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楽しむことで、障がい者を取り巻く課題を解決する

パラアイスホッケー元日本代表・上原大祐がセカンドキャリアで目指すこと

男子パラアイスホッケーの日本代表選手として活躍し、パラリンピックに3度出場した。2010年のカナダ・バンクーバー大会では銀メダルを獲得。輝かしい経歴からしたら、引退後はナショナルチームのコーチや監督を目指せたはずだ。しかし、上原大祐はその道を選ばなかった。今、取り組んでいるのは「パラスポーツの普及」だ。同じく共生社会の実現を目指すNECに共感し、同社に入社。NECの社員として、全国各地でパラスポーツのイベントを開催している。日本にまだ根強く残る、障がい者がスポーツをすることの差別について、自身が生きているうちにすべて解決したいと語る上原が目指す境地とは何か。

10月2日に都内で開催された大学生や専門学校生を対象にしたパラスポーツイベント「パラ大学祭」(特別協力:NEC)の閉会式で、参加した約90人の若者を前に上原は訴えた。

「今でも車いすでは、体育館を貸してくれないところがたくさんあります。『障がい者お断り』というところもたくさんあります。なので、みなさんがパラスポーツを楽しんでくれるだけで、日本のパラスポーツの課題解決につながるんです!」

「楽しむこと」がパラスポーツの課題解決につながる──。これは、上原がパラスポーツ普及のために掲げている信念の一つだ。パラスポーツの面白さを知る人が増えれば、競技人口が増える。競技人口が増えれば、体育館や競技場の施設が使いやすくなる。健常者と障がい者が一緒のチームで活動すれば、障がい者がスポーツする時に悩む移動の問題も手伝ってくれる人が増えるはずだ。上原はそれを「パラスポーツの日常化」と呼ぶ。それにはまず、「参加者が楽しむこと」が大切なのだという。

「東京パラリンピックが終わって、パラスポーツを知る人は増えました。しかし、日本ではパラスポーツの認知度はまだまだ低い。今でも『車いすバスケは障害を持った人しかできない』と思っている人がほとんどではないでしょうか。世界では、健常者も障がい者も同じようにパラスポーツを楽しんでいます。そのことがまだ日本では知られていません」(上原)

みんなが楽しめないなら、ルールを変えたらいい

パラスポーツの面白さは、ちょっとしたルールの変更で障がい者と健常者の差がなくなることにある。例えば、パラアイスホッケーでは、健常者よりも両脚のない選手が有利になる。プレー中にお尻を軸にして方向転換する場合、両脚がない方が回転が速くなるためだ。

上原は先天性の二分脊椎症で生まれた時から足が不自由だったが、パラアイスホッケーと出会ったのは19歳の時。それまでにも車いすバスケをしたことはあったが、スポーツは得意な方ではなく、音楽が好きでギターやトランペットを演奏していた。

「車いすバスケをやっていた時は『スポーツのセンスないんだな』と思っていたんですが、パラアイスホッケーをやったら『あれ、できそう』ってなったんです。一つではなくて、いろんなスポーツを体験すること。それがパラスポーツを盛り上げていくことにつながる」(同)

上原は、イベントを主催したNPO「D-SHiPS32」の代表という立場ではあるが、「僕は、学生たちが決めたことを承認しているだけなんです」と言う。

パラ大学祭は、イベントの企画内容から当日の進行まで、学生主体の組織が中心となって運営されている。今大会では、大会当日のボランティア4人を含む計15人が7月から準備を進めてきた。メンバーには、車いすユーザーの学生もいる。

今回のイベントでは、関東の大会では過去最大となる16チーム、約90人の学生が参加。車いすバスケットボール、ボッチャ、車いすリレーに、学生たちが考案したオリジナルの競技の4種目を行い、試合結果に応じて配分されるポイント数で対抗戦を繰り広げた。学生運営メンバーの代表で、上智大学4年の斎藤ましろさんはこう話す。

「私は、どちらかというと運動が苦手なんですが、パラスポーツは既存のスポーツのルールにこだわらないから、性別も障がい者も関係ない。みんながスポーツを楽めるように工夫することが楽しいので、そのことをたくさんの人に知ってもらいたい」

あえて障がい者をフォーカスしない理由

上原は、パラ大学祭などのイベントを通じて、日本社会に新しい流れを生み出そうとしている。

近年では、障がい者と健常者が一緒に学び、生活する「インクルーシブ社会」の重要性がさかんに議論されている。ただ、日本でインクルーシブ社会の実現について語られる時は、しばしば国や地方自治体の理解不足が批判され、制度設計の話になりがちだ。もちろん、制度設計は重要な課題だが、上原は全く異なるアプローチを試みている。国や自治体が障がい者を「インクルーシブする」のではなく、車いすユーザーの上原が、いろんな人を巻き込んでイベントを開催し、健常者の人たちの価値観を変えていく。パラ大学祭では「障がい者」は目立つことなく、たくさんいる参加者の一人、あるいはスタッフの一人でしかない。上原は言う。

「パラ大学祭では、障がい者にフォーカスしないと決めているんです。まずは、パラスポーツを楽しむ人が増えること。楽しむ人が増えれば、障がい者の持つ課題がわかり、解決につながる動きが生まれる。それが大切なんです」

上原がこう考えるに至った原体験は、現役時代に海外遠征に行ったときの衝撃がある。米国ペンシルバニア州のフィラデルフィアでは、チームになった仲間に障がい者と健常者の兄弟がいた。カナダの大会では、ジュニアの試合も同時開催され、大人たちはチケットを買ってパラアイスホッケーの試合を観戦していた。

「欧米では、障がい者と健常者という区別がほとんどなかったことに驚きました。米国では、戦争で障がい者になった元兵士のチームもあったんですが、気迫あふれるプレーが多くて、強かった。大人も子供も、障がい者も健常者も一緒の大会に出る。それが大切なんだと実感しました」(同)

東京パラリンピックを契機に、パラスポーツを体験するイベントは増えた。しかし、それだけでは競技の普及にはつながらない。ランニングを趣味とする人たちが、全国各地で催されるマラソン大会の出場に向けて練習を積むのと同じように、パラスポーツにも一般の人たちが楽しめる大会が必要だと上原は考えている。

ただ、日本ではパラスポーツ普及の課題は多い。上原自身も、現役時代に障がい者差別で嫌な思いをした経験がある。練習のために体育館を借りようとすると「車いすの人には貸せません」と言われた。

「その時はスポーツ庁に電話するなど、いろんな人に交渉してもらって最後は借りることができました。でもそれができたのは、私がちゃんと自分の意見を言う人だったから。交渉できない人なら、借りることができなかったでしょう。その人はスポーツをしたくなくなってしまい『障害があるから社会に出てはいけないんだ』と思うようになる」

代表チームの監督より、今やりたいことをやる

そう言った環境の不備で、障がい者を持つ親や教師のなかには子どもにスポーツをさせることを嫌がる人もいる。

「私にとってパラリンピックとは、たくさんのことを経験させてくれた場所でした。自分が世界で活躍することで、家族や周囲の人たちも変わっていった。だから、私のように大会にたくさん出て、いろんな経験をしてくれる子供たちをたくさん作りたいんです」

選手として輝かしい経歴を持つ上原に、あえて「パラアイスホッケー日本代表チームの監督やコーチにならないんですか」と聞いてみた。すると「まったくありません」と言い切り、こう言葉をつないだ。

「次の世代に残したままになっている問題は、すべて解決してから死にたい」

上原は「誰もが夢を抱き挑戦できる環境づくり」を目指している。誰もが人間性を十分に発揮できる持続可能な社会を実現するためだ。

初秋のパラ大学祭にはじめて参加した学生は、「むちゃくちゃ楽しかった。また参加したい!」とはじける笑顔で感想を言っていた。

「楽しむことが大切」と繰り返す上原大祐の挑戦は、まだ始まったばかりである。

写真/越智貴雄(カンパラプレス)・文/西岡千史