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チームワークとリーダーの絆が実現させた「9つの世界初」
──「はやぶさ2」プロジェクトマネージャ対談
インタビュー 2020年12月6日、はやぶさ2は小惑星リュウグウのサンプルが入ったカプセルを無事地球に届け、11年にもおよぶ次なる挑戦の旅路に向かった。「9つの世界初」を達成したこのプロジェクトを牽引したのが、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙科学研究所教授であり、はやぶさ2プロジェクトマネージャの津田雄一氏と、NEC側でプロジェクトマネージャを務めた大島武だった。2人のリーダーは、600人を超えるメンバをどのように束ね、この困難なプロジェクトをどのように成功に導いたのだろうか。長い苦闘の軌跡を2人が振り返る。
宇宙科学研究所 教授/はやぶさ2プロジェクトチーム
プロジェクトマネージャ
プロジェクトディレクタ
チームの一体感が成功の要因
──無事、リュウグウのサンプルを入手することができましたが、率直な心境をお聞かせください。
津田:心の奥底からほっとしたというのが正直な気持ちです。はやぶさ2は、途中で一つでも大きな障害が起こったら成功に辿り着けない難しいミッションでした。プロジェクトマネージャ(PM)に就任してからは、「最後まで行けるだろうか」という不安とずっと戦ってきました。その肩の荷をようやく下ろすことができました。
大島:このプロジェクトの大きなミッションは、小惑星から採取したサンプルを科学者に届けることでした。サンプル採取には無事成功しましたが、それを地球まで運べなければ何の意味もありません。地球に無事帰還できたのは、本当に喜ばしいことだと思います。
──はやぶさ2は、少ないながらも小さなトラブルに何度か見舞われたとのことです。具体的にどのようなトラブルがあったのでしょうか。
津田:リュウグウへの1回目のタッチダウン(着陸)の際、はやぶさ2が誤作動を起こし、その復旧作業によって、降下が予定よりも5時間ほど遅れたことがありました。その遅れを取り戻すために、初期設定よりもかなり速いスピードで降下し、タッチダウンに成功しました。それが可能だったのは、想定されるトラブルに対する入念な準備があったからです。
大島:1回目のタッチダウンでわかったのは、リュウグウの表面が想像をはるかに超えて脆いことでした。地表の岩が砕け、ものすごい勢いで粉塵が舞ったことによって、はやぶさ2のセンサがダメージを受けてしまった。あれもトラブルの一つでしたね。
津田:その影響もあって、予定していた2回目のタッチダウンを実行するかどうかが議論になりました。PMとしての私のスタンスは、「ぎりぎりまでやると言い続ける。それでも難しければ、冷静に判断してやめる」というものでした。すぐに「やめる」と言うのは簡単です。しかし、それでは宇宙科学の発展に対する責任を放棄することになる。そう私は考えていました。
そこで、計画を二週間延期し、NECとも議論を重ねながら、「技術的、オペレーション的にタッチダウンは可能である」「1回目以上の精度で実現できる」という確信を得て、実行の決断をしました。
大島:実際、2回目のタッチダウンはほぼ完璧でした。素晴らしい結果だったと思います。
──いくつのもトラブルを乗り越えることができた要因をお聞かせください。
大島:私は、JAXAの皆さんとメーカである私たちの間に垣根がなかったことが大きかったと思っています。お互い忌憚なく意見を出し合ったし、相手の意見にもしっかり耳を傾けました。その結果、1+1が4にも5にもなるようなチームになったと思います。
津田:本当にその通りですね。お互いに言うべきことを率直に言い合うことで議論が白熱する場面もありましたが、すべては「ミッションを成功させたい」という共通の思いがあったからです。あの一体感があったからこそ、難局を乗り越えることができたのだと思います。
人類の新たな一歩の土台に
──はやぶさ2は「9つの世界初」を達成したとのことです。その概要をお聞かせいただけますか。
津田:いくつか挙げると、計4台の移動探査ロボットを小惑星表面に展開し、科学的観測をしたこと、同一天体の2地点へのタッチダウンを成功させたこと、小惑星に人工クレーターをつくり、その作業の前後を含めた全過程を観測できたことなどです。とくにタッチダウンは、1回目が目標に対して1m、2回目は60cmという非常にわずかな誤差で成功させることができました。3億km彼方の天体ですから、これ以上ない精度と言っていいと思います。さらに、C型小惑星(※)からのサンプル採取に成功したこと、採取したサンプルに地球圏外の気体が含まれていたことも世界初でした。
※炭素系の物質を主成分とする小惑星
──なぜ、そのような偉業が達成できたのでしょうか。
大島:ミッションのプロセスを一つひとつ精査して、最も成功確率が高い方法を選択したこと。徹底的なシミュレーションを行ったこと。メンバたちが何度も訓練を重ねたこと──。それらが成功の要因だったと思います。
津田:リュウグウに到着してから技術レベルを向上させることができたのも大きかったですね。プログラムの書き換えや、着陸手順の変更など、NECと一緒にいろいろな工夫をしながら、「現場」の状況に柔軟に対応できたことが、数々の世界初につながったと考えています。
──今回のミッション成功は、今後の宇宙開発や深宇宙探査にどのように影響を与えるのでしょうか。
津田:はやぶさ、はやぶさ2と、2回にわたって難しいサンプルリターンを成功させたことによって、日本の深宇宙探査技術への信頼は世界的に高まりました。サンプルリターンは、日本の「お家芸」になったと言っていいと思います。太陽系には確認されているだけで100万を超える小惑星があり、その中には到達が難しいものもたくさんあります。2回のはやぶさプロジェクトの達成は、そのような小惑星へのアクセスにチャレンジする確かな土台になったと思います。
大島:宇宙開発の分野では、一度達成したことが次のステップの基準になっていきます。地球と小惑星の間の往復航行やサンプル採取などの技術は、はやぶさの成功によって今後は当たり前のことと考えられるようになるでしょう。そこを足場にして、次の新しい一歩に人類が進んでいければいいと思います。
「決断すること」がリーダーの役割
──津田さんがはやぶさ2のPMを前任の國中均さんから引き継いだのは、打ち上げ成功後の2015年4月でした。PMに就任したとき、どのようなチームをつくりたいと考えましたか。
津田:私が宇宙科学研究所に就職したのは、初代はやぶさ打ち上げのひと月前でした。新人という立場で最初のはやぶさプロジェクトに関わったわけですが、そこで働く先輩たちはみんなスーパーマンに見えました。「こういうすごい人たちが宇宙プロジェクトを動かしているんだ」と驚いたことをよく覚えています。数々の甚大なトラブルがありながらミッションを完遂できたのは、彼らの力があったからだと思います。
しかし、はやぶさ2は、スーパーマンの卓越した力に頼るのではなく、チームの力でトラブルに対処していくタイプのプロジェクトであると私は考えていました。小惑星への滞在時間が格段に長く、それだけトラブルが発生する確率が高いからです。それぞれのメンバが専門性を発揮しながら、コミュニケーションをとって、総力であらゆる事態に対応していく。それが、私がイメージしたチームの姿でした。
──600人を超えるプロジェクトメンバの中には、若手も多かったそうですね。
津田:若い人たちは、モチベーションがあれば非常に高い能力を発揮します。私の役割の一つは、メンバたちのやる気に火をつけることでした。探査機操作の訓練をする。自分自身でコマンドを書く。探査機を直接コントロールする──。そういった機会をどんどん与えて、責任を担ってもらうことが、モチベーションを高める最良の方法だと私は考えました。実際、若いメンバがそのような仕事に携わることで、チームの士気がどんどん高まっていくのを実感しました。若手をモチベートすることと、いいチームをつくることは、私の中では同じことでしたね。
──NEC側のPMとしてのお仕事についてもお聞かせください。
大島:NEC側のメンバは、機器や基板の製造検査担当者なども含めると全部で300人近いと思います。コアとなるシステムメンバについても、私の鶴の一声で動くのではなく、それぞれが自分の責任を果たすことによってトータルでプロジェクトが進んでいく。そんなスタイルのチームでした。私の役割は、すべてのメンバが能力を100%出せるようにすること、個々人が輝ける環境をつくることでした。その方針はかなりうまくいったと思います。みんなが生き生きと動くいいチームになりました。もともとJAXAには、みんなで意見を出し合って、みんなの力でチームをつくっていく文化があります。その文化が私たちメーカ側にも及んだのだと思います。
──チームづくりのビジョンは共通していたようですね。プロジェクトをやり遂げた今、あらためてリーダーに求められる要件についてお考えをお聞かせください。
津田:このプロジェクトでは、どうすればリュウグウに着陸できるかがわからないという点で、PMもほかのメンバも同じでした。ですから、私がみんなを引っ張っていくというよりも、600人全員の頭脳を結集して、そこから最良の答えを見つけ出していくことが正しい方法だと私は考えていました。
──先ほどおっしゃっていた「総力」ということですね。
津田:ええ。そのためには、どんな立場の人でも発言し提案できるようにすることが大切だし、提案が仮に失敗しても、責任はPMである私がとるという姿勢をはっきり示すことが必要でした。少なくともこのプロジェクトで求められるリーダーシップとは、そのようなものだったと思います。結果的に、その方針によっていい提案がどんどん出てくるようになりました。
大島:私は、リーダーの役目は決断することだと思っています。誤った決断をしてしまう可能性もありますが、このようなプロジェクトでは、「決断をしないことが最も悪い」という状況が多々あります。どんな場合でも決断する。できる限り早めに決断する。それがリーダーの第一の役割だと思います。
──リーダーとしての経験を、次世代育成や技術継承にどのようにいかしていきたいとお考えですか。
大島:何よりも大事なのは、一緒に仕事をする中で経験を伝えていくことだと思います。人はあくまでも現場で育っていくものです。
津田:私がPMに指名されたのは、39歳のときでした。私に伝えられることがあるとすれば、「PMとは遠い存在ではない」ということです。何十年も経験を積んだ大ベテランでなくてもPMの役割を果たすことはできるし、このプロジェクトの中で、お手本としても、反面教師としても、そのことを示すことができたと思っています。私の姿を見て、安心したり、自信を持ったり、自分もチャレンジしようと考えたりする人が増えれば嬉しいですね。
人類の知のフロンティアを広げていきたい
──プロジェクトの中で、お二人は互いにどのような存在だったのでしょうか。
津田:はやぶさの初代プロジェクトのときから、私は大島さんが活躍する姿を見ていました。私にとって宇宙開発の大先輩であり、尊敬するプロフェッショナルです。はやぶさ2でNEC側のPMが大島さんになると聞いたときはとても嬉しかったし、プロジェクトの過程でもいろいろと勉強させていただきました。
大島:津田さんはたいへん優秀なPMだと思います。ミッションの細かなところまでしっかり目配りをして、自ら現場でメンバを率いていく姿は本当に頼もしかった。先ほど、初代プロジェクトのメンバの皆さんはスーパーマンだったという話が出ましたが、今の若手から見たら、津田さんも間違いなくスーパーマンだと思います。
津田:いやいや、そんなことはまったくありません。逃げ出したくなる場面が何度もありました。そんなときはよく大島さんに電話をしたものですが、大島さんの方から先に「苦しい」という話が出るのが常でした。本当は私をもっと安心させてほしかったのですが(笑)。
大島:メーカ側の人間は、なかなか「大丈夫です」とは言えないものなんです(笑)。常にリスクのことを考えていますから。
──今後、お二人は宇宙開発や深宇宙探査にどのように関わっていくのでしょうか。
大島:現在もさまざまなプロジェクトに参加させていただいていますが、できることなら、これからもずっと人類の知のフロンティアを広げる仕事に携わっていきたいですね。私はもともと天文ファンで、宇宙が大好きでした。宇宙への関わりをライフワークにして、会社員としての生活が終わった後も宇宙開発に貢献していきたい。そう考えています。
津田:はやぶさ2は、カプセルを地球に届けたのちに拡張ミッションの段階に進み、再び深宇宙を目指す航路に入ってます。このミッションは11年間続く予定になっています。それが続く間は、何らかの形ではやぶさ2に関わっていくつもりです。
もっとも、はやぶさ2はあくまで今後も続いていく深宇宙探査のプロジェクトの一つであり、地球と火星の間にある小惑星に行って帰って来たにすぎません。私たちの大きな目標は、木星や土星など、火星よりも遠くの天体に行くことです。それを実現する道筋を見つけていきたいですね。
──最後に、宇宙開発のパートナーであるNECへの期待をお聞かせいただけますか。
津田:NECは、地球と小惑星間のサンプルリターンを実現させた世界で唯一のシステムメーカであり、深宇宙探査の世界を自らの力で拡大していけるポジションにある企業です。他社に追われる立場としての厳しさももちろんあると思いますが、アドバンテージがあることは間違いありません。これからも民間の側から日本の宇宙開発を牽引してほしいと思います。
【はやぶさ2が達成した「9つの世界初」】
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小型探査ロボットによる小天体表面の移動探査
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複数の探査ロボットの小天体上への投下・展開
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天体着陸精度60cmの実現
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人工クレーターの作成とその過程・前後の詳細観測
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同一天体の2地点への着陸
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地球圏外の天体の地下物質へのアクセス
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最小・複数の小天体周回人工衛星の実現
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C型小惑星のサンプル採取
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地球圏外の気体サンプル採取
2021年2月24日 公開