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文学散歩
第1回
夏目漱石ゆかりの地
東京・谷根千
散歩した人
住友林業情報システム株式会社
運用管理部 第二グループ
チーフ 川副静香さん

「文豪憩いの石」に腰かけて
都内JR 山手線の内側に「谷根千」と呼ばれる地域があります。谷根千とは、谷中・根津・千駄木という地名の頭文字をつなげた呼び名で、地域雑誌『谷根千』が下町ブームの火つけにもなったことでも知られています。この辺りは、戦災の影響をあまり受けず、また戦後も大規模な開発を免れたため街並に一昔前の面影を残しています。とくに東京大学周辺の一帯は、夏目漱石や森鴎外といった明治の文豪が居を構え、数々の名作を残した文学ゆかりの地として親しまれ、散歩コースとしても人気を集めています。
そんな文豪が小説の想を練ったといわれる根津神社境内の「文豪憩いの石」に腰をかけ、学生時代の思い出のページを開くのは川副静香さん。今日の散歩人です。
川副さんが勤務する住友林業情報システム株式会社は、住友林業グループのシステム開発・運用を担っており、運用管理部第二グループに所属する川副さんは、内部統制の業務を担当しています。
「いろいろな人とかかわりを持てるのが楽しいですね。また、仕事の面でスキルアップを目指したいときに、後押ししてくれる職場の環境にも感謝しています」
職場での川副さんは、対人関係においてもスキルアップにおいても積極的。NUA の女性セミナーにもたびたび参加しているとか。
「休日は海や公園でのんびり過ごすのが大好きで、料理好きの友人数名でバーベキューなど、アウトドアクッキングを楽しんでいます」
美しい新緑の中を歩きながら川副さんの心は弾みます。
漱石旧居跡、猫の家で“吾輩”と出会う
大学時代には、文学部で近代文学を専攻していた川副さん。卒論は三島由紀夫の『憂国』を取り上げましたが、明治の文豪である夏目漱石や森鴎外も研究課題でした。ハンドバックにしのばせてあった夏目漱石の文庫本には、研究のための書き込みがびっしりと残されていて、文学に傾倒していた学生時代の様子がうかがえます。
根津神社を後にし、薮下通りを抜けていきます。この道は、中山道 (国道17号線)と不忍通りの中間にあり、根津神社裏門から駒込方面へ通ずる道。古くから自然にできた脇道だとか。昔は道幅もせまく、両側は笹薮で覆われていたことから「薮下通り」と呼ばれ、多くの文人が通ったことで知られています。
少し脇にそれ、漱石の旧居跡を訪ねると、そこには大きな石碑がありました。ここは明治38年に代表作である『吾輩ハ猫デアル』を執筆した住居跡で、物語には苦沙弥先生宅として登場しています。その家に迷い込んだ猫が主人公の「吾輩」です。
「あっ、“吾輩”が歩いている! かわいい演出ですね」
塀の上に猫の像を発見しました。建物は愛知県の明治村に移築され、現在は石碑だけが残されていますが、漱石がかの名著を執筆した地とあり、一層感慨深い思いがします。
小説の舞台に立ってタイムスリップ
ゆっくり散策を続けながら、向かったのは東京大学構内の「三四郎池」。鬱蒼とした森に包まれたこの池は、もとは「育徳園心字池」という名でした。明治41年に執筆された漱石の代表作『三四郎』の舞台になったことで現在のように呼ばれるようになりました。
三四郎と美禰子がはじめて出会ったという池の畔で、学生時代に読んだという『三四郎』の中から、そのシーンのくだりを見つける川副さん。一節を読み上げてくれた声が、雨上がりの新緑の中でしっとりと響き、気分はすっかり小説の舞台へとタイムスリップしたようです。
当時、漱石は英文科の講師を勤めながら執筆活動を続けていたため、著作には東大構内の至る所が登場するということです。
漱石文学の挿絵を鑑賞
東大の弥生門を出て「弥生美術館」へ立ち寄ります。弥生美術館は、昭和59年に弁護士・鹿野琢見によって、挿絵画家・高畠華宵のコレクションを公開するために創設されました。以来、明治・大正・昭和の挿絵画家とその時代を彩る出版美術を公開しています。
折しも『谷根千界隈の文学と挿絵展〜弥生美術館周辺を舞台にした“ものがたり”』の会期中で、漱石のコーナーでは、『吾輩ハ猫デアル』と『三四郎』の挿絵が展示されていました。ゆったりと展示を見ながら心の文学散歩は続きます。
「社会人になってあらためて読み返すと、また違った角度で漱石の人間観が見えてきて、奥深さを感じます。今日は仕事のことも忘れて新鮮な気持ちで散策できました」
(2010年7月27日掲載)
作品紹介
『吾輩ハ猫デアル』 夏目漱石/作 中村不折/画
初出は俳句雑誌『ホトトギス』で明治38年(1905年)1月から39年8月までの連載小説です。『ホトトギス』掲載時の挿絵は樋口五葉が描き、単行本発行時(大倉書店・服部書店刊)には、表紙絵や装幀を樋口五葉、挿絵を中村不折が描きました。写真は中村不折によるものです。中村不折は、明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家、書家であり、小説の挿絵や題字の他、中村屋のロゴマークを描いたことでも知られています。
国内外を問わず多くの人に親しまれてきたこの小説は、猫が見た日本人の西洋かぶれ、拝金主義、人間の傲慢さを痛烈かつユーモラスに批判したことで話題を呼んだ一冊。いつの時代にも通じる普遍的な新鮮さを保ち、読み継がれている名著です。近年ではさまざまな解釈の絵本なども出版されているようです。
資料提供:弥生美術館
根津神社藪下通り
漱石旧居跡
東大
三四郎池
根津美術館
上野駅
<所要時間:徒歩3時間:見学時間含む>
根津神社
およそ1900年前に日本武尊によって創建されたと言われる古社で、「根津権現」とも呼ばれる。現在の社殿は、徳川五代将軍綱吉により奉健され、1706年に完成された。権現造りの本殿、弊殿、拝殿、唐門、透塀、楼門のすべてが欠けずに残っており、国の重要文化財に指定されている。境内はツツジの名所としても有名で、近辺には、夏目漱石や森鴎外といった文豪が住居を構えていたことから、文豪にちなんだ旧跡も残されている。
藪下通り
根津神社から駒込方面に向かう閑な道で、「藪下道」とも呼ばれ親しまれている。鴎外の散歩道であったと言われ、小説にも登場している。
漱石旧居跡
文豪夏目漱石がイギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだ旧居跡。東京大学英文科・第一高等学校の講師を務める一方、処女作『我輩は猫である』をはじめ『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』等を次々に発表した。『我輩は猫である』ではこの住居が作品の舞台となっている。
現在家屋は愛知県犬山市にある「明治村」に移築され公開され、石碑が建てられている。
三四郎池
『三四郎』は1908年(明治41年)、「朝日新聞」に連載された夏目漱石の長編小説である。
翌年春陽堂から刊行され、『それから』『門』へと続く漱石の三部作のひとつ。東京大学構内にある「三四郎池」は、1626年徳川3代将軍家光訪問の際に造られた庭園内にあり、当初は「心字池」と言われたが、作中で主人公の三四郎と美彌子が出合った舞台になったことから、作品発表後、そう呼ばれるようになった。
弥生美術館
昭和59年(1984年)この地に住む弁護士の鹿野琢見氏によって設立された。大正から昭和にかけて活躍した挿絵画家・高畠華宵などを所蔵している。昭和4年、9歳であった鹿野氏が高畠華宵の絵「さらば故郷!」に深い感銘を受け、36年後にその感動を手紙にして送ったことをきっかけに親交を深めたという。その後、鹿野氏によって隣に竹下夢二美術館、近くに立原道造記念館が開館した。