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1928(昭和3)年11月、京都で執り行われる天皇即位の御大典に向けて、各新聞社は欧米で実用化されだした写真電送装置(現在のFAX)の導入を競った。朝日はシーメンス製、毎日はベラン製を導入した。毎日ではベラン社から技師がやってきて調整を行ったが、気温と湿度の微妙な変化で写真がゆがんでしまう。日本電気が写真電送に成功していることを聞きつけた毎日の記者は、日本電気製を使用したいと申し込んできた。
当時の技術部長であった丹羽保次郎は悩んだ。まだ実験段階であるし、もし失敗すれば舶来崇拝の時代、国産技術に水を指すことになる。しかし部下の小林正次は是非とも使用してほしかった。試験データを徹底的に検討し、独自技術である電磁振動子による光電変換方式に自信もあった。
毎日が行った試験では、このNE式の方が成績が良く、急遽採用が決定、御大典の模様は、無事、京都→東京間を電送されて、毎日新聞の紙面を飾った。当時、最先端の外国製写真電送機よりも鮮明な画像で、日本技術の優秀性を世界に知らしめることとなったのである。
その翌年、写真電送は無線式になり、1932年には国際間の伝送も可能となった。