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- 第12回 向田邦子 ゆかりの地 鹿児島県・鹿児島市
文学散歩

帰るといっても、鹿児島は故郷ではない。(中略)しかし、少女期の入口にさしかかった時期をすごしたせいか、どの土地より印象が強く、故郷の山や河を持たない東京生れの私にとって、鹿児島は懐かしい「故郷もどき」なのであろう。
晩年、乳がんを患った向田邦子は「長く生きられないと判ったら鹿児島へ帰りたい」と語り、短編エッセイ「鹿児島感傷旅行」の中で冒頭の一節を残しています。今回そんな“故郷もどき”の町を一緒に歩いてくれたのは、南日本新聞社に勤める山下直樹さんです。山下さんは「向田さんが過ごした頃の鹿児島は、今ほど豊かではなかったでしょうが、エッセイには家族と過ごした日々が明るく描かれていて、物があふれる現代よりその時代をうらやましく感じました」と話してくれました。
「テンモンカン。知らない人が聞いたら、競馬の馬の名前と言われそう」と邦子が書いた天文館。ここは、島津家第25代重豪(しげひで)が天文学研究のためにつくらせた建物があった場所で、昔も今も鹿児島を代表する繁華街です。中心街を走る路面電車は、邦子が暮らした頃と変わらず、今も町のシンボルとして元気に走っています。邦子が通った山下小学校は、繁華街から歩いてすぐの場所にあります。エッセイには「この時の私は、赤いランドセルを背負った、蚊トンボのようなすねをした四十年前の小学生であった」と書かれています。当時と場所は変わりませんが、校舎は空襲で焼け、邦子がおはじきを隠した楠の根方の洞も失われてしまいました。ですが、小学校では児童が書いた優秀な作文や詩に「山下向田邦子賞」を授与するなどして、邦子が残したものを後世に伝える活動が続けられています。「学校全体で向田さんの母校であることを大切にしようという意識が伝わってきますね」と感想を語る山下さん。
昔も今も鹿児島を代表する繁華街「天文館」
向田邦子がよく家族と買い物に出かけた山形屋
向田邦子が通っていた山下小学校
少女時代の邦子が暮らした居住跡地を訪れました。当時、高台にあった家の庭からは、鹿児島市街と桜島が見えたそうです。40年ぶりに帰郷した際、邦子はこの庭から桜島を眺めたい一心で、空港からの道中、桜島を見ないようにしたと書いています。残念ながら、今はその風景を眺めることはできません。石垣は昔のまま残っていますが、当時の建物はなくなり、町内会で建立した「向田邦子居住跡地の碑」がひっそり立っているだけでした。
次に向かったのは城山です。山下小学校に通っていた頃、先生から「城山まで駆け足!」の号令がかかると、城山の頂上まで裸足で駆け上がったとエッセイに描かれています。展望台に着くと、桜島が美しい姿を現します。邦子は久しぶりに訪れた鹿児島で「変わらないのは、ただひとつ、桜島だけであった。形も、色も、大きさも、右肩から吐く煙まで昔のままである」と、さびしさとなつかしさが入り混じった心情を記しています。展望台から桜島を眺めていた山下さんは、「ここに立つと鹿児島市街を一望でき、桜島も端から端まで見えるんですね。僕は、この角度から見た桜島が一番好きです」と話してくれました。
向田邦子が暮らした地には「向田邦子居住跡地の碑」が建てられ、写真が飾られている
向田邦子が暮らした当時のまま残る石垣
当時は、照國神社の境内でお遊戯や運動会が行われていた。
向田邦子の遺品や生原稿が多数展示されている「かごしま近代文学館」
城山展望台に登ると桜島と鹿児島市街を一望できる
城山から車で約10分、島津家の別邸「磯庭園」のある磯浜へ。この浜から見える桜島の美しさは別格です。山下さんは、かつて近くの小学校へ通っており、子どもの頃、よく清掃作業で浜を訪れたそうです。「懐かしいですね。裸足で浜を駆け回った子どもの頃を思い出します」
邦子が、磯浜の思い出として描いているのが『ぢゃんぼ』です。これは、大きいという意味ではなく、二本の棒が刺さっていることから『リャン棒』と呼ばれ、いつしかなまって名を変えたそうです。『ぢゃんぼ』は、つきたてのやわらかい餅にうす甘い醤油あんをからませた磯浜の名物で、邦子の母が好んだことから、よく食べに出かけたとエッセイに書かれています。山下さんは「昔、家族で海へ出かけると、帰りに『ぢゃんぼ』を食べるのが何よりの楽しみでした。久しぶりに食べましたけど、やっぱりおいしいですね」と、笑顔で『ぢゃんぼ』を頬張っていました。
「“故郷もどき”と呼ぶほど、向田さんが鹿児島を愛していたことを知り、この町の魅力にあらためて気付かされました。僕も、この機会に町のことをもっと知りたいと思いました」と、山下さんは今回の散歩の感想を話してくれました。
磯浜から眺める桜島は別格の美しさ
向田邦子も食べた「桐原屋」の『ぢゃんぼ』
久しぶりに食べた『ぢゃんぼ』は、やっぱりおいしいと山下さん
(2012年4月9日掲載)
作品紹介
「鹿児島感傷旅行」(『眠る盃』所収) 向田邦子/著
少女時代の回想をいきいきと甦らせる珠玉の随筆集『眠る盃』に収蔵された短編エッセイ。故郷の山や河を持たない向田邦子が “故郷もどき”と呼ぶ鹿児島を40年ぶりに訪れ、当時と変わらないもの、変わってしまったものに触れながら、なつかしくも切ない想いを綴っている。
『眠る盃』講談社刊
天文館通山下小学校
向田邦子住居跡
城山展望台
磯浜
<所要時間:約3時間>
天文館通
鹿児島最大の繁華街。1779年に第25代薩摩藩主島津重豪公が天文観測や暦の作成などを行う施設「明時館(別名天文館)」を建てたことに由来する。アーケード内には郷土料理店やみやげもの店をはじめ様々なショップが立ち並び、南九州一の人気スポットとなっている。
山下小学校
向田邦子が三年生の三学期から五年生まで通った小学校(当時は、尋常小学校)。明治11年(1878年)創立で、邦子が通った昭和43年(1968年)当時は、2,000名を超えるマンモス校だったという。
向田邦子住居跡
邦子が鹿児島での2年余りを過ごした居住(第一徴兵保険株式会社(旧・東邦生命)社宅)跡地。
城山展望台
雄大な桜島と鹿児島市街地を一望できる人気スポット。大正天皇が皇太子の時代に鹿児島を訪れた際、設置されたとされる。当時は徒歩で登ったが、現在は駐車場も完備され、観光客が気軽に訪れ楽しめる場所となっている。
磯浜
島津別邸・仙巌園がある磯浜は、桜島まで4.2kmと、雄大な風景が望める人気のスポット。『ぢゃんぼ』餅は磯浜の名物で店が何軒かある。