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- 第8回 「炎立つ」 ゆかりの地 岩手県・平泉町
文学散歩

「民のすべてが一つとなってともに助け合う。それが楽土(浄土)」。これは『炎立つ』で、奥州藤原氏四代の泰衡が“陸奥(みちのく)の目指す姿”を源義経に語った言葉です。震災後、東北地方で被災された方々の助け合う姿が各国の称賛を受けましたが、その行動の底流には平安の世から流れるこうした思想があったのかもしれません。
世界遺産に登録されたばかりの岩手県平泉町を一緒に歩いてくれたのは、盛岡市に本社を構える株式会社システムエイドの森子真都佳(もりこ まどか)さん。医療系システムの開発・販売および病院の業務受託を展開する同社で、森子さんは大学病院の医療事務を担当しています。岩手県出身の森子さんですが、陸奥の歴史文化をテーマに歩くのは初めてとのことでした。
最初に訪れたのは、二代目基衡が久安6年(1150)から保元元年(1156)までの7年かけて造営したといわれる毛越寺です。当時は広大な境内に40を越える堂塔、500を越える禅坊(僧侶の宿舎)があり、中尊寺を上回る大寺院だったといわれています。残念ながら堂塔伽藍は焼失してしまいましたが、浄土(仏の世界)を地上に表現したと伝えられる庭園は、今も変わらぬ美しさを見せてくれます。浄水をたたえる大泉が池、その周辺に州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、橋のたもとをかざる橋引石、枯山水風の築山などが配された浄土庭園は、平安時代の作庭様式を残す日本最古の庭園といわれます。散策していた森子さんが足を止めた先に清涼な水音を響かせる遣水がありました。やわらかに蛇行する流れ、水底に玉石を敷き詰め、水切り、水越し、水分けなどの石組を配した遣水は、平安時代唯一の遺構です。毎年新緑の頃には遣水を囲んで詩歌を詠み合う『曲水(ごくすい)の宴』という行事が開催されます。「平安の雅を味わえる『曲水の宴』を、私も体験してみたいと思いました」と森子さん。
砂洲と入江が柔らかい曲線を描く州浜
毛越寺本堂前にて
遣水を流れる清涼な水の音は平安の世も今も変わらない
浄土庭園は四季折々の花々で彩られている
続いて訪れたのは、平泉文化の象徴である中尊寺。「中尊寺建立供養願文」によれば、開祖清衡は戦乱で亡くなったものたちの霊を慰め、陸奥に浄土を築くことを目指して中尊寺を建立したと伝えられています。また、この寺は「諸仏摩頂の場(しょぶつまちょうのにわ)」であり、境内を詣でれば誰もが仏様に頭を撫でていただけ、諸仏の功徳を受けられる<まほろば>だとされています。こうした清衡の想いが現実のものとなり、陸奥は100年に渡って争いのない繁栄の時代を迎えます。しかし、四代泰衡の時代に源頼朝の手により奥州藤原氏は滅びてしまいます。以降、庇護者を失った中尊寺は衰退し、建武4年(1337)の火災で多くの堂塔、宝物を焼失してしまったのです。しかし、幸いなことに金色堂だけは800年を越えた今も創建当時の姿を残しています。金色堂の劣化を防ぐために建てられた覆堂を入ると、まばゆいばかりの光が目に飛び込んできます。金色に輝く外観も荘厳ですが、何より目を奪われるのは堂内の装飾です。夜光貝を用いた螺鈿細工、金と漆の蒔絵で描かれた菩薩像、透かし彫りの金具、象牙の飾りなど、当時の工芸技術の粋を集めた堂内はそれ自体が優れた芸術作品です。「見る角度で色が異なる螺鈿細工が本当にきれい。棺に納められていたという琥珀や瑠璃の副葬品も美しいものばかりですね」。時を越えて人々を魅了する平泉文化の華やかさに、森子さんは心惹かれたようです。
中尊寺本堂には1200年間燃え続ける「不滅の法灯」がある
樹齢300〜400年の杉並木が歴史を感じさせる月見坂
中尊寺の広大な敷地内は豊かな緑に包まれている
金色堂を風雪から護るため鎌倉時代に建てられた旧覆堂の内部
平泉文化を花開かせ、東北地方に100年もの繁栄をもたらした奥州藤原氏。その栄枯盛衰を描いた時代小説『炎立つ』ゆかりの地を歩いた森子さんに感想を伺いました。「岩手県で生まれ育ちながら、今日まで平泉の歴史をあまり知りませんでした。これを機に『炎立つ』のドラマを観て、郷里の歴史をもっと学びたいと思いました」。
(2011年9月1日掲載)
作品紹介
『炎立つ』 高橋克彦著
平安末期、平穏な日々が続いていた陸奥に源頼義が陸奥守として下向したことを機に戦乱の時代がはじまる。武士として誇り高く散った藤原経清、不遇の時代を経て理想郷を築いた開祖清衡、源義経との縁を機に時代のうねりに飲まれていく三代秀衡と四代泰衡までの興亡劇を描いた長編歴史小説。世界遺産に認定された平泉文化の根底をなす浄土思想を知ることができる作品。
『炎立つ』全5巻 講談社刊
毛越寺中尊寺
<所要時間:約3時間>
毛越寺
天台宗別格本山毛越寺は慈覚大師円仁によって開山され、主に藤原氏二代基衡、三代秀衡が再興し伽藍の造営にあたったといわれる。度重なる災禍によってすべての建物が焼失したが、大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝に二重指定されている。平安時代を代表する浄土式庭園が四季折々の花で彩られる人気の観光地である。
中尊寺
嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によっ開かれたと言われる天台宗の東北大本山。その後奥州藤原氏初代の清衡によって大規模な堂塔の造営が行われ、奥州藤原氏三代ゆかりの寺として知られる。建武4年(1337)の火災で多くの堂塔、宝物を焼失したが、金色堂はじめ3000余点の国宝・重要文化財を現在まで良好に伝え、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称される。2011年6月に世界文化遺産に登録された。