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- 第11回 南仏、マルセイユ
あの日の風景


アレクサンドル・デュマ作、山内義雄訳『モンテ・クリスト伯』(一)(岩波文庫)
その後、帰国前に一度はTEEの特急ル・ミストラルに乗ってみたいという稚気にまかせて、永井荷風の『ふらんす物語』にも描かれているリヨンに行くことを急に思い立ち、その目的は果たしたものの、雨にたたられて一日でリヨンを退散したのである。
そしてマルセイユでの朝が明けたこの日も、旧港へ行ってみる。港近くのフリウル群島行きという水上バスがあるので乗る。目的の島に着く途中、かなたにイフ島の黒っぽい城塞が見える。アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』の発端で語られる、主人公エドモン・ダンテスが十四年間投獄されていた牢屋のシャトー・ディフだ。この長篇小説は次のように始まる。
一八一五年二月二十四日、ノートル・ダム・ドゥ・ラ・ガルドの見張所では、スミルナ、トリエスト、ナポリからやってきた、三本マストのファラオン号が見えたという合図をした。
一八一五年二月はナポレオンが流刑地エルバ島から脱出した年であり月である。この歴史的事件が幸福の絶頂にあったこの小説の主人公を地獄の底へと突き落とし、後に自らを陥れた者たちへの冷徹な復讐者とさせたのだった。中学生の頃夜を徹して読みふけり、外国小説の面白さに目を覚まされた物語の舞台を、四十も半ばを過ぎて訪れている。今日が一九八〇年二月二十四日なのも、不思議といえば不思議な暗合である。
岩がちの島の僅かな砂地には、幹がまるで木のような野生のあらせいとう(ストック)が濃い赤紫の花を咲かせていた。春菊みたいな黄色の花も満開で、この一角はもう春だった。

