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赤外線サーモグラフィによる パンデミック対策事例の紹介
Vol.63 No.3 2010年9月 パブリックセーフティを支える要素技術・ソリューション特集2003年のSARS発生以来、世界の空港・港湾では発熱した人間を素早く検出する手法として赤外線サーモグラフィが利用されるようになりました。2009年には、メキシコで発生したH1N1インフルエンザが猛威を振るうようになり、空港はもとより民間企業までもが一斉に赤外線サーモグラフィに注目し始めています。しかし、人間の体表温度は、環境温度によって左右され一様では無く課題も多くあります。本稿では、発熱者を精度良く検知するための製品動向と利用技術の向上を目指した取り組みを紹介します。
1. はじめに
赤外線の歴史は、1800年頃にウィリアム・ハーシェル(W.Herschel,1738~1822)が太陽の可視スペクトルの赤外端より波長の長いところで熱効果の大きい放射が存在すること
を発見したことに端を発します。その後、多くの研究者により赤外線の研究が行われ、現在では広い分野でその技術が利用されています。
弊社は、1971年に量子型センサ(HgCdTe、InSb)を組み込んだ赤外線サーモグラフィを発売しました。当時は、ガルバノメータやポリゴンミラーなどのメカニカルスキャン方式で
走査を行っていたため1画像を作るのに1分以上を要するなど現在のように高速な走査を行うことができませんでした。また、小型化が図れず価格も高価であったことから市場への普及が遅れていました。しかし、2000年ごろからMEMS(MicroElectro Mechanical Systems)技術の向上・センサ技術の向上により冷却不要なUFPA(Uncooled Focal Plane Array)を組み込んだ赤外線センサが主流となり、赤外線サーモグラフィの小型軽量化・省電力化が図られるようになりました。
赤外線サーモグラフィは、電気・電子分野の温度評価や電力メンテナンス・プラントメンテナンスなどで主に利用されています。また、新たな需要として新型インフルエンザの拡大を水際で食い止めるために赤外線サーモグラフィが空港や多くの企業から注目を集めるようになりました。本稿では、社内で行った体表温度測定事例から、発熱者を精度良く検知するための製品動向と利用技術を紹介します。
2. デジタルカメラと赤外線カメラの違い
我々は、目で物体や空間を把握し行動しています。この目で見ている波長域は、およそ0.4μm~0.75μmの波長域でこの領域を可視光線と呼びます。我々が普段使っているデジタルカメラは、人間の目と同様に可視光線に感度を持っています。この可視光線は、太陽や照明などが放射源となり放射される光が物体に当たりその反射光で物体を認識します。また、反射の割合に応じて色が決定される仕組みとなっています。一方、赤外線は、可視光の赤外端より波長の長い0.75μm~1,000μmを指します。その中で赤外線カメラは大気透過の良い近赤外線(0.8~3μm)、中赤外線(3~5μm)、遠赤外線(8~13μm)の各波長帯を利用しています。
通常、近赤外の波長帯を使用したカメラは、「近赤外線カメラ」または「暗視カメラ」と呼ばれ、中赤外線カメラ・遠赤外線カメラは単に「赤外線カメラ」と呼ばれています。近赤外線カメラは、可視と同様に物体からの反射光を映像化していますが、赤外線カメラは、物体自身から放射される赤外線エネルギーをとらえて映像化します。物体は、分子の振動に応じた電磁エネルギーが放射されます。これが赤外線放射エネルギーです。赤外線カメラは、物体から放射される赤外線放射エネルギーを輝度分布として映像化しています。また、この赤外線放射エネルギーは、放射体の表面温度と密接な関係を持っています。赤外線放射エネルギーを温度値に変換し温度分布として映像化した赤外線カメラを赤外線サーモグラフィと呼びます。図1に電磁波スペクトルと主な製品構成を示します。

3. 製品化への取り組み
インフルエンザに感染し高熱を発生した罹患者を赤外線サーモグラフィで検出するためには、環境温度と体表温度の関係を把握することが必須となります。弊社では、恒温槽を利用して環境温度と人間の体表温度の関係を調査し、38℃以上の体温を持つ罹患者の皮膚温度の推定を行いました。インフルエンザ拡大防止の観点から赤外線サーモグラフィの製品化への取り組みを紹介します。
利用技術の向上を目指して
体温測定に赤外線サーモグラフィを利用する場合、体温と体表温度の関係について知る必要があります。弊社では、体温と体表温度の違いを把握する目的で、社内の人間に協力してもらい、体温と体表温度の違いについてフィジビリティスタディを行いました。恒温槽を0℃、5℃、10℃、15℃、30℃の環境に設定し、人が環境温度に慣れる馴化時間を15分間と設定し、赤外線サーモグラフィにて顔の温度分布を測定し、市販の接触式体温計にて体温を測定しました。そして、赤外線サーモグラフィにて撮影された顔の温度分布の最高温度を取り平均化しました。図2に恒温槽から出てきたときの顔の温度グラフを示します。図2は、環境温度ごとに各被験者の体温の平均値と体表温度の平均値をグラフ上にプロットしたものです。体温は、環境温度が変化しても服を着るなどの防寒対策を行うため大きな変化は見られませんが、体表温度は、環境温度によって変化し、環境温度が高くなるに連れて体温に近づいていくことが分かります。また、口腔や耳の穴を測定するとより体温に近い温度を測定できます。

図3に、医学文献より抜粋した体温と体表温度の関係を示します。

図2では、環境温度が25℃のとき体温は36.4℃、体表温度は34.8℃でした。図2及び図3は、測定条件が異なるため表面温度に若干の違いはありますが、環境温度が上昇するに伴い、体表温度と体内温度の差が小さくなっていくことが分かります。これらのグラフから、環境温度が20℃~25℃近辺と比較的安定している空港などでは、アラーム設定値を検出したい体温より1.6℃程度低い値にすれば良いことが分かります。例えば、体温が38℃以上ある人物を検出する場合は36.4℃をアラーム設定値とすれば良いことになります。しかし、図2の検証では、環境温度が15℃より低くなると体表温度と体温の差が大きくなり、同時に個人差の幅も大きくなるという結果も出ています。このため、冬に屋外から屋内に入ってくる人物を測定する場合には更に十分な検討が必要となります。赤外線サーモグラフィで顔の温度分布を測定した結果では、環境温度や個人差により人間の体表温度はかなりバラツキがあることが分かりました。企業などで利用する場合には、測定する環境温度・馴化時間・撮影条件などを考慮に入れた運用が重要となります。
4. 製品動向
赤外線サーモグラフィは主に工業用途で利用され、測定温度域(測定レンジ)は低温域(-40℃)から高温域(2,000℃)まで幅広く測定できるように作られています。一方、体表温度計測用赤外線サーモグラフィは、工業用途サーモグラフィとは異なり、人体を精度良く測定するために測定レンジを0℃~50℃と狭め測定精度を±2℃から±1℃に向上させています。また、カラー画像と温度異常画像の判別が容易なようにカラー画像をモノクロ画像に変更し温度異常部分のみを赤色で強調表示するよう調整されています。弊社では、H1N1インフルエンザが発生した2009年以降、民間企業から低価格なインフルエンザ対策用赤外線サーモグラフィの要望が多いことから、工業用途で販売していた低価格モデルF30を体表温測定用モデルに改良したF30ISを発売するに至りました。以下にインフルエンザ対策用赤外線サーモグラフィを紹介します。
4.1 受付型モデル
写真1にQQVGA(Quarter-Quarter-VGA)フォーマットを採用した受付型モデルを示します。

受付型モデルは、無人で来訪者を検知し、案内に従って顔の温度分布を取り込み発熱検知するシステムです。来訪者は、カメラシステムから発する音声のアナウンスに従ってカメラ正面に立ちます。温度測定した結果が事前に設定しておいた温度しきい値を超えていると音声にてアナウンスを行い体温計で再検温するよう誘導します。再検温後は、総務担当者との電話確認で入室または帰宅を決定します。
4.2 機内検疫用G100ISモデル
弊社では、機内検疫専用赤外線サーモグラフィとして高機能・高画質なハンディ型赤外線サーモグラフィG100ISの発売を検討しています。G100ISは、人間を高精度に撮影するため測定レンジを-20~60℃とし測定精度を±1℃に向上させています。フレームタイム60Hzの高い応答性・バッテリ稼働時間は4時間を実現するなど機動性を重視した設計となっています。また、フィジビリティスタディからアラーム値の閾値を予測した関数を搭載するなどの使い勝手を向上させています。写真2にG100ISを示します。

5. 運用
空港では、赤外線サーモグラフィにて異常温度を検出した後の対応について、空港独自の基準を作り運用を行っています。しかし、民間企業におけるパンデミック対策では空港とは環境条件が異なるため弊社にアドバイスを求められるケースもあります。弊社では、赤外線サーモグラフィを使用した一般的な運用手法を 図4 に示すように簡単に紹介しています。来訪者は、図4のフローチャートに従い、体表温度チェック・手洗いを行います。再検が必要な場合には体温計での再検温も行います。しかし、企業への来訪者は、重要用件で訪れる方も多いため、どうしても対応しなくてはならない場合もあります。このような場合は、被害を最小限にとどめるため手洗い消毒・マスク着用にて専用スペースを設けるなどの配慮も必要となってきます。

6. おわりに
赤外線サーモグラフィは世界の空港で利用されています。空港では、検査の対象となる乗客は全員同じ環境条件の中にいるため正常な人間と比べて容易に発熱者を見分けることができるからです。しかし、2009年のH1N1インフルエンザ流行以来、BCP(Business Continuity Plan)の観点から企業でもパンデミック対策として赤外線サーモグラフィに興味を持っていただけるようになりました。企業では、屋外の環境条件の変化により繊細なアラームの設定が必要になると考えています。弊社では、本稿で紹介したフィジビリティスタディをもとに、更に研究者の方々との意見交換を行い社会に貢献できる製品開発・利用技術の向上に努めていきたいと考えています。
参考文献
- 1)太田二朗,濱田枝里:“インフルエンザ拡大防止の観点から赤外線サーモグラフィによる体表温度計測事例の紹介”,NEC技報,Vol.62.No3,2009,pp88-92
- 2)太田二朗:“サーモグラフィの現状と将来”,THERMOPHYSICAL PROPERTIES,Vol25,2004,pp131-133
- 3)入来正躬:“体温生理学テキスト ~わかりやすい体温のおはなし~,2003,文光堂
執筆者プロフィール
NEC Avio赤外線テクノロジー
マーケティング部
エキスパート