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- 第37回 『真田太平記』 ゆかりの地 長野県上田市
文学散歩


戦国一の武将との呼び名が高い真田幸村、その父親で智謀に長けた名将昌幸、思慮深く聡明な兄・信幸。戦国の動乱の中、敵味方に分かれながら生き残りをかけて戦った父子二代にわたる波乱の運命を、忍者たちの活躍と共に描いた池波正太郎の大河小説「真田太平記」。今回の文学散歩は、「真田太平記」ゆかりの地、長野県上田市を圧力計・圧力センサのリーディングカンパニーである長野計器の情報システム部に勤める丸山智聡さんと一緒に歩きます。「上田市民にとって真田は英雄ですが、私は長野市出身なのであまり詳しくありません。この機会に上田の歴史を知ることができたらいいなと思っています」と丸山さんは、文学散歩への期待を口にします。
文学散歩へ向かう前に、まず丸山さんが勤める長野計器 丸子電子機器工場を訪問しました。ここは世界最大級の圧力センサ生産能力を誇る同社の最新工場です。工場の入口には、まるでタイムスリップしてきたかのようなレトロな木造の電車が飾られています。この電車は昭和2年に製造され、昭和61年まで上田電鉄別所線で使われていたモハ5250通称「丸窓電車」です。この電車に長野計器の圧力計測器が使われていた縁で、引退後、同社が引き取って修繕し、今は無料で資料館として公開しています。車両内部は、木製の床、丸窓、日よけ、座席、網棚が往時の姿のまま残され、当時使われていた圧力計などの資料が展示されています。丸窓電車は、鉄道ファンの人気が高く、休日には団体客も訪れるそうです。
昭和の空気を味わった後は、戦国時代まで歴史を遡り、真田一族が活躍した上田城跡へ向かいます。
長野計器(株)丸子電子機器工場の入口にある「丸窓電車資料館」入館無料:通年の日曜:午前10時から午後3時まで(それ以外は事前にTELにてお問い合わせ下さい) TEL.0268-42-7530(長野計器・平日8:10〜16:50)
真田の名を世に知らしめたのは、上田城を舞台として二度にわたり徳川軍を破った上田合戦でした。そもそも上田城は、徳川方についた真田昌幸が、越後で勢力を伸ばす上杉の進撃を防ぐために家康の援助を受けて築いた城です。ところが、昌幸は上田城完成後、敵対関係にあった上杉側へ寝返ります。これに立腹した家康が真田を滅ぼすために起こしたのが、第一次上田合戦です。この戦で昌幸は、地の利を生かした巧妙な戦略を用い、わずか二千の兵で徳川七千の兵を撃破。これにより真田の名は天下に轟きました。
現在の上田城跡は公園として整備され、桜の名所として親しまれています。残念ながら昌幸が築いた城は、関ヶ原の合戦後、徳川により徹底的に破却されたため土塁以外の遺構は残っていません。現存する櫓(やぐら)と櫓門は、真田がお国替えで松代へ転封された後、領主となった仙石が建造したものと、それらを復元したものです。
北櫓の石垣には「真田石」と呼ばれる高さ2.5メートル、横3メートルほどの巨石が組み込まれています。この石は、信幸が松代へ転封される際、父の形見として持ち去ろうとしたがビクともしなかったため、ここに残されたと伝えられています。
櫓門をくぐると正面に真田神社があり、その参道を抜けた奥に「真田井戸」があります。ここは本丸内唯一の井戸で、中に抜け穴があり、城外に通じていたといわれています。真偽は定かではありませんが、第二次上田合戦のときに兵糧を城内に運び込んだとか、抜け穴を使って徳川軍の背後から奇襲をかけたとか、さまざまな伝説が残されています。
上田城跡を歩いた丸山さんは「上田城といえば、真田というイメージでしたが、実は真田が支配していたのは、わずか40年程度で、今残っている櫓なども真田の時代のものではないと知り驚きました」と感想を話します。
写真左:上田城東虎口櫓門 写真中央:信幸が持ち去ろうとしたという真田石 写真右:城外への抜け穴があるといわれる真田井戸
次に訪れたのは、市の文化財に指定されている上田藩主居館跡です。ここは関ヶ原の合戦後、破却された上田城に替わり、信幸が藩政を行う居館を構えた所です。現在は長野県上田高等学校が建てられていますが、お濠(ほり)と土塁は当時のまま残されています。表門は寛政元年(1789年)に焼失後、再建されたもので、今も上田高校の校門として使われています。
「表門を文化財として保存するだけではなく、校門として実用的に使っているところが歴史の街らしくて良いですね」と丸山さん。
続いて「池波正太郎真田太平記館」を訪問しました。池波正太郎は、真田一族の歴史に深い関心を持っていた作家で「真田太平記」だけではなく、真田家と真田に関わる人々を題材にした小説を20作以上執筆しています。館内には、遺愛品、書簡、自筆画などが展示され、「真田太平記」の登場人物をまとめたパネルや、作中の出来事を映像で紹介するコンテンツなどがあり、作品世界をさまざまな角度から楽しめます。ほかにも、「真田太平記」の挿絵を担当した風間完の原画が展示されているギャラリーや、「真田太平記」をテーマにした映像作品が楽しめるシアターも併設されています。
「プロジェクションマッピングとジオラマを組み合わせて、大坂冬の陣・夏の陣を臨場感ある演出で見せる仕掛けがおもしろかったです」
真田太平記館から上田駅まで歩き、真田幸村像の前で記念撮影をして文学散歩を終了しました。感想を伺うと「真田ゆかりの地を歩き、歴史に興味がわいてきたので、今度時間があったら『真田太平記』を読んでみたいと思います」と丸山さんは話してくれました。
写真左:信幸が住んだ上田藩主居館跡 写真中央:池波正太郎真田太平記館 写真右:上田駅前の真田幸村像
(2017年5月8日掲載)
作品紹介
『真田太平記』池波正太郎著 新潮文庫刊
天下分け目の決戦を、父・弟と兄が豊臣方と徳川方に分かれて戦った信州・真田家の波乱にとんだ歴史を辿る大河小説。文庫版全12巻。真田家と真田に関わる人々を題材にした小説を20作以上執筆した池波正太郎の代表的な作品。
長野計器 丸窓電車資料館上田城跡公園
上田藩主居館跡
池波正太郎真田太平記館
上田駅
<所要時間:約3時間>
長野計器 丸窓電車資料館(長野計器(株) 丸子電子機器工場内)
1927年に製造されたモハ5250は、丸い窓を持つユニークな車両として「丸窓電車」の愛称で親しまれてきた。この丸窓電車に長野計器叶サの計器が使用されていたこと、西丸子線が1963年に廃線となるまでは、現在の長野計器滑ロ子電子機器工場の前を走っていた経緯から、車両を永く保存し、当時の鉄道交通網が地域発展に尽くした歴史と文化を振り返リ、語り継ぐ場として2005年に設置された。
上田城跡公園
日本百名城・日本夜景遺産に認定されている上田城は、真田幸村の父、真田昌幸によって1583年築城された。第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城としても知られている。上田城跡を核とした公園は樹齢100年といわれるケヤキ並木をはじめ、約千本の桜など豊かな自然に囲まれ、市民の憩いの場となっている。「信州上田真田丸大河ドラマ館」跡の特別企画展「400年の時を経て甦る上田城」や眞田神社・上田市立博物館などの観光スポットが集まり、上田城千本桜まつり・上田真田まつり・上田城けやき並木紅葉まつりなどのイベントには多くの観光客が訪れる。
池波正太郎真田太平記館
日本を代表とする作家・池波正太郎氏は、真田一族の歴史にスポットを当てた数多くの作品を発表している。名将真田昌幸・信之・幸村、父子の活躍をテーマにした「真田太平記」は、この一連の「真田もの」の集大成ともいえる。平成10年設立された池波正太郎真田太平記館には、池波氏の書斎の様子や遺愛品、書簡、自筆画などが展示され、池波氏と戦国歴史浪漫「真田太平記」の魅力を紹介。「折りにふれ、上田の人々の顔を思い、上田の町を思うことは、私の幸福なのである」と言った池波氏の作品と上田周辺に触れることができる。