文学散歩

第41回 「小倉百人一首」 ゆかりの地 京都府・京都市

「小倉百人一首」 ゆかりの地 京都府・京都市
散歩した人:大和ハウス工業株式会社 藤本 菜那さん

百人一首が編纂された嵐山・嵯峨野地区

 競技かるたをテーマにした人気漫画で映画化もされた「ちはやふる」の影響もあり、今、若い世代の間でも百人一首が注目されています。そもそも百人一首とは、一人一首の和歌を集めてつくられた秀歌撰(しゅうかせん)のこと。現代風にいうと複数のアーティストの曲を収録したベストヒットアルバムといったところでしょうか。百人一首には選び手が異なるたくさんの種類がありますが、最も有名なのは、藤原定家が編纂した「小倉百人一首」です。定家がこれを編纂した山荘(時雨亭)が、小倉山にあったことが名前の由来です。今回は、「小倉百人一首」が編纂されたといわれる京都の嵯峨野地区を、大和ハウス工業 情報システム部 情報企画室の藤本菜那さんと歩きます。藤本さんは、情報システム部門のマネジメントを担当しながら、役員秘書も兼務する才色兼備の女性です。
 「京都はときどき伏見や河原町に遊びに来ますけど、嵐山は十年ぶりなので、今日はとても楽しみです」と大阪在住の藤本さんは、文学散歩への期待を話してくれました。

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写真左:観光客を乗せて走る人力車 写真中央:嵐電「嵐山」駅を彩る友禅を用いたポール 写真右:風にそよぐ竹林

名歌を刻んだ碑を巡り散策

 嵐山・嵯峨野地区には、自然石に「小倉百人一首」の歌を一首ずつ刻んだ歌碑が、5つのエリア(嵐山東地区・亀山地区・野々宮地区・奥野々宮地区・長神の杜地区)に100首分設置されています。この歌碑は、小倉百人一首文化財団と京都商工会議所が、嵐山・嵯峨野一帯を「小倉百人一首」のテーマパークにすることを目指し、2007年に設置したものです。
 今回の文学散歩の起点は、49首の歌碑がある「亀山地区(亀山公園)」です。桂川(大堰川)の川沿いから亀山公園へ続く石段を上ると、いくつもの歌碑が見えてきました。最初に見つけたのは、和泉式部が詠んだ「あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな」の歌碑です。病の床にありながら、死ぬ前にもう一度愛する人に逢いたいと願う切ない恋の歌です。「百人一首は、子どもの頃に遊んだだけで歌の内容は覚えていないのですが、こんなにも深く重みのある恋心が描かれていたのですね」と藤本さん。
 公園を歩いていくと、ほかにも在原業平の「ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」や、紀貫之の「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける」、小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」などの有名な歌を刻んだ碑をたくさん見つけることができました。

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写真左:在原業平歌碑 写真中央:小野小町歌碑 写真右:紀貫之歌碑(いずれも亀山地区)

幻想的な竹林と絵になるトロッコ列車

 亀山公園を抜けて大河内山荘方面へ進むと、その先に幻想的な風景が待っていました。
天を突くごとく真っ直ぐに伸びた青竹が、左右から小径を覆う「竹林の小径」です。視界いっぱいに広がる美しい深緑、心地よい葉擦れの音、匂い立つ爽やかな竹の香、その空間にいるだけで心が癒されます。「行きたかった竹林の小径を散策でき、とても感慨深かったです」と藤本さんは、空に向かって伸びる青竹を見上げながら話します。
 竹林を進むと、その先に野宮神社(ののみやじんじゃ)が見えてきました。野宮は、その昔、天皇の代理で伊勢神宮へお仕えする斎王(皇女・女王の中から選ばれます)が伊勢へ行く前に身を清めたところ。嵯峨野の清らかな場所を選び建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は、源氏物語の「賢木の巻」に美しく描写されています。現在は、嵯峨野巡りの拠点として、また、縁結びの神様、子宝安産の神様として、参拝者が絶えません。境内にある「じゅうたん苔」と呼ばれる色鮮やかな苔に覆われた美しい小庭園は、一見の価値ありです。
 「芝生のようにきれいに広がる苔に、とても癒されますね。せっかく野宮神社へ来たので、縁結びのお守りを買っちゃいました」と藤本さん。
 野宮神社の参拝を終え、隣接する百人一首7首の歌碑がある「奥野々宮地区」へ向かいます。ここには、天智天皇が詠んだ一番歌「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」や、坊主めくりで有名な蝉丸の「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関」などの歌碑が楽しめます。
 歌碑を眺めていると、突然、カンカンと踏切の警告音が聞こえてきました。踏切まで歩いてみると、赤と黄と黒で塗装されたレトロなトロッコ列車が近づいてきます。窓ガラスのない開放的な車両を含む、アールデコ調の容車が5両、ガタンゴトンと音を立てながら走る姿は、背景の竹林と相まって、まるで絵はがきのようです。四季折々の保津峡の絶景を楽しめる嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車は、年間100万人が利用する人気の観光列車です。

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写真左・中央:幻想的な風景が広がる竹林の小径 写真右:源氏物語ゆかりの野宮神社

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写真左:野宮神社のじゅうたん苔 写真中央:レトロなトロッコ列車 写真右:天智天皇の歌碑(奥野々宮地区)

古き良き京の歴史を感じて

 踏切を渡り、竹林が並ぶ嵯峨公園を通り過ぎ、落柿舎へ。茅葺き屋根と数寄屋造りが特徴の落柿舎は、そこだけ時間が止まっているかのような歴史を感じさせる茅舎です。そもそも落柿舎は、松尾芭蕉の門人として有名な俳人の向井去来が構えた草庵です。庭に立派な柿の木が40本もあり、その柿の実を商人が買う約束をしていたのに、一晩のうちに実がすべて落ちてしまったことから、この名前が付けられたといわれています。松尾芭蕉は閑寂な落柿舎を気に入り3度も訪れ、『嵯峨日記』にも記したことから、ここは「俳諧道場」として世に聞こえるようになりました。落柿舎の中には、今も投句箱が設置されており、そこに一句詠んで投句すると選句され、入選句は季刊誌『落柿舎』に掲載されるのだそうです。
 「落柿舎を訪れたのは初めてですが、侘び寂びを感じるとてもすてきな場所で、京都の魅力をまたひとつ見つけたという感じです」と藤本さんは感想を話します。
 次に訪れたのは、紅葉の名所として知られる常寂光寺です。仁王門をくぐり長く急な石段を上り、本堂を越え、多宝塔を横目で見ながら、さらに上へ。京都の町を見下ろす絶景の地に、藤原定家が百人一首を撰歌した小倉山荘(時雨亭)があったとする石碑が立っていました。しかし、実は、この嵯峨野地区には「時雨亭跡」と呼ばれる場所が、ここ以外にも二尊院や厭離庵にあり、いずれが本当の「時雨亭跡」であるかは、いまも謎のままです。
 常寂光寺を後にして、百人一首19首の歌碑が設置されている「長神の杜地区」へ向かいます。ここでは、持統天皇の「春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山」や、山部赤人の「田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ」、紫式部の「めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな」などの有名な歌の碑を見ることができました。
 最後に、百人一首をテーマに嵐山・嵯峨野を歩いた感想を藤本さんに伺うと「百人一首の世界に想いを馳せながら嵯峨野を歩き、京都の新たな一面を知ることができました。外国からの観光客が多いのは、古き良き日本を感じられるからであり、やはり京都は日本の誇りと言える町だと、あらためて思いました」と話してくれました。

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写真:向井去来が構えた草庵で、江戸の風情をいまも遺す落柿舎

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写真左:紫式部の歌碑(長神の杜地区) 写真中央:長神の杜地区に咲く花を背景に 写真右:桂川

(2018年5月7日掲載)

作品紹介

『小倉百人一首』

平安時代末から鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人・藤原定家が、京都の小倉山荘(時雨亭)で100人の歌人の歌を1首ずつ選んだ歌集。100首の歌は「古今和歌集」や「新古今和歌集」など、天皇の命により編纂された勅撰和歌集から選ばれた。江戸時代に絵入りの歌かるたが誕生して世に広がり、現在では札を取る速さを競う「競技かるた」でもおなじみ。

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今回の散歩道

亀山公園(亀山公園)→野宮神社→落柿舎→常寂光寺

<所要時間:約2時間>

亀山地区(亀山公園)

広範囲に及ぶ「嵐山公園」の一部で、正確には「京都府嵐山公園亀山地区」であるが、地元では「亀山公園」と呼ばれて市民に親しまれている。小倉山の山頂から天龍寺にかけて尾根の形が亀の姿に似て見えるところから、この名前がつけられたといわれている。西側は保津峡を見渡せる抜群の眺望地、東側は後嵯峨天皇以下三天皇火葬塚となっている。桜やつつじの景勝地であり、四季を通じて観光客が多く訪れる。また園内に「小倉百人一首文芸苑」の歌碑が100首のうち49首もあり、歌碑巡りを楽しむこともできる。

野宮神社

野宮とはその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれる)が伊勢神宮へ行く前に身を清めたところといわれる。嵯峨野の清らかな場所を選んで造られ、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地であった。当時の様子は源氏物語「賢木の巻」や謡曲「野宮」に描写されている。

落柿舎

芭蕉の高弟、俳人向井去来が閑居した草庵跡。松尾芭蕉もこの庵に滞在し、嵯峨日記を執筆した。去来の『落柿舎記』によると、庭に柿の木四十本あり、その柿の実が一夜のうちにほとんどおちつくしたのが落柿舎の名の由来という。

常寂光寺

京都府京都市の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院。境内は小倉山に広がり、常寂光土に遊ぶような趣があるということから名づけられた。慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日ワ辮lによって開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見城の建物の一部を移転修造したものといわれている。山門を入ると全山もみじと桜の老木に被われ、京都屈指の桜と紅葉の名所としても知られている。

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野宮神社

落柿舎

常寂光寺

 

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