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加藤 正さん
キーパーソンインタビュー長野県障がい者スポーツ協会コーディネーター障がいのあるなし、年齢や性別などの区別なく、誰もが参加できるスポーツのイベントが「都道府県民パラスポーツ大会」。パラアイスホッケー銀メダリストの上原大祐が発案し、2019年3月に長野県松本市で第1回大会が開催された。
「例えば、一般のバスケットボールだったら、車いすの私は参加できません。でも、車いすバスケットボールなら、私はもちろんですが、障がいのない人も車いすに乗れば一緒にゲームができます。つまり、パラスポーツは誰もが参加できるユニバーサルなスポーツであると言えるのです」。
これが、都道府県民パラスポーツ大会の理念だ。この大会は、2019年8月に横浜大会、9月には長野県で第2回大会、10月に長野県第3回大会、2020年1月に香川県で四国大会、そして2021年3月には岡山県大会、さらに7月に岡山県第2回大会がすでに実施されている。
長野県第1回大会では、ボッチャが実施された。上原の理念の通り、集まった人たちの顔ぶれは実に多様だった。障がい者はもちろん、特別支援学校の子どもたち、小学生から大学生までの学生たち、サッカーJ1松本山雅FCの元選手、地元企業の社員、自治体職員など。そして、上原とともにパラアイスホッケーでパラリンピックに出場した加藤 正さんも参加者の1人である。
「“パラスポーツ”と聞くと、障がいのない人たちにとって自分には関係のないスポーツという先入観があります。ところが、実際に自分で体験してみるとイメージが180度変わって、一つのスポーツとして魅力を感じられる。都道府県民パラスポーツ大会はその第一歩なんです」
加藤さんは強調する。
都道府県民パラスポーツ大会開催に携わった4人のキーパーソンに、この大会が持つ意義や価値、そしてその魅力について語ってもらった。シリーズ第1回は、パラリンピアンの加藤 正さん。障がい当事者としての視点でお話を伺った。
パラスポーツ30年の変遷
――加藤さんが初めてパラリンピックに出場されたのは1988年ソウル大会でした。水泳の選手として100m自由形など4種目に出場されています。当時、パラリンピックに出場した時の印象は、いかがでしたか。
加藤氏(以下、加藤)●初出場の国際大会がいきなりパラリンピックでした。規模の大きさに圧倒されたことを覚えています。外国人選手の中には専属のコーチをつけていたり、開催国である韓国の選手はメダルを獲得すると報奨金があったりということを知り、日本との差を実感しました。
――その後、冬季パラリンピック競技に転向され、1998年長野大会ではアイススレッジスピードレース(ソリに乗って行うスピードスケート)“パラアイスホッケー”で活躍されました。自国開催となる長野パラリンピックの盛り上がりをどのようにご覧になっていましたか。
加藤●長野パラリンピックは、パラスポーツ界にとっての分岐点になった大会だと感じています。オリンピック選手と同じユニフォームを着用した最初の大会で、メディアも急増しました。今では、パラアスリートが大学や実業団チームに在籍するなどパラスポーツの環境は、ソウル大会の頃とは大きく変わったと思っています。
――革新的な長野パラリンピックが閉幕して、すでに20年以上が経ちました。加藤さんは選手としてだけでなく、支える側、推進する側として現在もパラスポーツに携わっていらっしゃいます。そんな中、長野都道府県民パラスポーツ大会開催に貢献されました。そのきっかけについて教えてください。
加藤●私は、2015年から長野県障がい者スポーツ協会でコーディネーターとして障がい者スポーツに携わっています。これまで、障がい者にだけパラスポーツの普及活動を実施していましたが、それだけでは大会の実施が難しいと感じていました。チームを作りたくても人数が集まらないとか、小さい地域の中でプライバシー保護を理由に、外出しにくいと感じている人も少なくない。そんな時、上原さんから健常者と障がい者が一緒に参加できるボッチャ大会を開催したいという話をお聞きして、そのコンセプトに非常に共感したことを覚えています。
――長野県では、すでに3回大会が開催されています。実施にあたって重視されたのは、どのようなことだったのでしょうか。
加藤●健常者の参加者も多くする。第1回大会から非常に健常者の参加が多く、これは3回の大会を通じて一貫されています。以前、上原さんともお話をしていたのですが、健常者が盛り上がれば、主役である障がい者が、“自分たちこそ楽しみたい”と、自然と積極的に参加してくるのではないかと想像していました。まさにその通りの現象が起こったんです。
――健常者と障がい者が共に、そして積極的に盛り上がるムーブメントが起こったのですね。その結果、得られた手応えと課題はどんなことでしょうか。
加藤●都道府県民パラスポーツ大会の画期的な点は、健常者と障がい者による真剣勝負の場であることです。障がい者が素晴らしいテクニックを披露して勝利する場面がある一方、健常者が、対戦相手が障がい者だからと言って手加減などもしない。ボッチャというスポーツが媒介となって、深いコミュニケーションが成立している。そこに大きな手応えを感じています。一方、課題として考えられるのは、参加するメンバーが固定化されてしまうことです。地元企業や高校・大学など、参加する人の広がりが欲しいと思っています。
人生を豊かにするパラスポーツ
――パラリンピアンとして、パラスポーツが社会に与える意義について、どのように感じていらっしゃいますか。
加藤●以前は「パラリンピック」という言葉さえ、知らない、聞いたことがないという人がたくさんいましたが、近年、変化がみられます。例えば、マンガ『リアル』の影響で、健常者にも車いすバスケットボールのブームが起こりました。2016年リオパラリンピック以降、ボッチャはユニバーサルなスポーツとして、認知度も上がってきました。こうしたことから、パラスポーツは、誰にとっても身近なスポーツになりつつあります。
しかしながら、まだまだ障がい者やパラスポーツに抵抗を感じる人も少なくありません。障がいのある人はすぐそばにいますし、ある日、健常者が事故や病気で障がいを負うこともあります。一方で、例えば、体育が苦手な子どもが、ボッチャでは運動神経と関係なくテクニックを磨いてヒーローになることもある。パラスポーツを体験することで、新しい相互理解に発展する可能性があるなど、パラスポーツは、コミュニケーションの大切なツールである。そう、私は感じています。
――パラスポーツを通じて、社会に広く伝えたいことは、どんなことでしょうか。
加藤●スポーツは、障がいのあるなしにかかわらず、誰にとっても大切なものだと思います。身体的な健康促進はもちろんですが、スポーツで人生の目標を立てやすい。1年後には100mを何秒で走れるようにしたいとか、将来はオリンピックやパラリンピックに出場したいとか、新しい目標が目の前に立ち上がってきます。スポーツをすることで、生活が充実するし、豊かになりますよね。
パラスポーツが身近になる機会を
――パラリンピックを経験している加藤さんだからこそ、「パラスポーツの力」についてのお話には説得力がありますよね。小学校などの講演会では、どんなことを語りかけていらっしゃるのでしょうか。
加藤●障がいを理解してもらう方法の一つとして、僕が片足であることをみんなに見てもらいます。片足だけれど水泳もやるし、登山もするし、パラリンピックでメダルを獲得することもできたよ、と。そうすると、子どもたちに障がいがあってもスポーツを楽しむ姿は自分たちと同じだ、という気持ちが芽生える。同時に、ボッチャや車いすバスケを実際に体験してもらう機会を作ります。簡単そうに見えるけれどもやってみると難しいこともあるし、パラアスリートがスーパープレーをしている姿を見れば、純粋に「すごい!」と思える。パラアスリートが、ヒーロー、憧れの存在になるんですね。パラスポーツが“関係ないもの”ではなく、自分の興味の対象になる。そういう機会を作っていきたいと思っています。
――障がい者が、スポーツをするための環境整備という点では、どのようなゴールを目指されていますか。
加藤●私は、自分で自由に動くことができる身体障がい者については、極論すると放っておいても大丈夫かな(笑)と思っているんです。課題となるのは、自分1人での移動が困難な知的障がいや重度障がいなどの移動手段の確保です。長野県では山間部など、自家用車での移動が主になるような地域での確保が非常に難しい。家族が担う場合が多いのですが、自治体などサービス支援の拡充も必要でしょう。
もう一つが、スポーツ指導者の確保です。障がいのある人がスポーツをやりたいと思った時に、最初にぶつかる壁が「何か(問題が)あったら、困る」という言葉です。本来、スポーツには障がいがなくてもケガをするなどのリスクはあります。指導者の方に必要な知識・情報をお伝えして障がいのことを知っていただき、受け入れて欲しいと思っています。
――NECが取り組むパラスポーツ支援に期待することは、どんなことでしょうか。
加藤●全国、いや世界中に拠点があるからこそ、可能なことがあります。例えば、山間部と離島の子どもたちをネットワークで繋いで、リモートでボッチャ大会をするとか。さらには世界中の子どもたちがリモートで繋がってボッチャ大会をする。パラスポーツを軸に、NECが持つ技術力を生かして、夢のあるプログラムが実現することに期待したいと思っています。
「会議室に健常者と障がい者を集めて、さあ、相互理解してくださいと言っても、進展は難しいです。でも、そこにパラスポーツというコンテンツがあることで、自然とコミュニケーションが生まれます。ともに戦うとライバルにもなるし、仲間にもなる。その時、障がい者は健常者にとって、他人ごとではなく、“友だちごと”に変化するんです」
上原が言う“友だちごと”とは、自分ごとと他人ごとの中間ある感覚。
「パラスポーツ大会で出会った障がい者の友人と一緒に食事をしたいと思った時に、この店は段差や階段があって車いすでは入れないということに気づく。それまでは見えていなかったことに“友だち”という存在から見えてくることがあるんです」
パラスポーツの体験を通して楽しさや感動を共有すると、社会を見る目が明らかに変わっていく。
上原の理念からスタートした都道府県民パラスポーツ大会によって、開催地で多くの人に共感の輪が広がっている。パラスポーツで結ばれる共生社会を目指すチームの一員として、協賛企業の存在感も、今後さらに増大していくはずだ。
「将来的には、パラスポーツ大会を全国展開したい。開催場所や協力者を増やし、地域大会を拡大して、最終的に全国大会を開催したいと思っています」
シリーズ第2回は、2021年3月、7月に大会が開催された岡山大会のキーパーソンの1人、岡山大学准教授の高岡敦史さんです。
加藤 正(かとう・ただし)
1969年長野県生まれ。小学2年の時骨肉腫により左大腿部を切断。1988年ソウルパラリンピック水泳に出場。1994年リレハンメルパラリンピックからアイススレッジスピードレースに出場し、1998年長野大会では500m、1000mで銀メダル、1500mで銅メダルを獲得。同時にパラアイスホッケー選手としても活躍し、長野大会、ソルトレイクシティー大会、トリノ大会に出場。現在は、長野県障がい者スポーツ協会コーディネーターとしてパラスポーツの推進、選手発掘などに携わる。