文学散歩

第20回 「無影燈」 ゆかりの地 北海道 千歳市

医療小説の名作『無影燈』ゆかりの地、支笏湖を訪ねて
散歩した人:丸彦渡辺建設株式会社 菅昌洋さん

ドラマ「白い影」のロケ地になった支笏湖

孤高の外科医直江庸介を主人公に、生と死をめぐる人間ドラマを描いた医療小説『無影燈』。この作品は、1973年と2001年に「白い影」というタイトルでテレビドラマ化されて、大いに人気を博しました。作中で、癌に冒された直江医師が最期の地として訪れた場所が、北海道千歳市にある支笏湖です。今回『無影燈』ゆかりの地である支笏湖を一緒に歩いてくださったのは、今年創立95周年を迎えた丸彦渡辺建設株式会社管理本部管理部にお勤めの菅昌洋さんです。函館出身、札幌育ちの菅さんですが、支笏湖を訪れるのは久しぶりとのこと。「前回訪れたのは5年前です。そのときは、所属している市民吹奏楽団の合宿で、朝から晩まで練習ばかりしていたので観光している余裕はありませんでした。今回は、じっくり支笏湖を堪能できるので、とても楽しみです」と文学散歩への期待を話してくれました。

写真

「支笏湖ブルー」に染まった美しい湖

最初に訪れたのは、千歳市の指定有形文化財に指定されている山線鉄橋です。明治政府により招かれたイギリス人の鉄道建築技師長ポナール氏が設計し、1899年(明治32年)に架けられた北海道に現存する現役最古の鉄橋で、日本の橋梁史においても稀少かつ重要な資料として評価されています。当初、北海道官設鉄道上川線の砂川〜妹背牛間に架けられていましたが、輸送量の大幅な増加に対応できなくなり、1923年(大正12年)頃に架け替えられました。その後、王子製紙株式会社が有する千歳川上流の発電所と苫小牧工場を結ぶ専用軽便鉄道(山線)の橋として支笏湖に移され、1951年(昭和26年)にはその役目を終え、後に千歳市へ寄贈されました。1995年(平成7年)には解体修復工事が行われ、3年かけて完成、新たな支笏湖のシンボルとなりました。丸彦渡辺建設は王子製紙との関わりが深いことから、菅さんは「山線の存在は知っていましたが、この鉄橋に立つのははじめてです」とのことでした。

続いて、湖畔の桟橋から遊覧船に乗りました。遊覧船は水深2メートルに窓がついており、船室から湖底の眺めを楽しむことができます。船室の窓から見えてきたのはエメラルドグリーンに染まった水中を泳ぐヒメマスやニジマスの群れ。支笏湖は火山の噴火で出来たカルデラ湖で、360メートル超の水深と、環境省調査で5年連続国内第1位に輝く透明度の高い水質で知られています。船室の窓から水中を眺めていると、突然水の色がエメラルドグリーンからコバルトブルーに変化する場所があります。ここは水深が一気に100メートル以上下がる湖底の崖で、光の反射の関係で色が変化するようです。神秘的なブルーの水面を前にした菅さんは「支笏湖ブルーと称されるだけあって本当にきれいですね」と感激した様子でした。

写真

有形文化財の山線鉄橋(写真左)、エメラルドグリーンに染まった水中が楽しめる遊覧船(写真中央,右)

雄大な自然に囲まれた癒やしの地を歩いて

湖を半周ほどまわった先にあるのが「美笛の滝」です。木々に囲まれた細い山道を抜け、岩場を渡り、清涼な水が流れる川を渡り、倒木をくぐり、15分ほど進むと、涼感あふれる滝が現れます。アクセスがよくないので訪れる人は少ないですが、知る人ぞ知る隠れた名所といわれています。続いて訪れたのは「苔の洞門」です。ここは1739年(元文4年)7月に樽前山が大噴火し、火砕流が堆積してできた溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)が土石流で侵食されてできた涸沢(からさわ:干上がった沢)です。涸沢内の岩壁には緑のじゅうたんを敷き詰めたように苔が密生し、神秘的な雰囲気を醸し出しています。しかし、現在は落石の危険があるため内部に入ることはできず、観覧台から洞門の入口を眺めることしかできません。「中に入れず残念ですが、森林の空気がとても心地よい空間でした」と菅さん。

最後にポロピナイのキャンプ場に隣接した湖畔を訪れました。支笏湖周辺の山々の中でもシンボル的存在の風不死岳(ふっぷしだけ)と樽前山を正面に望むキャンプ場で、テレビドラマ「白い影」のロケ地になったといわれています。「ドラマで、主人公の直江医師が桟橋に佇み物思いにふける姿がとても印象に残っています」

支笏湖周辺をめぐる文学散歩を終えた菅さんは、「会社創立95周年という記念の年に、とてもよい思い出ができ、うれしく思います。美しい自然に囲まれ、心が癒やされた一日でした」と感想を話してくれました。

写真

隠れた名所美笛の滝(写真左)、神秘的な雰囲気を味わえる苔の洞門(写真中央,右)

写真

風不死岳と樽前山を望むキャンプ場(写真左)、ドラマで主人公が佇んだとされる桟橋(写真中央)

 

(2013年9月12日掲載)

作品紹介

無影燈 渡辺淳一著

大学病院で講師まで務めた優秀な外科医だった直江庸介は、エリートの道を棄て個人病院の一医師として勤務していた。勤務中に飲酒をしたり、麻薬を使用したり、看護婦や患者の女性と次々関係を持つ直江。そんな直江の不審な行動の裏には、人知れぬ秘密が隠されていた。

写真

発行元:文春文庫

 

今回の散歩道

山線鉄橋→苔の洞門→支笏湖観光船

<所要時間:約3時間>

山線鉄橋

イギリス人のポナール氏により設計され、1899年(明治32年)に北海道官設鉄道上川線(現JR函館本線)に第1空知川橋梁として架けられた。1923年(大正12年)、王子製紙の専用軽便鉄道として現在の場所に移される。山線とは苫小牧から日高方面に走っていた鉄道を「海線」、支笏湖方面に走っていた鉄道を「山線」と呼んでいたことに由来する。1951年(昭和26年)の軽便鉄道廃止により鉄道橋の役目を終えたが、1967年(昭和42年)に王子製紙から千歳市に寄贈され、道路橋・歩道橋として長年利用されてきた。1995年(平成7年)からの修復工事により支笏湖の新たなシンボルとして生まれ変わり、2007年(平成19年)に「洋紙の国内自給を目指し北海道へと展開した製紙業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代産業遺産に認定された。

苔の洞門

支笏湖の南岸、樽前山の裾野にある渓谷。1739年(元文4年)の樽前山大噴火の噴出物(火砕流)が堆積してできた溶結凝灰岩が土石流で侵食されてできた。下流の第1洞門(延長約420メートル)と、その上流の第2洞門(延長約600メートル)で構成され、ともに両岸の岩壁には30種類以上の苔が密生しており、まるで緑色のビロードに覆われた回廊のようになっている。

支笏湖観光船

その歴史は古く、昭和36年創業以来、長い間人々に親しまれてきた。水中遊覧船の登場により、支笏湖の自然を余すところなく堪能できるようになった。現在は水中遊覧船、高速艇、ペダルボートの三種類があり、四季折々の美しい景観をさまざまな角度から楽しむことができる。

■ここでチェック

山線鉄橋 苔の洞門

 

このページの先頭へ