類のない使命を帯びた、探査機「はやぶさ」。部品のひとつひとつから、そのためだけに設計し、製造し、組み立てたものである。
「はやぶさ」は機械であると同時に、世界にただひとつの宝石だった。日本の宇宙開発の知恵と技術と技能を詰め込んだたった一つの結晶。
2010年6月13日、NECの技術者たちが作り上げた探査機は、大気圏に突入し、華々しい輝きと共に燃え尽きた。彼らの努力の精華は微粒子になり、大気に溶け込んでいった。
しかし、後に経験と自信が残った。「はやぶさを造った」という経験。そして、あの「はやぶさ」を造り上げたんだという自信が。
「はやぶさ」のDNAを受け継いだ、「あかつき」と「IKAROS」。
「はやぶさ」が大気圏に突入したころ、「あかつき」は金星へ向かう軌道上で新型エンジンの噴射に成功。「IKAROS」は大きな帆を拡げて世界初のソーラーセイル実験をスタートした。太陽系大航海時代が幕を開けた。
NEC宇宙システム事業部
エキスパート 大島 武
1990年入社。搭載用コンピュータの開発を経てMUSES-C(はやぶさ)のシステムマネージャとして全体設計の技術まとりとめを担当。
2003年7月よりPLANET-C(あかつき) のシステム設計、システムマネージャとして全体設計を担当。
2007年7月よりあかつき プロジェクトマネージャ。
NEC東芝スペースシステム
技術本部 熱機械グループ所属
エキスパートエンジニア 奥平 俊暁
1985年入社。衛星構造設計、機械システム設計等に従事。
現在は科学衛星機械系のとりまとめ。
「はやぶさ」では、衛星機械系全般とサンプラーの設計を担当。
NECエンジニアリング
モバイルブロードバンド事業部第三宇宙開発部所属
エキスパートエンジニア 東海林 和典
1989年入社。衛星構造設計、機械系システム設計に従事。
現在は科学衛星機械系システム、構造設計。
「はやぶさ」では衛星機械系システムと機体設計を担当。
NEC東芝スペースシステム
生産本部 システムインテグレーション検査部
班長 西根 成悦
1973年入社。横浜工場機工にて衛星搭載部品製造に約20年従事。1995年より主に科学衛星を担当し、さきがけ・すいせい・あけぼの・ようこう・はるか・はやぶさ・あかつきの製造リーダーを務める。2011年11月「卓越した技能者(現代の名工)」表彰を受賞。
取材・執筆文 松浦晋也 2010年7月7日