文学散歩

第24回 「出雲の阿国」 ゆかりの地 島根県出雲市

歌舞伎の創始者とされる出雲阿国ゆかりの地を訪ねて。
散歩した人:株式会社島根ワイナリー 安本淳一さん

天下一の踊り手、歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国の故郷へ。

 歌舞伎の創始者として知られる出雲阿国(いずものおくに)。踊りが好きで、才能にあふれる阿国は、男装して刀を差しながら歌い踊るという今までにない傾(かぶ)いた演出で人気を博し、「阿国歌舞伎」を創始して名を馳せました。今回の文学散歩は、そんな阿国ゆかりの地、島根県出雲市を歩きます。一緒に歩いてくださったのは、島根産ぶどうを使ったご当地ワインで有名な島根ワイナリーの安本淳一さんです。現在は総務課に務める安本さんですが、以前はぶどう畑で栽培にも携わっていたとのこと。出雲で生まれ育った安本さんですが「阿国のことは詳しく知らないので、今回の文学散歩を楽しみにしていました」と話していました。

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古代と現代が交わる地、出雲大社を参拝

 国造りの神である大国主大神(おおくにぬしおおかみ)を祀る出雲大社は、日本最古の歴史書「古事記」に創建が記されている古社です。安土桃山時代に生まれた阿国は、この出雲大社で巫女となり、出雲大社本殿の修理費勧進のために諸国を巡回しながら「ややこ踊り(少女の小唄踊り)」を披露しました。これが、後の歌舞伎につながったといわれています。

 出雲大社の正門となる「勢溜(せいだまり)の鳥居」をくぐると、そこから先は神域。境内へ向かう参道は、全国でも珍しいゆるやかな下り坂になっており「下り参道」と呼ばれています。その先にある「祓橋(はらいばし)」という小さな橋を渡り、「三の鳥居」をくぐった先にあるのが樹齢数百年の松に囲まれた「松の参道」。真ん中の参道は神の通る道とされているので、脇の参道を通り手水舎で両手と口を清めてから、神聖なる境内へ向かいます。まず、視界に飛び込んでくるのは巨大な注連縄(しめなわ)を飾る拝殿です。長さ6.5メートル、重さ1トンの注連縄は圧巻の迫力があります。その拝殿の奥にあるのが、大国主大神を祀る本殿です。大社造りと呼ばれる日本最古の神社建築様式を持つ本殿は、高さ約24メ−トルの威容を誇り、神々しい雰囲気に満ちていました。本殿を参拝した安本さんは「これまでに何度も参拝しましたが、今日は出雲大社の歴史や謂れなどを伺うことができ、その素晴らしさを詳しく知ることができました」と感想を話してくれました。

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写真左:出雲大社の正門「勢溜の鳥居」。写真中央:全国でも珍しい下り坂の参道。写真右:手水舎

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写真左:拝殿にかかる巨大な注連縄。写真右:屋根に交差した千木が載っている建物が本殿

出雲阿国の足跡を訪ねて

 出雲大社を後にして向かったのは、阿国が晩年を過ごしたといわれる「連歌庵(れんがあん)」です。歌舞伎の始祖として一世を風靡した後、出雲へ戻った阿国は尼僧「智月」となり、読経と連歌に興じて余生を過ごしたといわれています。当時の連歌庵は、文化年間の大火で消失してしまったため、現在の連歌庵は昭和になって復元されたものです。

 連歌庵から歩いて数分、小高い丘の上に「出雲阿国の墓」があります。石柵で囲ったお墓の中央にあるのは平たい大きな自然石、これが阿国の墓石です。小説「出雲の阿国」では、この墓石が阿国の命を奪った石として描かれます。作中で、病に冒された阿国は冬の斐伊川を上る途中、落石により命を落とします。この落石を墓石として祀ったのが、阿国の墓だと小説では描かれています。このエピソードは作者である有吉佐和子さんの創作と思われますが、なぜ平たい自然石を墓石としたのか、その理由は今も謎のままです。

 続いて訪れたのは、奉納山に建立された「阿國塔」です。この塔は、昭和11年に歌舞伎界の名門、中村、市川両家をはじめ水谷八重子さんなど当時の名優による寄付で建てられましたが、現在の塔は昭和43年にそれを再建したものです。連歌庵、阿国の墓、阿國塔という一連の阿国ゆかりの地には、今も阿国に敬意を払う芸能関係者や歌舞伎ファンなどが、全国から参拝に訪れるそうです。

 「出雲阿国が歌舞伎を広めたことは知っていましたが、どのような人生を送ったのか詳しく知りませんでした。芸能関係者をはじめ今も多くの人たちに慕われる阿国に興味を持ったので、機会があれば小説を読んだり、歌舞伎を見に行きたいと思います」と安本さん。

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写真左:阿国が尼僧となり晩年を過ごしたといわれる連歌庵。写真中央:自然石を墓石とする阿国の墓。
写真右:歌舞伎の名門や芸能人らの寄付により建てられた阿國塔

 

国譲り、国引き神話の舞台となった聖なる浜

 最後に訪れたのは、「稲佐の浜」です。ここは神在月になると、全国から八百万の神が集まってくる神聖な場所。浜の真ん中には、ひときわ目立つ丸い島「弁天島」があります。島という名の通り、以前は遥か沖にありましたが、近年では潮が引き浜辺に立つ島になってしまいました。島の上には、かつて弁財天が祀られていましたが、今は豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られているそうです。これほど大きな島が佇む砂浜は珍しく、陽光きらめく海を背景に島のシルエットが浮かび上がる絶景は一見の価値があります。

 文学散歩を終えた安本さんは「住み慣れた町ですが、ここには国造りの神様を祀る出雲大社や、歌舞伎の創始者ゆかりの地、神々が集まる聖地など、価値ある場所がたくさんあることにあらためて気付きました。この土地の魅力をもっと学んで、これから多くの人に伝えていきたいと思います」と感想を話してくれました。

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八百万の神が集まるとされる稲佐の浜。浜の真ん中に立っているのが「弁天島」。

 

(2014年9月3日掲載)

作品紹介

『出雲の阿国』 有吉佐和子/著

出雲に生まれた阿国は、踊りの才能と美貌で人気を博し、やがて天下一の踊り手と謳われ、「阿国歌舞伎」を創始する。秀吉から家康へと歴史が動く中、時代に翻弄され、恋愛の渦にもまれ、孤独の中で踊り続けた阿国の生涯を描いた大河巨編。昭和四十四年度芸術選奨受賞作。

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発行元:中公文庫

 

今回の散歩道

出雲大社→連歌庵→出雲阿国の墓→奉納山(阿國塔)→稲佐の浜

<所要時間:約2時間>

出雲大社

縁結びの神・福の神として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)が祀られている歴史ある神社で、日本最古の歴史書といわれる「古事記」にその創建が記されています。国宝である現在の御本殿は大社造りと呼ばれる日本最古の神社建築様式で1744年に造営されました。これまで3度の遷宮が行われてきましたが、現在、60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われています。

連歌庵

出雲阿国は晩年、故郷に帰り、尼僧「智月」となり、読経と連歌に興じて静かに余生を過ごしたといわれることからその草庵は阿国寺「連歌庵」と呼ばれるようになりました。当初中村町にあった連歌庵は江戸時代に中村の大火で焼失、その後廃仏毀釈によって取り壊されました。現在のものは昭和11年、「劇祖阿国会」によって再建されたものです。

出雲阿国の墓

出雲大社西側の高台に中村家の墓があり、出雲阿国の墓は、石棚で囲われ、平たい自然石で作られています。平成14年に改修。駐車場も整備され、歌舞伎ファンや芸能関係者など多くの参拝者が訪れています。

奉納山(阿國塔)

昭和30年に完成。中世の廻国聖によって全国66箇所の聖地に経文を入れた経筒が埋経されたことが奉納山の名前の由来となっています。山頂の展望台からは大社の町並み、稲佐浜海岸から三瓶山まで見渡すことができます。奉納山の頂上に上る途中にある阿国塔は昭和11年、歌舞伎界の名門、中村、市川両家をはじめ、水谷八重子などの寄付によって建てられました。現在の塔は、昭和43年に再建されたものです。

稲佐の浜

国譲り、国引きの神話で知られる稲佐の浜。浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸が続いています。稲佐の浜に一際目立つ丸い弁天島があります。古くは「沖御前」といい、遥か沖にありましたが、近年は砂浜が広がり、島の前まで歩いていけるようになりました。

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出雲大社 連歌庵 出雲阿国の墓 奉納山(阿國塔) 稲佐の浜

 

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