文学散歩

第36回 「与次郎狐の伝説」ゆかりの地 秋田県・秋田市

「与次郎狐の伝説」ゆかりの地 秋田県・秋田市
散歩した人:秋田酒類製造株式会社 戸澤亜由美さん

 久保田藩(秋田藩)初代藩主の佐竹義宣公に仕えた白狐の与次郎は、飛脚として秋田・江戸間を6日間で往復する速足で大いに働きましたが、その速足を妬む者の手にかかり、山形の飛脚宿で殺されてしまいました。この与次郎狐の霊を祀るために、秋田と山形に与次郎稲荷神社が建てられたといわれています。今回は、この「与次郎狐の伝説」発祥の地である秋田市内を、秋田酒類製造の戸澤亜由美さんと歩きます。秋田酒類製造は、有名な「高清水」ブランドの日本酒を製造する老舗酒造メーカーです。近年は、酸味豊かでほんのり甘い「デザート純吟」や、高清水の純米酒(コメ発酵液)を配合した「酒屋のスキル 化粧水・乳液」など、新たなカテゴリの商品を発売して話題を呼んでいます。戸澤さんは、総務部に属し社員食堂のメニュー開発にも携わっているそうです。 「私は秋田出身ですが、与次郎狐のことはご当地キャラになっている程度の認識しかなく、伝説についてはほとんど知りませんでした」と戸澤さん。

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秋田の地で267年続いた久保田藩の歴史にふれる

 最初に訪れたのは、秋田市の中心街「エリアなかいち」のマスコットキャラクター「与次郎」像が建つ秋田市中通一丁目。与次郎狐をモチーフにしたかわいらしい石像の隣にある立て札には伝説の概要が記されています。
 「秋田では毎年『与次郎駅伝』が開催されていて、うちの会社も参加しています。その由来は、与次郎狐が速足の飛脚だったからだと初めて知りました」。
 与次郎像の視線の先にあるのが、佐竹公が築いた久保田城の本丸・二の丸跡地につくられた千秋公園です。桜やツツジなどが咲く花の公園として有名ですが、当日は真っ白な雪に覆われていました。
 堀門跡から坂を上ると、佐竹氏の歴史資料を展示する秋田市立佐竹史料館があります。ここには慶長7年(1602年)から明治2年(1869年)の版籍奉還まで、12代267年間続いた久保田藩にまつわる貴重な資料が数多く展示されています。佐竹氏の家紋は、五本骨扇に月丸紋。これは源頼朝から授かった由緒ある紋とされています。館内には、この家紋を蒔絵で描いた調度品やのぼり旗、甲冑、書状などが展示されています。戸澤さんが興味を抱いたのは、義宣公が合戦で着用したという甲冑。兜の前立てに熊の毛皮でつくった大きな毛虫がついています。
 「兜についている毛虫が衝撃的でした。最初に見たときは、なぜ弱そうな毛虫をつけるのか疑問でしたが、“毛虫は前にしか進めない”ことから、決して退くことがないという意味だと知り納得しました」

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写真左:ご当地キャラになった「与次郎」像、写真中・右:歴史的資料が数多く展示されている秋田市立佐竹史料館

与次郎は伝説ではなく、実在の隠密だった!?

 佐竹史料館を後にして久保田城表門へ。木造二階建て瓦葺の櫓門で20万石を誇る久保田城の正門にふさわしい壮大なつくりは見応えがあります。表門を越えた先に広がるのが本丸跡地で、その一角に与次郎狐を祀っている与次郎稲荷神社があります。朱色の鳥居が立ち並び、参道の脇には石造りの狐像が8体並んでいます。与次郎稲荷神社は、現存するだけで三社あり、いずれの地でもあつい信仰を得ています。歴史研究者によれば、この話は単なる伝説ではなく、与次郎は実在の人物で佐竹公の寵愛を受けていたとの説があるそうです。しかし、文献にはいっさい記述がないことから、存在を伏せなければならない隠密だったといわれています。隠密であれば、秋田・江戸間を6日間で往復したという説にも信憑性があり、道中で暗殺されたのも、理屈が通っているといえます。
 「単なる伝説ではなく与次郎が実在していたという説を知り、すごく興味がわきました。真実はどうなのか知りたいですね」と戸澤さんは与次郎狐隠密説に興味津々のようでした。

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写真左:壮大なつくりの久保田城表門、写真中・右:与次郎狐を祀ったとされる与次郎稲荷神社

 

歴史を学ぶと、いつもの景色が違って見えてくる

 続いて千秋公園の北西の端、もっとも高い場所に建つ久保田城御隅櫓(おすみやぐら)まで歩きました。ここは見張り場と矢倉(武器庫)としての役割があったそうです。冬季(12/1〜3/31)は休館していて中に入ることができませんが、それ以外の季節であれば、内部の展望室から秋田市内を一望できます。御隅櫓を見学した後、奥庭跡を通り裏門坂から雪見灯籠や噴水のある胡月池を回り、文学散歩を終了しました。
 「佐竹氏や久保田藩の歴史、そして与次郎狐にまつわる裏話を伺いながら歩くと、いつもの千秋公園とは違う景色を感じられて、とても楽しかったです。あらためて秋田の歴史に興味がわき、もっといろいろ調べてみたいと思いました」と戸澤さんは、文学散歩の感想を話してくれました。

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写真左:本丸跡に建つ第12代藩主佐竹義堯公像、写真中:秋田市を一望できる高台に建つ久保田城御隅櫓、写真右:風情ある胡月池

 

(2017年3月10日掲載)

作品紹介

与次郎狐の伝説

初代藩主の佐竹義宣公が久保田城を築城すると、住処を失った白狐が現れ新たな住処を与えてくれるならば殿の役に立つと誓う。義宣公から城内に住処を与えられた狐は与次郎と呼ばれ飛脚として活躍するが、六田村(山形県東根市)で罠にかかり殺されてしまう。この死を哀れんだ義宣公が城内に祠を立てて霊を祀ったのが、現在の与次郎稲荷神社だといわれている。一方、与次郎を殺した罪人たちは狐の祟りに遭い無残な死を遂げたといわれ、東根市の与次郎稲荷神社はその祟りを鎮めるために建てられたという説がある。

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今回の散歩道

「与次郎」像→秋田市立佐竹史料館→久保田城→久保田城御隅櫓(おすみやぐら)

<所要時間:約2時間>

「与次郎」像

佐竹義宣に仕え、飛脚として秋田〜江戸を6日間で往復したという老狐の伝説から生まれたキャラクター。秋田市中通のにぎわい交流館前に立ち、人気のスポットとなっている。

秋田市立佐竹史料館

平成2年4月に開館した鉄筋コンクリート高床式平屋建の資料館。佐竹義宣が城を築いた千秋公園(久保田城二の丸)内にある。佐竹義宣の書状、甲冑、ゆかりの調度品など、佐竹氏関連の資料が展示されるとともに秋田藩政時代について紹介されている。

久保田城

佐竹氏二十万五千八百石の居城であり、複数の廓を備えた平山城。 築城は慶長八年年五月に開始完成したのは寛永八年頃といわれる。石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らされ、また天守閣を造らなかったことが特徴とされる。現在城跡は、千秋公園として整備され、市民の憩いの場となっている。表門は当時、玄関口として警備上重要な地点とされ、南側には「御番頭局」、門の下手には「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていた。絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに再建されたもので、木造2階建て瓦葺きの櫓門で、20万5千8百石の正門にふさわしい壮大なものとなっている

久保田城御隅櫓(おすみやぐら)

櫓とは、見張り場、そして「矢倉」すなわち武器庫としての役割を持っていた。久保田城内に八つあった御隅櫓のうち、本丸の北西隅に位置していたものを市政100周年に21世紀に向けて秋田市の発展を願い復元された。中では佐竹氏の歴史を解説したパネルが展示されている。

 

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