文学散歩

第40回 「三重城ものがたり」 ゆかりの地 沖縄県・那覇市

「三重城ものがたり」 ゆかりの地 沖縄県・那覇市
散歩した人:ロワジールホテル 那覇 バンケットセールス部 部長 前川 恭男さん

琉球王朝時代から遥拝の地として人々の心に根付く三重城

 遡ること460年以上前、琉球王朝時代の那覇港は、異国貿易の中心地でした。その那覇港の沖合500メートルに築城されたのが、三重城(みーぐすく)です。三重城は、那覇港から龍の尾のように伸びた堤の突端にあり、倭寇・海藩(中国の海賊)から琉球を守る防御の要塞でした。また、「ニライカナイ(沖縄で信仰される東の海の彼方にある異界であり神界)」に向けて建てられた三重城は、旅立つ人の無事や、琉球に帰国した人の無事を神に感謝する遥拝の地として、今も沖縄の人たちに親しまれています。今回の文学散歩は、琉球王朝の歴史を刻む三重城周辺の地を、ロワジールホテル 那覇の前川恭男さんと歩きます。
 「三重城は、旅人を迎え入れるとともに、旅に出る人の無事を祈る聖地です。この三重城跡に隣接するロワジールホテル 那覇も、海の港と空の港から最も近いリゾートホテルとして人々を迎え入れ、見送っているという意味で、現代版の三重城のような役割を果たしていると思っています」と前川さんは、三重城への思いを話してくれました。

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写真左:ロワジールホテル 那覇 写真中央:三重城から望む海 写真右:三重城タワー

三重城の丘は、旅人を思い、祈りを捧げる聖地

 まず、ロワジールホテル 那覇に隣接する三重城跡へ。小さな石段を上り鳥居をくぐると、そこには平坦な土地が広がり、小さな祠がひとつ、その向こうにはコバルトブルーの海。三重城と那覇港をつなぐ堤には、かつて臨海寺という船を見送る場所があり、尚寧王が捕らわれ、薩摩へ連行される際もここで別れの手を振ったと伝えられています。また、琉球舞踊「花風」では、那覇の港から船出する愛しい人を三重城の丘から見送る遊女の切ない思いが表現されています。今でも三重城跡の丘は、那覇空港を飛び立つ飛行機と那覇港を出港した船の姿を望む、旅情を感じられる場所です。
 「三重城に上ると、いつも手を合わせている人の姿があり、あらためてここは那覇の人にとって聖地なのだと感じます」と前川さんは、三重城跡への想いを話します。
 続いて向かったのは、ホテルから10分ほど歩いた西町の一角。道路の脇に「西の海跡(ニーシヌウミアト)」という案内板が立っています。この案内板は、三重城があった時代、ここが海岸だったことを示すもの。西の海が最初に埋め立てられたのは1733年、那覇の人口が増加したことを受けて宅地を造成するためだったそうです。その後、この地は何度かの埋立てを経ており、現在の区画となったのは終戦後のことです。
 「昔の那覇は島だったと知ってはいましたが、ここが海岸線であることは初めて知りました。この道を何度も歩いていたのに、案内板があることに気付きませんでした」

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写真左:三重城の入口に立つ鳥居 写真中央:三重城跡の丘 写真右:ロワジールホテル 那覇には、異国貿易が盛んだったころの絵図が飾られている

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写真左:三重城は断崖の上に建っていた 写真中央:三重城の拝所 写真右:街角に立つ「西の海跡」案内板

異国文化の影響を感じる文化財や史跡

 「西の海跡」から北へ向かうと、緩やかな上り坂が続き、かつて那覇の地が島だったことの名残を感じられます。次に訪れたのは、久米至聖廟と呼ばれる史跡です。天尊廟(道教の神様である天尊を祀る廟)は、1392年に明国から渡来した方々が、中国の信仰を琉球国に持ち込み建立したものです(※)。この施設内には、琉球が生んだ最大の政治家といわれる「蔡温(さいおん)」や、国際的な教育者として知られる「名護親方(なごうぇーかた)」を祀る石碑も建っていました。なお、以前この地にあった孔子廟(孔子とその門弟を祀る廟)は、那覇市内の福州園(中国様式の庭園)の隣に移転しています。
 久米至聖廟の隣にある護国寺の入口付近には、沖縄で初めて種痘を実践した宣教師であり医師のベッテルハイムと、その弟子である仲地紀仁の記念碑も建っていました。
 「地元で生まれ育っていたにもかかわらず、私はベッテルハイム医師の存在もほとんど知らず、久米至聖廟に入ったこともありませんでした。こうして史跡を歩くと沖縄は、異国の影響を受けていることが良くわかりますね」

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写真左:蔡温と名護親方の記念碑 写真中央:久米至聖廟にある天尊廟 写真右:ベッテルハイム氏と仲地紀人の記念碑

※老朽化した天尊廟は当面危険回避のため、比較的劣化の少ない旧大成殿へ仮遷座してあります。

時を超えて信仰され続ける波上宮

 続いて、エメラルドグリーンのビーチに佇む断崖に建てられた波上宮(なみのうえぐう)を訪れました。波上宮は、琉球王国で王府から特別の扱いを受けた「琉球八社」の最高位に位置する由緒ある神社です。本殿には熊野三神が祀られており、琉球王朝時代から海上交通の安全、豊漁、豊穣などの信仰を集めてきた聖地です。
 波上宮をお参りした後、ビーチへ向かう広場のような空間で、前川さんは足を止めました。「懐かしいですね。子どもの頃、ここにはよく遊びにきました。今は跡形もありませんが、以前ここには岩を削ってつくられた海水のプールがあったと聞いています。当時とは、だいぶ景色が変わっていますね」
 最後に、文学散歩として三重城周辺を歩いた感想を伺うと「ホテルの周辺に、こんなにも歴史を感じられる場所があることを知り、とても有意義な時間を過ごせました。この経験を生かし、私も宿泊されるお客さまに三重城の歴史や文化財をご案内し、ぜひ史跡めぐりを楽しんでいただきたいと思います」と前川さんは話してくださいました。
 那覇の街中には、今も琉球王朝の歴史を刻む文化財が数多く残っています。異国の影響を色濃く受けた海洋国家、琉球王朝の文化財に触れ、「ニライカナイ」に思いを馳せることも、沖縄のひとつの楽しみ方といえます。

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写真左・中央:由緒ある琉球八社のひとつ「波上宮」 写真右:「波上宮」は波に浸食され、えぐられた岩の上にある

(2018年3月9日掲載)

作品紹介

『三重城ものがたり』発行:沖縄県観光事業協同組合

三重城は、海上からの侵入を防ぐ要塞として那覇の港から伸びた500メートルの堤の先に築城されました。琉球王朝時代から新しい文化、文明、神とのふれあいの場とされていた三重城は、旅立つ人の無事を神に祈る聖地として、今も親しまれています。「三重城ものがたり」は、琉球の歴史を彩る三重城を那覇の資源として再認識してもらうために、沖縄県観光事業協同組合が発行した冊子です。

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今回の散歩道

三重城跡(ロワジールホテル 那覇)→久米至聖廟→波上宮

<所要時間:約2時間>

三重城跡(ロワジールホテル 那覇)

琉球王朝時代、倭寇などの侵入を防ぐため那覇港に築かれた城塞の跡地。近世以降は、那覇港を出港する船の見送りの場所となり、琉歌にも多く詠まれている。三重城とは「ミー(新)グスク(城)」を意味し、対岸の砲台「屋良座森城(やらざむいぐすく)」の後に作られたことによる名称である。ロワジールホテル 那覇に隣接し、現在は社がある先端部だけを残して埋め立てられている。城跡内には小さな神殿や水の神として奉られている遥拝所があり、手を合わせる人を目にすることもある。

久米至聖廟(一般社団法人 久米崇聖会)

那覇市久米村に建てられた儒学の祖・孔子とその門弟(四配:顔子・曾子・子思子・孟子)を祀る廟。第2次世界大戦で廟など全て焼失したが昭和50年波之上に再建。しかし久米村の人々はゆかりの地での至聖廟再興を願い続け、平成26年那覇市の協力を得て久米の地へ至聖廟(久米至聖廟)を建設した。日本では最南端の孔子廟でもあり、当事の琉球と中国の交流関係をうかがい知ることができる。

波上宮

沖縄県那覇市にある神社。かつて人々がここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたといわれる。那覇港を望む高台の上に位置し、「なんみんさん」「ナンミン」として地元の人々に親しまれてきた。先の大戦で被災したが、昭和28年に御本殿と社務所が、同36年には拝殿が再建され、平成五年、平成の御造営により、御本殿以下諸社殿が竣工。翌年五月諸境内整備が完工した。

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ロワジールホテル 那覇

久米至聖廟(一般社団法人 久米崇聖会)

波上宮

 

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