電波識別技術の現状と将来

社会システムを支えるセンシング技術 ~ 検知と認識のセンシング技術

近年、画像、映像を活用したセンシング技術は、さまざまな場面で活用され、私たちの生活に欠かせないものとなりつつあります。例えば、防犯カメラの設置は犯罪の抑止になることに加え、カメラ映像の分析に画像・映像解析技術を用いることで犯人の検挙につながるなどの効果を上げています。しかし、これらセンシング技術が普及していく一方で、今後防犯カメラの死角を突くといった、高度化した犯罪の発生が予想され、画像、映像を活用したセンシング技術を代替、もしくは補完する技術が求められると予想します。本稿ではその技術の一例として、電波センサーで収集した電波信号を用いた、無線個体識別の要素技術、並びに、想定される市場における将来的なユースケースを紹介します。

1. はじめに

スマートフォンをはじめとした無線端末は、私たちの日常生活に欠かせないものとなっています。これら無線端末の個体識別は、不審人物や重要無線への干渉電波発信源などを特定、追跡することに活用できると考えられます。

無線端末の個体識別の従来技術の1つとして、MACアドレスによる追跡手法があります。しかし、MACアドレスを詐称する技術やMACアドレスがランダム化されるスマートフォンの機種が存在するため、MACアドレスによる追跡手法には対策が取られてしまう可能性があるという課題があります。

本稿で紹介する電波識別技術では、信号波形そのものから抽出した特徴量を用いて識別を行うため、詐称やランダム化は対策となり得ません。更に、物理層の情報を扱うため、通信内容そのものを読み取ることはないという特徴も持っています。

2. 電波識別システムの要素技術

2.1 電波識別技術

電波識別とは、電波センサーで受信した信号から無線送信機のアナログ回路の製造ばらつきなどにより発生する端末固有の微小な個体差を特徴量として抽出し、あらかじめ学習しておいたモデルで分類することで、無線送信機の個体を特定する技術です(図1)。この技術は、電波指紋とも呼ばれます。図2に電波識別に使用する電波特徴量の例を示します。図2は、A社製の同じ機種の異なるスマートフォン2台の無線LAN(IEEE 802.11g)信号から取り出した特徴量です。ピークの位置は同じでも、その高さが異なることが分かります。このような違いを利用して、無線送信機の送信個体を特定します。

図1 電波識別の処理フロー
図2 物理層電波特徴量の例

2.2 電力スペクトル密度に基づく電波特徴量

先行研究では、送信機の信号が十分な信号対雑音電力比(Signal-to-Noise Ratio:SNR)で取得できる環境を想定しており、低SNRでは識別正解率が低下していました。一般的に機械学習では入力データのばらつきを正規分布と仮定している場合が多く、その場合学習の効果が得られやすくなります。そこでNECは、対数化電力スペクトル密度に基づく1次元の電波特徴量を提案し、データの分布を正規分布に近づけることを可能としました。その結果、例えば先行研究と比較して10dB低いSNR環境でも識別正解率90%を達成でき、これは同じ面積をカバーする電波センサー数を最大で1/4に削減可能という効果につながります1)

2.3 電波特徴量を用いた送信機照合手法

電波識別技術の多くは、十分な量の識別対象の送信機のデータであらかじめ学習モデルを生成する必要があります。しかし、識別対象となり得るすべての送信機の信号を事前に取得し、あらかじめ学習しておくことは現実的ではありません。図3にNECが提案する送信機照合手法を示します。顔や指紋のような生体認証と類似の仕組みを使うことで、学習していない送信機の信号を照合します。具体的には、図1で学習した学習済みのモデルを照合用のサンプル生成に用い、生成した照合用サンプルとデータベースに登録しておいた照合用テンプレートとの類似度を計算することで登録済みの送信機かどうかを判定します。この仕組みにより、学習していない送信機でもデータベースに照合用テンプレートを登録しておけば照合可能になります2)

図3 送信機照合手法の処理フロー

2.4 深層学習の推論用アクセラレータの活用

リアルタイムに電波識別するためには、近年、安価に入手が可能になってきた深層学習の推論用アクセラレータを活用し、システムの負荷低減を図る必要があります。このようなアクセラレータは、グラフィック処理装置(Graphics Processing Unit:GPU)と比較して十分に消費電力が小さく、システムの小型化が可能であるという利点があります。しかし、画像処理に特化した演算器を搭載することも多く、第2章2節で説明した1次元の電波特徴量はそのまま使用できない場合がありました。そこで、対数化電力密度に時間的な情報も含め、画像に相当する2次元の特徴量を生成することで、推論用アクセラレータを利用しました。結果として、90%正解率のSNRが2dBほど劣化して識別可能な距離が12%減少するものの、消費電力をGPUに比べて98%低減することができました3)

2.5 将来の応用

本電波識別技術は学習用の信号と推論用の信号で電波センサーの周辺環境に変動が少ない環境であれば前述したような性能が得られます。しかし、評価を進めるなかで、周辺環境に変動がある環境においては性能が低下する課題が見えているため、現在、解決方法の研究開発を進めています。

また、現在はスマートフォンのような無線LAN端末を対象に研究開発を進めていますが、今後は不法無線局や違法無線局を取り締まる電波監視や、消防無線や航空無線などの重要無線通信に対する電波干渉源の特定などにも応用ができると考えています。

3. 電波センサーの紹介

電波識別において無線信号から電波特徴量を抽出するためには、電波を収集する必要があります。電波収集のために用いられるのは、電波センサーです。電波センサーは用途に応じて機能、性能、構造面でさまざまな特徴が要求されます。電波識別のために必要な電波は市販のソフトウェア無線機(Software Defined Radio:SDR)のような安価なセンサーによって収集可能ですが、より識別性能の向上が見込める開発中のセンサーを紹介します。

3.1 開発中センサーの特徴

開発中のセンサーは、次のような特徴を持ちます。

  • 対応周波数20M~4GHz
  • 瞬時受信帯域幅40MHz(1チャネル当たり)
  • ダイナミックレンジ70dB以上
  • 受信チャネル数8チャネル(同時受信可能)
  • 消費電力70W以下
  • プレフィルタによる高い強電界耐性

なお、この開発中のセンサーは、図4に示すように用途に応じて空中線、フロントエンド、アプリケーションを組み替えるという、お客様の目的に合わせたカスタマイズを可能とすることをコンセプトとしています。また、システムへの導入やアプリケーション開発を効率化するためにAPI(Application Programming Interface)を準備しています。

図4 開発中センサーの構成

3.2 開発中センサーの電波識別における応用

開発中のセンサーは前述した特徴のうち、瞬時受信帯域幅が40MHzであること、受信チャネル数が同時8チャネルあることから、例えば無線LANにて運用されている複数チャネルを同時に複数収集し識別することが可能です。40MHz×8チャネルの広帯域性により、通信周波数への対応を充実させ、電波特徴量を取り逃しません。

また、ダイナミックレンジ性能とプレフィルタによる高い強電界耐性により、都市部などの電波発射の多い地域においても飽和することが少ないため、使用する場所を選びません。

4. 電波識別技術のシステム利用イメージ

電波識別技術のシステム利用の一例として、特定のスマートフォン利用者を追跡するケースの利用イメージを図5に示します。図5に示すとおり、電波センサーで受信した信号の電波特徴量と、事前に登録した電波特徴量との照合結果が一致した場合に、システム監視者に通知することでリアルタイムに対象の所在を特定することができます。このようにリアルタイムに特定、通知する場合もあれば、収集した電波を事後分析に用いる場合も考えられます。

図5 電波識別技術のシステム利用イメージ

なおシステム利用に際しては、収集した電波特徴量の取り扱いにあたってプライバシー保護の観点を十分に考慮する必要があります。

5. 市場でのユースケース例

電波識別技術の市場でのユースケースを紹介します。

5.1 行方不明者捜索

行方不明者のスマートフォンが発する電波に基づいて捜索を行うユースケースです。行方不明者捜索において電波識別は、従来の目撃情報収集や防犯カメラ映像分析を補完する捜索手法になると考えられます。行方不明者の様相(着衣などの見た目)が変わった場合や、行方不明者が屋内に閉じこもっていた場合でも、スマートフォンを所持していれば、電波センサーにより電波を収集し、識別することが可能です。このようなユースケースにおいては、防犯カメラ同様に街頭への電波センサーの設置が広く普及すればするほど、より高い効果が期待できます。

5.2 ストーカーの再犯防止

ストーカーのスマートフォンの電波から、被害者への接触を未然に検知するユースケースです。ストーカーによるつきまといや待ち伏せを防ぐために、常に被害者を警護することは困難です。そこで、ストーカーが被害者の生活圏内に接近した場合に、ストーカーの所持するスマートフォンの電波を検知することで、犯行を未然に防ぐ対処を行うことができると考えられます。また、ストーカーが特定できていない場合においても、センサーが特定の電波を検知する時間帯や頻度などを分析することで、ストーカーのスマートフォンを特定することも可能になると考えています。

5.3 違法電波検知

電波法に抵触する違法電波を発生する通信機器の機種の存在を検知し、同時に所在を特定するユースケースです。同じ機種の通信機器が発する電波の特徴は似ているため、違法電波を発生する1台の通信機器の電波を学習しておくことで同機種の他の個体の電波の存在を検知することが可能になります。また、到来方向を推定する機能やセンサーと併用することで違法電波の発射源位置を特定することが可能になり、正規の通信に障害を及ぼす通信機器を早期に発見、排除することが可能になります。なお、検知する必要のある機種ごとの電波特徴量をあらかじめシステムに登録しておく必要があるため、例えば押収した通信機器を使用して電波特徴量を収集する必要があります。

6. おわりに

本稿では、電波識別技術の要素技術と市場におけるユースケースを紹介しました。現在研究開発中の耐環境性能の向上が実現できれば、紹介した以外のさまざまなユースケースでも活用が可能になると考えています。今後、本技術を更に発展させ、「電波で見守る」ことで、安全・安心な社会の実現への貢献を目指していきます。

参考文献

  • 1)
    Taichi Ohtsuji et al. :Noise-Tolerant, Deep-Learning-Based Radio Identification with Logarithmic Power Spectrum,ICC 2019 - 2019 IEEE International Conference on Communications (ICC),2019
  • 2)
    大辻太一、竹内俊樹:深層距離学習を用いた送信機照合における学習パターンの影響,2020年ソサイエティ大会,2020
  • 3)
    大辻太一、竹内俊樹:深層学習を用いた電波識別における推論アクセラレータ向け電波特徴量の提案,2019年ソサイエティ大会,2019

執筆者プロフィール

大辻 太一
電波・誘導事業部
主任
奥野 純平
第二官公ソリューション事業部
栗原 崇
電波・誘導事業部
マネージャー
竹内 俊樹
システムプラットフォーム研究所
プリンシパルクリエーター
兼松 政弘
第二官公ソリューション事業部
マネージャー