Sub6GHz帯アクティブアンテナシステムにおける空間多重性能の改善

Vol.75 No.1 2023年6月 オープンネットワーク技術特集 ~オープンかつグリーンな社会を支えるネットワーク技術と先進ソリューション~

NECは、限られた周波数資源であるSub6GHz帯で高い周波数利用効率を達成するため、フルデジタルBeamforming(BF)構成による超多素子アクティブアンテナシステム(Active Antenna System:AAS)を5G向けとして開発することにより、Massive MIMO(大規模MIMO)、すなわち空間多重による大容量通信を実現してきました。本稿では、各ユーザー端末(UT:User Terminal)へのDown Link(DL)SINR(信号 対 干渉・雑音電力比)が、送信機(TX)の電力増幅器(PA:Power Amplifier)で発生する非線形歪放射により劣化するため、各TXにDigital Predistortion(DPD)を実装することで本劣化を改善し、空間多重時の複数端末間の直交性確保に関しては、各UTへの放射パターン上に生成する他端末方向へのNull放射角度や深さを維持すべく、複数TX間の特性を一致させるキャリブレーション(CAL)を実施することにより、広い送信レベルにわたり優れた空間多重性能が実現できることを示します。

1. はじめに

5Gのミリ波帯システムと対照的に、Sub6GHz周波数帯では広い周波数帯域幅を確保することは容易ではありません。しかし、Sub6GHz帯システムには見通し外(Non-Line-of-Sight:NLOS)での電波伝搬効果などの広域カバレッジ特性があるため、本格的な5Gモバイル通信には不可欠となっています。こうした要因を考慮した場合、フルデジタルBF機能を備えたSub6GHz帯AASで優れた空間多重性能(Massive MIMO)を実現することにより、狭い周波数帯域幅であっても高い周波数利用効率を実現でき、かつSub6GHzでの電波伝搬特性に裏打ちされた、安定したモバイルシステムを構築することが可能となります1)2)

したがって、NECでは、まずTX PAによる非線形歪放射で生じるAASのDL性能の劣化を回避するため、フルデジタルBF機能とDPDをAASに搭載するとともに、併せて送受信CAL機能も実装することにより、高いDL出力電力の領域を含めた広い出力ダイナミックレンジにおいて、AASの空間多重性能が大幅に向上することを確認してきました3)4)

なお、各空間多重端末と同じ方向に向けて発生する非線形歪放射を抑圧することでDL SINRを改善した後、あるいは高い線形性を持つ低いDL出力領域でAASが運用される場合は、各UTへのDL放射パターン上に形成される他のUT方向へのNull深さを決める送受CAL精度が、DL SINRの決定に際して支配的となります。したがって、前述の場合は、AAS内の複数のTX間とRX(受信機)間の振幅と位相周波数特性を補正して一致させる機能を有する送受CALが重要となります。

このようにして、NECは、Sub6GHz帯AASのTXに対してDPDとDL CALという二重補償機能を採用することにより、広い送信出力ダイナミックレンジにわたって優れた空間多重化性能を発揮するAASを開発しました3)

第2章では、まず非線形歪放射がDL SINRへ与える影響に焦点をあてた検証結果を示すため、複数UTへのDL空間多重信号を電波暗室内で放射し、あるUT方向に設営した対向アンテナで受信した信号をベースバンドにDown Convertしたうえで、希望波信号放射成分「S」を復調解析、もしくは相関検出し、更に希望波信号放射成分「S」とOFDM/マルチトーン非線形歪成分「I」の合計からなる総受信信号から希望波信号放射成分「S」を差し引くことで、OFDM/マルチトーン非線形歪成分「I」から成る放射成分を抽出してDL SINRを算出する方法(1レイヤ・1角度方向放射時の解析方法)、もしくはスペクトラムアナライザで「S」及び「I」の周波数スペクトラムを直接観測することでDL SINRを実測した結果(複数レイヤ・複数角度方向放射時の検証方法)を示します。なお、前述した解析によりS/I分離ができていることから、S/I角度スペクトラム(「S」と「I」それぞれの放射パターン)を描画することによって非線形歪放射成分「I」の特異性を解明しました。

2. 非線形歪放射改善のためのDPDと空間多重性能を最大化するDL CALによる二重補償

2.1 検証に用いたDPD搭載のSub6GHz帯AASの特徴

検証に使用したAASのブロック図を図1に、2台のAASを水平方向につないで連動させた場合のAASの外観を写真に、AASの仕様をに示します。アンテナ素子は±45°二重偏波共用パッチアンテナで構成されており、水平方向8×垂直方向4×2偏波構成により、合計64個のアンテナ素子を装備しています。TXとRXの搭載数に関しては、各偏波ごとの垂直方向アンテナ2素子を1つのTRX(1TXと1RX構成からなる1トランシーバ)と接続することにより、水平方向8×垂直方向2アンテナGroupingごとに1TRXを接続することで計2TRX×2偏波構成となるため、合計32TRXがアンテナの背面側に一体化して組み込まれています。

図1 AASのブロック図
写真 AASの外観

表 AASの仕様

DPD処理部は、各TXのデジタルベースバンド部に個別に装備しています。各TXのPA出力側に装備した方向性結合器を使用して非線形性を伴うPA出力信号を抽出したうえで、これを各DPD処理部に帰還させることにより非線形歪補償を行います。なお、DPD処理方法としては、DPD処理部の回路規模を小さくしつつ、最適な非線形歪補償を実施するため、DPD処理方法としてはGMP(Generalized Memory Polynomial)法を採用しています。

更に、TDD(時分割多重)システムにて空間多重性能を実現するため、Massive MIMO・空間多重処理としては、Zero-Forcing(ZF)法を採用しています。このZF法により、各UTからAASの各RXへの送受で決まるUL伝搬チャネル推定を利用して、AASから各UTへの放射に際し、他UT方向へのNullを伴わせた放射パターンを生成させるべくDL BF Weight(DBW)を逐次計算・生成し、各TXのDigital Basebandを通過する各UTへの送信信号に前述したDBW行列中の対応要素を乗算したうえで、各TXのPAを介して各アンテナからDL放射します。なお、ULチャネル推定は各UTからAASへ放射されたSRS(Sounding Reference Signal)信号をAASの各RXが受信することでULチャネル推定行列を生成したうえで、TDDの場合はAASのDL/UL CALでAAS内の各TX/RXの振幅位相周波数特性が一致している条件下となるため、送受伝搬チャネルのReciprocity(通信路の可逆性)が成立することから、ULチャネル推定行列はDL伝搬路行列と等しくなり、同ULチャネル推定行列から空間多重用DBWが算出できることとなります。そして、DBWを乗じたAASからのDL放射信号は、DL伝搬路を通過することで、各UT方向へ空間分離された放射信号として各UTへ到達し、最終的には各UT受信側で逆行列処理を行うことで、各UTへの複数レイヤの送信DATAが対角化抽出され、複数UTへの多数レイヤ空間多重が実現することとなります。

2.2 CAL適用によるDPD搭載AASのNullを含む放射パターンの安定性維持

AASの各TX内でDPDが連動している際のCALの正常性を確認するために、逐次CAL更新時の全32TX間の振幅と位相誤差の時間推移を実測しました。なお、各TXのDL CAL Weightは90秒ごとに自動更新するように設定されています。

実測結果例を、図2(上図)に示します。これは、32TX間の位相誤差の変動様相を3時間にわたって測定したものです。その結果、位相誤差の変動量は±4°の範囲内で非常に安定していることが確認できます。

図2 DPD搭載AASでDL CALを逐次実施中の、全32TX間の位相誤差の時間安定性(上図)とDL角度スペクトラム(下図)

更に、図2(下図)に示すように、電波暗室内にAASを設置運用した状態で、90秒ごとにDL CAL更新を行わせながら、DL角度スペクトラムの観測を順次繰り返しました。その結果、図2(上図)に示したDL CALによる全TX間の位相誤差補償の安定性により、安定したビームとNullが3時間にわたって維持できていることがわかります3)

2.3 高送信出力電力域での単一レイヤビーム放射下で発生する非線形歪放射の特異性について

単一ビーム放射下で生成される非線形歪放射の特異性を検証するため、DPD搭載Sub6GHz帯AASを用いて、DPDによる非線形歪補償ON/OFFそれぞれの条件下にて、電波暗室内でOFDM信号をAAS正面方向に放射しました。

図3のPAPR(Peak to Average Power Ratio)のCCDF(Complementary Cumulative Distribution Function)が示すように、本検証では、DPD前段に装備したピーク電力制限を行うCFR(Crest Factor Reduction )機能を利用して、各TXを通過する送信信号のピーク電力レベルが、最大出力電力レベル(1TX出力レベル:+13.9dBm、32TXでの総同軸出力レベル:+25dBm)より5.2dB/7.2dB/9.2dBだけ高くなるようにソフトな出力制限(CFRしきい値設定)を行うことで、任意の疑似非線形性をAASに設定できるようにして非線形歪放射の特異性を検証しました。なお、各TXの飽和出力レベル(Hard Clipping発生レベル)は、最大出力電力レベル+9.2dB(最大CFRしきい値)以上となるようにPAを設定しています。

図3 CFR5.2dB/7.2dB/9.2dBにおけるPAPR特性

電波暗室内で実測した結果より、解析した各TX出力レベルに応じたDL SINRの依存性を、図4に示します。なお、本結果は、暗室内のAASに対向設置した受信用交差偏波アンテナの各偏波受信RF信号をI/Qベースバンド信号に変換した後、希望波信号放射成分「S」について復調解析を行うことにより求めたものとなります。

図4 単層ビームの出力レベル 対 DL SINR

図4で示すように、DPD ON時は、各TX送信信号のCFRへの入力レベルが増え続けた場合(送信信号出力のRMS:Root Mean Squareつまり実効値レベル、すなわち図4横軸の出力レベルが増加することに相当)、送信信号のピーク成分が各CRFしきい値設定で決まるピーク制限レベルを超えてしまうことで、送信信号のピークがクリッピングされてしまいますが、このクリッピング非線形歪が発生してしまう出力レベルまでは、DPDが各TXのPA非線形性により送信信号の振幅と位相に加わる非線形歪を線形化でき、歪改善できていることが確認できます。

更に本検証では、AASの正面方向に単一ビームを放射し、対向アンテナで受信されたAASからの各TX非線形性が加わった送信信号と、AASのTX終段PAの非線形を通過する前の送信信号との間で相互相関を取ることで、希望波信号放射成分「S」を抽出し、「S」の角度スペクトラムを描画しました。そして、水平方向角度ごとの総受信信号(「S」+「I」)から前述した希望波信号放射成分「S」を差し引くことにより、高送信出力電力域でのAASのTX内PAで発生する非線形歪によって支配的に決まるOFDM/マルチトーン非線形歪放射成分「I」を分離し、非線形歪放射成分「I」の角度スペクトラムを併せて描画し、高送信出力電力域での単一ビーム放射下で生成される非線形歪放射の特異性を確認しました。

その結果として、図5に5.2dB/7.2dB/9.2dBのCFRしきい値設定ごとに、DPD ON時に得られたS/I角度スペクトラムを示します。この図5より、非線形歪放射成分「I」は希望波信号放射成分「S」と同じ方向に放射されることが確認できます5)

図5 各CFRのDPD ON時S/I各スペクトル

2.4 高送信出力電力域での複数レイヤビーム放射下で発生する非線形歪放射の特異性について

更に、高出力電力域で複数レイヤの空間多重を行った場合の非線形歪放射が持つ特異性を明らかにするため、図6に示すNPR(Noise Power Ratio)法により希望波信号放射成分「S」とOFDM/マルチトーン非線形歪放射成分「I」を周波数分離することで、空間多重時における複数UTへの複数レイヤ放射時の各UT方向放射の「S」と「I」を分離実測し、複数レイヤビーム放射下で発生する非線形歪放射の特異性を解析しました6)7)

図6 NPR法により複数レイヤビーム放射時のOFDM/マルチトーン非線形歪放射様相を実測した際に使用した試験信号の周波数スペクトラム

NPR法のもとで行ったNotch Out Bandの設定条件としては、図6に示しましたが、本試験実施時の全占有帯域90MHzの中に(4.55GHz±45MHz、4505MHz~4595MHzの90MHz帯域、125Physical Resource Block(PRB)相当、ここで1 PRBは60kHz Subcarrier Spacing(SCS)×12SC=720kHzなので、125PRBは720kHz/PRB×125PRB=90MHz、別表現としては60kHz SCS×1500Subcarrier=90MHz)、複数サブキャリアをOFFとしたNotch Out Bandを生成させ、具体的には30PRB=21.6MHz(4561.88MHz~4583.48MHz)をNotch Outさせ、「S」と「I」としては各送信放射信号有無帯域内で、「S」と「I」ともに各5MHz帯(「S」:4550.81MHz~4555.81MHz、「I」:4562.81~4567.81MHz、「S」の空間多重放射方向は、1レイヤ放射時の水平方向角度としては0°で1方向のみ放射、2レイヤ放射時は0°/-20°の2方向へ空間多重放射、4レイヤ放射時は0°/-20°/+20°/-40°の4方向へ空間多重放射)の各周波数帯域におけるAASからの複数レイヤビームの「S」と「I」の放射方向と放射レベルを、電波暗室内においてAASに対向した受信アンテナに接続したスペクトラムアナライザで直接実測し、「S」と「I」のレベル比からDL SIRを求めました。なお、本試験時の複数レイヤ多重からなる送信信号のピーク電力制限条件としては、放射レイヤ数によらずCFRしきい値を9.2dB設定で固定としました。

空間多重放射時の各送信レイヤ信号(1/2/4レイヤ空間多重時)のPAPRをCCDFで、図7に示します。各レイヤ数放射時はともに実運用時の空間多重状態と同様とすべく、各送信レイヤ信号間の無相関性はDATAスクランブリングにより保証された状態としたため、各TXを通過する空間多重送信信号としてのPAPRは、空間多重レイヤビーム数にかかわらず、1/2/4レイヤともに同じPAPRで示される確率分布となることを事前に確認したうえで、本試験を実施しました。ここで重要な点は、空間多重時の複数放射レイヤビーム数にかかわらず、各TXを通過する多重送信信号のPAPRが同一となるということが、複数レイヤ空間多重放射時の非線形歪放射の特異性を説明するうえで重要となります。

図7 1/2/4レイヤビーム放射時の各TX列を通過する多重信号のPAPR特性

また図7では、水平方向8TX列で構成された各TX列のPAPRも示しています。なお、水平方向8TX列の各垂直方向の4TX(垂直2TXは、それぞれ垂直2アンテナ素子でGroupingされた偏波共用アンテナに給電接続され、同接続対が垂直方向に2段あるため、垂直方向は計4TX存在)の各TXには、本試験では同じ空間多重DL BFWが掛けられた多重信号を通過させたため(非線形歪放射の特異性を明確化すべく、空間多重条件は水平方向のみとし垂直方向空間多重は行わなかったため)、各垂直方向4TX列のPAPRは同一となります。

図8に、1/2/4レイヤビームの各空間多重時における、DPD On/Offでの各送信出力レベル対DL SINRを、NPR法により電波暗室内で実測した結果を示します。

図8 1/2/4レイヤビーム放射時の出力レベル 対 DL SINR

ここで図8の低出力レベル域に関しては、OFDMを構成するサブキャリア間の周波数直交を確保すべく、各サブキャリアの周波数スペクトラムはSINC関数の形(SINCスペクトラム)となり、広い周波数帯域にわたり拡散重畳する様相となるため、低出力域で低歪状態の非線形歪放射成分「I」の周波数スペクトラムは、同SINCスペクトラムの包絡周波数スペクトラムよりレベル的には低くなります。したがって、図8の低出力レベル時のDL SINRが29dBへ漸近飽和しているのは、Notch Out Bandに落ち込む、同Band上下帯域のサブキャリアから被るSINCスペクトラムの包絡周波数スペクトラムで決まる「I」で、SIR一定と見えていることとなるため、非線形歪放射による「I」をとらえてはいないこととなります。よって、NPR法によるDL DINRの代替検証が有効となる送信出力レベル領域としては、非線形歪放射レベルが、前述したNotch Out Band以外のサブキャリアで決まる包絡SINCスペクトラムレベル以上で支配的となる、高送信出力電力域にて非線形歪放射レベルが高くなる領域においてのみ意味を持つこととなります。

すなわち、図8から分かる重要事象としては、高送信出力域での放射レイヤ数ごとの希望波信号放射成分「S」のレベルと、OFDM/マルチトーン非線形歪放射成分「I」のレベルにより求まるDL SINRが、空間多重レイヤ数にかかわらずほぼ同一となる、ということになります。

なお図8にて、最大定格出力電力=0dBを超える出力レベルでの非線形性としては、PAを通過する送信信号のピークレベルが、最大定格出力電力+CFRしきい値9.2dBより上回ることとなるため、同ピークレベルがPAの飽和レベルによってHard Clippingを受け、送信信号ピーク部分が矩形化してしまうことで、高次の非線形歪(5次以上の歪成分)が顕著にPA出力で発生してしまうこととなります。したがって、最大定格出力を上回る高出力レベル領域においては、高次歪をDPDが補正しきれなくなるため、DPD On時のDL SINR改善効果は期待できなくなることから、DPD ON/OFFいずれのDL SINRも同一値に収束することとなります。

そこで、図9に、AASのDPDをONとした場合の複数レイヤ放射時の希望波信号放射成分「S」とOFDM/マルチトーン非線形歪放射成分「I」の角度スペクトラムの実測結果を示します。これは、2レイヤビームにて0°/-20°の2方向への空間多重放射時と、4レイヤビームにて0°/±20°/-40°の4方向への空間多重放射時で、OFDM/マルチトーン非線形歪放射の特異性を顕著に出すべく、それぞれのTX出力を最大定格出力電力0dB+5dBに設定した場合での(主に非線形歪放射によって支配的にDL SINRが決まる出力レベル設定)、NPR法による電波暗室内で実測した2レイヤビーム0°/-20°と4レイヤビーム0°/±20°/-40°放射時の希望波信号放射成分「S」と、OFDM/マルチトーン非線形歪放射成分「I」の角度スペクトラムを示しています。

図9 2/4レイヤビーム放射時におけるDPD ON時のS/I角度スペクトル(NPR法)

図9の結果より、複数レイヤビーム放射時の非線形歪放射も、図5で示す1レイヤビーム放射時の非線形歪放射の特異性と同様、OFDM/マルチトーン非線形歪放射成分「I」としては、各希望波信号放射成分「S」と同じ角度方向に放射され、DL SINRを劣化させる要因となることがわかります。

なお、本検証は、最大定格出力電力レベル0dB+5dBという強い非線形領域で実測したため、DPD ON/OFF間でのS/I角度スペクトルの差異は小さい状態となっています。

2.5 空間多重性能に対する非線形歪放射の影響と送信出力レベルに応じたNull特性の影響並びにAASの空間多重性能に関する改善策

空間多重時における希望波放射に対する非線形歪放射の関与と、空間多重時のNull性能の影響を明らかにするため、NPR法を用いて電波暗室内で実測した、+10°(AASからのUT#1の水平方向角度)と-20°(AASからのUT#2の水平方向角度)の方向への2レイヤ空間多重時のビームパターンを、図10に示します。

図10 UT#1で+10°、UT#2で-20°により空間多重化した際のさまざまなS/I角度スペクトラム、及びNullと非線形歪放射成分「I」のレベルの関係性

なお図10の実測条件としては、2レイヤ放射時の出力電力を最大定格出力レベルより+5dB高くしたうえで(非線形歪放射でDL SINRが支配的に決まる出力レベル設定)、CFRしきい値は9.2dBとし、DPD ON時における2UTへの空間多重放射となるように設定しました。

図10では、上下図ともにAASからUT#1とUT#2への2レイヤ空間多重ビームの希望波信号放射成分「S」としての包絡角度スペクトラムと、同希望波信号放射成分「S」に付随してUT#1とUT#2と同一方向に現れる非線形歪放射成分「I」の包絡角度スペクトラムを示すとともに、UT#1、UT#2へそれぞれ放射される空間多重ビーム中、各1ビームのみに着目した場合の、それぞれのUT方向への角度スペクトルを個別に重ね書きしています。したがって、図10の上図は、2レイヤ空間多重時のUT#2方向-20°への放射パターンと同パターンに付随してUT#1方向+10°方向に形成されるNullを示しており、下図は、2レイヤ空間多重時のUT#1方向+10°への放射パターンと同パターンに付随してUT#2方向-20°方向に形成されるNullを、2レイヤ放射時のS/I包絡角度スペクトラムの上にそれぞれ重ね書きしたものとなります。

図10から分かるように、本実験は非線形歪放射で支配的にDL SINRが決まる高出力電力域に、2UT方向への2レイヤ合計の総TX出力を設定した条件下での2空間多重の実測結果であるため、各UT方向へ生成されるNullレベルを大幅に超えた非線形歪放射成分「I」が各希望波信号放射成分「S」と同一方向に放射されており、各UTへのDL SINRはNullに依存していません。つまり、図10のような高送信出力域で空間多重を行う場合は、非線形歪放射成分「I」が、各空間多重UTへのDL SINRの劣化を支配的に決定してしまうことが確認できます。したがって、図10のような非線形状態が激しい出力条件下で空間多重性能を出すためには、AASへの高性能DPDの実装により、非線形歪放射を改善することが有効かつ必要な対策となります。

しかし、非線形歪放射が既にDPDによって改善されている場合、あるいはDPDなしでも線形性を確保できるような低いDL出力電力域で高い空間多重性能を発揮するためには、空間多重する他UT方向へ形成されるNullの位置やレベル深さによって、各UTへのDL SINRが支配的に決まってしまうため、高精度で他UT方向へのNullを形成させることが重要となります。したがって前述した状況で、高精度なNull形成を行い、高い空間多重性能を発揮するためには、全TXの振幅位相周波数特性を一致させる高精度DL CALを、DPDと併せて実施することが必要となります。

つまり、DPDとDL CALの二重補償機能をAASに実装することによって、広いTX出力電力範囲にわたって、高いDL SINRをもって、空間多重対象となる複数UTへの複数レイヤ伝送が同時刻で可能となり、優れた空間多重性能、すなわち真のMassive MIMOの実現が可能となります3)

3. まとめ

高いDL出力電力域で複数UT方向への空間多重を行う場合は、各UTへの希望波放射成分と同一方向に生成される非線形歪放射成分によって、各UTへのDL SINRは著しく劣化するため、TX PAによって生成される非線形歪を改善すべく、DPDを各TXに実装することが必要となります。

加えて、空間多重時において、各UT方向への放射パターン干渉を抑圧するためには、ZFによって他UT方向へ深いNullを形成する必要がありますが、同Nullの角度や深さを高精度で実現するためには、全TX間並びに全RX間の振幅と位相周波数特性を一致させる、高精度DL/UL CALの実装も必須となります。

したがって、DL送信側で高い空間多重性能を安定確保することを考える場合は、DPDと高精度DL CALの二重補償機能をAASに実装することによって、広いTX出力電力範囲にわたって、高いDL SINRをもって空間多重対象となる複数UTへの複数レイヤ伝送が同時刻で可能となるため、DPDと高精度DL CALの二重補償機能は、広範なTX出力電力範囲にわたって高い周波数利用効率を実現する優れた空間多重性能(Massive MIMO)を、5G向けSub6GHz帯AASで実現するうえで、非常に有効かつ必須機能であるといえます。

4. 謝辞

本稿に記載している内容は、総務省が公募した研究開発課題「第5世代移動通信システム実現に向けた研究開発」での成果の一部を含んでいます。

参考文献

  • 1)
    Takuji Mochizuki et al.: Development of Low-SHF-Band Massive Element Active Antenna for 5G Mobile and Wireless Communications System, IEICE Society Conference, BCS-1-9, 2016.9
  • 2)
    Takuji Mochizuki et al.: Development of 4.65GHz Band Massive Element Active Antenna for 5G, IEICE General Conference, B-1-119, 2018.3
  • 3)
    Takuji Mochizuki et al.: Development of 4.65GHz Band Massive Element Active Antenna with Digital Predistortion (DPD) for 5G, IEICE Society Conference, BS-1-3, 2018.9
  • 4)
    Takuji Mochizuki et al.: A study of the Specificity of Nonlinear Distortion Radiation in Multitone Transmission using 4.65GHz Band Massive Element Active Antenna System for 5G, IEICE Technical Report on Technical Committee on Antennas and Propagation, A・P 2018 -178, 2019.2
  • 5)
  • 6)
    Tadashi Takagi et al.: Intermodulation and Noise Power Ratio Analysis of Multiple-Carrier Amplifiers Using Discrete Fourier Transform, IEICE TRANSACTIONS on Electronics, vol. E77-C, no.6, pp.935-941, 1994.6
  • 7)
    Masatoshi Nakayama et al.: Distortion Calculation method of Microwave Amplifier: Mitsubishi Electric Technical Report, vol.71, no.10, pp.69-71, 1997

執筆者プロフィール

望月 拓志
ワイヤレスアクセス開発統括部
シニアプロフェッショナル