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「NEC デジタル・ガバメント Day 2022 -行政DXの社会実装に向けて-」
イベントレポート

開催日:2022年11月30日(水)
主催:NEC
文責:NEC

【基調講演】
『公のDX:上から、そして下から』

イェール大学助教授/半熟仮想株式会社代表取締役 成田悠輔 様

公のDXというテーマについて考えると、どれくらいの時間軸でモノを考えるかということが重要になります。今回は足元のボトムアップの地味な話と、長い視野で考えた場合のトップダウンの話と組み合わせて、上と下から公のDXを考えてみたいと思います。その上でDXというものを3つのフェーズに分けて考えてみたいと思います。DX20、DX22、DX21という、ちょっとミステリアスな3段階です。

DX20でやるべきだったこと

DX20というのは、その名の通りすでに過ぎ去った20世紀に終えておくべきだったと思われる過ぎ去ったDXを指しています。日本社会や行政、ビジネスを考えると、ほとんどの場合、DXはまだ10年早いように感じます。つまり、DX以前にもっとやることが目の前に山積みになっているように見えるということです。例えばハンコや直筆署名、電話みたいなものがすごくはびこっていますよね。さらに紙、FAXもそこら中でビジネスや会社の業務を支配していて、あらゆるデータや情報が紙になって棚の中にしまわれているというのがよく見かける光景ではないかなと思います。

さらに一番厄介だと思っているのは、実はデジタルに見えるアナログの存在です。典型的なのが「神Excel」と呼ばれるようなものです。一見するとExcelファイルにデータ等が格納されているので、デジタル化が行われてデジタル情報になっているような気がしますが、よくよく見てみるとファイルの中身は人間が手作業で手を入れていて、ある種の芸術作品のように作りこまれている。作りこまれたExcelファイルは、プログラムや機械では簡単に読めないので、実質的に紙の上に手書きで書かれているのとほとんど変わらないような状態になってしまっているという事がよくあると思います。

こういった神ExcelとかPDFファイルとかを見ると、問題はデジタルかアナログかという問題ではないのだと思います。むしろデジタルであれ、アナログであれ、それ以前から惰性で我々が行ってきた様々な風習や伝統を、根本的な合理性とか効率性とか考えずに次世代へ押し付けているだけに見える。そういうものが社会全体にはびこっている。これを考えるとDX以前に、単純に無駄を削減するという事が最初に必要になってくるのではないかという気がしています。

もう少し言えば、1(イチ)を0(ゼロ)にする努力です。イノベーションがとかスタートアップというような文脈で、0を1にする大事さというのが語られて久しいですが、実は、それよりも大事なのは1を0にすることでないかなと思っています。つまり、無くなった方がいいような様々な仕事や制度や風習や伝統というのが大量にこの社会を包み込んでいる。いらない書類、いらない手続き、無い方がいい会議などです。こういった有害な1を根絶して1を0にすることが、0を1にすることと同じくらい重要なのではないかと思っています。

そのためにはこういった無い方がいい仕事というのを回すことで生活を成り立たせたり、時間をつぶしたりしている私たち自身の情けなさというのが一番大きな壁として立ちはだかってくるのだろうと思います。ですので、自分たちの中の必要のない部分というのを積極的に切り落としていくような1を0にする勇気を持つこと、これがまずDX以前に必要になる日本社会の変革なのではないかと思っています。これがDX20という20世紀のDX。すでに我々が完了するべきであったDXというもので僕が表現したいものです。

DX22の世界観

今度は大きく時間軸と視野を広げて、トップダウンかつ長い視野でDXを考えてみたいと思います。それが、私がDX22という言葉で呼びたいもの。言わば22世紀ぐらい、向こう数十年から100年くらいの変化を考えた時に、一体DX化された社会の行きつく先は何なのかということを見据えた議論です。そのために、こんな思考実験をしてみたいと思います。

DXの大きな歴史というものを展望する上で、重要なヒントをくれるものがあります。それは実は仏教です。仏教の中の大乗仏教の唯識派と呼ばれるインテリな仏教徒たちの宗派があり、彼らは人間の意識を8つの側面に分解した「八識」と呼ばれる概念を提案しました。

八識のうち、最初の1から5というものは私たちになじみが深い、いわゆる五感と呼ばれているものです。1番目に目で感じる視覚情報、2番目に耳で感じる聴覚、3番目が鼻で感じる嗅覚、4番目に舌で感じる味覚があって、最後に体で感じる触覚とか体性感覚があります。そして6番目には知識や合理性などを表す狭い意味での意識があり、7番目に来るのが末那識(まなしき)と呼ばれる人間のプライドやエゴなど自己中心性とか承認欲求のような存在です。そして最後に八番目に阿頼耶識(あらやしき)と呼ばれるものがあります。これは1から7のようなそれぞれの個人の中に閉じている意識の力というのを超えて、大きな集団としての生命の何とも言えない大きな流れや力のようなものを表したものです。
面白いのは、この八つの分類というのがDXやデジタル技術の過去と未来を考える上でも何か大きなヒントをくれるような気がするという事です。

そこで、これまでのDXつまりデジタル技術によって社会を変革する過去をふり返ってみます。そうすると、八識のうちだいたい4つくらいをデジタル化してDX化することに成功したと言えるのではないかと思います。

例えば眼を使って考える視覚というものを見てみます。そうすると今日の社会では画像検索や監視カメラに基づく自動的な顔認識がごく普通に行われるようになっています。これはもともと人間が眼を使って、ある写真の中に友だちが入っているかとか猫が含まれているかという事を判定していた。そのプロセスをアルゴリズムやプログラムのようなものを使って画像を分類したり検索したりすることが出来るようにした。ある意味で人間の視覚というものを、デジタル化し、自動化し、機械化することに成功したと言えると思います。

同じようなことが例えば耳についても言え、最近は電話口のオペレーターがAIオペレーターのようになるというのがごく普通になってきています。また機械翻訳では、現在の人類の99%くらいよりは有能な翻訳ができるようになってきています。このような形で、眼・耳・カラダ・意識というものについてはその一定部分をデジタル化することに人間は成功してきたと言えるのではないかと思います。

そう考えると、ここから先DXに何が起きるのかという事もヒントが得られるような気がします。それは残る4つの識のデジタル化ではないかという事です。例えばひとつのフロンティアというのは舌で感じる味覚とか鼻で感じる香りといったようなものになるのではないかと思います。例えば人間が何かを食べたりその匂いを嗅いだりしたときに美味しいとか香ばしいとか風味がいいとか感じる、こういう感覚をどうやってデジタルデータで簡潔に表現できるのか、そして人が美味しいとか風味がいいと感じるような食べ物とか飲み物を新たに作り出すプロセスを、自動化したり機械化したりできるのかといった問いです。

そして、その先にはデジタルデータが人間のあらゆる側面を、順番に自動化していく、つまり、先程の八識の残された領域というのをどんどんと侵食していくという事が起きるのではないかと思います。つまり、ここから先に起きてくるのは人間の意識とか知覚のほかの側面、これまではデジタルデータと相性が悪いと思われていたような側面に、どんどんとインターネットとコンピュータが侵食していく、そしてその対象をデジタル化していく動きなのではないかと思います。

こういった形で、インターネットがそしてデジタルデータが記述できる領域が身体やそして心へとどんどん広がっている、これが今起きていることだろうと思います。この潮流は突き進んでいくと、言わばデジタル化できるものというのはすべてデジタル化されるというマクロトレンドを表していると思います。そして、このマクロトレンドの行きつく先には、ちょっとオカルトチックでスピリチュアルで、SFに近いような世界が待っているのではないかなという気がします。

例えば一つの例として、アカシックレコードという概念があります。これは19世紀ごろの哲学者たちが考えた概念で、世界の始まりから今に至る、この世界で起きたあらゆる事象や想念、感情といったようなものは全て記録されているという考え方です。19世紀ではただの架空の概念でしたが、デジタル化される対象がモノ、イベント、心、体といったようなものにどんどんと広がっていくと、DXの行き着く先にあるのはこういったアカシックレコード的な世界なのかもしれないという気さえしてきます。

そして、人間の心の中で起きていること頭の中で考えていることがすべて次々とデータ化して蓄積されるような世界が長い目で見ると現れるのだと思います。データになったものには、例えばNFTのようなものを通じて、IDを付与したり、それに所有権のような権利を付けたりすることが出来るため、経済契約を結んだり、取引を行ったりすることが出来る。例えば、病院の診療報酬は、今のようなポイント制で医療行為に対して払うのではなく、成果報酬型で健康になった時だけ報酬を支払うような医療行為ができるようになっていくかもしれない、という気さえします。

そしてその行き着く先には、我々が世界について認識していたあらゆる断片というものが、市場経済にとりこまれるような時代というのが来るのではないかと。そんな世界が、DXが突き進んだ先の22世紀くらいに訪れる世界ではないかと想像しています。

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