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アナログ回路の活用により本物の脳を再現する「ブレインモルフィックAI」とは

従来のデジタル技術とはコンセプトのまったく異なる、アナログ回路を使いAIを本物の脳に近づけていく先進的な試みが、日本を代表する数理工学者である合原一幸氏のもとで進められています。この対談では、合原氏とNEC中央研究所 システムプラットフォーム研究所の中村祐一が、AIが脳を再現するために必要な要素について議論しました。

合原 一幸 工学博士
東京大学生産技術研究所 教授

脳、カオス、複雑系、ガンなどに関連した数理的基礎問題を研究。「複雑現象の数理解析」「脳情報システム理論」「疾病の数理モデルと治療への応用」などを研究テーマとしている。東京大学大学院情報理工学系研究科教授、同工学系研究科教授も兼任。2016年4月より東京大学とNECが開設した「社会課題解決のためのブレインモルフィックAI社会連携研究部門」の代表を務める。

中村 祐一 博士(工学)
NEC中央研究所 システムプラットフォーム研究所 所長

システムLSI、超高速光通信向け信号処理、メニーコアシステムなどの研究に従事。現在は、コンピューティング技術とネットワーキング技術を融合させた基盤技術を開発するシステムプラットフォーム研究所の所長を務める。

数理工学をベースに脳や神経を分析

中村 合原先生は、世の中のさまざまな現象を数理モデルで表現することで、諸問題の解決を目指す数理工学の第一人者ですが、脳についてはどのような研究してこられたのですか。

合原 脳の研究に関する僕の師匠は、脳科学者の松本元先生と、数理工学者の甘利俊一先生です。松本先生にはヤリイカの巨大神経の実験を共にしながら、神経の複雑さやダイナミズムを教えていただきました。甘利先生は僕が甘利研究室の助教授をしていたこともあり、身近で研究を見ながら理論研究のおもしろさと切れ味を学びました。その意味では、実験と理論の両面から脳と神経の勉強をしてきたことが、自分の研究のベースになっています。

中村 脳や神経は数理工学がベースということですか。

合原 僕は特に生物のダイナミクスに興味があります。ダイナミクスを記述する際の数学的な方法としては力学系理論が最も強力ですので、僕の研究のベースは力学系理論を用いた数理モデリングです。

中村 脳の神経モデルには複数のパターンがあると思いますが、それらをすべて数理的手法でカバーするのは難しいのではないでしょうか。

合原 人間の脳は約1,000億もの膨大な数の神経細胞からできていて、かつそれぞれの神経細胞には個性があります。したがって全部の特性を作るというのは無理な話で、それゆえ数理工学が重要になってくるわけです。

特に高次な大脳皮質の神経細胞の研究は最近大きく進展していて、大脳皮質の神経細胞にはクラス1とクラス2の2種類があることが分かっています。ニューロンは、刺激を徐々に強くしていくと電気パルスを出しますが、これを「神経が発火する」と言います。発火の周波数が変わる特性には2種類あることが分かっており、1つは周波数がほぼゼロから連続的に上がっていくパターンで、これをクラス1と呼びます。2つ目は一定のしきい値で突然ある非ゼロ周波数の発火が始まるパターンで、これがクラス2です。これらを数学的に見てみると、クラス1はサドルノード分岐、クラス2はホップ分岐という分岐理論で明確に分類することができます。この点は重要で、ニューロンのハードウェアモデルを作る際、こうした分岐が起こるように設計すれば、クラス1とクラス2のニューロンを再現できるというわけです。そこで我々は、この2種類の分岐が起こるニューロンモデルを、電子回路のデバイス特性を使って作ろうとしています。

中村 脳のモデルが複数あったとしても、ひな型のニューロンモデルを作っておけば、思考や記憶などを司る大脳皮質も再現できるということを意味しているのでしょうか。

合原 そうです。同じモデルのパラメータを変えるだけで、両方のクラスを作れます。

中村 こうした脳の数理モデルを使った応用例があれば、ぜひ教えてください。

合原 1つの重要な機能は「アテンション(注意)」です。生き物が見ているもののどこに注目するかは、脳の高次な機能です。そこで我々は、生き物が何かに注意を向ける際、脳がどのようなメカニズムで働くのかを研究しました。すると、実際の脳が注意を向けるときと近い数理モデルができたんです。これを応用すれば、例えばロボットがいろいろなものに注意を向けることが可能になります。

最近の研究で好評だったのはコウモリのアテンションですね。コウモリは超音波を出して、その反射の信号をもとにエサの位置を把握しています。そこで、コウモリが夜の暗いなかでエサとなる昆虫を取る際の飛行ルートと超音波を出す方向について調べ、実験と数理モデル、それぞれの研究を合わせて分析しました。その結果、コウモリは飛びながら直前のエサだけでなく、その次のターゲットにまで注意を向けていることが分かったのです。つまり、直近のエサとその次に取るべきエサを同時に把握しつつ、2つをつなぐ最適なルートを探していたんですね。この結果は、例えば車の自動運転を考えるうえで、目の前の車だけでなく、その先にいる車にまで注意を払うといった形で応用できます。このように、生き物から学べることは山ほどあるのです。

NECとの共同研究でお互いに学ぶ

中村 こうした研究をされている合原先生に、NECがハードウェアを使ったAIの共同研究を申し入れたわけですが、最初に話を聞いたときはどのようにお感じになったのでしょうか。

合原 正直、いいテーマだと思いました。というのも、AIの研究は日本でも最近活発に行われていますが、欧米と比べて大きく遅れているのがハードウェアの分野だからです。僕自身、この点に強い危機感を抱いていたので、NECから声を掛けていただいたときには、「これはチャレンジすべきだ」と思いました。

中村 今から研究を始める私たちが、先行している欧米に対抗できるのでしょうか。

合原 大丈夫だと思います。というのも、もともとこの分野の研究のオリジンは日本にあるからです。電子回路のニューロンモデルを最初に作ったのは、甘利先生の上の世代に当たる南雲仁一先生で、1962年だったと思いますが、当時の最先端技術だったトンネルダイオードの負性抵抗を使い、ニューロンの非線形特性を実装した電子回路を作りました。これは歴史的に重要なものなので、本来は博物館に置いてもらいたいものですが、今は僕の研究室に保管してあります。このように、最近でこそハードウェアの研究をしている人は日本では少ないものの、源流は日本にあるわけですから、高いポテンシャルは持っていると言えます。

付け加えるなら、ハードウェアの研究とはいえ、まずはニューロンモデルから作る必要がありますので、そこのオリジナリティが問われます。我々はニューロンの数学的な解析を行いながら、その特性を理論的に明確化する研究も同時に進めているので、数学的な研究とハードウェアの研究を組み合わせることにより、世界でもトップレベルの研究が実現できると思っています。

中村 研究を行ううえで、合原先生がNECの研究者に期待することはどのようなところでしょうか。

合原 我々はニューロンの数理モデルには自信はあるものの、それを実装する際に必要となる、電子回路に関するさまざまなノウハウは持ち合わせていません。そこで、共同研究により電子回路に関する技術は我々がNECから学び、理論的なことは我々がNECにお伝えするといった形で進めていければと思います。

中村 NECとしても回路の特性や効率に関する知見は蓄積していますので、脳型コンピュータの実装時には私たちのノウハウを有効活用しながら世の中の役に立つものが作れたらいいなと思っています。

アナログ回路で本物の脳を再現

中村 共同研究の成果は、今後どのように生かしていくべきでしょうか。

合原 我々が今やっていることは、現在ブームになっているような単純化したニューラルネットではなく、もう少し長いスパンの研究です。ですから、脳の神経細胞は何をしているのか、ネットワークとしての脳は何をしているのかといった本質を見極めながらハードウェアに実装し、本物の脳のようなモデルに立脚したAIを作ることを目指してくべきだと思います。

中村 具体的にはどういったものをイメージされているのでしょうか。

合原 デジタルによるシミュレーションでなく、アナログ回路でニューロンを再現するという点がポイントですね。既存のデジタルコンピュータでは無限の桁数を持つ実数を取り扱うことができません。例えば、実数の複雑さが表面に出てくるカオスのような現象は、デジタルで実装しようとしてもその影を追うのが精一杯です。ところが、これを実数が表現できるアナログの電子回路で作ると、電子回路の振る舞いとして自然な形でカオスが生み出されます。我々はこの研究に長年携わってきていますので、ニューロンにアナログ性を適用し、多くの処理が実行できるようになると思います。

中村 アナログとデジタルの差というと、人間の耳では聞き分けられない部分をカットしたデジタルミュージックと、細かい音まで再現するレコードのような違いでしょうか。

合原 アナログとデジタルはお互いを近似できるものの、デジタルコンピュータで脳に似た処理をするのと、並列分散でダイナミクスを使って計算する脳とでは、計算原理自体に明確な違いがあるので、まったく異なるものだと言えます。

そこで我々は、もっと自然に、生物や人間の本物の脳のように動作するAIを、現在の技術を使って作ることを考えています。これをその原理まで含めて「ブレインモルフィックAI」と呼んでいます。

中村 「ブレインモルフィック」とはどのような意味ですか。

合原 本物の神経細胞や脳のダイナミクスを、その数理モデルに基づいた並列分散の時空間ダイナミクスを使って再現することを意味します。

中村 NECも非ノイマン型のアーキテクチャを使ったコンピュータに取り組んでいますが、その先にブレインモルフィックがあると思えばいいのでしょうか。

合原 そこはいろいろな方向があっていいと思いますね。そもそも現在のコンピュータはチューリングマシンが原点にありますが、チューリング自身の目的も脳による情報処理をモデル化することにありました。それがテクノロジーとして成功し、現在のコンピュータへと発展しましたが、それは脳が行う情報処理の一部に過ぎません。つまり、脳は論理的な思考ができても、実際にはそうでない思考をするケースは山ほどあります。例えばお酒を飲んだときなどは論理的でなくなりますよね(笑)。ですから、脳は論理的でないこともできる。現在のデジタルコンピュータは直感的なものを扱えないところがありますが、その計算原理を探求しつつ、それに基づいた計算機を作るというのが、研究としておもしろい部分だと思います。

中村 こうしてできあがったモデルを、NECとの共同研究により、効率よく実装しようという理解でいいのでしょうか。

合原 まさにそのとおりです。新しい計算原理を実装することで、例えばより優れた注意能力を持つロボットを作る、より高度な自動運転ができるようにするといった応用分野を開拓していければと思います。

中村 恐らくこうしたことは、今でもスパコンを何十台と使えばできないこともないでしょうが、ロボットや車に実装するとなると、消費電力や処理時間に制限があります。

合原 AIをさまざまなものへ実装することを考えると、小さくて軽く、低消費電力であることが重要です。時々刻々と状況が変動するなか、遠くにスパコンがあってそこで処理したものを送っていては間に合いませんから。

中村 人間はこの部分を直観、経験、勘でカバーしているのでしょうが、これらをAIで実現できるとなると、かなり世の中が変わる気がしますね。

限られた時間で期待された答えを効率よく出す

中村 恐らく、これから私たちが扱うべき社会課題は、例えば大砲の弾の弾道計算をするように、小数点以下までを緻密に求めるのではなく、アプロキシメイトコンピューティングと呼ばれているような、本当に期待されている答えを短時間で効率よく出すことが求められると思います。そういう点で脳の神経モデルは効果的と考えてよろしいですか。

合原 そうですね。我々人間の脳は、環境や状況の変化と相互作用しながら、有限の時間のなかで常に「まあまあ」の解を出し続けています。その部分をハードウェアで再現することで、さまざまな動的な変化へ柔軟に対応できるコンピュータが作れるはずなので、そのあたりが重要な目標の1つになるでしょう。

中村 プログラムを書くときは、外乱の影響まで考慮することはできません。しかし、これから私たちが作っていくような新しいAIが実現すれば、外乱の影響も考慮したうえで対処できることも強みになりますね。

合原 そうなんです。そもそもプログラムは過去の情報やデータをもとに書くものですが、生物学的に解決しなければならない問題は、現在の先の未来にあります。ですから、将来の変化へ常に対応できるように情報処理の仕組みを変え、それに対応するためのハードウェアを作ることが大切なんです。

僕は武道が好きなのですが、武道では相手がどう攻めてくるか分からない状況で対峙します。ですから仮に現在の技術で武道ロボットができたとしても、パワーはあると思いますが、相手の動的な予測不可能な動きには対応できません。本物の武道ロボットを作るためには、何が起こるか分からない状況を前提とした、まったく新しい情報処理の仕組みを作る必要があるでしょう。

中村 NECが解決を目指す社会問題もまさにそこです。ハードウェアと数理モデルを効果的に組み合わせ、いかなる外乱にも対応できる夢のシステムを、これから一緒に作っていければと思います。

さて、最後にNECへの期待についてお聞かせください。

合原 先ほども申し上げましたが、NECはハードウェアに関してたくさんの優れた知見をお持ちなので、まずはそこを学ばせていただければと思います。応用分野については、どのようなニーズがあるのか我々だけでは分かりませんので、NECが持っている経験や把握している社会的課題を伺いたいと考えています。

中村 これからも世界の人口は増えていくでしょうが、その大部分が都市に住むといわれています。新しい技術も導入されるでしょうが、それでもエネルギーや食料は足りなくなることでしょう。一方で日本の人口は縮小し、労働人口も減っていくばかりです。NECはこうした課題を解決すべく、情報通信の分野で貢献していきますので、そこに先生の研究を活用させていただければと思います。本日はどうもありがとうございました。

  • *
    本稿は2016年7月の対談をもとに作成したものです。

中村 恐らく、これから私たちが扱うべき社会課題は、例えば大砲の弾の弾道計算をするように、小数点以下までを緻密に求めるのではなく、アプロキシメイトコンピューティングと呼ばれているような、本当に期待されている答えを短時間で効率よく出すことが求められると思います。そういう点で脳の神経モデルは効果的と考えてよろしいですか。

合原 そうですね。我々人間の脳は、環境や状況の変化と相互作用しながら、有限の時間のなかで常に「まあまあ」の解を出し続けています。その部分をハードウェアで再現することで、さまざまな動的な変化へ柔軟に対応できるコンピュータが作れるはずなので、そのあたりが重要な目標の1つになるでしょう。

中村 プログラムを書くときは、外乱の影響まで考慮することはできません。しかし、これから私たちが作っていくような新しいAIが実現すれば、外乱の影響も考慮したうえで対処できることも強みになりますね。

合原 そうなんです。そもそもプログラムは過去の情報やデータをもとに書くものですが、生物学的に解決しなければならない問題は、現在の先の未来にあります。ですから、将来の変化へ常に対応できるように情報処理の仕組みを変え、それに対応するためのハードウェアを作ることが大切なんです。

僕は武道が好きなのですが、武道では相手がどう攻めてくるか分からない状況で対峙します。ですから仮に現在の技術で武道ロボットができたとしても、パワーはあると思いますが、相手の動的な予測不可能な動きには対応できません。本物の武道ロボットを作るためには、何が起こるか分からない状況を前提とした、まったく新しい情報処理の仕組みを作る必要があるでしょう。

中村 NECが解決を目指す社会問題もまさにそこです。ハードウェアと数理モデルを効果的に組み合わせ、いかなる外乱にも対応できる夢のシステムを、これから一緒に作っていければと思います。

さて、最後にNECへの期待についてお聞かせください。

合原 先ほども申し上げましたが、NECはハードウェアに関してたくさんの優れた知見をお持ちなので、まずはそこを学ばせていただければと思います。応用分野については、どのようなニーズがあるのか我々だけでは分かりませんので、NECが持っている経験や把握している社会的課題を伺いたいと考えています。

中村 これからも世界の人口は増えていくでしょうが、その大部分が都市に住むといわれています。新しい技術も導入されるでしょうが、それでもエネルギーや食料は足りなくなることでしょう。一方で日本の人口は縮小し、労働人口も減っていくばかりです。NECはこうした課題を解決すべく、情報通信の分野で貢献していきますので、そこに先生の研究を活用させていただければと思います。本日はどうもありがとうございました。

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    本稿は2016年7月の対談をもとに作成したものです。

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