文学散歩

第10回 小泉八雲 ゆかりの地 静岡県・焼津市

美しく霊的なる日本を愛した小泉八雲を訪ねて 散歩した人:鈴与システムテクノロジー株式会社 山本美樹さん

八雲が愛した古き良き漁師町、焼津

 陽がカンカン照ると、焼津というこの古い漁師町は、中間色の、言うに言えない特有な面白味を見せる。まるで、トカゲのように、町はくすんだ色調を帯びて、それが臨む荒い灰色の海岸と同じ色になり、小さな入り江に沿って湾曲しているのである。

 「焼津にて」の作中で、八雲は焼津の風景をこのように描写しています。明治30年にこの地を訪れた八雲は、美しい海と“善良な子供たちのように率直で親切”である土地の人々が気に入り、以降、夏になると必ず焼津を訪れるようになりました。そんな八雲ゆかりの地、焼津を歩いてくれたのは、鈴与システムテクノロジー株式会社の山本美樹さん。山本さんは、アウトソーシング事業部 カスタマーサポート部でPCのサポート業務に携わっています。「『耳なし芳一』や『雪おんな』などの怪談は読んだことがあります。八雲のイメージは、おとなしい人という感じですね」と山本さんは、八雲の印象を話してくれました。

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焼津駅前に立っている八雲の記念碑

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たくさんの漁船が係留されている焼津港

 

海と人に恵まれた焼津での日々

 八雲は焼津を訪れるといつも海岸通りの魚商人、山口乙吉宅に滞在したそうです。今、その家屋があった地には「小泉八雲滞在の家跡」という碑が立っています。この家屋が面する道は「八雲通り」と名付けられ、そこから北へ進むと新川橋の近くに「小泉八雲先生風詠の地」と刻まれた記念碑があります。山本さんは、この碑を見学した後、八雲がよく泳ぎに出かけた和田浜を訪れました。海岸は、たくさんの丸石で埋め尽くされており、歩くだけで石と石がぶつかりカラコロと心地よい音が響きます。海沿いにどこまでも丸石が続くこの浜の様子を、八雲は“灰色の海岸”と表現したようです。

 「美しい景色に囲まれたこの海で、八雲はプカプカ浮かびながら、煙草をふかしたそうですが、とても気持ちよかったでしょうね」と山本さんは、波の向こうに八雲の姿を想像していたようです。

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八雲が滞在した乙吉邸の跡地に立つ碑

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八雲通り沿いに立つ風詠の碑

 

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八雲が泳ぎに訪れた和田浜

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和田浜沿いには松林の防潮林が続いている

 

温かな八雲の素顔に出会える町

 続いて向かったのは、光心寺です。ここには波除け地蔵と呼ばれる古いお地蔵様が祀られています。乙吉邸の近くで、首が取れたお地蔵様を見つけた八雲は、不憫に思い新しいお地蔵様をつくり、息子である一雄の名前を付けたいと考え、セツ夫人に手紙を送ったそうです。セツ夫人から「縁起でもない」と反対された八雲は、泣く泣く断念したと伝えられています。山本さんは、通称「八雲地蔵」とも呼ばれる、このお地蔵様を光心寺で拝観した後、焼津小泉八雲記念館へ向かいました。

 記念館には、八雲がセツ夫人に送った直筆の手紙や、『漂流』という作品に登場する「甚助の板子」、直筆原稿、挿絵、八雲の遺品などが展示されています。また、八雲の生涯、焼津との関わりを紹介する映像も閲覧でき、作家や教師、研究者とは異なる温かみのある八雲の素顔を知ることができます。

 「怪談を書く作家のイメージしかありませんでしたが、直筆の手紙や、家族を大切にする姿を知り、八雲の新しい一面を見た気がします。これを機に怪談だけではなく、八雲の人柄が見える紀行文も読んでみたいと思いました」と山本さん。

 最後に、八雲ゆかりの地を歩いた感想を山本さんに伺いました。「焼津の町を歩き、釣り船や海鳥の姿に触れ、漁港の町をじっくり楽しむことができました。また、八雲ゆかりの地を訪れ、当時のエピソードなどを伺うことで、今まで知らなかった焼津の魅力を知ることができました」。

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光心寺に祀られている波除け地蔵

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八雲がよく散歩に出かけたという焼津神社

 

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焼津小泉八雲記念館で展示品を閲覧する山本さん

(2011年12月12日掲載)

作品紹介

「焼津にて」 小泉八雲/著 村松眞一/訳『霊の日本』所収

 ある夏、八雲は焼津でお盆に行われる「送り火」の行事に出会う。夜の海へ泳ぎだし、海上を流れる精霊舟を近くで見た八雲。夜通し流れ、風と波に押しやられて散り散りに離れていくやわらかな光に八雲は “おびえる一つの命”を見る。焼津で過ごした日々を語りつつ、生命の神秘や不思議を問う紀行文の名作。

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写真提供:焼津小泉八雲記念館

 

今回の散歩道

焼津駅→風詠の碑→和田浜→光心寺→焼津小泉八雲記念館

<所要時間:約3時間>

風詠の碑

新川橋の近くの八雲通り沿いに立つ記念碑。ここは小泉八雲が避暑のために逗留した山口乙吉宅があった場所である。
明治30年に初めて焼津訪れた八雲は、この町のたたずまいがとても気に入り、明治37年までに6回にわたり焼津を訪れ、夏のひとときを家族と共に山口家で過ごしたと言われる。

和田浜

水泳が好きな八雲がよく訪れたという和田浜は、駿河湾と富士山が美しく調和した風光明媚な海岸。海釣りを楽しむ人も多く訪れる人気のスポットである。

光心寺

門を入って左側に祭られているお地蔵様は、その昔は六体あったと言われる。安永年間の頃は防波堤の上に波除の願いを込めて3体安置されていたが、百年の歳月の間に現在の一体だけとなった。八雲が首のかけたお地蔵様を見て、首をつけようとしたということから八雲地蔵とも呼ばれている。

焼津小泉八雲記念館

2007年に会館。遺品や直筆草稿・書簡を中心に小泉八雲にゆかりのある品々を数多く展示し、八雲が愛してやまなかった焼津での足跡や人々とのふれあい、創作活動などを広く現代に伝えている。

■ここでチェック

波除け地蔵(光心寺) 焼津小泉八雲記念館

 

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