Japan

関連リンク

関連リンク

関連リンク

関連リンク

サイト内の現在位置

第1回 30年目のバトン

地球を見つめる星を造って 第1回 30年目のバトン

すいせい、あけぼの、GEOTAIL、LUNAR-A、川口正芳は自分の30年以上にわたる人工衛星との関わりを静かに語り始めた。「しずく」では提案活動のとりまとめを手始めに、設計、製造、試験、そして打ち上げ後の運用をNECプロジェクトマネージャの立場でやり遂げた。

その川口が語る、「しずく」への想い、ものづくり論、後輩に向けてのメッセージ。

現場を仕切ったシステムマネージャ吉田達哉が感じた、チームをまとめる難しさと、開発メーカでしか味わえない醍醐味。あの3月11日、震災からの「しずく」復旧作業の現実。
百人に及ぶ衛星技術者を束ねた男達の物語。


川口 正芳
NEC「しずく」プロジェクトマネージャ

写真:NEC「しずく」プロジェクトマネージャ 川口 正芳

「あうん」の7年

小笠原:
川口さんは、もう随分長い経験をお持ちですね。
川口:
はい、1978年の入社ですから、もう30年を越えました。主に宇宙科学研究所の科学衛星をやってきました。NECの宇宙事業を志望したのは「パンフレットみたら、いろんな衛星が載っていた、ここなら面白い仕事が出来るかもしれない」そんな思いからでした。

「あけぼの」、1989年に打ちあがって今も現役の衛星のプロジェクトマネージャを手始めに(この衛星は日本最高齢の23歳で、現在も観測継続中)、いくつかの衛星を経て、月探査機「LUNAR-A」プロジェクトに参画、それが中断して、「しずく」(この時はプロジェクト名GCOM-W1と呼んでいた)提案作業に移った。それ以来7年たちました。
写真:「あけぼの」川口がプロマネとして最初に手がけた衛星
「あけぼの」 川口がプロマネとして最初に手がけた衛星

吉田:
私は1991年に入社、「かけはし」の熱設計を7年くらいやりました。その後は大型展開アンアテナの開発で随分苦労しましたが、その成果は「きく8号」に結実。世界的にも誇れる大型展開アンテナが軌道上に展開しました。

2001年にNEC東芝スペースシステムに移って、しばらく展開アンテナをやってから、「しずく」の提案活動に参加、最初は機械系システムのとりまとめを担当、川口プロマネとはそのころから一緒、長いですね。プロジェクト進捗にともなって、現在のシステムマネージャに就きました。
写真:「きく8号」吉田が手がけた19m×17mの大型展開アンテナを搭載
「きく8号」 吉田が手がけた19m×17mの大型展開アンテナを搭載

小笠原:
プロジェクトマネージャ(以下プロマネ)とシステムマネージャはどんな役割分担になっているのですか?
川口:
オーバーラップする領域はたくさんあるのですが、プロマネはプロジェクト推進全体の総指揮官でしょうか。社内外の組織間調整や、お客様との契約、お金に関わる調整が多い。全体を統括する役目です。
吉田:
システムマネージャはシステムの設計、製造、試験を技術的に取りまとめる、いってみれば現場指揮官でしょうか。長いこと筑波(試験時)、種子島(打ち上げ時)、などの現場に張り付いて、ここ府中にいる川口プロマネと緊密に連携してプロジェクトを進めました。
小笠原:
二人の間は「あうんの呼吸」みたいなものですか?
吉田:
長いですからね・・・・
川口:
そうですね、現場は吉田が見ていれば絶対安心という感じはありましたね。

軌道上不具合ゼロを目指して

小笠原:
では「しずく」の開発から運用に至る中での印象に残った話を。
川口:
写真:振動試験後の徹底的な点検を実施するNEC東芝スペースの検査員
振動試験後の徹底的な点検を実施するNEC東芝スペースの検査員

苦労はいっぱいあったが、実用(プロジェクト内部では「利用実証」といわれているが)と言っていいほどのレベルが要求されていましたので、軌道上での不具合ゼロを目標にするしかない。この点はJAXAの中川プロマネからもきつくいわれたことなのです。徹底的にやるしかない、そんな決意を持っていましたね。

試験中に問題が起こった場合はプロマネとして「とことんやる」という意志を表明するために対策会議には必ず出席していました。メンバーの中には「こんなことまでやるの?」という人もいました。そんな時には何度も説得してやってもらったものです。

中には再現しない不具合というものもあって、その場合は試験用の別の機器をわざわざ作って繰り返し試験をして、結果的に原因を究明できたということもありました。

「しずく」では、衛星に命令を与えるコマンドが3000くらいあるのですが、それを全て試験でやってみて確認するということもしました。これだけ徹底してやった衛星は私の経験では他には無いですね。これが「しずく」の軌道上不具合ゼロの一番の理由だと思う。

小笠原:
これだけやると、打ち上げの時に「絶対上手くいくぞ」という自信がありましたか?
川口:
私は筑波の運用室で、打ち上げにのぞみましたが、「安心して、自信をもって見ていました」、“天命を待つ”心境でしょうか。
吉田:
種子島で打ち上げを迎えました。正直不安はありましたが、やるべきことは全てやったという気持ちでしたね。結果がどうであれ受け入れるしかない、そんな気持ちでした。
小笠原:
吉田さんは、2011年3月の東日本大震災の時は筑波におられて大変だったようですが。
吉田:
写真:NEC「しずく」システムマネージャ 吉田 達哉
NEC「しずく」システムマネージャ
吉田 達哉

筑波での衛星システム試験の最中で、ちょうど衛星を横倒しにしてAMSR2の取外し作業が終わった後でした。
地震で衛星には直接的な影響が無かったのですが、周囲の壁が剥落したりしました。電源も落ちていました。当日の夕方には皆で協議の上、衛星にカバーをしてしまおうということになり、急遽ビニールシートで全体を覆うことをはじめました。衛星は高さがあるので、高所台車に乗っての作業もやりました。

作業に関わったメンバー全員があの異常事態のなかで本当に良くやってくれたなというのが、私の心境でした。すごく責任感の強いグループでしたね。当日は無我夢中のまま一日が過ぎたことだけが思い出されます。

その後、どうやって復帰まで持っていくかが大変でした。誰もやったことのないことでしたから。検査をして衛星が無事であることを一つ一つ確認していくプロセスは大変でした。

小笠原:
こうして5月18日、無事衛星は打ち上げられました。その後の運用の中で一番印象深いところはどこだったのですか?
川口:
色々いっぱいあるんだけど、「しずく」は実績のある機器を積んでいたので、非常に衛星が安定しているなという感が強かった。各機器がきちんと性能を出してくれている安心感がありました。運用に携わったメンバーもそうでしたね、「だいち」などで経験を積んだ人が多かったので、自信を持っている感じが非常に心強かった。

A-Train軌道投入のための一連の軌道制御の中で、姿勢を180度くるっとまわして制御をする必要があったときに、姿勢系担当の星野君に「大丈夫ですか?」と聞くと、彼がはっきりと「全く心配してません・・・」と言ってくれた。力強かったですね、本当に実績に裏付けられた「枯れた技術」の衛星だと・・・
小笠原:
「ひやっと」した場面は無かったのですか?
川口:
無かったですよ、前に担当したある衛星では、プロマネの私が居ない時に限って問題が起こっていたのですが(笑い)、今回は全くそういったことが無かった。
小笠原:
今度は吉田さんに、打ち上がってからのことを・・・
吉田:
一番ハラハラしていたのは、太陽電池パドルの展開かな。ここは一発勝負で、最初の関門です。これさえ成功すれば衛星は何とかなる、そう思っていましたから。
川口:
パドル展開時のモニタカメラ画像には感動しましたね、きれいに展開した様子がわかりました。
図版:モニタカメラによる太陽電池パドル展開画像
モニタカメラによる太陽電池パドル展開画像

小笠原:
初画像の取得の時はどうでしたか?
川口:
初画像が撮れたときに、JAXAの方が「撮れたぞ・・・」とプリントした画像を手に、みんなに見せてくれたのは嬉しかったです。みんなで拍手して喜びました。やはり画像が出ると喜びはひとしおですね。その夜の宴会では他社の技術者とも一緒に喜び合ったものです。本当にこのことは技術者冥利につきますね。

私は、これが担当する最後の衛星かな・・・と思ってますから。
もうすぐ60歳なので、「技術屋の遺言」として聞いてもらいたい(笑い)。本当に「しずく」で有終の美を飾れた、そう思えました。この成果は沢山の人達、みなさんの努力のたまものと伝えたい。

伝えたい想い、言葉

小笠原:
感慨深い話でした、さて、プロマネ、システムマネージャの醍醐味とは何でしょう。
川口:
プロマネは提案から長い期間ずっと関わって、お客さんの要求を聞いてから物を作り上げる一連の流れを全部体験している、そんな立場ですから、より成功した時の達成感が大きい・・・そんなものでしょうか。
吉田:
部品レベルから、ハードウエアを組み上げるわけじゃないですか、それをまとめる役割は開発メーカでしか味わえない。苦労は多いし・・・すごく泥くさい作業の繰り返しなのですが。

「だいち」「かぐや」などで出た問題点は解決されていたので、「しずく」で新たに出た問題は少なかった。このことはNECとしての今後の大きな資産となったと言えますね。
写真:「しずく」による観測成果 2012年8月7日 沖縄地方を通過した台風11号による雨の分布 黄色~赤色が雨の強い領域。背景の白黒画像は「ひまわり」による雲の分布。
「しずく」による観測成果
2012年8月7日 沖縄地方を通過した台風11号による雨の分布。
黄色~赤色が雨の強い領域。背景の白黒画像は「ひまわり」による雲の分布。
川口:
機器ごとには細かなところはいろいろあったのですが、他の衛星プロジェクトがたくさん並行して動いていたので人の手配がつかなかったりもしました。
でも搭載した機器としては “枯れたもの” が多いので、大きなトラブルはなかった。
小笠原:
他の会社とのインタフェースでは問題はなかったのですか?
吉田:
他社とやる時は大変、立場が違うというか、お互いの会社を背負っているので、技術とは別な面でも手間がかかり、時には声を荒げる場面もありました。でも打ち上げる時には同じ衛星を作った一緒の仲間になっていました。
写真:あうんの呼吸でプロジェクトを進めた吉田と川口
あうんの呼吸でプロジェクトを進めた吉田と川口

小笠原:
そろそろまとめに入りたいと思います。「しずく」はお二人にとってどんな衛星ですか?
川口:
「しずく」は、私にとっては30年の集大成ですね、自分が手がける最後の衛星になりますから。

「しずく」が地上試験中の2011年10月に、米国のAqua衛星に搭載されたAMSR-E(AMSR2の一世代前の機器)が回転停止して、地球の水循環の観測データが途切れてしまいました。そういったこともあり、「しずく」で観測を継続することがJAXAとしては国際的な公約になったわけです。

このことは私たちにとって大きなプレッシャーではあったのですが、同時に、衛星がもたらす地球の水循環の画像が、気象衛星の「ひまわり」の画像みたいに、毎日あって当たり前になる。そんな、誰からも働いているのが当たり前と思われる衛星になったわけで、このようなプロジェクトに関われた事は本当に良かったと思います。
吉田:
私は、「自分を成長させてもらった」衛星だと思っています。チームメンバーを現場でまとめる、人に働いてもらうという難しさを実感しました。彼らを同じベクトルに向かせて、個々のモチベーションを高めて行くために、私は「まず話しを聞く」ことに集中しました。頭ごなしに言うのではなく、聞いた上で違うところはこうして欲しいと毎日説得していましたね。

私はこの経験を活かして、次のGCOM-C1(気候変動観測衛星) では、システムの立場を離れて、さまざまな衛星の機械系を統括する立場になります。
小笠原:
「しずく」の経験で、後輩たちや次の世代へ伝えていきたいことは何ですか
川口:
一番伝えたいのは、『「衛星」が「ものづくり」だということを実感して欲しい』ということに尽きますね。形あるものを作ることで、自分たちが作ったものを実感し、それを運用してみて、コマンドを打てばその通りに衛星が動作して、まるでロボットみたいに従う。このことを十分に楽しんで仕事をして欲しいなと思ってます。

大学の先生方から「今の学生はチームワークの概念すら知らない」と聞いたことがあります。チームワークって何だろうと調べると「他のメンバーの仕事を信頼した上で、その人の仕事を視野に入れながら自分の仕事をきっちり進める」そんな風に書いてあります。まさにこれ。「しずく」プロジェクトでも、その中のグループ間でチームワークの醸成に心がけては来たのですが、これからもこの意識を若い人達にきちんと伝えていきたいですね。

川口は、後輩たちへ、物つくりの実感や、チームワークの必要性を説くメッセージを伝えて、話しを終えた。

徹底的な妥協を許さない開発と試験、チームメンバーへの信頼、実用レベルに達する軌道上不具合ゼロの実績(2012年8月時点で)、そして最後は「人事を尽くして天命を待つ心境」様々な想いが交錯した7年。そして衛星技術者としての30年。

「あうんの呼吸」ともいえるほどの、吉田やプロジェクトメンバーへの信頼。何十人もの現場作業者と技術者を束ねた吉田の自信、こうして30年目のバトンは渡された。

取材・執筆 小笠原雅弘 2012年7月27日

川口 正芳(かわぐち まさよし)

NEC 宇宙システム事業部 シニアエキスパート
1978年NEC入社
2005年より当社GCOM-W1プロジェクトマネージャ

写真:川口正芳(かわぐち まさよし)

吉田 達哉(よしだ たつや)

NEC 宇宙システム事業部 マネージャ
1991年東芝入社、2007年NECへ移籍
2009年よりGCOM-W1システムマネージャ

写真:吉田 達哉(よしだ たつや)
Escキーで閉じる 閉じる