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昭和の幕開け、NECの最先端装置が伝えた 世界最高の技術は日本にあった

4月29日は昭和の日です。今の天皇陛下の祖父にあたる昭和天皇の誕生日で、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」祝日とされています。今から1世紀近く前に幕を開けた昭和の時代。この幕開けの報道には、NEC(日本電気)の当時最先端の技術が大きく貢献していたのです。

自主開発技術で欧米を超えた!

1928(昭和3)年11月、昭和天皇即位の大典が京都で行われました。大正天皇崩御による服喪期間が明け、ようやく新しい時代・昭和の幕開けを祝うこととなったこの日を、多くの人が待ち焦がれていました。

式典当日の様子は、今なら生中継されるところでしょうが、テレビ放送もまだない当時は、写真をいち早く送って新聞に掲載することが、大きな挑戦でした。日本の各新聞社は、式典の写真を掲載した紙面を読者に届けるため、「写真電送装置」を活用することを計画していました。写真電送装置とは、ファクシミリの原型に相当する装置のこと。新聞各社は、当時最先端とされていた欧米の装置を導入する方針でした。

しかし、東京日日新聞社(現在の毎日新聞社)が試験を行ってみたところ、「最先端」は国内に存在しました。画像の鮮明さ、電送のスピード、そのいずれにおいても最も性能が高かったのが、この年5月にNECが独自技術によって開発に成功していた「NE式写真電送装置」だったのです。

東京日日新聞社は急遽この装置の採用を決定。式典の模様は、無事、京都→東京間を電送されて、紙面を飾りました。当時、最先端の外国製写真電送機よりも鮮明な画像で、昭和時代の幕開けと日本技術の優秀性を世界に知らしめることになりました。

昭和天皇即位の大典の電送写真

牽引した当時35歳の技術部長、「十大発明家」に

近代化を成し遂げたとはいえ、技術の水準ではまだまだ欧米諸国に後れを取っていた当時の日本。若い技術者たちにとって独自技術の開発は、ワクワクするような挑戦だったに違いありません。

先頭に立って牽引していたのは、当時35歳でNECの技術部長だった丹羽保次郎です。丹羽は、写真電送という技術の将来性に早くから着目し、1927(昭和2)年には社内に「伝送科」という組織を作り、実用化へ向けて開発を進めました。

この装置を開発した功績により、丹羽はその後、1985(昭和60)年に特許庁が選定した日本の十大発明家の一人に名を連ねています。

データを送る通信技術は、昭和、平成、令和と日進月歩を続けています。NECは今、高速かつ大容量の5G技術において、世界のトップランナー企業の一つとして、さらなる革新に挑んでいます。創業の精神である「ベタープロダクツ・ベターサービス」――お客さまや社会にとってより良いものを、いつまでも追求し続ける――というNECグループのDNAとして、脈々と受け継がれています。

丹羽保次郎(左)と小林正次(右)。小林は丹羽とともに開発に尽力し、後に専務取締役となった

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