空間分割多重を用いた28GHz帯マルチユーザー分散Massive MIMO

Vol.75 No.1 2023年6月 オープンネットワーク技術特集 ~オープンかつグリーンな社会を支えるネットワーク技術と先進ソリューション~

本稿では、トランシーバ回路の追加なしで実施可能な校正を用いた28GHz帯マルチユーザー分散Massive MIMO(大規模マルチプルインプット、マルチプルアウトプット)の実証実験について紹介します。ミリ波を用いる従来の集中Massive MIMOは見通し外環境下で堅牢性が低く、伝搬パスの独立性が不足しているため同時接続ユーザー数が制限されます。今回新たに開発した分散MIMOシステムは、デジタル信号とアナログ信号の混合信号処理ユニットに接続された8個の分散アクティブアンテナで構成されます。分散MIMO用に開発した校正方法は、プリコーディング精度を改善し、同時接続ユーザー数とセルスループットを向上させます。NECでは、2台、4台、6台のユーザー端末で、アップリンクからダウンリンクへのチャネルレシプロシティを用いたゼロフォーシング空間多重化の検証を、実際のOTA(Over The Air:無線経由)事務所環境下で行いました。この分散MIMOは見通し外環境下において、高い堅牢性と、合計6ユーザーの同時利用時における帯域幅100MHzあたり2.1Gbpsのシステムスループットを実現しました。

1. はじめに

Beyond 5G/6Gのモバイルアクセスサービスでは、セルスループットと同時接続ユーザー数の向上のためMassive MIMO(大規模マルチプルインプット、マルチプルアウトプット)で使われているSDM(空間分割多重)技術が不可欠です。また、ミリ波を利用するメリットは、広い周波数帯域幅を利用することでセルスループットを更に改善できることです。Massive MIMOには、アナログ及びデジタルという2種類のビームフォーミング方式があります。アナログビームフォーミングは、少数のADC(アナログ-デジタル変換回路)とDAC(デジタル-アナログ変換回路)で実装が可能ですが、ヌル形成がないためアクセス数とセルスループットが制限されます。これに対しデジタルビームフォーミングでは、信号の振幅と位相をデジタル方式で制御し、ヌルを形成することでセルスループットの向上を可能にします。しかし、ミリ波におけるデジタルビームフォーミングは、直進性やシャドウイング、伝搬損失などに起因する有効マルチパス数の制限など、さまざまな障害による制約を受けます。

集中MIMO(C-MIMO)はMassive MIMOの実装方法のひとつであり、複数のアンテナ素子を搬送波波長のおよそ半波長間隔でシステム内に配置します。これに対して分散MIMO(D-MIMO)は、幾何学的に離して複数のアンテナを配置し、SDM性能を最大化できるよう各アンテナそれぞれに有効なマルチパスを確保します1)-4)

本稿では、28GHz帯D-MIMO用無線ユニット(RU)の設計と実装、そして新たに開発した分散アンテナに対する校正方法について解説し、更にOTA(Over The Air)で測定した、複数ユーザー同時接続時のアップリンク(UL)からダウンリンク(DL)へのチャネルレシプロシティを紹介します。

2. 28GHz帯D-MIMO用試作機

NECは、1個のUL/DL MSP(混合信号処理)ユニットと8個のDA(分散アンテナ)ユニットからなる、28GHz帯D-MIMO用試作機を開発しました。このAP (アクセスポイント) D-MIMO試作機のブロック図を図1に、仕様をに示します。

図1 D-MIMO試作機のブロック図

表 D-MIMO試作機仕様

MSPユニットには、8個のADCと8個のDACを搭載した、Xilinx ZU29DRのフィールドプログラマブルアレイが搭載されています。DACはTX(送信) IF(中間周波数)信号を直接生成し、ADCはRX(受信) IF信号を直接受信します。MSPユニットとDAユニットには、TX IF信号とRX IF信号、3.3GHz LO(局部発信器)信号、TDD(時分割二重制御)信号、RF(高周波)IC(集積回路)制御信号、そして、24V DC電源を多重化する新設計の6重マルチプレクサが搭載されています。TX/RX IF信号の周波数は、ケーブルでの損失低減のために、1.5GHzにしています。よって、各DAユニットは20mの同軸ケーブル1本のみでMSPユニットと接続し、ケーブル長内の任意の位置に配置できます。

図2に示したDAユニットは、素子間隔を28GHzの半波長で並べた、8素子導波管アレイアンテナを搭載しています。この8素子アンテナは、可変増幅器と位相器を統合した65nmプロセスCMOSによる8チャネル双方向トランシーバICと接続されています5)。DAユニットは、元の3.3GHz信号を8逓倍して生成したLO信号と混合することにより、IF信号を28.25GHz RF信号に変換します。DAユニットのEIRP(等価等方放射電力)は22dBmです。

図2 DAと8素子導波管アレイアンテナの外観

デジタル信号処理部はプリコーディングされたDLデジタルベースバンド信号を生成します。DLとULの信号は、サブキャリア間隔と信号帯域幅を除き、3GPP TS 36.211規格6)の仕様に基づいたパラメータのOFDM(直交周波数分割多重方式)で変復調されます。

3. D-MIMOの校正

C-MIMOのような従来のMIMOに搭載されるトランシーバでは、すべてのトランシーバ間で位相と振幅が同じになるよう校正しています。これを絶対校正と呼ぶことにします。この校正を実現するため、従来のMIMOはRF信号を測定する校正回路を内蔵しています7)。そして絶対校正は、工場または運用現場で実施します。

これに対し、D-MIMOシステムでは、絶対校正は実施しません。DAが分かれているため、校正回路をRUに組み込むことができないためです。更に、D-MIMO信号の位相と振幅はMSPとDA間の同軸ケーブルの長さと形状により変化するため、工場での校正では効果的なビーム生成に十分ではありません。

NECは、D-MIMOに適用可能で十分なDL SDM品質を実現する、新しい校正方法を開発しました。この校正方法では、図3に示すような外部プローブアンテナを用いて、OTA伝送のDL/UL校正信号を測定します。校正信号はZadoff-Chu系列を使用し、混信を防止するためDAごとに異なるサブキャリアを割り当てます。この校正信号は、すべてのDAを校正するため、プローブアンテナの位置と方向を変えて複数回(N)測定します。

図3 実験におけるD-MIMO校正のためのアンテナ位置

k番目のプローブアンテナの位置と、DA-iと呼ばれるi番目のDA間の校正測定から推定されるDLチャネル係数は次の式で表せます。

数式画像

この時、hk,iはDA-iからk番目のプローブアンテナへの実際の伝搬チャネル、gtx,iはDA-iの送信機の複素増幅利得であり、k=0,1,…,N、i =0,1,…,8の値をとります。同様にULチャネル係数は次の式で表せます。

数式画像

この時、 grx,iはDA-iの受信機の複素増幅利得です。DA-iの校正パラメータは次の式で算出できます。

数式画像

記号*は、複素共役を表します。(3)は、ゲイン比grx,i/gtx,iの伝搬減衰による加重平均を意味します。加重平均することで、大きなノイズを伴う大幅に減衰した校正信号の影響を減らせるため、校正の精度を向上できます。校正パラメータは校正信号が配置されたサブキャリアの周波数ごとに得られ、TXの時間・周波数ドメインOFDM信号に乗算されます。

今回の測定では、通信エリアのほぼ中央にプローブアンテナを配置し、図3で示すように8方向(N=8)に変更します。この測定では外部プローブアンテナを使っていますが、DAを用いて自己校正することも可能です8)

4. OTA測定

実際の事務所でのDAとUE(ユーザー装置)の配置を、図4に示します。UEは、AP D-MIMOシステムと同じアーキテクチャを採用しています。同じ周波数でUEの同時接続する台数を変えることにより、ULからDLへのチャネルレシプロシティを評価しました。UEの同時接続台数は2台、4台、または6台で、各UEは1レイヤを用いて通信します。

図4 事務所環境での測定配置

実線矢印と点線矢印は、それぞれアンテナ方向、及びDAとUEの位置を示します。UE-0のデスク1~15からの方向は右向きで、それ以外は左向きです。

4.1 測定の設定と手順

測定では、図4に示した通信エリアの四隅に、DAを2個ずつ、計8個を配置しています。DAの高さは、床から約1.7mです。

最大6台のUE(UE-0~UE-5)をデスクに割り振っています。UEの高さも、床から約1.7mです。UE-0~UE-1とUE-0~UE-3は、それぞれ二重化、四重化に使用します。UE-0はデスク1~デスク27へ掃引し、測定エリア全体のマルチユーザー・チャネルレシプロシティを評価します。その他のUEは、図4に示したデスクに位置を固定とします。

AP D-MIMOは、まずUEからのUL信号を受信し、チャネル係数を得ます。続いて、ULチャネル係数を使用したZF(ゼロフォーシング)法でプリコーディングウェイトを算出し、デジタル信号処理部内でDL信号と乗算します。DL信号は、4位相偏移変調(QPSK)を使用します。各UEのEVM(変調精度)は、OTA通信で受信したDL信号から計測します。EVMの計測は、UE-0が図4に示したデスク1からデスク27の間を移動するたびに繰り返します。

4.2 測定結果

図5は、4台のUEを同時接続した状態で計測したDL EVMのヒートマップです。ヒートマップの各セルは1から27までのデスクとUE-0との位置関係に対応し、各UEで測定したEVMを表します。EVMはいくつかの位置で劣化するものの、ほとんどの位置でおよそ-20dB以下です。

図5 4台のUE接続時のEVMヒートマップ

以前の実験の場合、中心周波数でのみ校正したD-MIMO試作機は、2台のUEを接続した状態でEVMが-14dBとなり、信号帯域幅に応じてEVMが低下しました1)。今回の実験のEVMは以前より改善しています。これは、新たに開発した校正方法が位相と振幅に関するDAの周波数依存性を補正するためです。

図6は、同時接続したUEの数とSTP(システムスループット)の関係を示したものです。STPは全UEの合計スループットであり、5G New Radio信号を帯域幅100MHzで使用したと仮定して、EVMの実測値をもとに算出した推定値です9)。図6の赤線と青線は、図4のように、実験エリア内に金属板がある状態とない状態で測定したD-MIMOのSTPをそれぞれ示しています。金属板のある状態のSTPは、金属板のない状態と比べて高くなっています。これは、信号の混入が金属板によって低減したためと考えられます。

図6 D-MIMO OTA実験から推定したシステムスループット

D-MIMOとC-MIMOを比較するため、STPの測定には、図4に緑の矢印で示したように、8個のDAを3cm間隔で一列に並べたD-MIMO試作機を使います。一般的にC-MIMOでは、アンテナは無線周波数の半波長の間隔で配置されますが、D-MIMO試作機ではDAの幅が3cmあるため、28GHzの半波長でDAを配置することができません。このため、このようにDAを配置した試作機を準C-MIMOと呼ぶことにします。図6に示すように、金属板のある準C-MIMOでの測定は、ないものと比べてSTPが低くなります。これは見通し外通信によるものです。

加えて、フェムトセル基地局のSTPの検討も行いました。この測定では、1つのDAを1つのフェムトセル基地局と仮定して、SDMを使わずにそれぞれ1台のUEと接続します。UE-0とUE-1はそれぞれDA-1とDA-5に接続します。図6の緑色の線はフェムトセル基地局のSTPを示します。信号の混入により、UE2台接続時のSTPは1台接続時から増加せずほぼ一定です。

5. むすび

本稿では、新しく開発した校正方法を用いて、AP 28GHz帯マルチユーザーD-MIMOの実験による検証を行いました。D-MIMOは、6台同時接続時に100MHzの帯域幅あたり2.1GbpsのSTPを達成し、準C-MIMOとフェムトセル基地局より高いSTPを示しました。加えて、この実証実験で、D-MIMOは、見通し外環境で高い堅牢性を示しました。

従来のC-MIMOでは、UEの数をK、APのトランシーバの数をMとした時の比率がK/M=1/4となるのが、マルチユーザーMIMOの運用に適した条件です7)10)。これに対して、D-MIMOシステムでは、図6で示すように、各UEが十分なスループットを得られる条件はK/M=1/2となり、C-MIMOより多くのユーザーと同時通信できることがわかります。

本研究によって、D-MIMOは屋内や人の密集した屋外において、ミリ波を用いたBeyond 5G/6Gのセルスループットを向上させる可能性のあることがわかりました。

6. 謝辞

東京工業大学の岡田健一教授、並びに同研究室のメンバーにはコアチップの試作と技術面の協議などに多大なご協力、ご助言をいただきました。記して感謝申し上げます。

参考文献

執筆者プロフィール

田和 憲明
ワイヤレスアクセス開発統括部
プロフェッショナル
桑原 俊秀
ワイヤレスアクセス開発統括部
シニアプロフェッショナル
丸田 靖
ワイヤレスアクセス開発統括部
シニアプロフェッショナル
金子 友哉
ワイヤレスアクセス開発統括部
シニアプロフェッショナル