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復興への想い~復興庁で、働いています~
東日本大震災の発生から3年が経過しました。被災地では、今も復興に向けた活動が続けられています。そんな活動に「復興庁の職員」という立場で携わっている4名のNEC社員を代表して、復興庁 宮城復興局に出向中の山本 啓一朗に話を聞きました。
※本インタビューは、2014年2月に実施したものです。
いま、こんな仕事をしています。

「宮城復興局の“被災者支援班”に所属しています。主な業務は、厚生労働省の担当分野に近く、仮設~復興住宅や雇用に関する諸問題、高齢者や子供たちに重点を置いた地域包括ケアなどが少しでも円滑に進むよう、各自治体や省庁と調整を図ることです。それに加えて、NPOやNGOなどの復興支援団体のサポートも行っており、各自治体や行政との連携機能も果たしています」
地域復興マッチング「結(ゆい)の場」
山本は、復興局の「企業連携推進室」にも所属。同室は、民間企業の力を活用した復興支援をさまざまな角度から検討するために、2012年4月に設立されました。
「宮城復興局の企業連携推進室では、民間企業から出向中の10名と各省庁からの出向者が一体となって、枠を超えて、何をやるべきかを考えてきました。そこから生まれたのが、地域復興マッチング「結(ゆい)の場」という活動で、僕は、その企画立案と、プロジェクトの推進を担当しています」
「結の場」は、被災地の企業が抱える経営課題(支援ニーズ)と、民間企業の持つ「ヒト、モノ、情報、ノウハウ」といった資源を引き合わせる活動。この1年で、50件の“マッチング”に成功し、注目 を集めています。
2年目のすれ違い
ここで山本から、「結の場」誕生にまつわるエピソードが。
「震災から丸1年が経ち、2012年の春先から、大手企業の復興を担当している方々が、次々と企業連携推進室を訪ねてきたんです。みなさん、1年目は、がれきの撤去や炊き出しなど、さまざまな支援活動をされていましたが、『今年は何をやればいいか、迷っている』と、口々におっしゃっていました。一方、石巻など宮城県沿岸部を訪ね、地元の水産業の社長さんたちにお話を聞いてみると、『いろいろな企業さんが訪ねてくるけど、話を聞くだけで終わっちゃうんだよね。何度も来る企業さんなんかも居るけど、その度にツアーコンダクターみたいな役割をしてるよ』と、おっしゃるんです。なかなか、すぐに具体的な連携は生まれないんだな、と痛感しました」
「まるで、結婚相談所みたいでした」
2012年当時、多くの企業がイメージしていたのは、社会的にも大きくアピールできる、わかりやすい“華のある”支援。ところが、現地で待ったなしで求められていたのは地域経済の復興であり、既存の産業や商店の再生という、一見地味で、答えを導き出すことが難しい活動。
「お互いの想いが、完全にすれ違っていました。有名な大手企業が軒並みそんな状態でしたから、これは“お見合い”をさせる、おせっかいな仲介人が必要だな、と感じました。相手の特長を事前に調べて、ニーズにあった人を紹介し、場合によってはデートの仕方を教えたり、アフターフォローまでしてあげたり…まるで、結婚相談所みたいなことをやっていました(笑)」
ただ販売機会を提供するだけじゃない
昨年11月にNEC本社ビルで、被災地の名産品を企業内で販売する「企業マルシェ」が開催されました。これも「結の場」から生まれた活動の一つ。新たな販路を模索している被災地企業へ販売の機会を提供すると共に、商品に関するアンケートなどのフィードバックを支援する主催企業が責任をもって実施することで商品力の強化にも繋がります。これまでに「企業マルシェ」を主催した企業は約20社。どこも1つのビルで1千人以上の社員を抱える大手企業です。例えばどこかの企業である月に「企業マルシェ」を開催すると、その日の食卓やその週末の家族の会話を通じて被災地や復興に思いを馳せる首都圏の人々が子どもも含め数千人になります。それが、毎月、どこかの企業で開催され、年々継続されれば、それだけで持続可能な“復興を忘れない機会”にもなるのです。それ以外にも、被災地の漁師やBtoBしか経験のない水産加工業の方々が、これまで取り組んだことのなかったBtoCすなわち消費者向け「共同通信販売事業」に乗り出す支援なども行いました。
「写真の撮り方やキャッチコピーの作り方、販促手法、注文の受付方法まで、さまざまな形で企業がノウハウを提供し、一般消費者向けのカタログ通販という、新たな販路の開拓につなげることができました」
「サメの街、気仙沼」 を全国区に
そんな経験を経て、いま、山本が注力しているのは、地域のブランド作り。「サメの街、気仙沼」というブランドを立ち上げるべく、東奔西走しています。
「気仙沼は、実は、サメの水揚げ量が日本一の街なのです。サメと言えばフカヒレが有名ですが、それ以外にも楽しみ方はいっぱいあります。先日も九州へ出張し、九州の食EXPOで、気仙沼のサメをアピールしてきました」
こうした活動は、各種メディアでも取り上げられ、一躍話題にもなりました。
「地域のブランドができれば、1社ではなく、沢山の地元企業が恩恵を受けられます。ですから、こうした取り組みは、非常に大切で、復興の大きな力になると思っています」
「難しい仕組みはようわからんけど、それ、必要な気がするわ」
目に見える成果も出て、今では順調に見える「結の場」の活動。しかし、立ち上げ当初は、理解を得るのに苦労した場面もありました。
「港町の水産業の方々は、皆さんいわゆる“海の男”なわけです。最初に漁業、水産関連の組合の幹部の方々のところに話に行ったら、撒き餌を投げられて帰されてしまうのではないか、くらいの雰囲気でした。でも、何回か通ううちに、60~70代の、地域でとても影響力のある方が『難しい仕組みは何だかよくわからんけど、それ、必要な気がするわ』と言ってくれて。じゃあ、やってみましょうということになったのです。実際にプロジェクトが動きだしたら、『もっとこういう風にやったらどうや?』と提案までしてくれるようになりました。それは、ものすごく嬉しかったです」
4月から、NECに復帰
「今回の出向を通じ、企業連携推進室の職員として、数多くの企業と接することで、見えてきたものも沢山ありました」と、この2年間を振り返る山本。
「国ってこういう風に動くんだ…といった、政治や社会の仕組みなんかも、かなり理解できたと思います。もちろん、全てわかったわけではありませんが、この2年間で学んだことを、少しでもNECグループの中で共有できるよう、業務や日々の繋がりを通して、還元していきたいです。当時、経営企画部に所属していたのですが、その業務を中断して、『2年間、時間を下さい』と言って、東北の被災地復興の事だけを考えてきました。ですから、NECに戻って、この2年間のブランクを取り戻すことが、いま一番、やりたいことです。NECは、復興庁(注:復興庁経由で被災自治体等への派遣も含む)に4人も社員を出している、唯一の企業(平成26年3月現在)です。現在、20~30社程度の企業から復興庁や被災自治体などへ人材を派遣しているのですが、そのほとんどは、1人だけなので、これって、本当にすごいことです。また、復興庁への出向(注:復興庁経由での被災自治体等へも含め計4名)こうした活動以外にも、“TOMONI”プロジェクトなどでも被災地への貢献という観点で、NECはとても評価されています。こうした活動をしているNECグループの一員として誇りに感じていますし、もっとたくさんの方に知っていただきたいと思っています」
ふたつの「結(ゆい)」

山本は、復興庁への出向が決まる前から、仲間と共に「プロジェクト結(ゆい)」という一般社団法人を立ち上げ、石巻を中心に、「遊びと学びを通じた、被災地の子供たちの心のケア」に取り組んできました。
「『プロジェクト結』と『結の場』、両方とも「結」という字が使われています。当時は、『絆』という言葉が良く使われていましたが、絆って、『糸に半分』と書くじゃないですか。でも、『結』は、『糸に吉』なんですよ。あと、東北で『結』というのは、田んぼの収穫や、屋根の茅葺を手伝いあう“地域の仲間”を指す言葉でもあり、この言葉は、我々の活動にぴったりだと考えたのです」
被災地とNECグループを“結ぶ”復興支援

実は、NECは、「プロジェクト結」の賛同企業。「プロジェクト結」から、CSR・社会貢献室に声をかけ、「NEC盲導犬キャラバン」を石巻市内の小学校で開催したこともあります。
「ただ、そうした取り組みも一部の方々にしか知られていないので、もっと日常から気軽にできる被災地応援のカタチが作れないかな…と、アイデアを練っているところです」
被災地と、私たちの日々の生活を“結ぶ”、新しい復興支援。NECグループは、これからも被害を受けられました地域と皆さまの一日も早い復興に向けて全力で取り組んで参ります。
(2014年3月掲載)