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海の環境を高精細に知り、ホタテガイ養殖に衛星観測データが大活躍する理由
インタビュー
青森県の陸奥湾は、津軽半島と下北半島に囲まれ、北側が津軽海峡に開いた内湾だ。湾内では養殖業が盛んで、特にホタテガイの養殖は県全体の漁業生産額の20%以上を支えている。
2010年、陸奥湾は異常な高温の海水に見舞われ、青森県の水産物で主要な位置を占めるホタテガイは出荷できなくなるという大打撃を受けた。
こうした海の危機から水産業を守るため、陸奥湾の環境を海上に設置したブイや、気候変動観測衛星「しきさい」からのモニタリングデータを活用して情報をリアルタイムに提供している青森県産業技術センター水産総合研究所 漁場環境部長の高坂祐樹さんにお話をうかがった。
高坂 祐樹(こうさか ゆうき)氏
青森県産業技術センター水産総合研究所 漁場環境部長
1996年、東京水産大学水産学部を卒業。青森県水産試験場に勤務。2001年よりむつ水産事務所勤務、2004年より増養殖研究所(現:水産総合研究所)に勤務。現在は漁場環境を主に研究。貝毒を長年研究。青森県気象海況情報総合提供システム「海ナビ@あおもり」を自主開発。青森県独自の水温予測モデルの開発。
海の環境を知り、ホタテガイを守る

―衛星データ活用のきっかけになった、2010年の異常高水温による大打撃とはどのようなものでしょうか?
高坂:青森県全体の水産業は平均すると約500億円と大規模であり、その中でホタテガイは100億円から200億円ほどで、首位となっています。2010年に異常高水温が発生したことでホタテガイの生産量(重量)は約3分の1、生産額(金額)は半分以下になり、地元漁業の経済にとって大きなダメージとなりました。
場所によってはほぼ全滅でした。ホタテガイが生む卵も減り、漁師さんにとっては本当にトラウマになっています。冷たい海域を好むホタテガイにとって、陸奥湾はどちらかといえば上限に近いところです。海水温は平均23度程度で、これでもホタテガイにとっては「熱い」ほうです。2010年に記録した26度ともなれば、人間の感覚ですと気温40度ほどに感じられるのではないでしょうか。
異常な水温上昇への対策として、陸奥湾で40年以上運用を続けている水温観測ブイの増設に加え、ブイと衛星からのデータを活用した水温予測モデルの開発により迅速な情報分析・提供を行う体制を整えました。青森県海況気象情報総合提供システム「海ナビ@あおもり」を自主開発して漁業者さん向けに、分析した水温変動や波浪予測の情報を提供しています。
―陸奥湾の海水温変動について、特徴的な要因はありますか?
高坂:陸奥湾には、外海から入ってくる水の影響があります。特に、暖流のある日本海側からの流入ですね。また陸奥湾はかなり閉鎖性が高く熱が外に逃げにくいため、日照りが続くとどんどん水温があがります。衛星データでは上流の水温や「熱い水がこの辺りまで来ている」ということが一目瞭然です。予測にも使える大事な研究材料です。
―衛星データを、水産業を守るために使われているのですね。
高坂:そうですね。海水温の分布が後々このように影響してくるであろう、といった考察のために使い、「日本海の水温がかなり高いので注意してください」と、漁業者さんにお話するわけです。
―海水温変動予測の研究内容について、もう少し詳しく教えていただけませんでしょうか?
高坂:異常高水温を受けて水温予測に関する開発研究を進めると、気温と水温が必ずしも一致するわけではないということが見えてきました。気温の情報は陸上のものがメインになりますが、陸奥湾はかなり特殊で、陸上の気温が高くても水温に反映されないことがあります。たとえば、「やませ」という冷たい東風が吹くと青森市の気温は高いけれども、陸奥湾は非常に寒いということがあります。そのため、海水温が大事だということになります。
衛星は広い範囲を知ることができるので、関係が深そうな上流のデータを得られるというメリットもあります。陸奥湾では40年以上、海上にブイを浮かべて海水温を観測しているのですが、ブイの数は3箇所と限られています。多地点を同時に調べられる衛星はとても使いやすいのです。
気温のデータから、陸奥湾の本当の上流は新潟にあり、新潟の気温の予報が意外にも2週間後、1カ月後の青森と合致することがわかりました。となれば、新潟沖の水温がわかると1カ月の予想精度は上がるかもしれません。全国の広い範囲の水温がわかれば、予測精度の向上に繋がるのではないかと考えています。
―海水温のデータを提供する衛星として気候変動観測衛星「しきさい(GCOM-C)」を使用されたのはどのような経緯だったのでしょうか?
高坂:JAXAが衛星データを配布するサイト「JAXA地球環境モニター(JASMES)」では、2019年3月に海外の衛星のデータから現在の「しきさい」への切り替えがありました。それまで活用していた海外の衛星データの取得ノウハウを活かして、約2カ月でプログラムを作りました。
―「しきさい」によるデータに切替えて、どのようなメリットがあったのでしょうか?
高坂:解像度が全く違って思った以上にきれいでしたね。従来の衛星は解像度が1kmですが、「しきさい」だと250mになります。この250mという解像度が、ホタテガイの養殖にとても大切なのです。
―解像度と、ホタテガイ養殖にはどのようなつながりがあるのでしょうか?
高坂:沿岸域の非常に重要な情報がわかるようになります。養殖業は、陸奥湾の沿岸域に沿って営まれています。従来の衛星データは解像度が1kmですから沿岸の地形の影響を受けて陸と海の情報が混ざってしまうことも多く、最大で1km分のデータが無効になってしまうこともあります。「しきさい」の250mならば、データの損失が少なく、養殖区域の的確な水温を見られるのです。
―海水温の情報からホタテガイにとって危険な環境になってきたことがわかった場合にはどのように対策されるのでしょうか?
高坂:かなり熱くなるという予測であれば、早めに出荷するという方法があります。まだ出荷できない育成途中のホタテガイの場合は、ダメージを受ける前に深いところに沈めるという方法があります。水温というのは、特に夏は上が熱くて下が冷たいですから。ただ、深いところはホタテガイの餌になるプランクトンも少ないので、長くおいておくと成長が悪くなってしまいます。ですから、ホタテガイの安全と成長のバランスをとるという難しい作業になります。ホタテガイのストレスにならないように動かさないことも大切です。
―そのほかにも「しきさい」のデータのメリットはありますか?
高坂:前に使っていた海外の衛星は、データフォーマットの使いにくさや、エラー値が多いといった問題がありました。そこで「しきさい」のデータ配信開始からおよそ1年間のデータをとってきて、2019年末にブイによる実測値と比較して検証してみました。これがブイのデータとよく一致して、実測値として使ってもよいレベルのものになることが分かったので、今後の活用も考えています。

―衛星データを用いた水温の予測モデルの開発についてこれまでの経緯や今後の予定を教えてください。
高坂:2011年から猛暑や異常高水温に対する研究が2つほど進んでいます。一つは、国立研究開発法人 水産研究・教育機構 東北区水産研究所などとの共同研究で、過去の水温の動きから「自己回帰モデル」を作り、それを未来に引き延ばすことで予測する方法です。さらにもう一つ、独自モデルとして週間天気予報による気温の予報を反映した「気象利用モデル」があります。これら二つを組み合わせて、予測精度を上げることができました。
今後の海ナビ@あおもりでは、1カ月半先まで予測の範囲を拡大する予定です。過去30年分のデータからどの期間を使って予測すると当てはまりがよいか、ということを自動で判断して、最適な予測値を配信するというシステムになります。
―衛星データを活用されるようになって、水産業に携わる方々から何か反応はあるのでしょうか?
高坂:若い漁業者の方には、海ナビ@あおもり以外のデータ活用に積極的な方もいます。更に活かしてもらうため、簡単な折れ線グラフや、ブイがないところの表面水温だけでも数値として表示することも必要かなと思っています。
漁業者さんの中には、シンプルに水温の値だけ見たい、というニーズも一方であります。特にホタテガイの養殖に必要な、水深15~20mぐらいの水温をピンポイントで気にされる人も多いため、その情報だけをまとめたWebページを作りました。異常高水温が起きた2010年と比較したい、という要望もあり、昨年との比較グラフに加えて、2010年との比較も掲載しています。
―青森県の水産業にとって、「しきさい」のデータが活かせる用途はほかにどのようなものがあるでしょうか?
高坂:ホタテガイの産卵の考察にも活用しています。2月ごろに暖流が入ってきて水温が上昇すると産卵が始まります。昨年もホタテガイ担当者から「どうも陸奥湾の一部のあるところで産卵しているようだね」という話があったので、衛星データを見てみると「その付近に少し水温が高くなっている場所がある。ただ、範囲は非常に狭いね」というちょっとした考察に使ってみました。実際、「ラーバ」というホタテガイの浮遊幼生はそれほど大規模に分布していなかったので、産卵をしても局地的だ、といった考察にも役に立つと思っています。
―漁場環境部というところで、海の環境をモニタリングされる中で「しきさい」という衛星へ長期的にどのような役割を期待されますか?
高坂:長期の環境変化では、いわゆる地球温暖化があると思います。長期のブイの観測から、やはり傾向として水温が上がってきていると思います。ただ、もっと広い範囲、特に外海は非常にデータが少ないため、水温の長期的な上昇を知る役割を衛星に期待していますね。
ある程度データが溜まってくると、「平年値」を作って、平年に対して高い、または低いという相対的な評価ができるようになります。たとえば平年より水温が高いので暖水系の魚種の漁獲が期待できるといったことや、他の魚種に切り替える等、選択肢を考えることができるようになります。そのために5年から10年くらいは最低でもデータの蓄積がほしいところです。まずは中長期的に安定したデータを提供していただきたいと思っています。
取材・執筆:秋山文野
2020年3月30日 公開