文学散歩

第18回 「おくのほそ道」 ゆかりの地 宮城県・塩竈市・松島町

松尾芭蕉を旅に掻き立てた憧憬の地、塩竈・松島を訪ねて
散歩した人:株式会社仙台水産 佐藤浩さん

三百年の時を越え、芭蕉の旅した道のりを歩く

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。

かの有名な序文ではじまるのは、俳聖と呼ばれた松尾芭蕉が絵画のように美しい文章と俳句で綴った紀行文の傑作「おくのほそ道」です。今回、芭蕉の足跡を一緒に歩いてくださったのは、株式会社仙台水産 執行役員で管理本部副本部長 兼 電算部部長の佐藤浩さんです。佐藤さんは6月7、8日に仙台で開催される「マネジメントフォーラム2013 in東北」の運営委員長をされています。「街道筋に『おくのほそ道』の句碑や道標がいくつもあり、小さいころから目にしていたので芭蕉の存在は身近に感じますね」と、仙台で生まれ育った佐藤さんは芭蕉への思いを語ってくれました。

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東北鎮護・陸奥国一之宮として崇敬を集める鹽竈(しおがま)神社

鹽竈神社は、古来より東北鎮護・陸奥国一之宮として、朝廷をはじめ庶民の崇敬を集めてきた由緒正しい神社です。参拝者を迎える表参道は、芭蕉が「石の階九仞(きざはしくじん)に重り」と表現した石段積みの急坂。屹立する杉林に囲まれた二百二段の石段、その先には朱塗りの艶やかな随身門が佇み、神々しい雰囲気が漂っています。

随身門、唐門をくぐり境内にはいると「おくのほそ道」で芭蕉が感心した「文治の灯籠」があります。この灯籠を寄進した奥州藤原三代秀衡の三男忠衡(和泉三郎)は、父の遺言を守り最後まで源義経を守護したため、兄泰衡に討たれるという非業の死を遂げた武将です。三百年前にここを訪れ、灯籠の刻印を目にした芭蕉は忠衡を勇義忠孝の士と評し、五百年前の様子が今、目の前に浮かんでくるようだと感動の思いを綴っています。

「ひさしぶりに鹽竈神社を訪れましたが、いつ来ても、ここは心が清らかになり、落ち着いた気持ちになれる場所ですね」と佐藤さんは、鹽竈神社の感想を話してくれました。

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芭蕉も参拝して感動したと伝えられる「文治の灯籠」(写真中央)、鹽竈神社境内にあるおくのほそ道碑(写真右)

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鹽竈神社の東参道入り口には、芭蕉止宿の地の記念碑がある(写真中央)

神の手による造形美を楽しむ船旅

塩竈から松島への移動は、芭蕉の足跡にならい船に乗りました。松島と言えば、「おくのほそ道」の冒頭で「松島の月先(まづ)心にかゝりて」、旅に出たと記しているほど、芭蕉にとって憧憬の地だったようです。

遊覧船から見える、濃緑色の海に、切り立った白い岩肌が美しい大小の島々、その上に生命感あふれる松が立ち並ぶ姿は、まさに絶景です。芭蕉は、この風景を「ちはやぶる神の昔、大山祇(ずみ)のなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆を揮(ふる)ひ詞を尽さん」と描写。神の生み出した造形は、どれほどの人が筆を振るっても、言葉を尽くしても、表すことはできないと感嘆しており、実際に俳聖といわれた芭蕉も、句を詠むことができませんでした。

「松島は何度訪れても、年齢によって感じ方が違うので飽きることがありません。この年齢になると、島の美しさに目を奪われるだけではなく、海を渡る風、潮の香り、陽の光を含めた自然の奥深さや広がりまで楽しめるようになりますね」

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カモメにエサをあげる佐藤さん(写真左)、仁王様が葉巻をくわえているように見える仁王島(写真中央)

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大波が寄せると鐘に似た音がする鐘島(写真左)、鍋を伏せたように見える鍋島(写真右)

 

伊達政宗が造営した歴史に残る大伽藍

港に着くと目の前に瑞巌寺、左手に五大堂が見えます。国宝である瑞巌寺は、平安のはじめに慈覚大師円仁が天台宗延福寺として開創し、その後、戦国時代に一時衰退したものの、江戸時代初めに伊達政宗が現在の大伽藍を完成させて瑞巌寺と改め、今に至っています。芭蕉に随伴した曾良の旅日記によれば、「瑞岩寺詣、不残(のこらず)見物」と記されていますから、芭蕉も瑞巌寺を隅々まで見物したようです。現在、平成の大改修工事のため、入母屋造の本堂や、芭蕉が「金壁荘厳光を輝かし」と記した障壁画(修復・復元)は、残念ながら見学できません。その代わり、大書院の御本尊や政宗公の正室愛姫様の墓堂である荘厳華麗な「陽徳院御霊屋」が特別公開されていました。

次に、松島のシンボルともいえる五大堂へ向かいました。五大堂へ渡るには「透かし橋」を通らなければなりません。この橋は、渡し木の隙間が広く空いているため、よそ見をしていると足を踏み外す恐れがあります。これには足元を見つめ、余計なことを考えず参拝しなさいとの意味が込められているそうです。五大堂の前には、視界いっぱいに松島湾が広がっていました。「政宗公が仙台ではなく、この地に五大堂や瑞巌寺を建てたのは、きっと、この松島の絶景に惹かれたからなのでしょうね」と佐藤さん。

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瑞巌寺参道脇の洞窟遺跡群には、五輪塔や笠付塔婆など無数の墓標が安置されたり、壁面に彫りつけられたりしている

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五大堂へは、渡し木の間に隙間が空いている「透かし橋」を渡っていく(写真左)

 

「おくのほそ道」ゆかりの地を一緒に歩いてくれた佐藤さんは、「みなさんと一緒に美しい景色に共感しながら歩けて、とても楽しかったです。松島は、霞がかかる春、雪化粧のきれいな冬、海面に満月を浮かべる夜など、季節や時間によって違った魅力を見せるので、機会があれば、ぜひまた訪ねてみたいですね」と感想を話してくれました。

(2013年5月7日掲載)

作品紹介

『芭蕉 おくのほそ道 ― 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 ―』
松尾芭蕉 萩原恭男 校注

俳聖 松尾芭蕉が門人の曾良を供に、全行程六百里、百五十日をかけて旅した日々を、華やかで絵画的な美しい文章と俳句で綴った紀行文。芭蕉の「不易流行」という究極の芸術思想は、この旅を経て完成されたこともあり、日本文学史に残る紀行文の最高傑作ともいわれる俳諧文学の金字塔的作品。

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発行元:岩波書店

 

今回の散歩道

鹽竈神社→松島→瑞巌寺

<所要時間:約3時間>

鹽竈神社

東北鎮護・陸奥國一宮として古くから信仰を集め、現代まで厚い崇敬を受けてきた。創建は不祥。
国の重要文化財に指定された社宝の太刀、国の天然記念物のシオガマザクラなど、見所も多い。

松島

天橋立、安芸の宮島とならぶ日本三景の1つ。平安の昔からその美しさを誇り、現在、国特別名勝、県立自然公園に指定されている。松島湾内に浮かぶ島の数は260余島で、ほとんどの島に松が生えている。
伊達政宗公が復興したと言われる瑞巌寺をはじめとする歴史的な建造物も多く残され、1年中多くの旅行客で賑わう。

瑞巌寺

比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁によって平安のはじめに開創された禅寺。正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在臨済宗妙心寺派に属している。現在の建物は伊達政宗公が桃山様式の粋をあつめ完成させたと言われる。本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されている。

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鹽竈神社 瑞巌寺

 

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