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世界中の子どもへ法的人格を与え、公平に公的サービスを届ける社会を築く新生児指紋認証
NECの最先端技術2019年6月20日

NECでは、ケニア共和国において新生児指紋認証の実証実験に世界で初めて成功しました。新生児の指紋認証には、どのような意義があり、社会へどのように貢献するのか。研究者に詳しく話を聞きました。
世界中の子どもへ適切な公的サービスを確実に届けるために

主任研究員
幸田 芳紀
― 新生児の指紋認証は、なぜ重要なのでしょうか?
私はこれまで、指紋認証をはじめとする生体認証技術に20年以上携わってきました。その中でも、国民IDシステムは数多くの国でご活用いただいているシステムです。たとえばインドでは、10億人にのぼる国民一人ひとりの生体情報を固有のIDとしてご活用いただいており、自らの存在をもって身分を証明することが可能となっています。生体認証技術に携わってきたことで、一人ひとりに公平に公的サービスを提供できる社会づくりに貢献できたことをうれしく思っています。
国際連合が提唱した持続可能な開発のための2030アジェンダ「SDGs(Sustainable Development Goals)」では、その16.9項において「2030 年までに、すべての人々に出生登録を含む法的な身分証明を提供する」という目標を掲げています。実際、いまも世界には戸籍をもたない人々が10億人いるといわれています(注1)。法的な人格(リーガル・アイデンティティ)を持たない人が、世界にはまだこれだけたくさんいるわけです。出生証明・出生登録に端を発するリーガル・アイデンティティが無ければ、本来その国の国民がもつ権利である教育、医療、福祉など、さまざまな公的サービスを享受する機会を失ってしまいます。たとえば、自分がその国の国民と証明できなければパスポートを取得することもできず、海外へ行くこともできません。また、就業機会が与えられないという事態にもつながりかねず、貧困脱却の阻害要因になります。
この状況を改善するために、生体認証技術は大きな役割を果たすことができると考えています。世界には政府による国籍管理が、システム化の側面でまだ十分に整っていないという地域もあります。また、偽造行為の横行によってIDカードそのものの信用性が低い場合もあります。紛失の心配もなく、信頼性も高い生体認証技術は、先端技術で複雑な課題の解決を望む地域に対して非常に効果的な技術です。NECでも、インドをはじめ、南アフリカ共和国などへ国民IDシステムを納入してきました。
しかし、実は数多くの国民IDシステムは、対象年齢に新生児や乳児、幼児(注2)を含んでいません。これは子どもを対象とした際の技術的な難易度など、さまざまな課題からくるものですが、私としては技術的な問題を解決することで、どうにかしてこの壁を越えなくてはならないと考え続けてきました。なぜなら、生後間もない段階で出生証明・出生登録を実施することが、将来にわたって自身を証明するリーガル・アイデンティティを確保するために非常に重要だからです。また、赤ちゃんは自分で自分の名前を言うことができませんし、自らIDを提出することができません。しかし、生体認証であれば、ただそこにいる赤ちゃんの身体によって本人であることを証明することができるのです。赤ちゃんこそ、生体認証の特長を最大限に利用して、恵まれない環境や悪意から守られるべき存在だと考えていました。
世界には5歳未満で失われる命が560万人いるといわれています。さらに、そのうちの280万人は生後1カ月以内に亡くなっています(注3)。この背景に存在している課題の一つは、ワクチンによる予防接種が適切に実施できていないという問題です。新生児は生後14週までの間に接種するべきワクチンが集中していて、しかるべきタイミングで確実にワクチンを接種することが推奨されています。各国が子どもの命を守るため懸命に活動していますが、実際の現場では、まだ予防接種の計画・履歴管理が不十分で「いつ」「誰が」「どのワクチンを」「うけた・うけるべきか」がわからず、ワクチンを子どもに届けられない場合があります。加えて、せっかくワクチンが届いたにも関わらず、バス代がないので病院に行けないという場合さえあるのです。それだったらと、国連機関やNGOが子どものもとへ行くわけですが、行ったときにその子が誰かわからないという問題も多く発生しています。最悪の場合、親が亡くなってしまっていて、病院に来られない子どもの身元を確認できない場合だってあるのです。
私自身も国連機関の依頼を受け、発展途上国の支援活動において本人確認の技術的支援をしたこともあります。ある国の政府機関の研究者から、HIVの母子感染の可能性がある子どもへ確実に適切な治療を行いたいという要請を受け、生体認証による本人確認の可能性を検証したこともありました。そのような環境で見た子どもたちの笑顔と、彼ら・彼女たちが置かれた現実とのギャップ。その状況をこの目で見て、この耳で聞いてきました。こうした経験も、国際課題を解決するための有効な手段として新生児指紋認証を実現しなければならないと考えた背景です。
指を出してもらえればその子が誰であるかをきちんと証明できる指紋認証技術によって、生まれた国や地域に左右されることなく、すべての子どもへ法的人格を与える出生証明や出生登録を確実に行える環境をつくること。そして、子どもの成長過程で必要な、国民として得るべき公的な医療や教育機会、社会保障を確実かつ適切に得られる環境をつくること。公平な社会を実現するためにも、研究をきちんと深めていく必要があると考えています。
- (注1)
- (注2)本記事では、新生児を出生~生後1カ月、乳児を生後1カ月~12カ月、幼児を12カ月~6歳としています。
- (注3)UNICEF, “Levels & Trends in Child Mortality Report 2017” P1, October 2017

困難とされていた新生児の指紋認証を世界で初めて実現
― 新生児指紋認証は、なぜこれまで実現できなかったのでしょうか?
指紋は、終生不変・万人不同という特性を持ちます。そのため、新生児の指紋は、紋様の観点では大人の指紋を縮小したものであることは想像できました。しかし、新生児の指紋については先行的な研究が限られていましたし、検証用データも存在しません。新生児指紋認証を実現するためには、まず新生児の指紋が何たるかを理解する必要がありました。
そのためにまず私が始めたのは、さまざまな大学の医学部や看護学部の先生に連絡して思いを説明し、皆様から新生児についていろいろと教えていただくことでした。まだSDGsより前のMDGsが掲げられていた時期だったため国際課題が今ほど周知されておらず、研究のモチベーションを不思議がられたこともありましたね。今となっては良い思い出です。
次に、新生児指紋のデータを集める必要がありました。しかし、それまでの先行調査などで一般的な指紋認証で用いる500ppi (pixel per inch) 程度の解像度の大人用の機器では撮像に適さないことはわかっていましたし、新生児の指紋を適切に撮像できる高解像度の撮像機が存在しないこともわかっていました。無いのであれば、作るしかありません。さまざまなセンサや撮像方法の評価など、試行錯誤を何度も繰り返しながらデータ取得用の試作機を作り上げました。この場を借りて、指導してくれた大先輩に感謝を示したいです。
試作機が完成した後には、少量ながらもデータを集める機会に恵まれました。データを使って新生児指紋の特性確認を行った結果、皮膚表面の状況は単純縮小ではなく、さまざまな特性を持っていることがわかりました。そして、これらの存在が指紋認証の難易度を高くしていたことがわかったのです。
わかりやすい点から言えば、指のサイズが極めて小さいという課題があります。生まれたばかりの子どもの指紋を十分な精度で撮ろうとすると、約1cm四方のエリアのなかに大人と同じ紋様を構成する20㎛未満の線を明瞭に撮像できなくてはいけません。そのため、高解像度のCMOSセンサを使用するのですが、高解像度化だけでは、発汗量の多い新生児の指紋を撮像するには不十分でした。そこで、センサの撮像面にNECが特許を保有している特殊なガラスを張りつけ、指紋を鮮明にとらえる方法を利用しています。これまでの実証実験等の結果を踏まえた結果をもとに、今回は新生児専用の構成として2400ppiの解像度を採用し、撮像に成功しています。

また、当然のことながら、赤ちゃんは自ら大人しく指を目の前においてあるスキャナに乗せてくれるわけではありません。現場のオペレータが手にもつスキャナで赤ちゃんの指を迎え入れつつ、撮像面に指を置いてあげる必要があります。ただ、赤ちゃんは原始反射で手を握ろうとしますし、怖がって泣く子もいますから、常に指紋がブレて撮れてしまうリスクと隣り合わせでした。
そのうえ、赤ちゃんは体内の水分量が非常に多くて肌がやわらかいので、指を撮像面の上に乗せてすこし押さえつけたりずらしたりするだけで、指表面に複数のしわが入って指紋が変形した状態で撮像されてしまいます。こうした弾性変形と言われる現象が、新生児指紋認証を難しくするもう一つの大きな壁でした。 そこで私たちは今回、品質確認を遅滞なく行い、適切な品質の画像のみを抽出するため、従前の研究で、オペレータによる目視確認を前提とし設定していた2fps (frame per second)の撮像フレームレートを7fpsへ設定することでこの問題の解決を試みています。 さらに、弾性変形の防止に対してはハード面からもアプローチしています。スキャン面の両脇に適度な高さの壁を設置することで指を過度に押さえつけづらくし、指紋がつぶれないように設計しました。また、この壁によって撮像面の横幅、奥行を制限されるので、撮像面に置いた指が動かしづらいようにもなっています。このデザインは、近赤外線のLEDを撮像面の両側面へ効果的に配置しようとする際に、弾性変形への対応も加味できるのではという着想から実現しました。こうした工夫をはじめ、最適なハードとソフトを一つひとつインテグレートすることによって、一定品質での新生児指紋撮像を実現することができました。
生後6時間で退院する母子のために、生後2時間後から認証可能に
― 生後どのくらいから登録・認証が可能なのでしょうか?
本スキャナの基本構成は2016年の試作の段階である程度実装されていたのですが、そのときはまだどこまで対応できるかわからない状況でした。それでも実証実験の中で、生後6時間の新生児の指紋紋様を撮像することに成功していました。
しかし、今回の改良では新生児に特化した機能の実装によって、最短で生後2時間の新生児でも撮像できることを実証しました。たかが4時間の短縮と思われるかもしれませんが、実証実験を通じてこの4時間の短縮を実現できたことは非常に重要です。というのも、ケニアで実証実験を続けるなかで目にしたのは、地域によっては出産後6時間未満で病院を退院する母子が数多くいるという事実です。出産後は自宅でゆっくりと過ごす習慣があることや、支えてくれる親族や地域のつながりが非常に強いことが理由だと聞きました。また、病院の環境も日本とは異なっています。たとえば、病室にはエアコンはありませんし、ファンも止まっている場合があります。部屋によっては窓も閉まらなかったり網戸がなかったりするので、マラリアなどの感染リスクもあります。あまり家と変わらない環境なのであれば、家に帰りたいと考えるお母さんたちが多く、6時間くらいでみんな退院してしまうそうです。出産直後の母親が、荷物を持って目の前を歩いていくのを見たときは驚きました。
だからこそ、生後6時間までのあいだに確実に新生児の指紋登録ができるということには大きな意味があります。退院時に本人かどうかを確認して取り違えを防ぐことができますし、この病院で生まれたということを、きちんと証明する出生証明のデータをつくることができます。どこの病院で、自国籍の両親から生まれた子どもであるということを証明できれば、自国民としての出生登録に結びつけ、リーガル・アイデンティティをすべての赤ちゃんに与えられます。残念ながら、国としても、役所に連れてこられた赤ちゃんなら誰であっても国民ですと認めるわけにはいかないわけです。アフリカでは難民の問題を抱えていますし、こうした状況は非常にリアルなのです。

新生児の指紋という前人未踏の分野を開拓
― これからめざしていきたいことは?
そもそも、赤ちゃんの指紋というのは、これまであまり研究されてこなかった分野です。生後12カ月以降は通常の指紋認証を活用できるということは何件か報告されていましたが、生まれてから半年間の指紋の撮像は先行研究も少なく未知の領域でした。現在進めている新たな研究は、まだ現時点(インタビュー時2019年5月23日)では研究開始から14週間たっていない状況です。子どもの指紋が成長に伴いどのように変化していくのか。大人の指紋とどう違うのか。こうしたことを、電磁的記録を用いて解き明かすという側面においても、この研究には大きな意味があると考えています。現在は新生児という断片的な期間の指紋採取と認証しかできていないので、これからは生まれたときから1歳、5歳、というようにきちんと継続して認証できるようにしたいですね。また、指紋の紋様が出生直後から終生不変であることを電磁的に記録されたデータで確認したいと思います。これらの実現には継続的な研究が絶対に必要ですので、注力していきたいと考えています。
もちろん、最終的な目的は、あくまでも新生児や乳児が、きちんと本人であることを、必要とされるタイミングで同定できるということです。今回は指紋に注力しましたが、顔認証などの他の生認証体技術を応用することも想定しています。生体認証を応用して出生証明や出生登録を実現し、すべての子どもに法的人格、リーガル・アイデンティティを与えられるように努力を続けていきたいと考えています。
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