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人工衛星通信の効率化を実現
AIを活用した波形歪補償技術
NECの最先端技術 2025年4月15日

現在私たちが使用している無線通信では一般的に、電波の出力を高める増幅器が使われています。また、増幅の際には無線信号に歪(ひずみ)が生じるため、これを抑える歪補償技術も広く利用されています。NECでは今回、AIを活用した歪補償を開発。はるか上空に浮かぶ人工衛星からの送信のような厳しい条件下であっても、低電力で高精度に歪をキャンセルすることができるという本技術について研究者に詳しく話を聞きました。
約30%の消費電力削減に加え、開発コストを大幅に削減

プロフェッショナル
谷尾 真明
― AIを活用した波形歪補償技術とは、どのような技術なのでしょうか?
谷尾:無線送信機に搭載された増幅器を高効率化させる技術です。一般的に、増幅器には消費電力を増やさなければ信号品質が良くならないというトレードオフが存在しています。このトレードオフを改善するために、増幅器から生じる歪と逆の歪をかけるデジタルプリディストーション(DPD:Digital PreDistortion)という技術が広く使われているのですが、これに独自のニューラルネットワークを用いることによって、より低演算量(=低消費電力)で高精度に歪補償が実現できる技術になっています。AIを活用した波形歪補償技術自体は2022年に発表していたものなのですが、今回は小型人工衛星への実装を見込んだ実証に成功しました。
小笠原:衛星通信では上空数百~数万キロメートルから電波を送信しなければならないので、非常に高いレベルまで送信出力を上げなければなりません。しかし、その一方で人工衛星が使用できる電力は限られています。特に、近年需要が増している小型人工衛星では、電力を得る太陽電池パネルも小型になるため、なおさらです。
谷尾:今回の実証では、NEC内の宇宙衛星事業を進めている部門と連携して、小型人工衛星へ実際に搭載する増幅器を使って、その特性に合わせた歪補償をAIで設計して計算しました。その結果、約30%の消費電力を削減できることが確認できました。
小笠原:加えて、今回は新たに歪補償の回路設計を自動化する技術を開発しています。人工衛星はそれぞれ高度や通信距離が異なるので、歪補償の回路はそれぞれの条件に合わせて設計する必要があります。すなわち書き換え可能な半導体チップであるFPGA(Field Programmable Gate Array)上の回路を各人工衛星の特性に合わせて変更する必要があるのです。一方、歪補償の回路設計には数カ月以上かかるため、開発にかかる期間とコストは大きな課題でした。これに対し、今回開発した自動回路設計ツールでは1時間もあれば最適な歪補償回路を生成することができるので、従来の開発フローを大きく効率化します。
増幅器に最適化された低演算ニューラルネットワークを開発

プロフェッショナル
小笠原 大作
― どのような技術を使って、これらを実現しているのでしょうか?
谷尾:歪補償については、AIを活用して高精度な逆歪のフィルターを作って歪をキャンセルできるようにしています。しかし、ただAIを使うだけでは複雑で多層なニューラルネットワークが必要になり、演算量が膨大になってしまいます。今回の目的は人工衛星用に低演算量の歪補償を行うことでしたから、そのままでは使えません。新しい工夫が必要でした。今回ブレークスルーとなったのは、物理モデルとの組み合わせです。増幅器の物理モデルを活用することによって、ニューラルネットワークの接続に意味を見出せるようになりました。複雑につながった膨大なニューロンの繋がりを丁寧に解釈しながら、増幅器に特化したときに不要な部分となる接続は徹底的に刈り込んで、本当に必要な部分だけを残すことで高効率なニューラルネットワークを創り出すことができました。

小笠原:一般的には、AIというと複雑で膨大な演算を代替するものだと考えてしまうので、通信のようなリアルタイム性が求められるものには向かないと考えてしまいがちです。しかし、谷尾さんは逆に、AIをもっと簡単なものにすることで、リアルタイムな通信にも活用できるのではないかと考えたわけですよね。私は現在、研究所と事業部の架け橋として研究の事業化を加速させる立場ですが、この点は本当に目の付け所が違うなと感心しました。
谷尾:今回、増幅器の一番本質に近いところを解釈して効率的なニューラルネットワークに落とし込むことができたので、衛星だけでなくモバイル通信や放送など、他のシーンにも活用できる広い基盤技術になったと考えています。
小笠原:歪補償の回路設計の自動化については、海外にあるNECの研究所と連携しました。AIをハード化・回路化することが得意なチームと協力を進めることで実現しています。
受信側への活用や衛星同士の技術への応用も目指す

主任
長谷川 治
― 今後の展開を教えてください。
長谷川:今回発表したものは送信側の歪補償でしたが、私は現在これを受信側でも活用する研究を進めています。送信側で電波を増幅して送っても、衛星通信は長距離なので受信時には微弱になってしまうため、受信側でも増幅が必要です。この際に波形に歪が生じてしまうとデータを正しく読み取れなくなってしまいますから、受信側でも歪を補償しなくてはならないのです。
AIによる高精度な歪補償が受信側でも実現できれば、送信側とのトータルな相乗効果で通信品質や通信速度の向上が期待できます。また、受信側が賢く歪を補償できれば、送信側はもう少し消費電力を下げるということもできるかもしれません。
いまはまだ研究しながら検討を進めている段階ですので、これからきちんと技術を確立し、衛星通信をストレスなく使えるような未来に繋げていけたらと考えています。

主任
吉田 昂平
吉田:私は、衛星同士の連携技術への応用を進めているところです。近年では人工衛星の打ち上げコストが下がったことによって、多数の衛星を連携させて運用するシステムが大きな注目を集めるようになっています。高品質な通信を広範囲に提供できるものとして期待されているのですが、電波のビームをいかに効率的に制御するかという点が大きな課題になっています。地上のユーザや通信需要の分布に合わせてビームを的確に制御する必要があるのです。
歪があると、ビームの形がうまく制御できなかったり、一つの人工衛星から照射する複数のビーム間で干渉が起きたりするなど通信の品質が下がってしまいます。これに対し、今回のAIを活用した波形歪補償技術を活用できれば、大容量で高速なNEC独自の高品質な通信システムが実現できる可能性が広がります。新しいサービスの実現に向けて、これからも研究を続けていきたいと考えています。


AIを活用した波形歪補償技術は、無線送信機の増幅器から生じる歪をキャンセルする技術です。ニューラルネットワークを活用して高精度な逆歪フィルターを作り、歪を打ち消すことができます。AIを活用した歪補償は学会でも多く採り上げられるアプロ―チですが、演算量が膨大になり実用化まで進まないものがほとんどでした。今回、NECでは無線送信機の増幅器の物理モデルを活用し、増幅器の目的に特化したニューラルネットワークを開発。無関係なニューロンの接続を徹底的に刈り込んで最適化を図ることで、演算量の削減を実現しました。これにより、低消費電力が求められる小型人工衛星へ搭載した際でも、消費電力が30%削減できることを実証実験で確認できました。
また、あわせて人工衛星に搭載する歪補償回路の自動設計ツールを開発。人工衛星一つひとつの回路設計をするたびに数カ月必要だった開発期間をわずか1時間足らずに短縮できるようになりました。
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