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日本でラジオが始まった日 災害対応から娯楽へ発展、NECが支えたラジオの歴史
2023年7月12日

7月12日はラジオ本放送の日。1925年(大正14年)のこの日、東京放送局(現NHK)が放送を始めたのが、日本におけるラジオの始まりでした。それから98年。関東大震災の教訓から導入されたラジオは、災害時だけでなく、国民の生活を彩る一大娯楽に成長し、今なお進化し続けています。そんなラジオの始まりから発展に、NECが深く関わっていること、ご存じでしたか?
ラジオ放送スタート その放送機、NECが輸入した
ラジオ導入の議論が活発化したのは、今から100年前の1923年に起こった関東大震災がきっかけでした。大災害の際には有線通信に限界があることが浮き彫りになったため、当時の政府が、災害時でも有効な無線通信としてラジオ放送事業の開始を本格的に検討し始めたのです。官営・民営の両論が対立した結果、最終的には民営論が採用されました。
1924年11月に、今のNHKの前身となる社団法人東京放送局が設立されました。その翌年の1925年、試験放送を経て、いよいよ7月12日には日本で初めてラジオの本放送が始まったのです。このとき使われたのが、アメリカの電話機製造販売会社ウェスタン・エレクトリック社(WE社)製の1kW放送機であり、NECが輸入していた製品でした。
ラジオの普及はラジオ受信機に使われるような増幅器・スピーカーそしてマイクロホンなどの拡声装置の発達を促しました。これらは非常に高価なものでしたが、WE社製の機器をもつNECが、製造や販売において日本国内では優位に立つことができたといいます。
こうしてラジオは国民に広まり、1945年8月15日の玉音放送を経て、時代は大きく変わります。

戦後、ラジオは人びとの主な情報源の一つとして存在感をもっていました。ラジオ受信機の生産は1946年2月にはすでに戦前のピークを越え、NECもラジオ事業に注力し始めます。当時は短波放送受信が解禁されたこともあり、全波受信機、つまりオールウェーブラジオがトレンドでした。NECもオールウェーブを開発し、2年足らずで1000台程を販売したものの、1949年の企業再建整備のなかで生産を中止。その一方、ラジオ用受信管(真空管)の売れ行きは好調でした。生産を集中していた滋賀県大津製造所はその後、ラジオ事業部となり独立採算制をめざした経営が行なわれました。

「ライバルに受注をとられた」…でも技術を温存したNEC
ラジオの放送装置の方では、いったん苦戦を強いられます。NECは、1951年9月の民間放送の開始にあわせて、ラジオ放送装置を開発し、新日本放送・中部日本放送に納入しましたが、その他の地方局は東京芝浦電気(東芝)の製品に占められていました。
これには理由がありました。当時、NECは、後に衛星放送やカーナビのGPSなどに活用されるマイクロ波通信事業の開発や生産に力を入れようとしており、ラジオ放送装置については受注済みの機器は製造するものの、他の地方局に関しては受注しない方針をとっていました。ラジオ事業にはわずかな人員を「技術温存のため」残しただけで、マイクロ関係に配置換とする方針を決定していたのです。
「続々と開局する多数の地方民間放送局は、そのほとんどをライバルの東芝に握られることとなり、そのニュースを聞くたびに無念を噛みしめた」と当時の幹部は、のちに証言しています。しかし、目先の利益にとらわれず、技術の温存と将来を見据えた戦略が次につながります。1950年代末以降の放送機器、海外のラジオ放送局からの受注や1960年代以降のテレビ放送機器の開発に生かされる事になりました。

「民需商品への進出」新たなビジネスチャンス
1950年代半ばごろから日本では家電ブームが到来。かつては高価だったラジオも家電として身近なものとなり、ポータブルラジオが普及します。NECが家電事業を本格化する契機となったのは、1953年6月1日の新日本電気株式会社の新設です。NECでは、ラジオ受信管や蛍光ランプなどの民需商品については大津市にあるラジオ事業部が担当していましたが、家電ブームの到来というビジネスチャンスに対処するために、ラジオ事業部を新日本電気として分離・独立させることにしたのです。
その後、NECは1956年、「民需商品への進出」という新方針をうちだします。この「民需商品」には、模写電送装置、魚群探知機、磁気録音機などのほか、自社製のトランジスタを使用したポータブルラジオも含まれていました。トランジスタの企業化は家電事業の本格化だけでなく、集積回路(ICチップ・半導体)の製品開発にもつながっていきます。

21世紀に入り、NECは事業の選択と集中を進め、ラジオは事業者向けにターゲットを絞りました。今ではラジオだけでなくテレビも含めた放送業界で、長年の実績に基づいたノウハウと技術力を生かし、制作・中継から送出、送信まで放送局をトータルに支えています。
過去、現在、未来の放送を支え、100年近く前の段階で、すでに安全、安心、公平、効率という社会価値を創造し、誰もが人間性を発揮できる持続可能な社会を目指していたこと。ラジオにも、そんなNECのPurpose(存在意義)の歴史が刻まれていることを、「ラジオの本放送の日」をきっかけに垣間見ることができます。