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匠たちの競演 ~この手が造りしものに託した夢は~

インタビュー

イオンエンジン再稼働!

1000ボルトの高圧が3基のエンジンを駆動する。2019年12月3日、「はやぶさ2」は地球に向けての帰還を始めた。帰還まで1年にわたるエンジンの運転を支えたものは”電源回路の匠” 馬場が心血を注いだ高圧電源。

リュウグウの上空約300m、点火回路に通電!

その瞬間。火薬の爆発によって重さ2kgの衝突体が秒速2kmでリュウグウの表面に衝突、10mを超える大きさのクレータを作った。地球の水や有機物の起源を求めて「はやぶさ2」で初めて実現したインパクタ。その電子回路を作りし ”微細はんだ付けのエキスパート” 眞山がその手に託したものは何だったのだろう。

現代の名工、馬場大作と眞山新の二人に、「はやぶさ2」を成功に導いた匠の技の神髄を聞いた。

「はやぶさ2」を作って

Q:「はやぶさ2」が2020年12月6日に無事帰還。母船は再び11年もの長旅に旅立った今、この探査機作りに携わったお二人の心境を聞かせてください。

馬場: 正直に言うと、私たちは「はやぶさ2」の個別機器を作っているので、機器が出来上がると探査機を組み立てる担当者に引き渡して作業は一区切り、「さあ次の衛星の機器に取り掛かるぞ」とそんな感じなのです。だからカプセルの帰還を見届けた時も「あー、自分の作った機器は壊れないでミッションを全うしたな・・・」という思いでした。メーカーの私たちから見ると、動いて当たり前というのが本音なんです。

眞山:私も同感です。しかし、帰還カプセルに組み込まれた電子機器部の製造に携わったことで素晴らしい体験もできました。その作業リーダーだった私は、日本に帰還カプセルが戻ってきたのちに、降下時のデータを電子機器部から抜き取る作業も担当し、思いもよらず帰還して間もないカプセルの一部に触れることができました。

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回収された「はやぶさ2」再突入カプセル内部

「はやぶさ2」再突入カプセル搭載機器

Q:それはすごいですね。眞山さんはインパクタや中間赤外カメラにも携わりましたが、ミッションの成功に関して特別な感情がありましたか。

眞山:インパクタの点火によって砕け散った機器の一部が、今もリュウグウの近くを飛んでいるというのは、製造にかかわった私には感慨深いものがあります。そのために作ったと言えばその通りですが、中々経験できない貴重な感覚です。
「はやぶさ2」では中間赤外カメラの製造も担当しましたが、発表された観測結果を目にした時には、すごいものに私も関わったんだなと改めて思いました。

探査機開発の流れ

名工への道のり

Q:そうですか、インパクタもカメラも本当にいい仕事しました。では次に入社の動機とその後の経歴をお話しください。

眞山:動機は単純ですが、「宇宙開発」って何か格好いいし、誰でもできることじゃない、というものでした。振り返ると、デジタル機器の製造を担当することが多く、「あすか」「みちびき」「はやぶさ」「あかつき」「はやぶさ2」と様々な衛星製造に携わってきました。金星探査機「あかつき」の中間赤外センサや「はやぶさ2」の中間赤外カメラは、設計者の樫川さんと二人三脚のタッグを組んで作り上げたものです。

馬場:1986年にハレー彗星まで行った「すいせい」が私の初仕事でした。この探査機の太陽電池の取り付けを行いました。その後は、衛星システムの組み立てを数年経験し、のちに搭載機器製造部門で、もっぱら電源系の機器を手掛けました。なかでも通信衛星「きずな」の高圧電源機器10台を製造し、衛星本体への取り付け作業まで担当したことは強く記憶に残っています。納期の要求が厳しくて大変だったのですが、当時は、どっぷりとその作業にのめり込んでいて毎日が楽しかったな。そして「はやぶさ」「はやぶさ2」ではイオンエンジンの電源系機器などの製造を担当しました。

Q:ありがとうございます。技能者として成長するということはどんなことでしょう。

作業中の馬場

馬場:私にとっての転機は40代かな。ひと通りすべての作業ができるようになったので、「まあこのままでやっていけるから十分かな」と考えていました。ある時、テレビに映る職人の姿を見ていた息子に「パパもあんな風な職人さんになったらいいよね」と言われて、はっとしたのです。「今の自分は何も持ってないんじゃないか」と。私の同僚に斎藤さんという方がいて先に「現代の名工」に選ばれていました。「このまま満足してはいけない、彼に追いつこう!」「まず彼が持っている資格から全部取ってやろう!」と思い立ったのです。

眞山:私を突き動かしたのは、馬場さんが「現代の名工」となり大活躍されているのを見たことです。自分も頑張らなくちゃと思いました。

Q:皆さんはお互いを切磋琢磨するライバルといってよいのでしょうか、それとも同志的な関係でしょうか。

眞山:競い合うという感覚ではなくて、やはりお互い目指すものです。私にとって馬場さんは”先達”です。

馬場:それでも仕事を離れると仲間ですよ。二人ともバイクツーリングが趣味で、泊りがけで一緒に行くこともあります。

眞山:そうそう、岐阜の高山、金沢や伊勢神宮にも泊りがけで行きましたね。

宇宙で動く機器を作る日々

静電気対策をしながら作業する眞山

Q:機器づくりのプロセスやノウハウはどんなものですか。高い信頼性を必要とする宇宙ならではの事もあるかと思いますが。これぞという経験者ならではのお話がありましたら聞かせてください。

馬場:宇宙機器を作るには多くの制限があります。特に静電気には細心の注意を払っています。作業台には静電気を除去する機器を取り付け、手には帯電防止のバンドを付けるなど様々な配慮をしながら作業をすることが当たり前になっています。その一連の手順はマニュアル化されていますが、口伝もいくつかありますね。

馬場:配線ひとつにも様々なノウハウがあります。図面に書かれていない細かなこともあり、頭のなかでシミュレーションしては試行錯誤もし、3次元的に組み上げていきます。配線のそのものにもストレスをかけてはいけないし。特に高圧系の配線では、用いる線材に絶縁のための分厚いテフロン被覆(覆い)があるため、束ねにくく曲げづらい、かつ接着剤が付きづらいのです。そこで特殊な部品を使って固定する必要があるのですが、機器の箱のなかに、この部品を先に固定して、その中に配線を通すなどの工夫が必要です。

眞山:「はやぶさ2」のインパクタは、電子部品を搭載するプリント基板の形状が特殊でドーナツ型になっていましたから、組み立て作業は大変でしたね。しかも探査機に取り付けた状態では絶対に点火してはいけません。機体から分離した後の点火を確実にさせる仕組みを設計通りに間違いなく造り込む必要がありました。

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インパクタ内部

Q:はんだ付けにも多くの経験が詰まっていると聞いていますが。

眞山:はい。デジタル機器のはんだ付けでは、はんだ付けの量、電子部品の取り付け位置などの違いで微妙に電気特性が変化しますので、適切な量のはんだで”富士山のような形”に仕上げていきます。端子の間隔が狭い半導体部品では、はんだごての先端を少し特殊なカタチにしたものと、0.3mmくらいの細いはんだ線を用いて、数か所の端子を一気に仕上げる場合もあります。

馬場:高圧系の電源を組み立てるときは、はんだ付けの仕方も全く異なってきます。高い電圧に耐えるはんだ付けは丸くします。なぜなら、角のような尖がった部分があるとそこから放電を起こし回路を壊す恐れがあるためです。このように仕様や電子部品に合う、はんだの量を選び、時には数倍の量を使って形状を丸くすることもあるのです。

富士山型はんだ付け

高圧系電源回路特有のはんだ付け

Q:なるほどわかりました。お二人ともはんだ付けのベテランですが、そういったノウハウは訓練で身につけたのですか?

眞山:基本はそうです。難しいところは先輩に手取り足取りで教わりました。その後はとにかく自分でやってみること、教わっただけでは絶対上手くいかないと思いました。すごく微妙で、はんだが溶ける感じや、端子と基板がくっつく具合というのは自分で体得することが必要でした。

Q:こういった技を後輩に教えるときはどうするのですか

眞山:まずは私がやって見せ、次に後輩にやらせてみますが、最初は上手くいかないものです。最初からすべてを教えるのではなく、失敗させてみて、そこでまた教える、こういった繰り返しが必要で、これが経験として生きてくるのです。

馬場:私は柔道をやっていました。”心技体”という言葉は私の座右の銘になっており後輩にも良く言っています。現代の名工を受章した時に、「あっ、名工の意味ってこのことだったのか」と改めて思いました。

未来を託す

Q:今後、技能や技術の継承について具体的なものがあればお聞かせください

馬場:若い世代がバリバリやれる会社にしていきたいですね。若い世代が私たちを追い越して更に良いものを造っていく。私たちのやり方は古いですから、これまでのやり方を変え、手で作るものと機械化するところをきちんと分けて、できるだけ機械化していくことが必要だとも思っています。
また、私が新人の頃は厳しく指導してくれる先輩もいましたが、最近の若手は、きつく叱るとついてきません。だから「良い面を見つけ、褒めて育てる」よう心がけています。

眞山:以前の製造現場では様々なノウハウが口頭で後輩に伝えられてきましたが、今後は細かなノウハウも動画などで見て分かるようにしていきたい、と常々思っています。

Q:若手への継承の仕方も以前とはかなり変わってきていますね。では最後に後進に贈る言葉をお願いします。

馬場:仕事など、どんなことがあっても「くさらないで、ねたまないで」と伝えたいです。20代のころ、私は考え込み苦しんだ時期がありました。その時、私自身がダメになってしまうと不安におそわれる経験をしましたので。

眞山:製造現場では職人のような人を尊ぶ雰囲気がありましたが、それはそれとして、「もの作りは楽しい」と、ひとりひとりがその気持ちを大切にして仕事をしてほしいと思っています。

結びに代えて

馬場の作り上げた電源装置は、今日も「はやぶさ2」イオンエンジンを駆動している。
その務めは11年後の2031年まで続いていく。
眞山の手掛けたカメラは、これからも「はやぶさ2」拡張ミッションや金星の周りを回る「あかつき」で新たな発見をもたらすに違いない。

様々な機器づくりへの挑戦を止めることは無い。受け継がれた経験とノウハウを生かしつつも、仲間と切磋琢磨しそれを超える努力をやむことなく続ける姿に匠の技が宿る姿を見せつけられた思いがする。

彼らの手が造りしものに託した夢は、次の世代へ確実につながれていくことだろう。

馬場 大作
NECスペーステクノロジー
平成29年度 卓越した技能者表彰(現代の名工) 受賞

眞山 新
NECスペーステクノロジー
令和2年度 卓越した技能者(現代の名工) 受賞

執筆:小笠原 雅弘
2021年3月22日 公開

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