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DNAを用いた個人識別とその技術

Vol.63 No.3 2010年9月 パブリックセーフティを支える要素技術・ソリューション特集

本特集で述べられているように、NECでは指紋・掌紋・顔の照合製品の開発を行っています。これらの製品に加え、数年前から「現場で実施可能なDNA解析装置」の研究・開発を行っています。この装置を、従来の指紋・掌紋・顔照合装置とともに用いることにより、複合的な照合システムとなり、安全・安心な世の中の実現に貢献します。

1. はじめに

DNAを用いた個人識別では、ヒト遺伝子を解析し、個人を識別します。この方法では、1~5兆分の1の割合で、個人を特定することができ、非常に高精度な鑑定を可能とします。本稿では、鑑定の方式について、その基本的原理を説明し、「1~5兆分の1で個人を特定できる」根拠と、現場で実施可能なDNA解析装置へのNEC の取り組みについて紹介します。

2. DNA鑑定の基本

ヒトの細胞には核が有り、核の中には、染色体があります。核には、23対46個の染色体が存在します。46個の染色体のうち、23個の染色体は父親由来、残りの23個の染色体は母親由来です。対の染色体は、大きい方から1番染色体と呼び名が割り当てられています*1。各対のどちらが父親由来か母親由来かは決めることができません。

1つの染色体は、2本の「鎖状分子」が絡まったものです。1本の「鎖状分子」は、4種類の塩基が、直線状に連なった分子です。一番大きい1番染色体では、約2億8000万個が連なっています。23個の染色体の総塩基数は約30億個です。「鎖状分子」の30億の塩基には、生物であるために必要な情報がすべて詰まっています。したがって、血液型や遺伝病の情報も「鎖状分子」の塩基列に、含まれるわけです。

30億の塩基対の情報のうち、3%ほどの情報がタンパク質の設計図として使われ、残りの部分の一部は生命メカニズムをシステム的に動作させるための信号として使われています。残った部分は、(現在わかっているところでは)生命メカニズムには、関与しない部分です。

ヒトの染色体には、マイクロ・サテライトと呼ばれる、繰り返し配列が多く含まれています。マイクロ・サテライトのうち、生命メカニズムには関与しない部分を、ヒトのDNA鑑定に用いられています。つまり、ヒトのDNA鑑定の情報には、個人に固有の情報が含まれますが、血液型や疾病に関連する情報は含まれません。

マイクロ・サテライトにはさまざまな種類が有りますが、ヒトのDNA鑑定には、4塩基(もしくは5塩基)の繰り返し配列の部分を用います。例えば、ヒトのvWAと呼ばれるマイクロ・サテライト部分(遺伝子座)は、12番染色体に含まれる、4塩基の繰り返し配列で、繰り返し回数が10回~25回であることが知られています。vWAと呼ばれる遺伝子座には、「10回繰り返し型」「11回繰り返し型」「12回繰り返し型」…「25回繰り返し型」があることになります。また、12番染色体が2本(父親由来と母親由来)あるので、各個人はvWAの遺伝子座には、2つの遺伝子型をセットで持ちます。例えば、{「11回繰り返し型」,「15回繰り返し型」}。ヒトの個人識別には、このような遺伝子座を12座、それに加えて性染色体の、合計13座の遺伝子を解析することによって行われます。

次に、このような遺伝子座を解析することによって、どのくらいの識別能力が得られるかを説明します。例えば、A遺伝子座に、10種類の型があったとします。例えば、「10回繰り返し型」「11回繰り返し型」…「19回繰り返し型」の種類を仮定します。簡単のために、これらの型の発生頻度が等しいとすると、あるヒトに「18回繰り返し型」が含まれる確率は、1/10となります。ある個人のA遺伝子座には、2つの遺伝子がセットになっているので、{「10回繰り返し型」,「15回繰り返し型」}の組み合わせなどとなります。A遺伝子座に関し、網羅的にすべての組み合わせを考えると、全部で、10種類×10種類で、100種類と思えるかもしれませんが、父親由来と母親由来の区別が出来ないので、全部で約半数の55種類になります。すなわち、あるヒトの遺伝子型が、{「10回繰り返し型」,「15回繰り返し型」}になる確率は、{「10回繰り返し型」,「15回繰り返し型」}と{「15回繰り返し型」,「10回繰り返し型」}の2つ事象が縮退していると考えると、(1/10)×(1/10)+(1/10)×(1/10)=1/50となります。あるヒトの遺伝子型で、同じ遺
伝子が2つセットになる確率は、例えば{「11回繰り返し型」,「11回繰り返し型」}などは、(1/10)×(1/10)=1/100となります。したがって、あるヒトのA遺伝子の遺伝子座のタイプの出現確率は、最大でも1/50の確率でしか起こり得ないことなります。

犯罪現場にあったサンプルについて、1つの遺伝子座を解析したとき、特定の個人と型が偶然に合致する確率は、最大で1/50となります。ここで、このような遺伝子座を12個同時に解析したとき、「12個すべての遺伝子座の型が偶然に合致する確率」は、ざっと計算すると(1/50) 12は約1/(2.4×10 20)となります。実際には、遺伝子の繰り返し回数の発現頻度の偏り、遺伝子タイプが10種類以下などのことから、13遺伝子座(12遺伝子座+性染色体)の場合は、1/(1~5×10 12)程度と考えられています3)。この数字は、全世界の人口が70億(7×10 9)人と比較しても、かなり大きいことが解ります。つまり、犯罪現場にあったサンプルの遺伝子型と、同じ遺伝子型のヒトを偶然に見つかるのは非常に珍しく、もし一致するならば同一人物からと考えても良さそうだと考えられます*2

  • *1
    例外として、21番目と22番目の大きさは、入れ違っています。
  • *2
    親類関係にあると、一致する確率はより高くなります。また、一卵性双生児の場合は、遺伝子型は、完全に一致します。

3. DNA鑑定装置

米国FBIは1998年に、「複合DNAインデックス・システムCODIS(Combined DNA Index System)」と呼ばれるシステムを立ち上げ、犯罪に絡むヒトDNA情報を蓄積してきました。CODISは2010年7月現在で約900万件のデータを蓄積し、安全・安心な世の中の実現に寄与しています 。日本でも同様なデータベースが整備されています。約900万件の規模から解るように、DNA解析は確立された技術です。しかしながら、解析機器のサイズが大きく(小型の冷蔵庫程度)、管理された実験室環境を必要とします。また、解析時間も約半日必要と言われています。そこで、解析装置を小型・高速化し、犯罪捜査を迅速化するために、FBIなどが中心となって、2010年あたりから、「現場で実施可能なDNA解析装置」の開発プロジェクトが立ち上がりつつあります。

NECでは、「現場で実施可能なDNA解析装置」の必要性を見越し、数年前から開発に着手してきました。開発においては、DNA解析メカニズムの高速化と小型化だけではなく、使い捨て可能な解析用分析チップのコスト低減、コンタミネーションの防止、取り扱いの簡便性、長期保存性など、現場の実情を考慮しています。高速化と小型化の目標としては、解析時間を約30分、サイズをスーツケース大としています。写真1に2007年度に開発したアタッシュケース大の装置1)と、2008年度に開発したスーツケース大の装置を示します2)*3。2007年度のアタッシュケース大の装置では、1~2の遺伝子座の鑑定でした。2008年度以降は、後で述べますように、新規に光学系を開発することにより、8~16の遺伝子座の鑑定が可能となりました。

写真1 プロトタイプ外観

装置は、図1図2に示すように、大きく4つの要素から構成されています。解析の工程を以下に示します。

図1 DNA解析の各工程
図2 作成中のチップの概観
  1. 検体の収集では、綿棒などを用い、口腔内から内頬粘膜細胞を採取します。この綿棒を小型の専用容器に入れ、あらかじめ封入してある試薬を用いて、細胞を破砕し、DNAが溶出した溶液を作製します。
  2. DNA抽出工程部分では、市販されている磁性体ビーズを利用します。この磁性体ビーズ表面は、DNAと良くなじむ特性が有るので、DNAが溶出した溶液と混合することにより、DNAがビーズに絡め取られます。その後、ビーズを洗浄します。ビーズは磁性体であるので、磁石を用いて簡便に固定化することができます。その後、DNAのみを次の工程の槽に移送します。
  3. PCR工程では、DNAを増幅します。このときに、特定の遺伝子座のみを増幅する試薬を用います。図2に示すように、8つの遺伝子座を調べるために準備した8カ所のPCR反応槽へ、PCR試薬とともに分注します。実際には、各PCR槽には、2種類の試薬を用いることによって、一度に16(=2×8)種類までの遺伝子座を解析することができます。写真2に示すように、PCR反応槽の直下には、ペルチェ素子で制御された金属部材があり、98℃→58℃→72℃→98℃の温度変化サイクルを行います。1回の温度変化サイクルにより、「遺伝子座の繰り返し部分のDNA」のみを2倍することができます。このDNA増幅は、生物の細胞分裂のときに起こっているDNA複製の工程を人工的に行っているものです。温度変化サイクルを30回程度繰り返すことにより、指数関数的にDNAを増幅することができます。これまでに、約20分で分析に充分なDNA量を増幅できることを確認しています。従来の装置では、一度に96サンプルを同時に処理する大きさの金属部材を用いるために、図3に示すように、温度変化が緩慢でした。本装置では、金属部材を超小型にすることにより、熱容量を小さくし、高速化を実現しました。
    写真2 PCR槽の領域に設置されている熱伝達ピン
    図3 既存PCR装置とプロトタイプPCR装置による温度サイクル速度の比較
  4. 次の工程では、「増幅した遺伝子座の繰り返し部分のDNA」の長さを計測し、繰り返し回数を特定します。長さ計測のために、ポリマーを充填した非常に細い(100μm)流路にDNAを導入し、高電圧を印加します。DNAは負電荷を帯びているために、電圧を印加することによって、正電極方向に泳動されます。電気泳動によって、短いDNAが短時間で検出ポイントに到達し、長いDNAは遅く検出ポイントに到達します。到達時間を計測することによって、DNA長を計測できます。DNA長に基づいて、各遺伝子座の繰り返し回数を特定できます。この工程を約5分で解析を完了することができます。
    検出ポイントでの検出のために、新規に分光部品を開発しました。従来の1/10程度の大きさです。小型化のために、新規に非球面レンズを作成しました(写真3)。これにより、光量のロスを少なくすることができました。
    写真3 新規開発分光部品

以上述べたすべての工程を順に行うことにより、約30分程度の短時間で、現場でDNA解析を行うことができます。

本装置では、各工程間で溶液の移送技術が重要となっています。パターンを埋め込んだシリコーン・ゴム・フィルムを積層して、溶液輸送流路や溶液の動作を制御するバルブを実現しています。

  • *3
    これらの装置は、アイダエンジニアリング株式会社との共同研究で開発しました。

4. おわりに

究極の個人識別方法として期待されているDNA解析ですが、解析機器のサイズと管理された実験室環境を必要とすることから、現場で解析を行うことができませんでした。また、約半日の解析時間を必要するために、機敏な捜査には不向きでした。

NECでは、数年前から「現場で実施可能なDNA解析装置」の開発に着手しています。この装置を、指紋・掌紋・顔照合装置とともに用いることにより、複合的な照合システムとなり、安全・安心な世の中の実現に大きく貢献します。

参考文献

  • 1)
    M. Asogawa, M. Sugisawa, et al. "Development of portable STR analysis system aiming on-site screening", Proceedings of International Symposium on Human Identification, (2007).
  • 2)
    M. Asogawa, M. Sugisawa, et al. "Development of portable and rapid human DNA analysis system aiming on-site screening", MicroTAS 2008, vol. 1, pp.1072-1074. (2008).
  • 3)
    John M. Butler, "DNA 鑑定とタイピング", 共立出版,P407.(2009).

執筆者プロフィール

麻生川 稔
官公ソリューション事業本部
第二官公ソリューション事業部
エキスパート