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第3話「イオンエンジンが起こした奇跡」
取材・執筆文 松浦 晋也
「はやぶさ」は様々な特徴を持つ探査機だ。小惑星からサンプルを採取するための、サンプラー・ホーン。サンプルを地上に降ろすための再突入カプセル。広い太陽系空間の中で、とても小さな小惑星に正確にランデブーするための光学航法システム、小惑星に安全に降りていくための各種センサーと自律航法システム。
しかし、「はやぶさ」を「はやぶさ」たらしめている一番の土台となっているのは、4基搭載されたイオンエンジンだろう。電子レンジと同じマイクロ波の照射という方式で、キセノンをイオン化し、電場で加速して噴射するマイクロ波放電式という独自の形式を採用したイオンエンジンは、累積4万時間の運転に耐え、見事に「はやぶさ」の小惑星イトカワへの往復飛行をなしとげようとしている。
堀内康男は、学生時代からイオンエンジン開発に従事してきた。NECに入社してからも開発は続いた。彼の人生の軌跡は「はやぶさ」用イオンエンジン「μ10」と重なる。
彼は「はやぶさ」を強運の探査機だという。その言葉は、イオンエンジンが起こした何度もの奇跡に裏打ちされている。
ありえないことが起きている
- Q:
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イオンエンジン一筋でやってきたということですが、どういう経歴で今に至ったのでしょうか。
- 堀内:
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大学院の修士課程を栗木恭一先生の研究室ですごしました。そこで論文を書いたのです。「はやぶさ」に搭載されたマイクロ波放電方式イオンエンジンの研究が始まったところで、自分が最初のエンジンの試作と試験に参加しました。私が研究室入りしたとき、國中先生(JAXA/ISAS宇宙輸送工学系教授)は博士課程の3年でした。4年先輩ですね。ですから、今でも個人的には「國中先生」というより「國中さん」というほうがしっくりします。
- Q:
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そのまま今度はNEC側でイオンエンジンに関わることになったんですね。
- 堀内:
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そうです。卒業時にどこに就職するかを考え、「イオンエンジンの仕事を続けたい」といったら、NECから声がかかって就職が決まりました。だから、最近の学生さんには大変申し訳ないのですが、私は就職活動をしたことがありません(笑)。
1993年頃から、「はやぶさ」計画が動き出してそのままイオンエンジンを作り続け、2003年の打ち上げにこぎつけました。
- Q:
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その丹精したイオンエンジンを搭載した「はやぶさ」がいよいよ帰ってきます。帰還を控えて今のお気持ちを。
- 堀内:
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「ありえないことが起きている」という気分です。理屈で考えれば無理としかいいようのないことが、実際に何度も起きています。本当に「はやぶさ」は運の良い探査機だと思います。
私たちはできることはすべてやりました。運用室には「飛不動」というお不動様のお札が貼ってありますけれど、これは國中先生と私が「もう手は尽くした。最後に神頼みをしよう」と相談して、國中先生が見つけた「飛」という名前のお不動様に私が行って、お札をもらってきたんです。通信途絶の最中の2006年の年始には、川口先生も飛不動にお参りに行ったそうです。(笑えない笑い!) - Q:
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ありえないこと、ですか。
- 堀内:
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例えば2005年11月に2回目のイトカワへのタッチダウンを行った後、化学推進スラスターが燃料漏れで全部使えなくなりました。その状態で姿勢制御を行うということになって、イオンエンジンの燃料であるキセノンを中和器からガスを噴射して、姿勢を制御しました。そんなことは事前には全然考えていなかった使い方です。
そもそも、正常な運転状態では、中和器から噴くガスで推力が発生しちゃいけないんです。だから発生する推力もたったマイクロニュートン単位ですし、ロケットの性能指標である比推力もお話にならないぐらい小さいのです。ところが、それで姿勢をたて直してしまった。こんな使い方は、打ち上げ前はおろか、このトラブルに直面するまで考えもしませんでした。
- Q:
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あれは確かにすごかったですね。
- 堀内:
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通信途絶から回復した2006年春のゴールデンウィークのことです。この時期、「はやぶさ」はくるくるとコマのように回って姿勢を安定させていました。ところが、このままでは姿勢安定が出来なくなるので、スピン速度を上げる必要が出てきました。もちろん化学推進は使えませんし、中和器からのガス噴射だと効率が悪くて推進剤がどんどん減っていってしまいます。
「イオンエンジンを使っては」という声があがりました、私は躊躇しました。満身創痍の「はやぶさ」で高電圧を使うイオンエンジンを起動したら何が起こるか分かりません。あの時、「はやぶさ」との通信は往復40分の時差がありました。トラブルが起きてもすぐには対処できないんです。メーカーの立場としては機器をひとつひとつチェックして、慎重に動作を確認しつつ立ち上げをしたかったんです。でも、それでは間に合わない状況でした。
開発から運用までに係わった者として「もう「はやぶさ」は一度は死んだ探査機だ」と覚悟を決めてイオンエンジン再起動のコマンドを打ちました。そうしたらエンジンは何事もなかったように正常に動き出し、トラブルも起きなかったんです。
2009年11月の,イオンエンジン故障とそれに続く2基のエンジンのイオン発生器と中和器を組み合わせて1基のエンジンとして運転した時もそうです。エンジン2基を連結してのクロス運転は、本質的に地上での試験ができません。試験をやっていないことをいきなり宇宙でやるとトラブルを引き起こすことにもなりかねません。これ以上のトラブルが起きたら、本当にお終いになってしまいます。しかし、その時はもうその他の方法が残っていませんでした。
この時は國中さん(この時は先生としてより頼もしいエンジンの大先輩にみえました)が、「やる」と言って、エンジンのクロス運転を実施しました。すると、推力が発生し、「はやぶさ」は地球に向けての航行を続けることができたんです。
運用チームはジョーカーをバトンする
- Q:
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「はやぶさ」のイオンエンジンは、惑星間空間で累積4万時間の運転を達成しました。もちろん世界最長ですね。
- 堀内:
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でも、打ち上げ当初は24時間の連続運転ができずに苦労しました。1日8時間程度の運用時間の間にエンジンの動作状態を調整して、動作させたままで運用を終えて翌日の運用時間を迎えるのですが、その間に安全装置が作動してエンジンが停止しているといったことが毎日続きました。
- Q:
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なぜそうなったんでしょうか。
- 内:
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「はやぶさ」の内部に希薄な気体が残っていたと推定しています。放電が起きると安全装置が働いてイオンエンジンは停止します。ご家庭で電気を使いすぎるとブレーカーが落ちるのと同じです。もちろん希薄気体の影響は最初から考慮していたのですが、予想以 上に表面からの気体放出が続いていたんです。イオンエンジンが途中で止まってしまうと、だんだん加速が足りなくなります。軌道担当者からは「はやく連続運転が出来るようにならないと、予定の軌道に入れない。イトカワにたどりつけないぞ」とせっつかれます。イオンエンジンの連続運転に、ミッションの成否がかかっていました。
運用終了から翌日の運用開始までの連続運転に初めて成功したのは、打ち上げ後6週間も経ってからでした。思わず國中先生と握手をしてしまいました。今でもこの時が一番うれしかった瞬間ですね。
「はやぶさ」は、トランプのばば抜きみたいなミッションです。色々な要素がつながっていて、いつもどこかがジョーカーを持っている。ジョーカーが気まぐれでトラブルを起こせば帰ってこれなくなるわけです。行きにジョーカーを持っていたのはいつもイオンエンジンでした。
2005年9月にイトカワに到着した時には、東急ハンズに行って大きなトランプのジョーカーを買ってきました。それに「往路完走」と書いて、次のタッチダウンの関係者に渡しました。
帰路に入って、ジョーカーはまた自分たちイオンエンジンのチームに帰ってきました。長かったですが、それもほぼ終わりです。ジョーカーは最後の再突入カプセルを担当するチームにバトンタッチされます。
私は打ち上げ一周年のパーティで、川口先生に「「はやぶさ」は運の強い探査機ですね」と言った覚えがあります。いまやそれどころじゃないですね。本当に強運としか言いようがないですね。 - Q:
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今はイオンエンジンのビジネス化を担当しているそうですね。
- 堀内:
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用途のひとつは静止衛星の軌道制御用です。静止衛星は放置すると軌道が少しづつずれていって南北にふらふらするようになってしまうので、スラスターで軌道を修正し続けて静止軌道に留まります。南北制御といいますが、そのためにイオンエンジンを使うと、推進剤の消費量が小さいので、衛星を長期間使えるようになります。
これまでも欧米では、商業衛星の南北制御にイオンエンジンを使った例はあったのですが、イオンエンジンの信頼性がさほど高くなく、トラブルを起こしがちでした。このため、今はイオンエンジンはほとんど使われていません。そんな市場に「はやぶさ」で培った高信頼性を売り物にしてマイクロ波放電方式イオンエンジンで参入しようとしています。
堀内は、「はやぶさ」が打ち上げられた後、「イオンエンジンの開発とは違うことをしたい」と考えて異動希望を出し、新技術をビジネス化する部署に異動した。しかし、そこにもイオンエンジンは追いかけてきた。惑星間空間を航行するための信頼性は、今や新たな市場を開拓するための力となっている。
学生時代から20年以上にも及ぶイオンエンジンとの付き合い――彼は打ち上げ前からひとつの秘密を持っていた。「実は、「はやぶさ」に搭載したAからDまでのエンジンに秘密の、自分だけの名前を付けていました。Aが自分、Bが妻、CとDに子供の名前を付けていたんです。そうしたら、打ち上げ直後にAの不調が判明して、『お父さんダメね』ってことになってしまった…でも、最後にAとBのクロス運転で帰ってくることができたわけで、きれいにまとまったかな、と思っています」
Bのエンジンを、Aの中和器が支える「はやぶさ」最後の旅路、ここにもチーム「はやぶさ」を支える人達の物語があった。
取材・執筆文 松浦晋也 2010年5月20日
NEC
宇宙事業開発戦略室
シニアマネージャー 堀内 康男
1990年入社。
入社以来イオンエンジンの開発をおこない、2009年より宇宙事業開発戦略室。現在は、小型衛星事業の推進。