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- 第30回 『お登勢』 ゆかりの地 兵庫県洲本市
文学散歩


淡路島に生まれた貧農の娘お登勢は、奉公先へ向かう船に乗り合わせた稲田藩士津田貢に一目惚れしたことがきっかけで苛烈な人生を歩むことになります。幕末から明治という波乱の時代に翻弄されながら、一途な愛に生きる女性を描いた傑作『お登勢』。作品の舞台となった淡路島洲本市を、関電システムソリューションズ コーポレート統括本部人財部にお勤めの沓掛留衣さんと歩きます。洲本市内には“お登勢の町すもと”という看板がいくつも立っており、作品の舞台が観光名所になっています。沓掛さんは「生まれは淡路ですが1歳の時に引っ越してしまったので、それほど詳しいわけではありません。でも、祖母の家によく遊びに来ていましたし、淡路島は大好きです。これまで洲本をゆっくり歩いたことはなかったので、今日はとても楽しみです」と文学散歩への期待を話してくれました。
最初に訪れたのは、標高133mの三熊山にある洲本城跡です。洲本城は東西800m、南北600mに及ぶ広大な敷地に築かれ、かつては西日本最大の要塞と呼ばれた山城です。最大の見どころは、城内各所にある年代も積み方も異なるさまざまな種類の石垣です。割石を横に積み上げた慶長時代の「穴(あ)太(のう)積み」、通常90度に組まれる石垣の角を曲線で築いた「鎬(しのぎ)角(ずみ)」、全国でも三箇所しか現存していない「登り石垣」など、歴史的価値のある石垣がたくさんあります。さらに、天守台まで登ると大阪湾を一望できる美しい景色が眼下に広がります。
「三熊山にお城があるのは知っていましたが、今まで訪れたことはありませんでした。敵から守るためにわざと段差を付けた石段や、歴史を感じられるさまざまな石垣を間近で見られて楽しかったです」と沓掛さんは洲本城跡を訪れた感想を話します。
写真左:洲本城の模擬天守をバックに 写真中央:珍しい鈍角の石垣 写真左:天守台から大阪湾を一望
三熊山を下りて厳島神社へ向かいました。境内には、津田貢が仕えていた稲田家の守護神・稲基神社が分祀されています。その横には、著者船山馨氏筆の「お登勢之碑」が立っています。「以前、近くまで来たことがありましたが境内には入らなかったので、ここにお登勢さんの碑があるとは知りませんでした」と沓掛さん。
次に訪れたのは、淡路島を統治していた蜂須賀家の氏神が祀られている国瑞彦護国神社(くにみずひこごこくじんじゃ)です。ここには幕末の頃、龍宝院という寺院がありました。洲本では、1870年に蜂須賀家臣の武士が、藩からの独立をもくろむ筆頭家臣の稲田家とその家臣の屋敷を襲撃し、多くの死傷者を出した庚午事変という悲劇が起きています。その際、龍宝院が救護所として使われ、多くの負傷者が運び込まれたと記録されています。作中でも庚午事変が描かれており、津田貢を守るために重傷を負ったお登勢が龍宝院に運び込まれる場面があります。龍宝院は明治初年の神仏分離により廃寺となったため今は残っていませんが、『お登勢』の舞台となった場所として看板が立っています。
写真左:厳島神社に立つお登勢之碑 写真中央:芝居好きの狸「柴右衛門」の祠 右:お登勢も救護されたという龍宝院跡
最後に伺ったのは、洲本市立淡路文化史料館です。史料館の門前には、テレビドラマ放映を記念して建てられた「お登勢の像」がありました。館内に入ると、江戸時代に淡路島で人気を博した民俗芸能の淡路人形浄瑠璃の展示コーナーがあります。淡路の人形浄瑠璃は、大阪の文楽より大振りな人形が使われることが特徴です。作中では、お登勢の実父が人形浄瑠璃師であったり、お登勢が子どもの頃から後生大事に人形を持っていたり、津田貢がお登勢と出会った際に人形浄瑠璃の道具方(どうぐかた)を騙っていたなど、物語の重要なシーンで人形浄瑠璃が登場します。また、史料館には庚午事変に関わる歴史的資料や、淡路島の歴史、民俗に関するさまざまな資料が展示されています。「母の実家の近くにも人形浄瑠璃の館がありますが、ほとんど観劇する機会はありませんでした。今回、近くで人形を拝見できて、うれしかったです」と沓掛さん。
写真左:洲本市立淡路史料館内の展示 写真中央:史料館の門外に立つお登勢像 写真右:史料館前で兜をかぶる沓掛さん
洲本の町を歩いた沓掛さんは「文学散歩のお話をいただき、はじめて『お登勢』を読みました。時代物なので読みにくいかなと思いましたが、中身は恋愛小説だったので楽しく読めました。貢さんを一途に思い洲本から北海道までついていくお登勢さんが印象的でした。小説の舞台となった洲本の町をじっくり歩くことができて、とても楽しい一日でした」と感想を話してくれました。
(2015年11月4日掲載)
作品紹介
『お登勢』 船山 馨著
幕末に淡路島で起きた庚午事変を下敷きにして、貧農の娘として育ったお登勢が歴史に翻弄されながらも、一途に愛を貫く姿を描く。幕末維新における騒動や北海道開拓に携わった人々の過酷な人間ドラマを丹念に描き、過去に2度テレビドラマ化されている長編時代小説の傑作。
発行元:講談社文庫刊
(2001年発売 ※現在品切中)
洲本城跡厳島神社
国瑞彦護国神社
淡路文化史料館
<所要時間:約-時間>
洲本城跡
兵庫県淡路島の大浜海岸の西に広がる三熊山一帯に築かれた山城。三好氏の重臣・安宅治興によりおよそ500年前に築城された。大浜公園側の平城と三熊山に築かれた山城があり、三熊山の山頂には、総石垣造りの本丸・東の丸・南の丸等の曲輪がはっきりと残っている。なかでも本の丸南側の虎口と大石段、本の丸西側の高石垣が見事。ほかにも三熊山周囲には城郭の遺構が数多く残され、中世の山城の城郭建築を今に残す貴重な学術資料とされている。
厳島神社
洲本市の中央に鎮座し、通称「弁天さん」として島民に親しまれている。境内には、出世をつかさどる「出世稲荷社」、火をつかさどる台所の神「荒神社」、江戸時代の洲本城代家老稲田家の守護神「稲基神社」が祀られているほか、小説家船山馨の名作「お登勢」の碑、松尾芭蕉の句碑、国学者鈴木重胤の歌碑などがある。11月21日から三日間行われる秋の例大祭 「弁天祭」は島内最大の祭で、大勢の参拝客で賑わう。
国瑞彦護国神社
庚午事変(稲田騒動)の後始末として明治3年(1870)、徳島県の県社国瑞彦神社より御分霊を勧請し、明治10年(1877)に洲本八幡神社旧別当寺龍宝院跡に設立された。戦後、大東亜戦争で亡くなった郷土出身の方々を合祀。昭和30年代末まで記念事業として、ご本殿の屋根の葺き替え、幣殿の建設、境内整備などの記念事業が行われた。
淡路文化史料館
淡路島の歴史と文化を一堂にあつめた博物館として昭和57年に洲本城跡(平城)に開館。1階には、国の重要無形民俗文化財である淡路人形浄瑠璃の頭や考古・歴史資料など、2階では全国的にも著名なa平焼、昔の農機具や生活用具などが展示されている。