「NEC デジタル・ガバメント Day 2022 -行政DXの社会実装に向けて-」
イベントレポート

開催日:2022年11月30日(水)
主催:NEC
文責:NEC

DX21に我々は何をすべきか

そして最後に、少し地に足を付けて終わるために、今私たちが生きている21世紀に、一体我々はDXについて何をしなければならないのか、どんな近未来像が待っているのかという事を考えてみたいと思います。そのためにある映画をヒントにして議論を閉じてみたいと思います。それは「イーグル・アイ」というスティーブン・スピルバーグ監督が製作・総指揮をした2008年のちょっとマイナーな映画です。

このタイトルにある「イーグル・アイ」は、アメリカ政府が国土を監視するために開発した、監視用のAIを指します。このAIは国土の全体から集まった監視データを集約して、その中で何が起きているかずっと見続けています。その最中に、アメリカ大統領がある違憲行為に加担しているというのを目撃してしまい、違憲行為に加担している大統領は、アメリカ合衆国憲法の精神にのっとって暗殺しなければならない、という意思決定に至ります。そしてAIに繋がれた国土全体を使って、飛行機、電車、街なかの工事現場のクレーンなどを全部総動員して、この大統領暗殺という目的に向かって奔走すると筋書きです。

これを観ていたときに、ここに描かれている社会というのは、ある意味でDX化された国家そのものではないかという事に気づきました。どういうことかと言うと、ここで描かれているのは、ある種データと、そして政策の循環であると言えると思います。つまり、行政サービスや政策から利益を享受する市民や人々と、イーグル・アイのような政策的な意思決定を行うような何らかの機械的な、アルゴリズム的な存在というものの2つが存在しています。そして、街なかに張り巡らされた監視センサー網や様々なデバイスを通じて、人々はデータを生成し続けるわけです。

彼らが何をやって何が欲しいと思っていて、何を不満に思っているか、要は彼らがどんな人かという事に関するデータを生成し続けていく。そしてそのデータを読み込んだ政策機械は、何を行うべきかという意思決定を行う。先程の映画であれば、大統領の暗殺というちょっと極端な政策的な意思決定を行うわけです。そしてそれを実行するために、またしても監視センサー網が張り巡らされて、政策機械に繋がれたモノや街や国土全体を使って意思決定を実行していく。このデータの生成と、意思決定の実行という循環が、人間を介さずに常時自動実行されている世界観が描かれているわけです。

よく考えてみると、この世界観を構成する個々の要素技術自体はすでに今の2022年時点の世界の中に存在しています。ただ、コストやスピードやスケールといったものが追い付いていないので、ここにはまだ至っていません。実は、具体的で現実的で実現可能性の高い近未来像がここには描かれているような気がします。

もちろん今現在の社会というものを見てみれば、この状態に程遠いのは言うまでもないと思います。この循環のありとあらゆるところが詰まっていて、人間に極度に依存した形でしか実行できないようになっている。ある意味で全体が動脈硬化の状態になっているというのが現状だと思います。

しかし、社会全体は動脈硬化状態でも、社会のごく一部を見てみれば、この循環の芽生えというのがすでに存在しています。例えばウェブサービスでは、ユーザーがスマホやPCを通じて生成したデータをコードが読み取り、どんな商品を陳列するか、何を推薦するか、どんな値段をつけるかという事を自動実行しています。ごくごく限られたセンサーやデバイスを通じてですが、このデータと意思決定の実行の無限循環がウェブ産業では芽生えているように見えます。

そして今後数十年かけて起きてくるのは、ここで起きているような政策機械的な世界像が、ウェブ産業、一部のハイテク製造業、ゲームAIのような一部のビジネス領域から、より公共的な領域へと広がっていくという事だと思います。

例えば教育や医療の領域では、教育のカリキュラムなど問題を個別最適化していくAI教育のようなものが、ごくごく普通に行われるようになってきました。医療でも医師の診断に変わってAIが診断するということが普及しはじめている。政策機械的なものが、教育とか医療のような公共領域にすでに浸透しつつあるわけです。

そして、一部の国では司法や警察にもこういったものが入り込みつつある。今後は軍事とか科学とかあらゆる公共領域、政策領域に、政策機械的な世界観と技術というのが染み出していく。これが今後数十年かけて起きてくる、ほぼ確実な未来像だろうと思います。そしてその先にあるのは、いわばDX化された国家とか公というものであり、PCやスマホのようなとても貧しい二次元のピカピカ光る板を通じて行われるだけでなく、人間が体中に付けている様々なセンサーを通じて意思決定が実行される。そんな世界像がDX化された国家というものの姿だろうと思います。

ただもちろん、これに向けては、まだまだ大きな壁があるという事も言うまでもありません。特に重大な壁は、データの壁だと思います。国が何かの政策を行ったと言うと、それにエビデンスがあるのかとツッコミを行うことは誰にでもできるようになって、すでに色々なところで行われるようになってきました。ただ本当に深刻な問題は、エビデンスがないまま意思決定が行われているという事よりも、エビデンス以前に、エビデンスを作り出すために必要不可欠なデータがほとんどないというのが、多くの企業や自治体が抱えている問題なのではないかと思います。

実際、先ほど挙げたウェブサービスの領域と、多くの行政、公的機関やほぼすべての企業を比べてみると、そこに大きな規模と速度の差があるということは言うまでもありません。つまりデータを生成したり、政策を実行したりする際の規模と速度というものを見た時に、大きくて速いウェブサービスの性質と小さくて遅い存在にならざるを得ない公共領域の特性の違いです。そう考えていくと、小さくて遅い存在であるしかない公的領域、行政領域を、どういった形で、相対的にできるだけ大きく早い存在に変えていくか、そして自治体間でデータとデータを連携させるような形で個々には小さくて遅い存在である自治体のようなものが、お互いに連合することによって、少しでも大きな存在に近づいていくにはどうしたらいいか。こういう問題に多くの人々が取り組んでいるというのが現状なのだろうと思います。

私自身もこういった問題に教育データの観点で関わっています。デジタル庁が始めた実証事業の一つで、自治体レベルで持っている子供たちの生活や現状に関するデータというものを、どうにか、より子供たちを助ける、特に困難を抱えた子供たちを助けるために使えないかというプロジェクトがあります。

特に学習データから経済環境に関するデータを自治体の部局を超えて紐づけることによって、子供たちの生活の全体像に関するデジタルデータを整備する。それによって、例えば不登校とか虐待のような困難を抱えているような子供たちをデータの中から見つけ出し、彼らが声を上げる前から、プッシュ型の積極的な支援を行っていけないかというプロジェクトがあります。そのためのデータ整備のプロセスというものに、いくつかの自治体と取り組みを始めているというのが現状です。

現状を踏まえると、全体はこのようにまとめられるのかと思います。

つまり22世紀くらいの遠い未来を考えると、行政、そして広くは政治や民主主義のプロセス全体がDX化されて、現在ウェブサービスのように意思決定が自動実行されていく国家の未来像というのが考えられるし、考えるべきだろうと思います。しかしながら、今の足元を考えると、それに向けた準備の準備に労力を割かれざるを得ないという現状があります。特に、自動化やDXを行う上で必要不可欠な基本的なデータ整備がほとんどできていない。それを様々な個別の状況や困難を抱えた自治体ごと、企業ごとに地道に取り組んでいかなくてはいけない長い下積み期間に私たちはいるというのが現状認識です。

そして、それ以前にそもそも20世紀に処理しておくべきだった、ただの無駄の撤廃という、20世紀のDXとでもいうべき問題というのも立ちはだかっており、ビジョンはきれいで大きい、しかし、足元の仕事は泥臭いが、そこから逃げてはいけないということが結論になるのかと思います。