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カーボンナノチューブ 研究者の素顔(研究者インタビュー)

NECの最先端技術

2024年9月24日

研究者の素顔

研究者の素顔では、NEC第一線の研究者の生い立ちや研究活動の変遷などをご紹介します。日本では、「理科離れ」、「もの作りの空洞化」の危機が叫ばれて久しいですが、研究者のメッセージを通じて、科学技術を身近に感じていただき、興味を深めていただければ幸いです。今回は、飯島博士からのメッセージです。

CNTを発見した電子顕微鏡の前で
CNTを発見した電子顕微鏡の前で

1. 少年時代

皆さんによく、「どんな子供でしたか?」と聞かれます。一言で言うと、"自然児"でした。小さい頃は、植物採集、昆虫採集、魚釣り、小動物(はと、うさぎ、へび、かえる、かに等々)の飼育など、自然と触れ合うことは何でもやりました。自然を体験することからさまざまなものを学び取ってきたことで、感性や洞察力が養われたと思っています。高校と大学では山岳部と音楽部に属し自然探索と創造的挑戦で青年期を満喫しました。

2. 電子顕微鏡との出会い、専門性の獲得

電気通信大学の通信学科を卒業するにあたり、エンジニアリングの分野ではなく、サイエンスの分野に方向転換。無事東北大学の大学院物理学科に合格したものの、他大学からの合格のため事情が分からず、研究室への配属は面接のときに即決しました。そこがたまたま電子顕微鏡研究のパイオニアである日比忠俊教授の研究室でした。

もともと特に電子顕微鏡の研究をやりたいと思っていたわけではなかったのですが、この分野の研究が肌にぴったり合ったようです。博士課程を終え、東北大学科学計測研究所の助手として2年、米国アリゾナ州立大学の研究員として12年間を過ごし、その間に、物質構造を原子レベルで解明する高分解能電子顕微鏡技術を世界に先駆けて開発しました。こうして飛び込んだ分野「電子顕微鏡を使った物質のナノメートルレベルの構造や物理現象の探求」が私の専門となりました。

電子顕微鏡と出会ったことが、私の研究の道を決めたわけですが、これは、"セレンディピティ"というよりは、偶然の出会いだったのかもしれません。しかし、進路変更し、新たな分野に自ら飛び込んでいった、という点からは、何かを求める意思が働いていたことは事実であり、単なる偶然ではなかったようにも思います。

3. アメリカ時代

1970年から1982年までアメリカのアリゾナ州立大学で過ごしました。 (1979年は英国ケンブリッジ大学客員研究員としてイギリスに滞在していました。)  一言でいうと修業時代です。アメリカ時代に学んだことは、「人のやったことはやらない」ということでした。

その結果として、1971年、高分解能電子顕微鏡を開発し、ニオブ酸化物結晶中の金属原子の直接観察に世界で初めて成功、1973年には、同じく高分解能電子顕微鏡を使って、結晶中の点欠陥を原子レベルの分解能で撮影することに成功しました。そして、1977年には、孤立タングステン原子の撮影に成功し、1932年に電子顕微鏡が発明されて以来、研究者が抱いていた「原子1個を見てみたい」という夢が実現したと言われました。

4. 帰国後、NECに入社したわけ

1982年に帰国し、新技術開発事業団(後の科学技術振興事業団)の第1回研究プロジェクトに参加して、新しい高分解能電子顕微鏡を開発しました。そして、1984年には、金の原子がアメーバのように動く金超微粒子の“構造ゆらぎ”現象を発見しました。帰国後1982年から1987年の間は、主に微粒子の研究に打ち込みました。

その後、1987年にNECに入社しました。次の研究課題を、高分解能でかつ超高真空で動作する新しい電子顕微鏡の開発をしたいと思っていたところ、NECがその電子顕微鏡開発に同意してくれたというわけです。48才で初めて経験する会社勤めです。企業の基礎研究所に飛び込んだもうひとつの理由は、エレクトロニクスの研究所には大学では作れない高価な装置で作ったユニークな材料があり、それらは電子顕微鏡による格好の研究課題になると睨んだからです。第三の理由は、企業の研究所でも基礎研究ができるはずだ、という密かな自分への挑戦もありました。大学と企業の研究所が基礎研究で競い合い、切磋琢磨することは、基礎研究が多様な研究者に支えられることになり、これは健全だと信じるからです。もっとも、経済的環境が許される範囲内で行わなければなりませんが。NECの経営方針に「広く科学・技術を追及し、新しい価値を創造する」、「社会への還元を図る」と言っているのも気に入りました。

入社の年から2年を要しましたが、待ち望んでいた顕微鏡を世界に先駆けて開発することに成功しました。今思い起こしてみると、入社後初めて書いた論文はC60に関するものでした。何か縁を感じます。

5. 金曜講話について

カーボンナノチューブを発見してからも、特別、私の生活や研究スタイルが変わったということはありません。強いて言えば、忙しくて自分の時間がなくなったことくらいです。研究の方向性だとか、物事に対する好奇心は、今も昔と何ら変わりない、と信じていますが(?)

1997年の5月に、英国王立研究所で行った「金曜講話」は、これまでいろいろ講演してきましたが、特別、英国の科学の伝統を感じる貴重な経験でした。

講話は、司会者によるイントロダクションや紹介は一切なく、いきなり午後8時の鐘の合図で始まります。1時間後にはまた鐘がなって、途中でも厳格に講話を終了させなければならないという伝統的スタイルになっているのですが、私の場合は、3秒前に講演が終わり、呼吸を整えたその瞬間に鐘がなりました。これは、ギネスもののタイミングだったとのこと。会場は大いに盛り上がりました。

また、講演では、「カーボンナノチューブの実用的な価値について聞かれるとしたら、電気を発見した、イギリス人の偉大な科学者、ファラデーが、当時の大蔵大臣に問われたときの返答”One day, Sir, you may tax it.”と答えます。」と話しましたが、このコメントにも会場が沸きました。これは、いつかこの発見で税収があがるほど、カーボンナノチューブには多くの魅力があるという比喩だったのですが、今では、そのとき感じていたよりもさらに意を強くしています。

金曜講話

金曜講話とは?

「金曜講話」は、1825年に電磁気学の創始者ファラデー(M.Faraday)により、先端科学を一般の聴衆にわかりやすく紹介することを目的として創設されたもので、以来、当時と同じ場所である、ロンドンの英国王立研究所で続けられている権威ある講演会です。
年に20回、金曜日の夜に、世界の一流の研究者が、専門家だけでなく王室関係者や医者、弁護士といったその専門外の知識人に対し、最近の成果を、実験を中心に、わかりやすく講演します。講師、聴衆ともブラックタイ着用を求められるほど格式も高く、講演会の様子は、現在の英国紙幣のデザインにも用いられているほどです。
この講演会には、これまでマックスウェル、レーリー卿、デュワー、フレミング、J.J.トンプソン、P.キュリー、ラングミュラー、クロトー等、ノーベル賞クラスの科学者も講演しています。飯島博士は、日本人として、菊池誠氏(ソニー 1984年)、藤正巌氏(東大1994年)、外村彰氏(日立1994年)、永山国昭氏(東大1997年)に続き5人目の講演者となりました。

6. 若い人たちに

私はよく"セレンディピティ"という言葉を使います。偶然をもたらすには、そこに至る過程が大事だと思っているからです。物事を正しく見る目というのは、日頃の観察から養われると思います。昨今の凶悪犯罪のニュースを見るにつけ、小さい頃から、自分で考えて正しく行動する訓練ができていないことが原因なのではないかと感じます。今の日本は過剰なサービスが横行しています。例えば、駅のホームのアナウンスです。「危険ですから白線の内側まで下がってお待ちください」と、親切にアナウンスしてくれますが、そんなことは乗客が自分自身で判断すべき問題です。このように、自分で考えなくても誰かが答えを言ってくれる世の中で育ってしまうと、独りで生きる術を習得できません。最近の日本の子供たちに「サバイバルゲーム」をさせたとしたら、きっと誰も生き残れないのではないでしょうか。これは大人の責任です。もっと自然に触れ合い、自分で考えて行動する生活をしてほしいなと感じています。

ここ何年も言われつづけている「理科離れ」についても、自然との触れ合いから習得する観察力、感性が欠如していることに起因するのではないかと思います。研究というのは、興味があれば、どのような環境下でもできるものです。興味をもたせるように育てるのが教育だと思います。

7. 科学を志す人たちに

先にも述べましたが、「人のやったことはやらない」というのがポイントだと思います。でも、「人のやっていないことをやる」というのは、強いモチベーションに裏付けられなくてはなりません。その裏付けは何かと問われると、難しい問題です。広い視野で本物を見抜く訓練かもしれません。限られた時間ですからインパクトのある研究テーマを探したいものです。収益を重視する企業では、基礎研究の継続は難しいと思われるかもしれません。しかし、芽があると見込まれる研究なら、企業でも支持されると思います。要は、その研究者に先を読む力があるか、そのマネージャーに見る目があるかにかかっています。ただし、いつまでも芽のままならやめる勇気も必要です。多額の投資をした研究だと、やめるのは大変難しいものなのですが。

日本の若い皆さんにお願いしたいことは、企業で研究しようと、大学等で研究しようと、そういう枠にこだわらず、日本に誇れる研究成果を生み出して欲しいということです。誇れるものがないことは、世界の中で伍していくとき、精神的ゆとりができません。日本の文化を創造するんだ、というぐらいの自負が必要です。例えば、私の専門である電子顕微鏡による研究や製造技術は、世界に誇れる技術だと思っています。ぜひ、皆さんも世界に誇れる科学・技術を創造してください。

8. 飯島特別主席研究員 参考資料

  1. 参考図書「カーボンナノチューブの挑戦」飯島澄男著 岩波書店 1999年1月発行

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