- NUA WORLDトップ
- 文学散歩
- 第27回 「ごんぎつね」 ゆかりの地 愛知県半田市
文学散歩


病気の母親のために捕った兵十(ひょうじゅう)のウナギを、いたずら心で奪ってしまったキツネのごん。兵十の母の死を知り、つぐないをしようと栗や松茸を取っては兵十の家にそっと置いていく。そんなある日、ごんがいたずらに来たと勘違いした兵十は火縄銃を持ち……。
国語の教科書でおなじみの「ごんぎつね」。今も小学四年生の教科書に掲載され続ける国民的な名作童話です。今回は「ごんぎつね」の作者新美南吉の故郷である愛知県半田市を、株式会社スターインフォテックの原亜紀子さん、枡谷薫さんと一緒に歩きます。枡谷さんは「半田が地元なので南吉さんの名前はよく目にしていましたけど、ゆかりの地を歩いたことはないので、とても楽しみです」と文学散歩への期待を話してくれました。
最初に訪れたのは南吉の生家です。ここは南吉の父、多蔵が畳屋を、継母の志んが下駄屋を営んでいたお店です。現在は半田市の所有となり、無料で公開されています。木枠のガラス扉を開けて中に入ると、土間が広がり、その横に畳敷きの商売空間、襖の向こうには小さな部屋があります。当時の暮らしぶりをそのまま復元した家屋の中に立つと、南吉がお店を手伝ったり、道行く人々を眺めていた姿が目に浮かぶようです。「童話の中でごんぎつねが兵十にいたずらしたのは、ひとりぼっちで寂しかったからだと聞きました。南吉さん自身も、実母を亡くし両親も忙しく働いていたので寂しい思いをしていたのかもしれませんね」と原さんは、南吉の子ども時代を想像していました。
南吉の生家:南吉の両親がお店を開いていた地。現在は半田市が所有し無料で公開されている
生家から少し歩くと、地元の氏神様を祀っている八幡社があります。幼い頃、南吉は毎日のようにこの境内を通っていたそうです。南吉が書いた「ごんぎつね」の草稿では、物語の語り部であるおじいさんが、ここの境内にある若衆倉(わかいしゅぐら)で話を聞かせたと書かれています。「南吉さんの『狐』というお話に、八幡社で行われていたお祭りの様子が描かれていますが、このお祭りは今も行われています。南吉さんが楽しんだお祭りを、時間を超えて私たちも同じように経験できるなんて不思議な感じがします。今度のお祭りには、私も参加してみようと思いました」と枡谷さん。
境内を抜けると、南吉が病に伏せて亡くなった「はなれの家」の跡地があり、その向かい側には、永禄年間に建立された常福院があります。戦前は境内で盆踊りが行われ、南吉もよく踊っていたそうです。
常福院の横を抜けると、遠くに小高い山、手前に広大な農地と矢勝川が広がる、のどかな風景が現れます。その矢勝川の手前に、長さ2メートルを超えるクリーム色の巨大なカタツムリが見えます。ここは「ででむし広場」と呼ばれる公園で、この名前は、南吉が安城高等女学校で教師をしていたころ、生徒とつくった詩集に掲載した詩にちなんでつけられたのだそうです。広場の柵にキツネのレリーフが飾られていたり、すべり台がキツネの顔になっていたり、「二ひきのかえる」のイラストが描かれたタイルが埋め込まれたり、広場全体が南吉の童話世界で演出されています。
写真左・中央:南吉少年が毎日のように走っていた八幡社の境内。写真右:南吉が寝泊まりしていた「はなれの家」跡地
写真左:南吉が子どものころ遊んだ常福院。写真中央・右:作品世界を表現した「ででむし広場」
矢勝川の堤を上流へ向かって歩くと、小さな山が3つ見えてきました。その真ん中にあるのが権現山(ごんげんやま)です。「ごんぎつね」という名前は、権現山に住むキツネにちなんで付けられたともいわれています。権現山では今でもキツネの姿が見られるので、現地に足を運べば現代の「ごんぎつね」に会えるかもしれません。この矢勝川は、ごんが兵十のウナギにいたずらした童話の舞台として描かれています。矢勝川の堤に立った原さんは「矢勝川の堤は、秋になると200万本の彼岸花が咲き、真っ赤に染まると伺ったので、今度はその時期に訪れたいですね」と話していました。
最後に訪れたのは、新美南吉記念館です。ここには南吉の自筆原稿や日記、手紙、関連図書のほか、「ごんぎつね」など童話6作品を再現したジオラマ模型が展示されています。18歳にして「ごんぎつね」を執筆し、その後も数多くの童話や詩、戯曲、俳句などを創作、29歳で亡くなった南吉の短い生涯の記録が残されています。「小学生の頃はフーンと思って読んだだけでしたが、今日、南吉さんの人となりや作品に込められた思いを知り、あらためて作品を読み直したいと思いました」と枡谷さん。「15歳にして作家になると決意した南吉さん、一つの道を追い求めた姿にとても感心しました」と原さん。
南吉の生涯から作品世界まで楽しむことができる「新美南吉記念館」
最後に「ごんぎつね」をテーマに新美南吉ゆかりの地を歩いたお二人に感想を伺いました。「半田に住んでいながら南吉さんのことを詳しく知らなかったのですが、今日は物語の舞台を歩き、いろいろと勉強になりました」と枡谷さん。「地元を舞台にたくさんの名作を生み出した南吉さんは、この土地が本当に好きだったのだと思います。その南吉さんが描いたお話の世界を歩くことができ、とても楽しい一日でした」と原さんは感想を話してくれました。
(2015年5月19日掲載)
作品紹介
『ごんぎつね』 新美南吉著
兵十が病気の母親のために捕ったウナギを、いたずら心から奪ってしまったキツネのごん。つぐないのため、兵十の家へ栗などを届けていたごんは、誤って兵十に撃たれてしまう。寂しさとやさしさ、誤解が生む悲劇、子どもたちの心に何かを芽生えさせる、国民的な名作童話。
発行元:偕成社
南吉の生家八幡社
常福院
ででむし広場
新美南吉記念館
<所要時間:約3時間>
南吉の生家
大正2年7月30日に南吉が生まれた家は、半田市によって当時のままに復元され、昭和62年から公開されている。「狐」や小説「雀」「帰郷」などの作品の舞台で、「狐」「小さい太郎の悲しみ」など最後の作品もここで書かれた。
八幡社
南吉がいつもここを通って生家とはなれの家を行き来していたといわれる八幡社は地元岩滑の氏神が祭られている。祭神は、「応神天皇、神功皇后、市杵島姫命、多岐津姫命、多岐理姫命」。4月には、祭礼が行われ山車が出てにぎわう。
常福院
16世紀中頃に建立された浄土宗西山派の寺院。創建時に植えられた境内の大ソテツは市指定天然記念物に指定されている。
ででむし広場
南吉の生家近くにある小広場。その名の通り「ででむし(カタツムリ)」のモニュメントがある。「ででむし」の由来は南吉が安城女学校時代に生徒たちと制作していた詩集によるといわれる。
夏にはおよそ100万本の彼岸花が咲き誇る。
新美南吉記念館
南吉の生誕80年、没後50年を記念して平成6年に半田市によって設立された。展示室には、作品原稿、日記、手紙などの資料のほか「ごん狐」など6作品のストーリーを模型で紹介するジオラマやビデオシアター、視聴覚コーナーなどもあり、南吉文学の世界がその生涯とともにわかりやすく展示されている。周辺には、南吉の生家、養家、作品舞台になった山川、社寺、南吉が通った学校などがあり、それらを巡る散歩コースも整備されている。