Japan
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世界電子政府ランキングNo.1デンマークにおける
デジタル・ガバメントから学ぶ ~KMDの取組みから~
日本電気株式会社
デジタル・ガバメント推進本部
シニアマネージャー
松見 隆子
1.はじめに
本稿では、国連経済社会局(UNDESA)が2年ごとに発表する世界電子政府ランキングNo.1であるデンマークにおいて、行政デジタル化のコアとなっている主要なデジタル基盤について概観するとともに、その構築を行った同国最大のIT企業であるKMD社についても紹介していきたい。
高福祉国家として知られるデンマークでは、医療や教育は無償、所得代替率の高い社会保障給付、充実した育児支援など、高水準の社会保障サービスが提供されている。
人口は約584万人(デンマーク統計局)と兵庫県や福岡県などと同規模で、面積は九州とほぼ同じという小さな国であるが、一人当たりGDPは日本の約1.6倍、逆に貧困率は日本の半分以下と、市民の生活は比較的恵まれており、国連「持続可能な開発ソリューションネットワーク」(SDSN)が発表する世界幸福度調査ランキングでも常にトップレベルとなっている。こうした市民生活を支えているのが、高度にデジタル化された行政システムであり、近年ではデジタル先進国としても知られている。
デンマークの行政機構は、日本と同様に3層構造となっており、中央政府の下に5つの広域圏(Region)、その配下に98市町村(Kommune)が設置され、基礎自治体であるKommuneを中心に住民サービスが提供されている。
同国における行政のデジタル化は、2001年に策定された電子政府戦略に基づいて開始され、中央政府のみならず、地方自治体を含めたあらゆる行政機構の協働により、行政システム全体の最適化が推進されている。
2.KMD社の沿革
KMD社は1972年に地方自治体の所有する公営企業として設立され、自治体システムの構築を一手に引き受けていたが、地方自治体がより経済的で、より高度なデジタルソリューションを導入できるよう、競争環境を導入することを目的として、2008年12月に民営化された。
民営化後も、KMDはデンマーク最大手のIT企業として、中央政府・地方自治体向けに幅広くソリューションを提供しており、2019年2月からはNECの子会社となっている。デンマーク政府の調達への競争性の導入により公共分野での国内シェアは落としているものの、依然として同社売上の70%は公共部門からの発注であり、またその一方で、ヘルスケアや教育などの民需分野や、近隣諸国への事業展開も進められている。
3.デンマークの行政デジタル基盤
デジタル・ガバメントを実現する上で、①個人データの名寄せに使用する番号、②市民がオンラインでアクセスするためのログイン手段、③行政機関と市民との間で情報を交換する電子私書箱、④給付、納付に使用する口座、が基礎的な基盤として必要となる。デンマークにおいては、図表2に示すとおり、これらすべての基盤整備が完了しており、この中でKMDは公金口座NemKonto(2005年11月~)と、電子私書箱e-Boks(2001年~)のシステム運用を担当している。
NemKontoは全市民に付番されたCPR(デンマークの国民識別番号)に紐づいた銀行口座を管理するシステムであり、年金給付や税金還付、給付金の受取などに利用されている。原則として18歳以上のすべての市民は銀行口座をNemKontoに登録しており、公的給付以外に給与支払いなど、民間企業がこれを利用することも可能となっている。日本でも「公的給付支給等口座についての登録に関する法案」が今年の国会で成立し、今後マイナンバーと連携した銀行口座の活用が可能になるが、登録はあくまでも任意である点がNemKontoとの大きな違いとなる。
また、15歳以上のすべての市民と企業は、公的機関からの通知の受信や書面の交付に、電子私書箱システムe-Boksを使用することが2014年から原則となっており、市民の利用率は92%(15-89歳 2019年)にのぼっている。
e-Boksは全市民が利用するシステムであり、個人宛の情報を扱っていることから、データセンターの運用にあたっては、EUガイドラインを上回る厳しいセキュリティ基準が示されている。
KMDは自社データセンターでの運用実績が評価され、e-Boksはノルウェー、スウェーデン、グリーンランドなどにおいてパブリックデジタルポストとして採用されている。なお、このe-Boksは、2021年11月末から、より効率性とユーザーエクスペリエンスを向上させた次世代デジタルポスト(Next generation Digital Post 以下NgDP)に移行していく予定である。
こうしたオンラインサービスへのアクセスに必要となるのがNemIDであり、ユーザーID、パスワードを入力したあとに、コード(ワンタイムパスワード)を入力してログインする。
今後NemIDに代わって新たなログイン手段であるMitIDが導入されることが決定されており、2021年半ばから導入が開始、NemIDは2022年の初めに段階的に廃止される見込みである。MitIDはスマートフォンまたはタブレットからアクセスできるアプリとして提供される予定であり、ユーザーは、ユーザーIDとパスワードを使用してアプリにログインすることとなる。また、より高セキュリティな用途に対応するために、日本のマイナンバーカードと同様にICチップを埋め込んだデバイスキーによる所持認証の組み合わせも可能となる。ログイン手段がNemIDからMitIDに移行する中で、KMDはMitIDの持つセキュリティの高さとユーザビリティーの向上といった特徴を活かし、これまで以上に安心して利用できるサービスの開発を計画している。
4.デンマークのベースレジストリ
柔軟な政策を迅速に行う上では、社会を構成する市民、法人、国土に関する基礎データを随時参照できるシステムが極めて有用となる。これがベースレジストリと呼ばれるもので、データドリブン型の社会を目指す日本においても議論が活発化しているところである。
デンマークにおいては、データ供給効率庁(The Danish Agency for Data Supply and Efficiency)の「Data Distributor」というプラットフォームにおいて、国民識別番号CPR、法人登録番号CVR、住所、道路、不動産(登記)、地理といった基礎データが提供されている。このシステムは、2017年11月よりKMDが開発、運用を担当している。Data Distributorではすべての基礎データを参照することができるが、データ自体は各データの責任主体により分散的に管理されている。サービスの利用は、行政機関、民間企業双方で可能となっており、不動産売買もオンラインで完結させることが可能となっている。
デンマークでは、基礎データをあらゆる行政機関で共通的に利用することで、縦割りの弊害の除去、「Once-Only」を実現しており、市民や企業が何度も繰り返し、また複数の行政機関にアクセスすることを不要としている。
ベースレジストリに対して行われた投資は、1年強で回収し、15年間で12.5倍の投資対効果(行政コスト削減)をもたらしたとされている。こうした成果の背景には、基礎データに関して制度や行政機関ごとで異なる定義を揃え、未整備データを無くすなどの取組みがあり、日本におけるベースレジストリの整備に対して示唆に富むものと考えられる。
5.デンマークにおけるデジタルユーザージャーニー
すでにデジタル基盤が整備され市民生活にも浸透しているデンマークであるが、同政府は公共部門の一貫性改革(Coherency Reform of the public sector)を進めており、市民中心の公共サービスを可能とする、より一貫性のある行政機構を実現することを目指している。
同国では、デジタル庁を軸とした強い統制のもとで、中央政府、広域圏(Region)、市町村(Kommune)が協力しながらデジタル化を進めてきたところではあるが、伝統的なセクター構造や縦割りが市民の手続きを複雑にしている状況が少なからず残っている。例えば、家族を亡くした場合、葬儀、遺産処分、相続税納付、葬祭給付申請、遺族給付、年金など、それぞれの手続きの届出先が異なっており、市民は個別の手続きごとにオンラインアクセスの入り口を探す必要がある。
こうした状況を改善するために、同政府は様々なライフイベントごとに市民が行政サービスを利用するためのガイドである「ユーザージャーニー」を作成し、「一貫したデジタルサービス」に繋げる取組みが行われている。
この取組みはライフイベントごとに行政プロセスを「ユーザー」である市民の目線で見直し、アクセス先の分散やわかりにくさ、重複、省略可能な手続きなどを洗い出し、必要に応じて制度改定を行いながら行政手続きフロー全体の円滑化、最適化を目指すものである。
企業、従業員、その他の関係者の広範な参画を得て死亡、離婚、転居、失業など10のライフイベントを対象に、一貫性のあるユーザージャーニーの開発が行われ、KMDの子会社であるChaireTango社がUI/UXの設計開発に携わっている。
市民の目線で法制度を最適化しながら、社会全体のプロセス改善を行っている点は、わが国も大いに参考にするべきではないだろうか。
6.デンマークのデジタル・ガバメントの成功要因
わが国のIT戦略は2001年の「e-Japan戦略」が出発点であり、スタート時期はデンマークとほぼ同じであるにも関わらず、デジタルシフトの遅れが顕在化している状況にある。この状況を克服していくために、デンマークの取組みから得られる示唆を整理してみたい。
(1)公的機関が一体となった「一貫性」のあるデジタル化の推進
デンマークにおける最大の成功要因は、「一貫性」を軸とした政府のデジタル戦略が、中央省庁、地方自治体、病院、公立学校、大学などあらゆる公的機関に浸透し、これらの機関が強力かつ継続的に連携してきたことである。
縦割りを乗り越え、様々な機関間でデータ連携が実現できているのは、すべての公的機関が目的や目標を共有し、必要な制度改定を継続的に実施してきたからと言えるだろう。
将来を見据えたデジタル戦略の実現を各機関が一丸となって真摯に進めてきたことについては、同国公的機関の関係者が異口同音に語るところである。
(2)ユーザー目線での行政プロセスやデータの標準化
デジタルサービスが市民の日常に浸透している背景には、「ユーザー目線」に立ち、行政プロセスの見直しを進め、利便性と効率性の両立を実現してきた歴史がある。市民がアクセスする様々な公的機関においてデータの共有や連携を可能とするために、共通的なデータの定義、標準化されたデータフォーマット、共通のITアーキテクチャ、セキュリティ指針、プライバシー保護指針などが整備され、これによって、公的分野のデータ共有や利用が進み、継続的な市民サービスの向上が可能となっている。
また、こうしたプロセス改革や標準化の取組みを行う過程で、国民の代表者である国会での議論を尽くし、国民の理解と信頼を得ながら法制度整備を行ってきたこととも、結果として市民満足度の高いデジタルサービスソリューションの提供に繋がっていると言えるだろう。
日本においては、所轄省庁ごとに法制度整備が行われ、内閣法制局において条文の整合はとられるものの、国民目線で複数制度の最適化が行われることはまれである。所轄の異なる制度間でのデータ分断が行政DXを阻む大きな要因となっている。
(3)法整備によるデジタル化の推進
デンマークにおいて、デジタルシフトが加速した契機となったのは、2014年からe-Boksの利用が義務化されたことにより、あらゆる行政機関からの通知が郵便から電子メールに切り替わったこと、また、一般的な行政手続きはオンラインサービスを利用することが定められたことであった。デジタルの利用が義務化されたことにより、行政と市民のやりとりは92%、行政と企業間は100%のデジタル化を実現している。デジタル化の推進にあたり、過度にデジタルデバイドを恐れることなく、ITリテラシーの向上に必要な操作支援等の取組みやデジタル委任制度の実施など、様々なデジタルインクルージョン対策との両輪で進めてきたことも成功の一因と考えられる。
また、2018年には「デジタル対応の法律(Digital-ready legislation)」が制定され、すべての法律においてデジタルへの対応を求める7原則が定められた。立法過程においてデジタルの視点でアセスメントすることで、デジタル化のボトルネックを予め排除しておく取組みは、日本においても参考となるであろう。
7.最後に
デンマークではデジタル化の推進や行政DXを進めるにあたって、「一貫性」やユーザーの視点を中心におくことが徹底されている。また、デジタル化の目的や目標を、関係機関や国民との間で共有し、相互の信頼関係を軸に政策を推進していることが成果に結び付いている。市民中心のDXの好事例であると言えよう。
日本においても、9月にデジタル庁が設置され、行政DXが強力に推進されていくことになる。明快なビジョンのもとに、国民目線の取組みが進むことを期待したい。行政デジタル化の遅れによるボトルネックが解消し、民間のDXを支えていくようになれば経済活性化の効果も期待できるだろう。
デンマークでは、新たなデジタルID(MitID)や、新たなe-Boksへのリニューアルなど、デジタルへのニーズ拡大に合わせた取組みが進められている。今後もデンマークでの先行的な取組みを参考にしながら、日本における社会全体のDXに貢献できれば幸甚である。
- ※本コラムは、一般社団法人行政情報システム研究所の許諾を得て、機関誌「行政&情報システム2021年8月号」に掲載された記事を再掲しました。