あの日の風景

第11回 南仏、マルセイユ 久保田淳(国文学者)

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 旧港に戻って街を歩く。小津監督の「東京物語」の広告の貼紙が目に入った。この映画は見ていなかったが、ふとなつかしくなる。ノートルダム寺院―『モンテ・クリスト伯』の冒頭にいうノートルダム・ドゥ・ラ・ガルドへの急な坂道を登る。登るにつれて脚下に旧港がひろがってゆく。青い空には早くも白い月がかかっていた。

 横光利一の長篇小説『旅愁』の冒頭近く、主人公の矢代とその一行が長い船旅の後に初めてヨーロッパの地に足跡を印したのがマルセイユであり、矢代が現地のキリスト教文化に触れて強い違和感を覚えたのが、この寺院で見た、血を流して横たわるキリスト像である。

このリアリズムの心理からこの文明が生れ育つて来たのにちがひない。それなら瞞されたのはこつちなんだ。——矢代はひとりキリストの血の彫像の周囲を幾度も廻つてかう思つた。(中略)「ここぢや、リアリズムがキリストを殺したのだなア、つまり。」と矢代は、一つヨーロッパの秘密の端つぽを覗いてやつたぞといふ思ひで建物から外へ出た。

 初めて『旅愁』を読んだのは二十代のおわりだったろうか。伊勢から帰る途中、名古屋駅構内の本屋で求めた文庫本で読み出したのだった。二度目はこの海外出張中、デュッセルドルフでやはり文庫本を入手し、自身行ったパリの風景などを思い浮かべ、小説の叙述に重ねながら読んだ。矢代のいわば純粋な日本主義に同調するつもりはない。しかし、この一年間キリスト教文化の重厚な所産に圧倒され続けながらも、やはり自分の心は違う、日本の心も同じとはいえないだろうという思いは捨てきれない。そんな人間がこの小説の初めの部分で描かれる場所にやって来て、同じ寺院を訪れている。自身にとってのこの作品の意味を振り返ってみると、自分で求めてやってきたに違いないのだが、ここにこうしていることもまたやはり不思議な気がしないでもなかった。

 

参考図書:
アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』(一)、(二)(岩波文庫、平成十九年改版)
横光利一作『旅愁』上(新潮文庫、昭和三十五年刊)

 

筆者プロフィール

久保田 淳(くぼた じゅん)

昭和8年東京生まれ。東京大学名誉教授・日本学士院会員。著作に『山家集』『藤原定家』『野あるき花ものがたり』など多数。鉄道の旅をこよなく愛し、現在も鉄道の旅を続けている。

写真

丘の上に建つローマ・ビザンチン様式のノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院は、マルセイユのシンボル的な存在。
テラスからは360度の大パノラマが楽しめる。

 
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