文学散歩

第31回 『萩原朔太郎』 ゆかりの地 群馬県前橋市

不世出の詩人・萩原朔太郎 ゆかりの地を訪ねて。
散歩した人:サンデンホールディングス株式会社 イーディス・ンさん

口語自由詩を確立した萩原朔太郎を育んだ故郷前橋へ

わが故郷に帰れる日 汽車は烈風の中を突き行けリ。
ひとり車窓に目醒むれば 汽笛は闇に吠え叫び
火焔(ほのほ)は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。  「帰郷」(『氷島』1934年)より

突き刺さるような鋭い言葉遣いと独特の美しいリズム、繊細な表現力で従来の文語定型詩の概念を解体し、口語自由詩を確立した不世出の詩人、萩原朔太郎。冒頭の詩は、第六詩集「氷島」に収められた作品で、東京での家庭生活が破たんした後、二児をともなって実家へ帰る車中、故郷を思ってうたった詩の冒頭です。今回の文学散歩は、朔太郎が生まれ育った前橋市内をサンデンホールディングス株式会社 総務本部 グローバル総務部のイーディス・ンさんと歩きます。香港出身のイーディスさんは、日本文学を学ぶため7年前に立命館大学へ留学。卒業後、同社に入社し東京のグローバル物流部門に赴任した後、2015年から群馬県伊勢崎市の本社で働いています。「萩原朔太郎の詩は読んだことがありますが、ゆかりの地である前橋にはほとんど行ったことがなかったので、今日はとても楽しみです」と文学散歩への期待を話してくれました。

写真

写真左:臨江閣 写真中央:萩原朔太郎の人形 写真右:前橋市内にある朔太郎の詩碑

作品が執筆された当時の書斎を見学できる萩原朔太郎記念館

最初に訪れたのは、群馬県立敷島公園内にある萩原朔太郎記念館です。ここには生家から移築された書斎と離れ座敷、土蔵が当時の姿のまま残されています。書斎は、自らがデザインした絵柄を掘りこんだ洋風の机(レプリカ)や窓枠、リノリウムの床などで飾られており、西洋に憧れていた朔太郎の美意識を感じることができます。傑作といわれる処女詩集「月に吠える」や、第二詩集「青猫」は、この書斎で書かれました。土蔵には、朔太郎の年譜や写真、生原稿の複製品などが展示されており、誰でも無料で見学できます。蝶ネクタイを締めパーマをかけた若き日の写真から、和装で撮影された晩年の写真まで、時系列の展示をじっくり閲覧したイーディスさんは「年を取るにつれ作品が日本主義へ変貌していったのと同様に、服装や髪形も洋風から和風へ変化しているのがわかり、とても興味深かったですね」と感想を話してくれました。

写真

写真左:生家を移築した萩原朔太郎記念館 写真中央:朔太郎がデザインした窓枠 写真右:朔太郎も散歩したという群馬県立敷島公園

築130年を超える歴史的建造物「臨江閣(りんこうかく)」

次に向かったのは、朔太郎が結婚披露宴を行った歴史的建造物「臨江閣」です。この建物は、当時の群馬県令(県知事)楫取素彦(かとり もとひこ)や市内の有志らの協力と募金により明治17年に本館が建てられ、迎賓館として使われてきました。過去には、明治天皇が行幸の際に行在所として使われたのをはじめ、大正天皇(当時は皇太子)が滞在されるなど、多くの皇族方が滞在された由緒ある建物です。朔太郎が披露宴を行ったのは、明治43年に建てられた書院風建築の別館。披露宴は180畳の大広間で行われ、200名を超える来賓で賑わったといわれています。また、音楽好きだった朔太郎は、この大広間でマンドリンの演奏会も開催したそうです。「本館1階の床下に音響用の壺を設置して、能舞台としても使えるように工夫しているのを知り、とても感心しました」とイーディスさんは、日本の歴史的建造物に大いに興味をそそられているようでした。

写真

写真左:朔太郎が披露宴を行った大広間 写真中央・右:明治時代の書院風建築の臨江閣別館

 

生涯や人となりを知ることで詩に込められた思いに近づく

続いて、前橋市の中心部を流れる広瀬川沿いに佇む前橋文学館を訪れました。朔太郎は、広瀬川を題材にした詩を残しており、これを記念し川沿いに「広瀬川白く流れたり 時さればみな幻想は消えゆかん。・・・」と刻まれた詩碑が建てられています。また、川沿いの遊歩道は「廣瀬川詩の道」と名付けられ、前橋市が主催する現代詩を対象とした文学賞「萩原朔太郎賞」の受賞作品の詩碑が建てられています。

前橋文学館の常設展示室には、朔太郎の生涯や業績、趣味、友好関係などがわかりやすく紹介されており、ノート、自筆原稿、書簡、著書、雑誌、写真、書跡、愛蔵品など貴重な品々も数多く展示されています。「私は『月に吠える』を読んだとき、朔太郎は故郷に対する愛より憎しみをうたっているのではないかと感じていました。文学館で朔太郎がいじめられて育ったお坊ちゃまだったという生い立ちなどを知り、詩に込められた思いを深く知ることができました」とイーディスさん。

最後に、朔太郎ゆかりの地を歩いた感想を伺うと「大学で日本の近代文学を学んだのですが、朔太郎が前橋出身だとは知りませんでした。私はいま縁あって群馬に暮らしているので、あらためて朔太郎の詩をもっと読んでみたいと思いました」とイーディスさんは話してくれました。

写真

写真左:前橋中心部を流れる広瀬川 写真中央:朔太郎の詩「廣瀬川」を刻んだ詩碑 写真右:前橋文学館で展示物を見学

 

(2016年1月8日掲載)

作品紹介

『萩原朔太郎詩集』三好達治 選

口語体の自由詩にとぎすまされた感覚的表現を持ちこんで、新しい詩風を確立し、日本の近代詩に不滅の足跡を残した萩原朔太郎。その代表作である『月に吠える』『青猫』などから創作年次順に作品を編さんし、その軌跡と特質を余すところなく伝える詩集

写真

発行元:岩波文庫刊

 

今回の散歩道

萩原朔太郎記念館→臨江閣→ 前橋文学館

<所要時間:約3時間>

萩原朔太郎記念館

朔太郎の生家は前橋市の中心部にあったが、空襲の被害も受けず奇跡的に残された。記念館はそのうち書斎、離れ座敷、土蔵を敷島公園のバラ園に移築し、昭和55年5月11日、一般に公開された。土蔵には朔太郎の原稿などが並べられ、当時の様子を知る上で貴重な資料が数多く残る。28年度中に前橋中心市街地に再移転の計画である。

臨江閣

県庁にほど近い場所にある近代和風の木造建築で、本館、別館、茶室からなる近代和風の木造建築物。
本館は明治17年9月、当時の群馬県令・楫取素彦や市内の有志らの募金により迎賓館として建てられ、現在、県の重要文化財に指定されている。別館は本館と渡り廊下でつながる比較的大きな建物で、明治43年一府十四県連合共進会の貴賓館として建てられ、市の重要文化財に指定されている。

前橋文学館

萩原朔太郎の他、平井晩村、高橋元吉、萩原恭次郎、伊藤信吉など前橋出身の詩人たちの資料を展示している。特に朔太郎の資料は全国一の質と量を有する。館周辺の広瀬川河畔緑道には詩碑や銅像が立ち、市の「文学散歩コース」に位置付けられている。

 

このページの先頭へ