文学散歩

第2回

林 芙美子ゆかりの地
広島・尾道

散歩した人
株式会社パイオニア電子計算センター
道下真代さん

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林芙美子ゆかりの地、尾道へ。

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林芙美子の文学碑と瀬戸の海

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 “海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい”
 尾道の町並みを眼下に見下ろす千光寺山の山頂から「文学のこみち」を歩くと、木々の合間から美しい空とやわらかな瀬戸の海を望む絵画のような風景に出合えます。そこに林芙美子の代表作『放浪記』の一節を刻んだ文学碑があります。九州に生まれ各地を転々とした芙美子は、十三歳から高等女学校を出るまでの約六年間をこの地で過ごしました。“私は宿命的に放浪者である”と語る芙美子にとって、多感な少女時代を過ごした尾道は古里と呼べる特別な地でした。

 尾道で生まれ育ち、地元に本社を構える株式会社パイオニア電子計算センターに勤務する道下真代さんは、文学碑に刻まれた芙美子の言葉に触れ、ふたたび海へ視線を転じました。「私も海が見える浜辺の家で育ったので、“海が見えた。海が見える。”という言葉で尾道を表現した林芙美子さんの気持ちがわかる気がします」

 道下さんが勤務するパイオニア電子計算センターは、経理処理・給与計算などの受託計算からソフトウェアの開発・販売、情報システムのコンサルティング、OA機器の販売、人材派遣サービスなどの事業を展開しています。道下さんは、得意先企業から寄せられた経理情報などを入力する受託計算業務を担当しています。「仕事柄社外に出ないので、地元なのに尾道の町をあまり歩いたことはないんですよ。だから今日はとても楽しみです」

 

芙美子の足跡を訪ねて

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道下さんが幼少時に通っていた尾道幼稚園

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林芙美子の遺品が展示されている文学記念室

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土堂小学校の廊下にて

 尾道ゆかりの作家の文学碑を楽しみながら「文学のこみち」を降りてくると、赤い塔で有名な千光寺に着きます。境内から望む絶景を堪能した後、ふたたび石畳を降りて行くと、古寺と民家の軒が入り組む坂道の途中で道下さんが足を止めます。視線の先にあったのは道下さんが幼少時に通っていた尾道幼稚園でした。歴史ある建物や園庭を眺めながら「昔から全然変わっていないので、なんだかうれしくなりますね」と懐かしそうに話してくれました。

 次に訪ねたのは、「尾道文学の館」の一角にある「文学記念室」です。大正時代に建てられた古民家を生かした部屋に、芙美子の遺品や生原稿、貴重な写真などが展示され、波乱万丈だった芙美子の生涯を伝えています。年譜や写真を参照しながら「強さと繊細さを併せ持つ林芙美子さんにあらためて魅力を感じました」と道下さん。

 「文学記念室」を後にし、入り組んだ石畳を歩いて次に向ったのは芙美子が通った尾道市立土堂小学校です。当時、小学校の教師をしていた小林正雄氏との出会いが作家の道を歩むきっかけになったといわれています。小林氏は、芙美子の文学的才能を引き出すため、自宅で理科や算術の補習をしたり、女学校進学を勧めるだけではなく、物資の援助もしたといいます。本名のフミコを芙美子という美しい字面にするよう勧めたのも、小林氏でした。自伝的小説『風琴と魚の町』に小学校を描写した次のような一節があります。
 “随分、石段の多い学校であった。父は石段の途中で何度も休んだ。学校の庭は砂漠のように広かった。・・・校舎の上には山の背が見えた。振り返ると海が霞んで、近くに島がいくつも見えた。”
 土堂小学校は、芙美子が通った当時と同じように今も石段の上にあり、校舎の上に山の背を望むことができます。

 学校の隣には、『風琴と魚の町』で芙美子をモデルにしたといわれる主人公が住んでいた“石榴(ザクロ)の家”と呼ばれる家があります。“この家の庭には、石榴の木が四五本あった。その石榴の木の下に、大きい囲いの浅い井戸があった。二階の縁の障子をあけると、その石榴の木と井戸が真下に見えた。”と描かれていますが、現在では石榴は一本だけになっています。

 

恋を語らったうず潮橋、多感な時代を過ごした家

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芙美子と軍一が恋を語らったうず潮橋

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尾道駅近くにある林芙美子像

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芙美子一家が暮らした藤原ヨシ煙草店跡

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芙美子がかつて暮らした旧宅にて

 学校からの坂道を降りていくと「うず潮橋」という陸橋に着きます。陸橋の上から西には尾道駅のホームが見え、その左手には尾道水道が見えます。橋の上で芙美子は因島出身の恋人岡野軍一と恋を語り合ったといわれています。『放浪記』に“島の男”として登場する軍一は、芙美子にとって大きな存在でした。女学校卒業後、東京へ出たのも明治大学に進んだ軍一を追いかけてのことでした。結局、良家の息子だった軍一の両親の反対にあい交際を絶たれたわけですが、その傷心を慰めるために書きはじめた日記が『放浪記』の原型だったといわれています。

 陸橋を降りて尾道駅方面へ進むと芙美子の銅像があります。畳二畳ほどの台座に旅の出で立ちで座り込み、遠くを見つめる芙美子像はいったい何を思うのでしょう。台座の前には、冒頭にも記した“海が見えた。”という『放浪記』の一節が刻まれた碑が立っています。

 芙美子像の東に伸びるアーケードを進み、最初の細道を右に曲がった路地が「うず潮小路」です。ここは昭和三十九年に林芙美子を取り上げたNHK の朝ドラマ『うず潮』のロケ地になった場所として知られています。五十メートルほどの路地を海へ向って進んだ角に小さな碑が立っています。そこには“林芙美子が多感な春時代を過ごし、林文学の芽生えをはぐくんだ家の跡です。”と刻まれています。ここは大正八年から十年まで芙美子一家が二階に暮らした藤原ヨシ煙草店跡です。

 最後に訪れたのは「喫茶 芙美子」です。店内には、直筆原稿や貴重な写真が飾られ、芙美子にちなんだコーヒーや料理などのメニューが用意されています。店の奥には、当時芙美子が住んでいた旧宅が移築されており、中を見学することができます。狭い階段を上り、当時芙美子が暮らした四畳ほどの部屋へあがった道下さんに、文学散歩の感想を伺いました。

 「ゆかりの地を歩き、さまざまなエピソードを伺って、作家としてだけではなく女性としての林芙美子さんに強く惹かれました。これを機会に全作品を読みたいと思います。そして、読後にもう一度今日のコースを訪ねてみたいですね」。

 

(2010年9月1日掲載)

作品紹介

『放浪記』『風琴と魚の町』 林芙美子著

 明治、大正、昭和という激動の時代を駆け抜け48歳で夭折した稀代の女流作家林芙美子。
 『放浪記』は、貧しさの中で職を転々としながらも生命の火を燃やし続けた芙美子の自伝的小説です。人生の無常や絶望を全身で受け止め這いつくばりながら生きていく主人公を、詩的表現を用いた美しいリズムで描き上げた本作は、いつの時代も人の心を打つ名作です。同じく自伝的小説である『風琴と魚の町』は、尾道を舞台にした作品です。風琴(アコーディオン)を鳴らしながら行商をして歩く父親の姿や、土堂小学校に転校した頃のエピソード、家族で過ごした幸せな日々の断章が描かれています。尾道を訪れる際には、ぜひこの二作品を読まれることをお勧めします。

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写真提供:尾道市役所文化振興課

 

今回の散歩道

尾道駅→千光寺山ロープウェイ(山麓駅→山頂駅:乗車時間約3分)→文学のこみち→千光寺→文学記念室→尾道市立土堂小学校→うず潮橋→芙美子の銅像→うず潮小路→藤原ヨシ煙草店跡→喫茶 芙美子

<所要時間:徒歩3時間:見学時間含む>

文学のこみち

尾道の名所千光寺公園内にある全長約1 qの自然歩道。林芙美子、志賀直哉など尾道ゆかりの文学者の詩や短歌などが刻まれた25 の文学碑が千光寺山山頂から続いている。昭和40(1965)年と44(1969)年の2回にわたって、尾道青年会議所が造り、市に寄付した。

千光寺

大同元(806)年創建。千光山の中腹に建ち境内からは尾道の絶景が望める。境内には「赤堂」と呼ばれる朱塗りの本堂や”残したい日本の音風景100 選”に選定された「鐘楼」があり、尾道のシンボル的存在となっている。

文学記念室

文学記念室では「放浪記」の林芙美子をはじめ、「少年倶楽部」に連載をもっていた高垣眸、アララギ派の歌人中村憲吉、など、尾道ゆかりの文学者の愛用品や書簡、直筆原稿等を展示している。林芙美子の書斎を再現した部屋には、芙美子が愛用した品が並べられている。

尾道市立土堂小学校

林芙美子が通った小学校。当時と同じように今も石段の上にあり、校舎の上に山の背を望むことができる。当時、小学校の教師をしていた小林正雄氏との出会いが作家の道を歩むきっかけになったといわれている。自伝的小説『風琴と魚の町』に小学校を描写した一節がある。

うず潮橋

西には尾道駅のホームが、左手には尾道水道が見える。この橋で芙美子は因島出身の恋人岡野軍一と恋を語り合ったといわれている。軍一は“島の男”として『放浪記』に登場する。良家の息子だった軍一の両親の反対にあい交際を絶たれた芙美子が傷心を慰めるために書きはじめた日記が『放浪記』の原型になったといわれる。

芙美子の銅像

山陽本線尾道駅の東、商店街アーケード入り口にある。畳二畳ほどの台座に旅の出で立ちで座り込む芙美子の銅像前は、尾道の待ち合わせスポットとしても人気。芙美子の命日にはここであじさいの献花や詩の朗読が行われる。

うず潮小路

入り口に『林芙美子が多感な青春時代を過ごした林文学の芽生えをはぐくんだ家の跡です』と刻まれた石碑が立っている。50mほどの短く細い通りで、芙美子が、学校に行くときに毎日通っていたといわれる。「うず潮小路」の名前は、NHKドラマ「うず潮」にちなんで付けられた。

藤原ヨシ煙草店跡

うず潮小路の出口には、大正八年四月から十年七月まで芙美子一家がその二階に住んだ藤原ヨシ煙草店の跡がある。現在は尾道東御所郵便局になっている。

喫茶 芙美子

店内奥の中庭を抜けると芙美子の暮らした旧宅がある。店内には芙美子の写真・関連アイテム、芙美子直筆の未発表原稿が展示されている。コーヒーが好だった芙美子の代表作がメニューに取り入れられている。

 

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