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創業時の人びと(1909年)
NECの歴史上のスゴイ人
岩垂邦彦氏(いわだれくにひこ)
1857-1941
"技術に国境はない”を実践した人
1899
日本電気株式会社設立(7月17日)もっと見る
NEC(日本電気株式会社)は、1899(明治32)年7月17日、外国資本の直接投資が認められた条約改正の発効日に、最初の外資系企業として設立されました。この設立は、前年の日本電気合資会社設立からその中心を担っていた岩垂邦彦、前田武四郎、W.T.カールトンらによって、準備が進められていたものです。条約改正にもとづき外国人の国内での経済活動が公的に認められたことから、ウェスタン・エレクトリック社が正式に株式を所有し、経営に参加することになりました。
設立時の日本電気株式会社
1919
一号大形共電式市外交換機の国産化に成功、東京中央局に納入
1922
第九および第十一工場完成、創業以来の工場建設計画を完了もっと見る
1923
関東大震災で工場の半ばが倒壊、殉職者105人
1924
PR・技術誌「日電月報」を創刊もっと見る
1927
a形私設自動交換機の国産第一号機を三越呉服店に納入もっと見る
NE式写真電送装置を前にした丹羽保次郎と小林正次
NECの歴史上のスゴイ人
丹羽保次郎氏(にわやすじろう)
1916-1975
NECの技術のパイオニア
1928
NE式写真電送装置(国産第一号)を完成、昭和天皇即位の大典で写真電送に成功もっと見る
この時期の自主研究の主な成果として、NE式写真電送装置と遠方監視制御装置があります。写真電送装置は、当時欧米で実用化が始まっていましたが、1928(昭和3)年11月に京都で行なわれる昭和天皇即位の大典に向けて、日本の各新聞社が活用を計画していました。写真電送の実用性にかねてから着目していた丹羽は、27年の技術部組織改革のときに伝送科を設け、みずから科を率いて技術開発に努めました。丹羽は、小林正次らの協力を得て、28年5月にNEC独特の方式で装置を完成し、それをNE式写真電送装置と名付けました。
1929
局用A形自動交換機の国産化に成功
1931
ラジオ放送機の自社製作に成功、岡山放送局に納入
1936
玉川向工場を開設もっと見る
大阪・阪急百貨店における「世紀の科学展」でのNE式テレビジョン装置の公開実験
1939
国産テレビを試作、翌年、大阪阪急百貨店で公開実験に成功もっと見る
NECのテレビジョン開発が本格化したのは、1936年8月に開催されたベルリンオリンピックのテレビ実況中継が行なわれ、日本でも40年に開催が決まった東京オリンピックに向けて、日本放送協会によるテレビ放送が計画されてからでした。テレビ受像機は37年から研究を開始し、翌38年より総合製作が開始されました。その結果、NECは39年にテレビ受像機の試作に成功し、同年にはブラウン管の外部販売を開始しました。この受像機は、走査線441本、画面約22cm×28cmの規格で、40年1月、大阪の阪急百貨店において大阪毎日新聞社主催の「世紀の科学展」にNE式テレビジョン装置として出品されました。
1943
住友通信工業株式会社に社名変更
1945
玉川向製造所、空襲で大きな被害を受ける
1945
社名を日本電気株式会社に復帰(11月)もっと見る
1948
新技術誌「NEC」創刊もっと見る
1950
トランジスタの研究開発に着手
デミング賞のメダルと表彰状
1952
通信工業界初のデミング賞を受賞もっと見る
トータルマネジメントへの移行が進むNECの社内では、管理・監督・調整・協力・士気・組織・管理の範囲などの管理用語がさかんに用いられ,経営合理化への意欲が高まっていきました。そして、1952年11月、NECは通信工業界ではじめて「デミング賞」を受賞しました。それは、デミング賞がごく一部の専門家を除けば、それほど注意をひかない時代にあげられた画期的な成果でした。
1953
マイクロ波pTM多重通信装置を東北電力に納入(日本初の無人化マイクロ波中継回線)もっと見る
1953
ラジオ事業部を分離し、新日本電気を設立
1954
テレビ放送装置の国産化に成功、大阪テレビと中部日本放送から受注
1954
コンピュータの研究開発に着手
1956
局用クロスバ自動交換機国産第一号を完成、栃木県三和局に納入もっと見る
技術の粋を集め、実用化された国産交換機
国産初の局用クロスバ交換機
1958
パラメトロン式電子計算機を完成、東北大学に納入もっと見る
NEC初の商用コンピュータ NEAC-1102
世界に類をみない高精度科学技術計算を実現
初のトランジスタ式コンピュータ「NEAC-2201」
1958
国産初のトランジスタ式電子計算機「NEAC-2201」を完成もっと見る
NECは、国産トランジスタ式電子計算機の第1号機といえるNEAC-2201を、日本電子工業振興協会の計算センターに納入するとともに、59年6月にパリで開催されたオートマス(AUTOMATH:ユネスコ主催の情報処理国際会議)の展示会にも出品しました。その会場でトランジスタ式電子計算機を実際に稼働させたのはNECだけで、しかも、NEAC-2201は、当時の主力機種だった真空管式のIBM650より小型な上、高性能であったため、NECの電子計算機技術の優秀性に国際的な注目が集まりました。
1960
集積回路(IC)の開発を開始もっと見る
1960
日本で初めての商用電子交換機を完成、三越に納入
1961
事業部制を採用、五事業部体制に(通信機、電波機器、電子機器、電子部品、商品)
1962
相模原工場を開設
1963
ニッポンエレクトリック・ニューヨーク(のちのNECアメリカ)設立
1963
ADR(米国預託証券)を発行
1964
府中事業所を開設
郵政省電波研究所鹿島実験局のアンテナ
1964
東京オリンピックの実況テレビ国際衛星中継で、NECの衛星通信機器が活躍もっと見る
NECは、1963年11月に日本最初の衛星通信地球局としてKDDの茨城(十王)宇宙通信実験所が開設された際、高感度受信装置を納入し、衛星通信分野へ参入しました。この受信装置は、リレー衛星1号を使って同月23日に実施された日米間初のテレビ中継実験の成功に寄与しましたが、その実験放送を通じてアメリカ大統領ケネディの暗殺という衝撃的なニュースが報じられたことは、よく知られています。さらに、64年10月に開催された東京オリンピックの国際テレビ中継においても、NECが郵政省電波研究所に納めた送信装置(出力10kW)や直径10mのカセグレンアンテナ(衛星通信用パラボラアンテナ)、監視設備が活躍しました。
玉川の運動場から始まったマイクロ波・衛星通信
世界初の独自技術で140カ国に輸出
1965
ZD(Zero Defects)運動を開始、産業界への普及の先駆けにもっと見る
1965
日本初のpCM(パルス符号変調)通信装置を完成もっと見る
1968
144ビットnチャネルMOS(Metal Oxide Semiconductor)メモリの開発に成功もっと見る
世界初144ビットnチャネルMOS型メモリ
業界も見放していた技術に挑戦
1968
カラーテレビ第一号「オートカラー太陽」発売
1969
横浜事業場を開設
1969
鹿児島日本電気設立、以後「地方分身会社」を各地に設立
人工衛星「おおすみ」を東京大学宇宙航空研究所に納入
1970
日本初の人工衛星「おおすみ」を東京大学宇宙航空研究所に納入もっと見る
当時すでにラムダロケットによる人工衛星打ち上げ計画が実施段階に入り、ロケットは日産自動車株式会社が、NECは搭載機器、発射管制設備などを担当していましたが、65年6月にはラムダロケットの制御レーダシステムを三菱電機株式会社と共同受注しました。ラムダ4型は、ロケット最終段が人工衛星になる計画で、66年9月の第1回打ち上げから始まり、70年2月11日、第5回目の打ち上げで日本初の人工衛星「おおすみ」が誕生しました。
1970
「公害防止環境管理部」を設置、公害防止活動の運用管理体制を構築
1971
全自動郵便処理システム「NS-100」を開発もっと見る
1972
クオリティ作戦(Q作戦)を開始もっと見る
1974
新コンピュータシリーズ「ACOSシリーズ77」を発売
1975
新中央研究所を川崎市に開設
1975
日本電気ソフトウェア設立、以後「分身ソフトウェア会社」を各地に設立
1976
4ビットマイコン新ファミリー「μCOM-41」を発売
1977
デジタル電子交換機「NEAX61」を米国で発表
‘インテルコム77’の基調講演にて「C&C」の提唱をした小林会長
1977
インテルコム77(米国アトランタ)でC&Cを提唱もっと見る
1977(昭和52)年10月10日から15日まで、アメリカのアトランタにおいて、アメリカではじめての大規模総合通信展「インテルコム77」が開催され、世界の政府関係者、電話会社、そして主要通信機メーカーが参加しました。その初日に、小林会長が基調講演を行いました。「Shapinga Communications Industry to Meet Ever-Changing Needs of Society(変化する社会ニーズへの通信企業の対応)」と題された基調講演は、その後のC&C戦略につながっていきました。
NECの歴史上のスゴイ人
小林宏治氏(こばやしこうじ)
1907-1996
1977年にC&Cの概念を提唱
1979
「C&C元年宣言」朝日新聞に初めての全面4頁の元旦広告
1979
パーソナルコンピュータ「PC-8001」を発売もっと見る
パソコンシェアNo.1に繋がったマイコン販売戦略
国内初のマイコントレーニングキット「TK-80」を発売
1981
NECエレクトロニクス(UK)およびNECセミコンダクターズ(UK)を設立もっと見る
1981
オフコンの新ファミリー「NECシステムシリーズ」を発売
1982
我孫子事業場を開設
PC-9801発表(1982年)
1982
16ビットパソコン「PC-9801」を発売もっと見る
1982年10月13日に発表された最上位機種初代「PC-9801」は、16ビットのインテル社のマイクロプロセッサ「i8086」互換の「μPD8086」(5メガヘルツ)を採用し、128キロバイト(最大640キロバイト)のメモリを内蔵した高速機であるだけでなく、下位機PC-8000シリーズとの間での周辺機器やソフトの共通化が図られ、価格は29万8000円に設定されていました。また、オプションとしてJISの第一水準をカバーする漢字ROMが準備されました。
1985
NECアメリカ オレゴン新工場完成、光通信システムの生産を本格化
1985
VAN事業への本格参入もっと見る
1985
スーパーコンピュータSX-2が世界最高速1.3GFLOpS実測に成功
1988
世界最小のチップ型タンタル固体電解コンデンサを発売
1989
筑波研究所を開設
「NECスーパータワー」が完成
1990
新本社ビル(NECスーパータワー)竣工もっと見る
新本社ビルの建設は、創立90周年記念事業として、1983(昭和58)年12月から検討が進められました。とくに地域社会と環境については細心の注意が払われ、東京都の環境影響評価条例適用第1号を得て、86年11月に着工しました。「NECスーパータワー」は、90年1月に最先端のC&C技術を駆使したインテリジェントビルとして完成しました。
1991
製品容積150ccの折りたたみ型携帯電話機「ムーバN」出荷
1991
世界初のTFTカラー液晶ノートパソコン「PC-9801NC」を発売
1991
カーボンナノチューブを発見、その新物性を予測もっと見る
1992
「Solution21」を発表、クライアントサーバ時代に対応したSI事業を本格化
1994
オープン系新サーバ「Express5800 シリーズ」を発売もっと見る
1995
世界初の1GビットDRAMを開発(97年には世界初の4GビットDRAMも)
1997
半導体事業グループが第一回「日本経営品質賞」に唯一の企業として選定
1999
創立100周年
デジタル・ムーバ「N501i HYPER」
1999
iモード対応大画面・折り畳み式携帯電話「デジタル・ムーバN501i HYPER」を発売
1990(平成2)年に100万台に満たなかった移動電話(携帯電話と自動車電話)の加入数は、1998年度末には4,700万台にまで増加するほど、携帯電話などの移動通信市場は1990年代に急拡大した。1999(平成11)年2月にNTTドコモが携帯電話からインターネットに接続できる「iモード」のサービスを開始したのに対応して、NECは同年3月に「デジタル・ムーバN501i HYPER」を発表し、ベストセラーとなった。
1999
株式会社日立製作所との共同出資でNEC日立メモリ株式会社を設立
2000
NECホームエレクトロニクス株式会社が事業活動を終了
2001
初のFOMA端末「FOMA N2001」発売
2002
世界最高速のスーパーコンピュータ、超高速ベクトル並列計算機「地球シミュレータ」を完成
米国が「コンピュートニク」と驚愕した世界最速のスパコン
1000倍の能力が求められた
2002
顔認証ソリューション「NeoFace」を発売
2002
NECエレクトロニクス株式会社を設立
2003
ケナフ繊維を添加したバイオプラスチック開発
2003
世界最大規模のミッション・クリティカル・システム、iモードゲートウェイシステムのCiRCUS構築
2004
超薄型実装技術を採用した世界最小・薄型のカード型カメラ付携帯電話を実用化
2005
玉川ルネッサンスシティ完成もっと見る
2006
「BIGLOBE」をNECビッグローブ株式会社として分社化
2007
超小型マイクロ波通信システム「パソリンク」が世界シェア一位を達成もっと見る
2008
NECグループ ビジョン・バリューを発表
2009
NECカシオモバイルコミュニケーションズ株式会社を設立
世界第1位評価を獲得したNECの顔認証技術
2009
米国国立標準技術研究所のベンダー評価プロジェクト(静止顔面像部門)で顔認証技術が世界第1位評価を獲得
2009(平成21)年12月、NECが早くから取り組んできた顔認証技術が、米国国立標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology:NIST)が実施したバイオメトリクス技術のベンチマークテストのベンダー評価プロジェクト・静止顔画像部門において、世界第1位の評価を得ました。NECの技術は他人許容率(他人が本人と誤認される率)が0.1%のときに本人拒否率(本人が本人と認識されない率)が2~4%という認証精度を示し、2位以下を大きく引き離す結果となりました。
2010
NECエレクトロニクス株式会社が株式会社ルネサステクノロジと合併、ルネサスエレクトロニクス株式会社発足
2010
小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還
世界で誰もやったことのないチャレンジ
「はやぶさ」が目指したものとは
2010
自動車用高性能リチウムイオン二次電池の電極を量産開始
2011
世界初の「OpenFlow」対応製品「UNIVERGE PFシリーズ」を発売
2011
Lenovo社との合弁でNECパーソナルコンピュータ株式会社を設立
2011
家庭用蓄電システムを販売開始
2012
「社会ソリューション事業」への注力を発表
2013
>新ソリューション体系「NEC SDN Solutions」を確立
2014
社会ソリューション事業のメッセージ「Orchestrating a brighter world」発表
NEC the WISE
2016
AI(人工知能)技術ブランド「NEC the WISE」を策定、グローバルに展開を開始もっと見る
2010年代後半になると、AI(人工知能)が大きなブームとなり、その将来的な可能性について注目されるようになりました。NECでは、すでに半世紀以上前から音声認識、画像・映像認識、言語・意味理解、機械学習、予測・予兆検知、最適計画・制御といったAIを構成する技術を着実に進化させ、社会や産業が、安全、安心で効率的に運用されるように支援してきました。その集大成が、2016(平成28)年7月に策定したNECの最先端AI技術群のブランド「NEC the WISE」です。
2017
11月18日を「コンプライアンスの日」に制定もっと見る
2018
生体認証ブランド「Bio-IDiom」を発表もっと見る
2019
2019
NEC創立120周年もっと見る
2019
2020
2020
「はやぶさ2」ミッション完遂の偉業に貢献もっと見る
2021
森田新社長の就任もっと見る
2021
NEC 2030VISION の表明もっと見る
2021
2021
2021
2022
2022
2023
2023
2023
2023
指名委員会等設置会社への移行
2023
2023
2023
NECレッドロケッツが皇后杯 2連覇!
2024
2024
NEC創立125周年もっと見る
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