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車いすテニス50年の軌跡

No Borders for Dreams Vol.6

世界を魅了するスポーツへと進化した挑戦のストーリー

No Borders for Dreams 国枝慎吾×NECが見つける挑戦のかたち

NECは、「誰もが夢を抱き、挑戦できる社会」の実現を目指し、30年以上にわたり、車いすテニスを応援してきました。
「No Borders for Dreams」シリーズでは、国枝慎吾さんとともに、車いすテニスの魅力や挑戦する人々を紹介。挑戦の物語を通じて、誰もが“自分の夢に一歩踏み出す”きっかけを届けていきます。

2026年、車いすテニスは競技としての誕生から50年を迎えます。リハビリテーションの一環として始まったこのスポーツは、今やグランドスラムやパラリンピックを彩る世界的スポーツへと成長しました。Vol.6では、その進化の軌跡と、NECが35年にわたり歩みをともにしてきた車いすテニスの現在を振り返ります。

車いすテニスの誕生から50年。
競技スポーツとして、どう進化してきたのか

小田凱人選手をはじめ、世界で活躍する
日本の車いすテニス選手たち

国際的なスポーツとして知られる車いすテニス。日本からは、車いすテニス男子シングルス史上初となる「キャリアゴールデンスラム」――四大大会(全豪・全仏・ウィンブルドン・全米)とパラリンピックをすべて制する偉業――を成し遂げた国枝慎吾さんをはじめ、2026年7月にウィンブルドンを初制覇し、同じ偉業を達成した上地結衣選手、2025年に史上最年少でその偉業に到達した小田凱人選手など、世界の舞台で歴史を刻む選手たちが生まれてきました。こうした活躍の数々は、車いすテニスが世界中の観客を魅了する競技スポーツへと進化してきたことを象徴しています。

しかし、最初から今のような地位や認知度を獲得していたわけではありません。もともとはリハビリテーションの一環として親しまれていた車いすテニスが、競技スポーツとして確立したのは1976年。1992年にはバルセロナパラリンピックの正式競技に採用。2000年代にはプロテニスの最高峰といわれる四大大会すべてで一般部門と車いす部門の試合が同時に開催されるなど、長い時間をかけて競技スポーツとしての歴史を築き、一般テニスとの距離を縮めてきたのです。

“車いすテニス50年の軌跡”動画

車いすテニスが現在の国際的スポーツへと成長するまでに、どんな境界を乗り越えてきたのでしょうか。車いすテニス界のレジェンドと呼ばれる国枝慎吾さんとともに、その歴史を振り返ります。

35年前、車いすテニスには
目に見えない境界が確かにあった

NECが車いすテニスと歩みをともにし始めたのは1992年。当時、日本では少しずつ競技が普及し始めていましたが、現在ほどプレー環境が整っていたわけではありません。そうした中、NECは「誰もが夢を抱き、挑戦できる社会」への想いを胸に、国内外の大会や選手の挑戦に寄り添ってきました。

1990年代前半はまだ小学生だった国枝さん。当時の状況を聞くと、「私が子どもの頃は専門のテニスコーチが車いすテニスを指導するというよりも、障がい者スポーツ指導員の方が車いすテニスを教えるケースが大半。一般テニスと同じような技術指導を受けられる環境は決して多くありませんでした」と語ります。
しかし、国枝さんが通っていた吉田記念テニス研修センターは、車いすテニスでも一般テニスと同じように専門性の高いレッスンを受けられる場所でした。世界的に見てもまだ希少だった、テニス専門のコーチによる指導を早くから経験できた国枝さんは、「車いすテニスという枠の中ではなく、一人のテニス選手として育ててもらえたことが世界を目指す土台となりました」と当時を振り返ります。

一般テニスと車いすテニスは、
「テニス」というひとつのスポーツへ

錦織圭選手と国枝さん(国枝さん提供)

スポーツとパラスポーツの境界を感じつつも、その枠にとらわれず成長を続けてきた国枝さん。2003年にはNEC全日本選抜車いすテニス選手権で優勝を果たし、翌年にはアテネパラリンピックに初出場。2006年にはアジア人で初めて世界ランキング1位になるなど、凄まじい挑戦の軌跡を見せ続けてくれました。その間、一般テニスと車いすテニスの境界はどう変化してきたのでしょうか。
「境界がなくなっていったと感じたのは、四大大会で一般テニスと車いすテニスが同時開催されるようになってからです。僕のアイドルであるロジャー・フェデラー選手や錦織圭選手と大会で使用するロッカールームやレストランが同じで、とても興奮しました。また、メディアの数も車いすテニスだけの大会とは別次元。この頃から車いすテニスが一般の方々、そしてテニス界にも認識され、浸透していったと思います」
技術レベルの向上とともに、車いすテニスは一般テニスと同じように、観る人を引き込み、心を動かす競技へと進化していきました。少しずつ、でも着実にひとつの『テニス』というスポーツになっていった一般テニスと車いすテニス。さらに国枝さんは、NECが車いすテニスを応援し続けてきたことに対して、こうも語ります。
「NECには長年にわたり車いすテニスを支えていただきましたが、その存在は単なるスポンサーという言葉では表せないほど大きいものです。競技を継続的に支援していただいたことで大会が安定して開催されるようになり、選手は安心して世界を目指せる環境が整っていきました。そのおかげで、私が世界に挑戦し続けることができたと感じています。正直、過去には“障がい者スポーツだから支援している”という印象を受けるものもありました。しかし、今では競技としてのレベルの高さや面白さに注目していただける機会が増えています。その変化の背景にはNECをはじめ、長く競技を信じて支えてくださった企業の存在があります。選手の挑戦を支え、その挑戦が新しいファンを生み、競技の価値を高め、次の世代へとつながっていく。その好循環をつくってくださったことが、NECの最も大きな功績ではないでしょうか」

車いすテニスは、障がいの有無を超え、多くの人に挑戦する勇気や感動を届けてきました。そうした姿は、誰もが可能性を発揮できる社会を目指すNECグループのPurposeとも重なっています。

車いすテニスは次の世代へ。
世界を目指すアスリートの夢を応援し続ける

また近年は、世界で活躍する選手の勇姿を見て「自分も世界で戦うトップアスリートになりたい」と夢を持ち、車いすテニスを始めるジュニア層が増えている印象です。ジュニア選手の指導に関わる国枝さんも「ジュニア世代の技術レベルは本当に高くなっている」と語ります。

現在も車いすテニス界を牽引する存在として
活躍する国枝さん

「今は道具や指導環境もかなり充実していますし、世界のトップ選手のプレーを映像で気軽に学べる時代。若いうちから高いレベルのテニスに触れられる環境があります。一方で、世界のトップで活躍するには、技術だけでは足りません。海外へ出てさまざまな選手と戦い、自分で考え、環境に適応しながら成長していく力がとても重要です。私自身も海外を転戦する中で、テニスだけでなく人間としても大きく成長できたと感じています。世界へ出ることに臆さず、価値観も広げていってほしいですね」

国枝さんの言葉通り、若い選手が車いすテニスに挑戦しやすい環境は格段に整ってきました。競技や選手を支える企業は増え続け、大会数の増加や競技用車いすなどの環境面の整備にもつながっています。

車いすテニスはこの50年で、世界的スポーツへと成長しました。その歴史をつくってきたのは、競技の可能性を信じて挑戦を続けた選手たちであり、その挑戦に心を動かされた多くの人々です。
この先も、新たな世代へと受け継がれながら進化していく車いすテニス。その歴史の一端に関わり、選手たちの挑戦を35年にわたって応援し続けてきたことは、NECの誇りでもあります。私たちはこれからも、挑戦の物語を支え続けていきます。

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